ピューリツァー賞受賞作品であり、デヴィッド・ボウイの愛読書でもある。看板に偽りはなく、最初の3ページだけでも既にかなり面白い。
舞台は60年代のアメリカ南部。傍若無人で高学歴で子供部屋に住む無職の巨漢イグネイシャスがついに就職活動を始める。彼が巻き起こす騒動を軸に珍妙なミステリーと風変りなラブス
...続きを読むトーリーと演劇的な群像劇が絡み合う。イグネイシャスは作中で資本主義のシステムに滔々と文句を垂れているし、不純な動機からでも社会運動を始めようとするあたりプロレタリア文学の要素も入っているかもしれない。すべてが不思議なバランスと巧みなストリーで成り立ち、風刺も効いている。
ミルトンを気取って社会から距離を置くイグネイシャスは都合のよい幽門を持っている。疲れたり、耳に痛い話をされると幽門は反乱を起こし、体調が悪くなる。体調が悪いのだから何ができなくてもやむを得ないし、幽門の弱い人間に無理をさせる方が悪い。そんな価値観で生きているイグネイシャスは心が弱いのか強いのか分からない。私の心にもイグネイシャスは住んでいる。イグネイシャスが心にいない人はぜひ招き入れるといいと思う。当然のこととして他人に甘え、ふんぞり返るのは愉快な万能感を生むだろう。
そんな彼もついに就職をするが、トラブルばかり起こす(もちろん反省はしない。なんなら社会の無理解を嘆く)。数々のトラブルが怪しいバーの怪しい活動、チャンスに恵まれない黒人、母親の交友関係、街の同性愛者たち、つぶれかけのアパレルメーカーなどといつしか1本の線で繋がり大団円に向かう。一気に読める。多少冗長な感もあるが、それはイグネイシャスなので仕方ない。誰にもおすすめできる痛快な小説だった。
また、訳も読みやすく、セリフが多い小説にあって登場人物の個性をよく表している。イグネイシャスの口癖「ていうか、」の憎たらしさもリアルである。イグネイシャスの顔をあしらった表紙も秀逸で、普段はカバーをかけて本を読むのに、この顔が見たくて、カバーをとってしまった。
なぜここまで邦訳されなかったのか不思議なくらい。今後も売れ続けると思う。
著者は自死しており、痛快ならがあたたかい読後感のあと、しめやかな気持ちになった。