作品一覧 2024/04/18更新 ほどなく、お別れです 試し読み フォロー 私が愛した余命探偵 試し読み フォロー キッチン常夜灯 値引きあり 試し読み フォロー ほどなく、お別れです【単話】 続巻入荷 試し読み フォロー 神楽坂スパイス・ボックス 試し読み フォロー ただいま、お酒は出せません! 試し読み フォロー ほどなく、お別れです 試し読み フォロー ほどなく、お別れです 試し読み フォロー 1~8件目 / 8件<<<1・・・・・・・・・>>> 長月天音の作品をすべて見る
ユーザーレビュー ただいま、お酒は出せません! 長月天音 『「今日、東京の感染者が四千人を超えましたって。どうなっちゃうんでしょう」「四千人?」思わず訊き返してしまう。これでは、どこにウイルスがあってもおかしくないのではないか』。 2020年に突如世界を襲ったコロナ禍。このレビューを読んでくださっている方で、このコロナ禍と無縁だったという方はいないでしょ...続きを読むう。学校に、仕事に、そして家庭に…と私たちはコロナ禍によって間違いなく人生の一時期を翻弄されました。しかもその期間は数週間、数ヶ月というものではなく、実に三年もの間におよびました。 これだけの長い時間影響を与え続けられる中には、望まぬ転職を余儀なくされた方もいらっしゃるかもしれません。特に飲食業に携っていらっしゃる方々は、行政の行き当たりばったりの指示によって右往左往させられることも多かったのだと思います。 『この政策が、本当に効果的なのかなど分からない。ただ、私たちは従うしかない』。 そう、誰もがどうして良いか分からない中に、その場しのぎの思い付きとしか思えない指示に私たちの人生が左右された日々。過ぎ去ってみれば次第に笑い話にもなりつつある事ごとも、ただただ耐える他なかったのだと思います。 さてここに、そんなコロナ禍の中で苦難に喘ぐ飲食店で働く人たちに光を当てた物語があります。『頼りにしていたバイトたちは、ワクチンの副反応や、熱っぽいからという理由で欠勤者が続出した。けれど、私たちはそれを受け入れるしかない』という中に、『残された者で頑張る』姿を見るこの作品。そんなコロナ禍での接客に『これまで、お客様のためだと信じてきたことは、いったい何だったのだろうか』と思い悩む主人公の姿を見るこの作品。そしてそれは、コロナ禍に身を削られるような苦難の日々を送る中に『今ならば、どんな困難も乗り越えられるような気がする』と自分の心に問いかける主人公の姿を見る物語です。 『えっと、明日から店は休業です。しばらくの間、自宅で待機していてください』という店長の皆見圭吾(みなみ けいご)の言葉に固まってしまったのは主人公の鈴木六花(すずき りつか)。『茫然と立ち尽く』す立花に『さっき、総理大臣が会見したみたいですもんね…とうとう、緊急事態宣言が出たって』と『ベテランアルバイトの桐子』が話します。『首都圏の大型商業施設を中心に、ピザをメインとするカジュアルイタリアンを展開している』『株式会社マルコ』。その新宿店で『パート従業員』として働く立花は、『緊急事態とは、どんな事態なのか。日本は、東京は、マルコは、そして私の生活は、いったいどうなってしまうのだろう』と思います。『二月に国内で死者が確認され』、年度末に感染者が急増、そして、『四月、とうとう緊急事態宣言が出された』という今を思う立花は閉店作業を終えると『出入り口』に駆け出してきた『皆見と料理長』に話しかけます。『お店はこのままでいいの?…とにかく、急すぎるよ。何の説明もないし』と訊く立花に『明日、俺と料理長で片付ける。六花は心配するな』と返す皆見。それに、『私も手伝う!掃除だってしたほうがいいし…』と返す立花ですが、『…本社からは、極力人件費も削るように言われている。売上がない以上、人手を使うわけにはいかない』と言われてしまいます。『この状況で働かせて、スタッフに何かあれば、それも問題になる。