名著「ピダハン」の著者の子息が書いた本ということで手に取った.
普段我々は数の概念をなんなく使いこなしており,この能力は人間のような知的に高度な進化を遂げた生物には生来備わっているものではないかと思っていたが,実はそれは違うということ.
つまり,数とは車輪や白熱電球のように人間によって発明された数
...続きを読むを表す言葉や記号という文化的産物があるからこそ使いこなせたんだと主張する.
ただし,人間が生物的に全く数量識別能力がない訳ではない,現代を生きる人間は当然ながら,数を持たない文化の政治や生まれて間もない赤ちゃん,人間ではない動物には生まれもったといっても良いざっくりとした数量識別の能力がある.このざっくり識別能力に数の言葉や記号といった道具・概念の入れ物があるからこそ,これほど高度に数を使いこなせるようになったのである.
まさに”私たちは数をつくり,数につくられた”
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“言葉は本質的に,のちに登場する概念が入る場所を示す目印の役割を担う”
→言葉は概念の入れ物
概念の靴紐結び:
以前からある概念を使って新たな概念を生み出し,まだ意味が形になっていない言葉を理解しようとするプロセス
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我々の知的適正の多くは遺伝子的に組み込まれたものではなく,文化に依存して学習されたものなのだ.
→人間は生き抜くための知恵を,先祖代々からの継承を通し高度化させてきた
→その集団の知恵の要がなくなると,共同体の存続自体が危ぶまれるという事例も.(長老の死,共同体であったイヌイットで生活の知恵が失われ人口が減少)
「数」という数量を示す象徴記号・概念は言語を基盤とする人間という種が際立つに至った進歩の要.(現代人が人体や認知の進化ではなく文化から受け継いだ,進歩の一つ)
なぜ「数」という大発明が,石器や車輪の発明ほど取り上げられてこなかったのか?
→「数」と呼ばれる道具の重要性を現代人がようやく気づき始めたから.
→私たちには当たり前すぎる「数」という概念は実は石器や車輪と同様,過去の人間の知能の産物であり,私たちはそれに気づくことができないくらいその恩恵に預かっていただけだから
時は左から右,自分の背後に過去があり全面に未来があるという感覚自体も,
たまたま属する言語・文化の賜物.
(時間感覚を右から左に流れるものと認識していることを示す実験結果や太陽が登って降りる方角をそれと示す結果も)
なぜ時間は12分割で数えることがある?
→古代エジプト(10進数).10分割した時間に曙と黄昏を足して12分割
ピダハン 健常な成人でも3以上の数量の識別が困難→人間の数的処理能力は先天的ではなく文化的影響でみにつく→数は火の取り扱いや車輪と同様の、先祖からの遺産
生まれたばかりの乳幼児でも3程度を識別する数間隔が備わっている.