東京で部屋を探すとなると大変だが、江戸時代の部屋はどうなっていたのか。
主に町人と武士が住んでいたが、イラスト付きで説明しているのが今回の本。
町人は四畳半一間が標準で、現在の価格にすると家賃は月額25000円になる。
住居には表店(おもてだな)と裏長屋があった。表通
...続きを読むりにあるのが表店あるいは表長屋と言う。そこは人通りが多いので商売に適している。その代わり、店賃が高くなり、広さによるが、裏長屋の店賃の5-10倍になる。
その一方で、裏店あるいは裏長屋に職人、商家の奉公人などが住んでいた。
中に入ると「意味深な男たち」もいたそうだ。その中には商家の若隠居という、早くから跡継ぎに当主の座を譲って趣味の世界に生きる人がいた。
武士の家と言ってもピンキリだ。加賀百万石の前田家のような広大な屋敷を持っている大名もいれば、徳川家の直参の下級武士の御家人(約200石未満)もいる。
大名にもなると上、中、下屋敷を幕府から拝領していた。
上屋敷は参勤交代で来た家臣と殿様が住んでいた。
中屋敷は隠居した下藩主や、当主の生母、藩主の世継ぎなどが住んでいた。
下屋敷は江戸の郊外にあり、広大な敷地には築山や池を配して息抜きをするための場所だった。
尾張藩の下屋敷は、現在の新宿区早稲田戸山公園にあった。約13万6千坪の広い屋敷だった。
面白いのは、東海道をまねた「ニセの宿場町」を造っていたことだ。しかも、店まで作って、来客の武士たちが町人のマネをして買い物をしていた。
店側の人は誰が担当していたのか気になるが、近隣の百姓たちが園内の農地を耕しに来ていたので、彼らが担当した。
お買い物ごっこをするお殿様。「籠の中の鳥」みたいなもので、息抜きがしたかったのかな。