今は自宅待機。そのための休業だ。分かるよな?』と畳み掛ける皆見に、『ごめん。困らせた。おとなしく自粛する』と言うと立花は場を後にしました。 場面は変わり、荒川の堤防の上を散歩する立花。『緊急事態宣言なるものが出されて一週間が経つ。それに伴い、私は仕事がなくなった』という立花は『絶対のものだと信じてきた』この仕事の『今後、飲食業界はいったいどうなってしまうのか』という不安の中にいました。そんな立花が皆見に電話をかけると『広尾店のヘルプ』をしていることを知ります。『私もヘルプに行きたい』と言う立花に『申し訳ないが、ヘルプは社員だけなんだ』と皆見は説明します。『そうだよね、やっぱり社員だよね』と電話を切った立花は『結婚を機に退職した』時のことを振り返ります。『結婚すれば、仕事よりも優先するものができる』と思い退職した立花ですが、『やっぱりマルコが好き』という先に『夕方まで働くパートという形』で働きはじめました。『純粋にのびのびと、大好きな接客に専念』できるパートの居心地の良さに満足してきた立花ですが、『これは、楽なほうに流されてしまった自分に与えられた罰なのだろうか』という今を思います。『山形で生まれ育ち』、『突然、故郷を飛び出して東京で就職した』立花は、『上京してから、頑張ってきたという自負』を持っています。『とにかく、早く仕事がしたくてたまらない。今の私にとって、マルコこそが唯一の居場所なのだ』と思う立花は、『いったい、何なのよ。ちょっと前まで、みんなあれだけ、マルコのピザが食べたいって行列を作っていたというのに!』と『広々とした河川敷』で『大声で叫』びます。突如世界を襲ったコロナ禍、そんなコロナ禍の中に、飲食店の『パート従業員』として鬱屈とした日々を送る立花の姿が描かれていきます。 “2020年からコロナ禍で分断された社会の中、もがきながらも光を探す希望の物語。30代でシングル、パートの女性が奮闘する新・お仕事小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。『明日から店は休業です。しばらくの間、自宅で待機していてください』という店長の言葉の先に自宅休業を余儀なくされた、人気ピザ店で『パート従業員』として働く立花のそれからの姿が描かれています。 ここに改めて私が言うまでもなく2020年に突如世界を襲ったコロナ禍はあらゆる人の人生に何らかの影響をおよぼしました。そんなコロナ禍の始まりはこんな感じでした。 ・『今年一月に、初めて日本国内で感染者が発見された新型コロナウイルスは、その頃の私たちにとってはまだまだ遠いものだった』。 ・『二月に国内で死者が確認されると、にわかに様子が違ってきた』。 ・『三月に入ると、本社から「勤務時にはマスクを着用すること」という通達が来て、花粉症の時期ですら煩わしかったマスクを着けて、接客に臨むことになった』。 ・『四月、とうとう緊急事態宣言が出された』。 改めて振り返るとさまざまな記憶が蘇ります。あの始まりの時期にまさかそんな状況がそれから三年以上もの間、人々を苦しめ続けることになると予想していた方もいなかったと思います。しかし、そんな状況が当たり前となる中に私たちが読書の対象とする小説でもその日常を取り上げる作品が登場しました。私が読んできた小説の中で最も早くにコロナ禍を小説に描いたのはこの作品です。 ・島本理生さん「2020年の恋人たち」(2020年11月20日刊): かなり早い時期に刊行された作品。” こんな2020年のオリンピックイヤーを誰が予想していただろう”という視点でコロナ禍を描きます。 コロナ禍が始まった年は本来オリンピックイヤーであり、そのことを前面に押し出し、コロナ禍の日常を現在進行形で描いた同作品には衝撃を受けました。そして、その後も相次いでコロナ禍を描く小説が登場しました。コロナ禍はあらゆる人の生活に影響をおよぼしましたが、中でも飲食店に関係される皆様の日常は大きな影響を受けたと思います。