無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
ジーザスがかっこよすぎる。ジーザスは神の子ではなく、神力的なものを持った超人でもなかった。ただの人だった。ただ、人の優しさを自分のことのように感じることができる人だった。
盲目の人を癒す力もなく、ただ純粋に痛みを分かち合った。
最終的に人々は神の子ではないと見放し十字架に架ける。しかし、ジーザスは最後になっても主に彼ら(ジーザスを十字架に架けた者たち)の罪の赦しを乞うた。ジーザスは、最後まで隣人愛を説き、愛による救済を訴えたのだ。
ジーザスが人間であるということは我々にとって何よりも救いではないだろうか?神の子でも、超人でもなく、ただの人が誰かのために身代わりとなり、最後まで優しさを持っていたということ、それはこの性悪説が真実のようになっている社会に対して何よりも救いとなるのではないだろうか。
一言で言えば、この本を読んで思ったことは、「ジーザス、かっけえ」だった。人を無心に信じる、無償の愛を与える、それができるのは本当の強さだ。
Posted by ブクログ
遠藤氏の本を幾つか読んだが、私はその度「神とはなにか?」を考えさせられた。遠藤氏が書く本に現れる神は、所謂神頼みされる神、何かを授けてくれる神、奇跡を与える神ではなく、残酷で、冷酷で、何もしない神だと感じたからである。普段生きていて、神を思う時、それは何かを望む時であったり、なにか幸福に恵まれた時であったりするのが私だった。だからこそ余計に、遠藤氏の作品で現れる神は、どんな信念のもとにその姿をしているのかを知りたかった。この本を読むことで、それがほんの少しわかった気がし、同時にイエスという人に対して遠藤氏がどう考えているのか、イエスの像についてもほんの少し触れられた気がした。この本を読んですぐにはわからなかったが、じっくり自分の中で咀嚼し、反芻する内、ふと、あらゆる苦しさや悲しさや辛さを背負うことを選んだイエスと、そのイエスにずっと無言で付き伴った神の姿とその意味が心に浮かんできた。神は常にどんな時も其処に在る、その救いの意味が少しわかった気がした。私の理解はとてつもなく浅く、議論するに足りないものだろうが、そういうことを少しでも考えられるきっかけができたことは、私にとって大きかったと思う。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。