雑誌BRUTUSの村上春樹特集で、本人が選んだ51冊のブックガイドの中でまだ未読だったものの1冊。コンラッドの名作『闇の奥』は読んでいたのだが、同じ語り手マーロウが登場する他作品ある、というのはそもそも知らなかった。
コンラッドの作品は、基本的に植民地支配がテーマであり、本書ではインドネシアのスマ
...続きを読むトラ島が舞台となる。主人公は、多くのイスラム教巡礼者を乗せた客船が沈没寸前となったことから客船を見捨ててボートで逃げ出したイギリス人航海士のジムという男である。彼が自らの名誉を回復せんがごとく、スマトラ島の未開の地を開拓し、現地人のリーダーとしてコミュニティを作っていく・・・というのが大まかなあらすじである。
ジムは、航海士という職業でありながら、沈没寸前の客船を見捨てて逃げたことで失った自身の名誉を、とにかく取り戻そうと悪戦苦闘する。本書は一見、職業倫理の問題のようにも見えるが(航海士という職業でありながらジムは乗客を見捨てたのだから)、本書が読者の旨をえぐるのはむしろジム自身の行動が、「”こうありたい”と思う理想の自分に対して、現実の姿が追い付いていないというギャップ」を埋めるためになされているように見える点である。職業倫理の問題であればそのテーマが普遍的なものであるとはいいがたい。しかし、理想の自分に対する現実の自分のギャップであれば、これはどんな人間でも一度は考えたことがある深みを持つことになる。
そうした点で極めて特殊な造形の人物を描きつつも、その実態は普遍性を持つという文学作品のお手本のような作品だと思い、個人的にいろいろと考えさせられてしまった。
もちろん柴田先生の翻訳も素晴らしい。