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一九三十年刊行の大衆社会論の嚆矢。二十世紀は「何世紀にもわたる不断の発展の末に現れたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「性の増大」と「時代の高さ」の中から《大衆》が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの《大衆》に《真の貴族》を対置する。〈生・理性〉の哲学によって導かれた予言と警世の書。
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Posted by ブクログ
とても読みづらいくて、すんなりは入ってこない だがその分、読むほどに深みを感じる名著 約100年も前の本だが、大衆の危うさは、SNSのフィルターバブルの中にいる現代により一層、先鋭化している
それ以前の人々にとって生とは重苦しい運命だった。しかし、現代の「大衆」=「平均人」は、彼を取り巻く世界に甘やかされている。経済的、肉体的、社会的安楽さをあたりまえのものと思っている。 近年のヨーロッパに蔓延する無力感は、「潜在能力の大きさ」と「政治機構の大きさ」とのアンバランスから生まれる。 「...続きを読む国家というものは、人間に対して贈り物のように与えられる一つの社会形態ではなく、人間が額に汗して作り上げてゆかねばらないもの」 国家を成り立たせる要因は、血縁でも、言語でも、過去でもなく、「われわれが一緒になって明日やろうとすること」 「国家は一つの事物ではなく、運動である」 「ヨーロッパ大陸の諸民族の集団による一大国民国家を建設する決断のみが、ヨーロッパの脈動をふたたび強化しうるであろう」
ポピュリズムが影を覆う今だからこそ読むべき本だと思います。これだけ上から目線で書かれた本も珍しい。今だったら『炎上』必死の内容です。
学生の頃に探すも見つけられなかった本が筑摩の文庫にあった。18世紀のルソー「社会契約論」19世紀のマルクス「資本論」、20世紀はこれと言われた社会論のバイブル。皇帝、覇王など選ばれた人のための国家と違い、近代の国民国家は、ビジョンも持たず自ら責任も取らない「慢心しきったお坊ちゃん」たる大衆が支配者に...続きを読むなった。大衆の集まりによる自由民主主義の限界。今後どうあるべきか。90年前オルテガはファシズム、ナショナリズム、スターリン的マルクシズムの限界を見抜き、ヨーロッパの現状を憂いて書いたが、今やアメリカも日本も、世界がこの状況にある。多くの学者や思想家が影響を受け、論じてきたが誰も答えを見つけられていないまだるっこしさ。天才を待つしかないのか!大衆は待つしかできない(TT)
長く、きちんと読めないまま、来てしまいましたが、読み通しました。1930年に刊行された大衆社会論であり、ファシズム、スターリン的マルクシズムが挫折していく以前の書ですが、説かれている内容は、今こそ、真剣に取り組まなければならないように思いました。 読み返しをして咀嚼していきたいと思います。
大衆とは、閉鎖的で凡俗。凡俗であることの権利を主張し、その一方で無気力。国家へ主張することの意味を自覚しない。この存在が集合体となれば、国家はおろか国際社会をも脅かす強大な力となる。世界で保護主義が蔓延しつつあるいまだからこそ、読んでおくべき一冊。
「大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである」 「われわれがここで分析しているのは、ヨーロッパの歴史が、初めて、凡庸人そのものの決定にゆだねられるにいたったという新しい社会的事実である。あ...続きを読むるいは、能動体でいえば、かつては指導される立場にあった凡庸人が、世界を支配する決心をしたという事実である」 「人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な欲求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。」 「今日われわれは、明日何が起こるか分からない時代に生きている。そして、そのことにわれわれはひそかな喜びを感じる。なぜならば、予測しえないということ、つねにあらゆる可能性に向かって開かれているということこそ、真正な生のあり方であり、生の真の頂点というか充実だからである」 「十九世紀のような頂上の時代の安心感は、一つの視覚的幻想であり、その結果は、自己の方向を宇宙のメカニズムにまかせ、自分自身は未来に無関心になってしまう結果を招くものである。進歩主義的自由主義もマルクスの社会主義も、ともに、自分たちが視覚的未来として望んでいるものが、天文学におけると同じような必然性によって、まちがいなく実現されることを前提としている」 (この本が書かれた時代において)「サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプがあらわれた。」 「・・・彼らは意見を主張しようとするが、あらゆる意見の主張のための条件とい前提を認めようとはしない」 「大衆人は、自分がその中に生まれ、そして現在使用している文明は、自然と同じように自然発生的なもので原生的なものであると信じており、そしてそのこと自体によって原始人になってしまっているのである」 「・・・文化の基本的価値など彼には興味がないのである。彼にはそうした価値に共同責任を負おうともしないし、その価値に奉仕する心構えもない」 「・・・(大衆人は)国家という組織が不安定なものであることに気づかないし、自己のうちに責任を感じるということがほとんどないのである」 「大衆人は国家を観て、国家に感嘆する。そして国家が現にそこにあり、自分の生を保証してくれていることを知っている。しかし彼は、国家は人間の創造物であり、幾人かの人間によって発明され、昨日までは確かに人間にそなわっていたある種の徳性と前提条件によって維持されてきたものであり、明日には雲散霧消しえtしいまうかもしれない、という自覚はもっていない」 「シュルレアリストは、他のひとびとが『ジャスミンとか白鳥とか半獣半人とか』書いたところに、書く必要もない一言を書きくわえ全文学史を彫刻したと信じ込んでいる。しかし彼がやったことといえば、今までゴミ捨て場にうち捨てられていたもう一つの修辞学をひっぱりだしてきた以外のなにものでもないのは明らかである」 「人間の生は、その本質上、何かに賭けられていなければならない」 「生きるということは、一方においては、各人が自分で自分のためになすことである。しかし他方においては、そのわたしの生、わたしだけにとって重要な生が、もしわたしがそれを何かに捧げているのでなければ、緊張も『形』も失い弛緩してしまうのである。近年、献身すべき対象をもたぬために、無数の生が自らの迷宮のなかに迷い込み消えていくという恐るべき光景を目撃してきた」 「創造的な生は、厳格な節制と、高い品格と、尊厳の意識を鼓舞する絶えざる刺激が必要なのである」 「今日、『ヨーロッパ人』にとってヨーロッパが一つの国民国家的概念たりうる時期が到来している。しかも今日そう確信することは、十一世紀にスペインやフランスの統一を予言するよりもはるかに現実的なのである。西欧の国民国家は、自己の真の本質に忠実であればあるほど、ますますまっしぐらに巨大なる大陸国民国家に発展してゆくことであろう」
現代に生きる人間の大衆化に警鐘を鳴らす名著です。 大衆に流される(常に多数派になる)ことによって、確証バイアスとかエコーチェンバー的な考えにとらわれて、新しい視点に気づけなくなって個を失い平均化してしまう。そういった愚かな大衆によって文明は衰退しうる。とオルテガは言ってます。いろんなこと(異なる価値...続きを読む観)に対して自分なりの考えを持つことが大事だと再確認できます。 けっこう読みづらくて時間がかかってしまった、、
この本は、1930年にスペインで生まれのオルテガによって書かれたものですが、現在の日本の「空気感」、「閉塞感」や、経済的にもピークを超えた日本の社会状況ととても似ていて、内容的にも新刊本を読んでいる感じになり、驚きました。 過去にも同じような社会状況が繰り返されており、現在読んでも、とても参考になる...続きを読む名著でした。 ぜひぜひ読んでみて下さい。
個人の生の充実。運命を受け入れること。国家の概念。大衆が「慢心しきったお坊ちゃん」となることへの警鐘。
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