ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
悟りとは何か――。禅には「不立文字、教外別伝」、つまり、釈迦の教えは言葉では伝えられないという考え方がある。では、アメリカで禅を三〇年間教えてきた禅僧と、仏教に目覚めた詩人が「禅」について語り合うと、どのような言葉が飛び出すのか。「そもそも仏教って何ですか?」から始まった対話は、縁起や如来などの仏教用語を解剖しながら、坐禅への誤解を暴き立て……読むと坐りたくなる、坐禅のススメ。
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
曹洞宗の藤田一照師と詩人の伊藤比呂美さんによる仏教そして禅への入門書となる対論。 一照師は米国で長く布教にあたってこられただけあって、詩人のナチュラルでストレートな問いかけにしっかりと応えていくので、これから門を叩こうとしている私には、絶好の後押しとなりました。
伊藤比呂美の問いかけが、そこを聞いてほしかったんだよ、というツボにいちいちハマっており、その問いに藤田一照が、そういう説明の仕方があったか、といちいち感動させられるような言葉で答える。仏教の基本的なものの考え方から坐禅の実践まで、とてもわかりやすく、腑に落ちる言葉にあふれている。只管打坐の思想がやっ...続きを読むと少しわかったような気がする。
対話という事もあり、噛み砕いた言葉でスッと頭に入りやすい。 一照さんの言葉はほんと分かりやすくて、比呂美さんのストレートな質問も小気味良くて。 ずーっと入っていきたいと思ってた仏教の世界への入り口をようやく見つけた感じ。 ここから世界を広げていきたい、
仏教用語のうじゃらうじゃらは、やや退屈。座禅の前のリラックスやストレッチの実際的な方法については、よくわかった。
仏教の教えも交えながら、座禅が生まれた背景や瞑想との違いをなるべくわかりやすく解説している本。普段から瞑想をしているが、仏教的な理解をしているのとしていないのとでは、得られるものも変わってきそうだと思った。
禅入門、である以前に禅僧による仏教入門としてもそうとうわかりやすい。 で、ちょっとした符牒だの専門用語が出てくるたびに話を止めて確認する伊藤比呂美さんが非常に読者にとって頼もしい存在に思えてくる。 座禅は「本当の自分探し」だの「潜在意識の覚醒」だののためにあるんじゃなくて、ただそこに座ってい...続きを読むることで身のまわりとのつながりを確認し己を調えるものなのだ、という辺りが本書の肝で、修行は苦しいものでも特別なものでもない、というところにこの先の未来での布教のヒントがあるのではないかしらん。 とまれ、仏教とはナニか、を説明するために手元に置いといてもいい本なんじゃないかしら。
お経を翻訳している詩人と曹洞宗の国際センターのお坊さん。ふたりともアメリカ在住で活動している。 そのためか、言葉遣いが新鮮で、逆に坐禅の本質に切り込んでいるようなところもあるのでは、と感じた。 「そもそも仏教とは」から始まって大局的に坐禅の位置づけをして、坐り方や効用(?)、海外の禅の現状まで一通...続きを読むり目を通すことができる。 強調されていたのは、坐禅は瞑想とは微妙に違うこと、効能が目的でないこと。 仏教の中での位置づけは「シッダールタと同じ体験」であり、お釈迦様が寝てる時に悟っていたら坐禅ではなく寝禅だったろう、というのがわかりやすい。一切経(すべてのお経)は坐禅の脚注である、と言っている。 坐禅には瞑想にも通じるテクニック的なこと(座り方、呼吸法)もあるが、その本質は「縁起」→すべてのものがネットワーク上につながっていること、を自然に感じること。乗馬に例えて、おしりで宇宙とつながるという例えはわかりやすい。宇宙の法則(ダルマ)と一つになる(一如)と仏になると言われる。 自分も宇宙の一部である以上、余分なものを捨て去った(無心)ときに当然にその状態になれるはず。「自分が自分で自分を自分する」のが坐禅らしい。 正身端坐 →耳と肩、鼻とヘソが横から見て垂直になるように →完成した姿勢を作るのでなく、安定した楽な姿勢を探し続ける作業(動的) →動かすところは動かされるところ→体の各部は連動している →考えは自然に任せる(左から入ってきたら右から自然に出てゆかせる)→考え続けるのでなく、考えているな、と客観的に感じ続けることが大事。 「耳と肩、鼻とへそ」「腕を振るのでなく、骨盤の動きによって腕が振られる」というのは、正にゴルフスウィングで言われるところ。 坐禅はそれ自体が目的だが、習慣化することでより客観的に物事を見れるような気はする。特に固定観念に凝り固まりそうなときは、白紙に戻すきっかけとなるかもしれない。精神は安定しそう。やはり、仏教は、帰依した神を無条件で信じるホットなキリスト教やイスラム教と比べてクールだ。 仏教においては、たとえ本人が見ようとしなかったり、無視したりしても、すべての物は「縁起」によってつながっている。その意味においては、庭に大自然をとり込んだり、弱い者を慈しむことは仏教的で視野の広さを示すことになるのかもしれない。 俳句の季語もそんな感じで、スケールの大きさを要求したものかもしれない。 単なる風流よりも切実な仏教的要請が当時はあったのかもしれない。 また、禅宗の禁欲的でシンプルな思想は、貧しい者にとっては逆に好都合な美的判断基準になったところもあるかもしれない。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄
新刊情報をお知らせします。
藤田一照
伊藤比呂美
フォロー機能について
「中公新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
安泰寺禅僧対談
あかるく拒食 ゲンキに過食 リターンズ
あたらしいわたし 禅 100のメッセージ
アップデートする仏教
石垣りん詩集
試し読み
いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経
伊藤比呂美の歎異抄
伊藤ふきげん製作所 思春期をサバイバルする
作者のこれもおすすめ一覧へ
▲禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 ページトップヘ