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忘れたくとも失いたくはない過去に区切りをつけ、完結させるため、たくさんの人がその“標本室”を訪れる。持ち込まれる品は様々。例えば、楽譜に書かれた音、愛鳥の骨、ヤケドの痕。そして、標本技術士の助手になった「わたし」は、欠けてしまった薬指の先端を。
登場するのは、皆、かつて何かを永遠に諦めてしまった人ばかり。寂しさは新たな寂しさを導いて、人々は己の物足りなさを埋めようと、他者にすがる。静謐な文章の底に息づく狂気がとても美しい。
本作は2005年にフランスで映画化されている。主役は「007 慰めの報酬」でボンドガールに抜擢されたオルガ・キュリレンコ。フランス映画らしい静けさとエロチシズムにくらくらとめまいを覚える。原作にほぼ忠実に描かれており、こちらもおすすめである。
Posted by ブクログ
小川洋子さんの小説はどれも落ち着いた不思議さがあって大好き。その不思議さにも2種類あると思っていて、教科書に載っている作品のような、奇跡みたいな不思議さと、不気味とも奇妙とも言い難い不思議さ。この本にあるお話はどちらも後者に近いような気がする。私はそういうお話がとてもとても好きなので、しみじみ楽しめました。
どちらの短編も、何かに執着してしまう女性の話だった。でもその執着が悪いものではなくて、スルスル絡みついて離れない仕方のないものみたいな印象を受けて……それがすごく好きだった。
「薬指の標本」はよりゾクゾクする美しさで、読んだあとの余韻がすごく心地よかった。糸を引く不気味さ。でもすごく綺麗。素敵な物語と巡り会えて嬉しい。
Posted by ブクログ
表題作『薬指の標本』
童謡「赤い靴」を流しながら読みたいお話。あとなんか、唐突に「ぼのぼの」の「しまっちゃうおじさん」を思い出しました。どちらも、「子供の頃なんとなく怖かった記憶」ですかね。
以下は「密やかな結晶」との比較も含みます。
『密やかな結晶』の後に読んだのだけど、雰囲気が似ていて、特にその作中作と構造が似ている。
発表としては『薬指の標本』表題作の初出:1992年7月
『密やかな結晶』単行本:1994年1月
『薬指の標本』単行本:1994年10月
とのことであり、『薬指の標本』からさらに純度を増したのが『密やかな結晶』であるように見える。
『薬指の標本』は短いが、小川洋子の作品に繰り返し現れる要素がかなり露出した形で詰まっている作品だった。標本室、靴、地下室、保存、閉じ込め、正確な手順を持つ男、自我の薄い主人公、身体の一部への集中。これらが非常に直接的に配置されている。
『密やかな結晶』と比べると、『薬指の標本』は官能がかなり濃い。そこには明らかに封じ込められたい欲望がある。主人公自身も「自由になんてなりたくない」「この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められていたい」という方向へ傾いていく。つまり、まだ主人公の側に欲望が見えている。
一方で『密やかな結晶』は、「そうされるしかない」物語である。そこでは、主人公が「そうされたい」と選ぶより前に、世界そのものがすでにそのように閉じている。選べないというより、選ぶ必要がない。自由がないからこそ、自由であらねばならない負担からも解放されているように見える。
小川洋子はこの2つしか読んでいないが、この系統の作品には、少女趣味的な美しさがある。
標本瓶、古い建物、閉じられた部屋、秘密、指、靴、箱、保存。そうした道具立てによって、成熟した現実から少し外れた箱庭の美学が作られている。
主人公たちは、強い自我を持って世界にぶつかるタイプではない。叫ばない。戦わない。暴れない。むしろ、自我がないことに徹しているように見える。しかし、何も感じていないわけではない。感受性は非常に鋭く、温度、湿度、匂い、手触り、相手の動作、部屋の静けさを細かく拾っている。ただ、それを「私の欲望」「私の怒り」「私の判断」として所有しない。感受性はあるのに、主張がない。この自我の薄さが、世界や他者に侵入される余地を作っている。
こちらが選んだからではない。
こちらが望んだからではない。
どうしようもないものに巻き込まれた。
だから仕方がない。
この「仕方がない」が、欲望の言い訳になっている。
乙女心とは、自分の欲望としてではなく、外側の必然として訪れてほしいと願うことなのかもしれないなと思った。
『薬指の標本』を読んだことで、『密やかな結晶』の異様な完成度がよく見えた。
この二作は、同じ毒を別の溶媒に溶かした作品のように見えました。
Posted by ブクログ
限りなく現実でありながらも、ダークなおとぎ話みたい。
不思議な夢をみて、しばしぼんやりとしてしまうような読後感だった。
乾いた浴場に差し込む光や、ビー玉のつまみがついた引き出しが延々と並ぶ標本室。
迷い込む暗い林、六角柱の部屋のつやめく木の質感。
映画のように頭に情景が流れる。
官能的なシーンも印象的。
例えば、背中の感触。
抱き合うのはベッドではない。
一話目では、ひんやりと硬い浴槽の底。
二話目では、陶芸工房の砂でざらついた床。
どこかサディスティックな男のからだの重みを受け入れながら、背中は硬質な床に押し付けられている。
逃れようとはせず、身を任せるのだ。
美しい文章に導かれ、恍惚感すら覚える。
ところで、二話目のミドリさんの赤い毛糸のポンポンをつけた白い水泳帽が可愛すぎる。
あんなに可愛いおばあちゃんがいたら、私も注目してしまうだろうな。
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