舞台がほぼ自分の郷里であることの贔屓目も手伝った側面はあるが、ここまで感情移入して自分の感性ですんなり受け入れることのできる小説は初めてであった。
郷愁というよりは、多くの人が幼少期に出会ったことのある心の動きがかなり正確に再現されており、そこに懐かしさを感じるといったところ。外的な出来事や環境に
...続きを読む対して内的なものがどう応答するか、まるで子供の心がそのまま端正な文章になったようである。それでも幼年期の前編は叙事的な傾向が強く、少年期を描く後編は多分に抒情的になっていく。一人の人間の魂が形作られる過程のようである。
後編に移ると幅も奥行きも大きくなっていく洪作の世界で、おぬい婆さんは小さく老いていく。あれだけ剛毅でつっけんどんだったおぬい婆さんが衰弱し、もう洪作の庇護者たりえないことを2人が共有してしまう描写が非常に悲しい。
おぬい婆さんに対する惻隠の情を言葉にできなかった洪作が、二度と会わないであろう老人に優しく声をかけるのも象徴的。子供の大きな成長は些細で何気ないことから起こるのだろう。
以下好きな場面等
村の人間の意地の悪さや皮肉っぽさは、不快というよりはむしろ、この作品ではユーモアを担っており小気味良さを感じさせるものがある。
豊橋で迷子になった場面において、「あとへ引き返すより、まだ前へ進む方が怖さが少いような気がした」とあるが、子供の心理描写としてここまで適切なものは寡聞にして知らない。
沼津のかみきの小母さんに好きな食べ物を聞かれるところ、「よく理解できなかったので、何でもみんな嫌いにしてしまおうと思っていた」とあり、子供の頃ってこんな感じだったなと強く懐かしさを抱いた。
湯ヶ島から大仁が4時間は (長すぎて) 驚かされるが、下田までも4時間で行けるのは意外。下田行きの描写は、量的にも物語的にも比重はそれほどないように思うが、丘の上から入江を眺める2人の構図が快い。
村を去るとき、最も親しい幸夫が遠くから笑いかけるだけというのもいい。
最後に遠く離れていく天城が、読者にも湯ヶ島との別れを感じさせる。