そんな飲食店の苦境を描いた作品としては、近藤史恵さん「それでも旅に出るカフェ」が挙げられます。コロナ禍で”カフェ・ルイーズ”を開けなくなった主人公の苦境を描く物語は、飲食店を個人経営することの苦労がしのばれます。一方で、この作品は個人経営ではなく、首都圏に展開する『カジュアルイタリアン』のチェーン店で働く主人公の視点、『パート従業員』という立場で働く人たちにコロナ禍はどのような影響をもたらしたかという視点でコロナ禍を鋭く描いていきます。私が読んできた小説の中にこの視点から描いた作品はなく、コロナ禍小説をたくさん読んできた身にもとても新鮮に映ります。では、主人公・立花の心の内を含め、飲食店側から見たコロナ禍を見てみましょう。 『緊急事態宣言なるものが出されて一週間が経つ。それに伴い、私は仕事がなくなった』。 『飲食業界に就職すれば、けっして食いっぱぐれることはないと思っていた』という立花の日常に突如訪れた生活の危機がストレートに語られます。そんな『緊急事態宣言』の先に一旦感染が落ち着く中営業が再会します。しかし、そこにはコロナ禍以前とは異なる風景がありました。 ・『今はマスクの着用が当たり前だ。マスク、アクリル板、お客様との間にはいくつものフィルターがある。本社の研修では必須だった笑顔も、これでは十分に伝わらない』。 ・『店頭で手指のアルコール消毒と検温をしてもらうため、これまでのようにすんなりとテーブルに案内はできない。おまけに、お客様が帰った後のテーブルの片付けも、アルコール消毒が加わった分だけ手間取ってしまう』。 開店できてもコロナ禍に対応しなければならない飲食店の皆さんの大変な苦労がしのばれます。そして、書名にも繋がるこんなやりとりもそこには発生します。 『お客様、先ほどもお聞きかと思いますが、東京都では終日、アルコールの提供は禁じられております』 『レストランなのに、ワインも出せないって、それが客に対する態度かよ』 『と言われ、申し訳ありませんと頭を下げる。頭を下げながら、なぜ私が謝るのだと理不尽な怒りがこみ上げる』。 『東京都では、アルコールの提供が禁止』というまさかの状況の中に混乱する店内。当然にそのこと自体は店員さんに何ら罪はありません。そもそも報道をろくに見もせず無視難題を突きつける客がとんでもない輩であることは言うまでもありません。しかし、この辺り、イメージはできても実際の現場の混乱ぶりは全くもって知らない世界でした。行政が行き当たりばったりで決めたその場しのぎの指示に対して、現場で向き合わざるを得ないのは間違いなく飲食店であり、そこには想像を絶するような苦労があったのだろうと思います。 『この政策が、本当に効果的なのかなど分からない。ただ、私たちは従うしかない。そうしなければ、店を開けることもできないのだ。そんな犠牲を差し出してまで、店を開かせてもらっているともいえる』。 行政だってどうしたら良いか何もわからなかったというのが実際のところだったのだとは思います。しかし、結果として、その右往左往ぶりを末端で引き受けざるを得なかった飲食業に関わる方たちの苦難は言葉にならないものがあります。その他、コロナ禍でお店を営業する中での苦労の数々、『気難しいお客様』への対応などなど、改めて頭が下がる他ない舞台裏を見るにつけ、こんな愚かな時代が終わって本当に良かったと改めて思いました。 そんなこの作品ですが、『ピザをメインとするカジュアルイタリアン』のお店が舞台となることもあって、そんなお店の”食”も取り上げられていきます。そうです。コロナ禍だけでは辟易という読者がホッと一息つけるのがこの描写です。長月天音さんには、人気シリーズである「神楽坂スパイス・ボックス」があります。そこでも、美味しそうな”食”の描写に魅せられましたが、この作品ではそんな長月さんの”食”の描写が見どころの一つとも言えます。では、『ずっとここのピザが食べたくてたまらなかったんです』と訪れた客がオーダーした『シーフードピザ』の場面を見てみましょう。 『仕込んだピザ生地は、一枚分ずつ丸められてスタンバイされている。オーダーが入るたびに、発酵してふくらんだ生地をつぶしすぎないよう手のひらで伸ばし、ソースを塗り、チーズと具材をトッピングして、素早くパドルで薪窯の中に入れる』。 『薪窯』の中で『ピザ』が焼かれる光景は『ピザ』店の見せ場の一つです。『高音で一気に焼き上げた、薄焼きのピザがマルコの自慢』という『店内には、いつも香ばしい香りが漂ってい』ます。これはたまりません。立花は急いでテーブルへと運びます。 『チーズがふつふつと踊っている。まさに焼きたてだ』、『波打つように盛り上がったピザの縁』、『適度に焦げ目のついた生地から漂う香ばしい香りは、どこか焼きたてのお餅をも連想させる』。 これはたまらなく美味しそうです。そして、そんな『ピザ』を食べる客はこんなことを話します。 『僕はね、ピザの縁の部分が大好きなんです。表面はまるで煎餅みたいにカリっとしているのに、嚙みしめると意外と弾力がある。わずかな煤の風味もたまらなくて、小麦の美味しさをダイレクトに感じるんですよ』。 『僕は縁こそがナポリピザの神髄だと思う』と言う客は『マルコのピザはやっぱり最高です』と満足感いっぱいに語ります。なんだかピザが無性に食べたくなってきますが、コロナ禍の最中にはお店でこのように自由に食すること自体が憚られました。改めて、食べたいものを食べたいお店で食べることができるようになった日常には感謝したいと思います。 そんなこの作品は、飲食店の『パート従業員』として働いていた主人公の立花が、コロナ禍の中に苦悩する姿を描いていきます。『山形で生まれ育ち』、『突然、故郷を飛び出して東京で就職した』立花。『上京してから、頑張ってきたという自負』を持っていた立花ですが、『結婚を機に退職し』、『パート従業員』として働いています。 『パートという立場は、思った以上に居心地がよかった。本社のスタッフに振り回されたり、細かい数字をとやかく言われたりすることもない。純粋にのびのびと、大好きな接客に専念することができた』。 結婚したことを理由に退職される方は減っていると思いますが、この作品の主人公の立花は、結婚を機に退職、しかし、『大好きな接客に専念』できることを喜びに感じながら、『パート』として引き続きマルコに勤務し続けます。やがて離婚した立花ですが、正社員に戻ることはありませんでした。そんな中に訪れたコロナ禍は『会社が行き詰まれば、パートの私の立場が危ういのは間違いない』という立場に追い込まれてしまいます。 『これは、楽なほうに流されてしまった自分に与えられた罰なのだろうか』 そんな風にも思う立花は、『けっきょく私はパート従業員に過ぎない』と認識する中、どんどん卑屈になっていってしまいます。 『とにかく、早く仕事がしたくてたまらない。今の私にとって、マルコこそが唯一の居場所なのだ』。 そんな風に思いを強めていく立花。この作品ではそんな立花の日常がコロナの”第○波”にも影響を受けながら描かれていきます。この作品は、兎にも角にもコロナ禍自体をテーマに描いていく物語です。〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた五つの短編が連作短編を構成していますが、なんとその短編タイトルが〈最初の波〉、〈第二の波〉、〈第三の波〉、〈第四の波〉、そして〈たぶん、最後の波?〉とつけられてもいるのです。コロナ禍なくしては物語が成立しない作品は他にもありますが、この作品のコロナ禍の取り上げられ方はもう物語と完全に一体化しているというレベルであり、切っても切り離せないものです。しかもそれは、飲食店業界というコロナ禍に最も影響を受けた側が描かれる物語でもあります。この先、コロナ禍とはなんだったのか?この作品は、コロナ禍の過去の振り返り教材のように、へぇーっ!と昔話のように読まれる作品になるのではないか、そんな風にも思いました。 そして、そんな物語はマルコの苦難の日々を描いていきます。 『これまで、お客様のためだと信じてきたことは、いったい何だったのだろうか。今の私は、どっいうふうに接することが正解なのか、さっぱり分からなくなってしまっていた』。 一年、二年、そして…と終わることなく続くコロナ禍。そんな中に、それまで培ってきたマルコの従業員としてのあるべき姿、誇りが見えなくなっていく立花。終わっても終わっても押し寄せる『波』に翻弄されていく立花たちの姿はコロナ禍の中にあっては誰もが他人事ではありませんでした。しかし、それでも前に進んで行かざるを得ない私たちの日常。 『コロナ禍を経験し、人々の考えや価値観が変わったのは確かだ。それに、今ならば、どんな困難も乗り越えられるような気がする』。 そんな言葉の先に続く未来。この作品の刊行は2022年4月21日です。私たちは、この作品に描かれた立花たちの苦難がそれからまだ一年以上も続くことを知っています。しかし、上記した言葉にある通り、どんな苦難にあっても人はそれを乗り越えていくことができるのです。この作品を通じて、改めて人間の強さと、そこに潜在する可能性を強く感じました。 『緊急事態宣言下の現在、外で食事をすることに誰もが後ろめたさを感じている』。 2020年に突如世界を襲ったコロナ禍。この作品では、そんなコロナ禍自体に鋭く焦点を当て、そんな未曾有の事態の中に、飲食店で働く人たちの姿が描かれていました。コロナ禍の歴史を振り返るように細やかに描くこの作品。そんなコロナ禍で働く飲食店の人たちの”お仕事小説”でもあるこの作品。 コロナ禍が歴史に埋もれてしまう前に、私たちそれぞれがあの時代を是非もう一度振り返るために。さまざまなことを考えさせてもくれた素晴らしい作品だと思いました。 Posted by ブクログ ほどなく、お別れです 長月天音 あなたは、亡くなった人にこんな思いを抱えていないでしょうか? “生前にこんなことを言ってあげればよかった、彼からの問いかけにこう答えればよかった” 死は突然人を襲います。それは、結果として亡くなった本人だけでなく、残された家族にも言えることでもあります。特に不慮の事故により大切な家族と突然引き...続きを読む離されてしまった場合には気持ちの整理をつけることは容易なことではありません。 昨今、一定の時間をかけてこの世に別れを告げることができ、家族もその間に心づもりができる、”がん”によって死ぬことが見直されてきてもいます。とは言え、人は自死でもない限り自分の死に方を選ぶことはできません。まさかの事故で突然にこの世を後にする瞬間の到来。それは本人にも受け入れ難いものでしょうし、残された家族にだって容易に踏ん切りをつけることができるものでもないでしょう。普段、縁起が悪いという言葉の先に私たちは死について触れることはありません。しかし、それがいつ何時誰の元に訪れるかわからない以上、普段から心残りのない人生を日々生きていく、その姿勢は大切なのだと思います。 さてここに、葬儀社で働く一人の大学生を描いた作品があります。就職活動に苦戦するその女性。そんな女性に隠された力の存在を感じるこの作品。お見送りまでの残された時間に悔いなき別れをサポートしていく女性の姿を見るこの作品。そしてそれは、『どんな人でも、生まれてきたからには、いつかは死んでいく』という現実を前に奔走する女性の姿を見る物語です。 『私、清水美空(しみず みそら)は、葬儀場でホールスタッフのバイトをしている大学生だ』と、『東京スカイツリーのすぐ近く』の葬儀社『坂東会館(ばんどうかいかん)』に『就職活動のための半年の休職期間を経て』訪れたのは主人公の美空。『不動産業界の会社』を志望する美空ですが、不採用続きであとがない美空。そんな中に『そろそろバイトに来ない?明日なんてどうかな』と社員の赤坂陽子から電話を受けた美空は葬儀場へと足を運びます。父親と『坂東会館』の社長が『親しい釣り仲間』ということをきっかけに『人手不足』もあって始めたバイト。気軽な気持ちで始めたバイトでしたが実際には『まさに戦場』とも言える忙しさでした。到着して早々に『さっさと椅子を並べちゃおう』と指示する陽子は『急に四階でもお通夜が入った』、『密葬で、とにかく早くやりたい』、『きっと何かある』と美空に伝えます。詳細については担当の『ガードが堅』くてよくわからないという陽子は担当が漆原であることを伝えます。そして、準備を終えたところに僧侶と一緒にいる漆原の姿を見つけ挨拶する美空。そんなところに戻ってきた陽子は『四階の式』が『焼身自殺した人』であることを『声を落として』美空に伝えます。それを聞いて『頭の中に』『警戒のサイレンが鳴り響』く美空は、『あまり口外することではないが、私にはちょっとした能力がある。”気”に敏感なのだ』と自身のことを思います。『その場に残っている思念を感じ』るという美空はそれが『一般的に霊感と呼ばれるものだ』と認識しています。『ただ見えて、感じるだけ』、『実害があるわけでもない』と思う美空。そして、『二階の式』が順調に進む中、『四階を手伝ってきてくれるかな』と陽子に言われた美空は、『あとはお料理のかたづけだけ』という四階へと向かいます。『お疲れ様です。かたづけに来ました』と襖を開けると、そこには先ほどの僧侶の姿がありました。そして『担当の漆原です』と、話し始めた漆原は『こちらは里見。今夜の式を勤めた僧侶です』と紹介します。真言宗の光照寺から来たという里見のことを『たいていは里見の父親』、『兄上たちが来ること』もあるが、『こいつはめったに来ない』とニヤリと説明する漆原に『そういう言い方をすると、もう手伝わないよ』と言う里見。そんな中に片付けを始めた美空ですが、『ご遺体の代わりに』置かれた『小さな骨壺』を見て、『いっそう凝縮された思いが詰まっている気がして、とっさに目を逸らし』ます。そんな美空に、『大丈夫。怖くないよ』と『いつの間にか、すぐそばに』立っていた里見は『この人は大丈夫だよ』、『過激なやり方で、周りを驚かせたかったみたいだよ。痛快だって笑っている』と話す里見。『そんなことが分かるんですか』と訊く美空に『分かるよ』と『自信たっぷりに頷』く里見は『何か感じているとしたら、それはご遺族のものだ』、『身内にこんな死に方をされたら、残された家族の苦しみのほうが大きい』と説明します。そんな話の中に『たとえ身内でも、亡くなった方にはもう何もしてあげられない。こうやって、後悔の念を少しでも昇華させるしかない。葬儀とはそういう場でもある』と会話に入ってきた漆原。そんな会話に、『どうして「笑っている」なんて言ったんですか?』と訊かれ『僕には色々見えるんだよ』と里見に返され『自分と同じような能力を持つ者が、すぐ目の前にいるなんて信じられなかった』と『予想もしなかった言葉に衝撃を受け』る美空。そんな美空は『私よりもよほど感度がいい』と思うも『初対面の相手に「私もです」などと言えるほど、自分の能力に確固たる自信があるわけでもない』と思い困惑します。そんな中に『里見、仕事の邪魔をするな』という漆原の『式場関係者らしいもっともな言葉に』ほっとする美空。そんな美空が自らに隠された能力の下、『坂東会館』でさまざまな葬儀を担当していく姿が描かれていきます。 “この葬儀場では、奇蹟が起きる。夫の五年にわたる闘病生活を支え、死別から二年の歳月をかけて書き上げた「3+1回泣ける」お葬式小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。そんな内容紹介にある通り作者の長月天音さんはこんなことを語られています。 “私が「ほどなく、お別れです」を書いたきっかけは、三年前(二〇一六年)に主人を看取ったことでした”。 自らに一番近い近親者を亡くされた長月さんは、こんな風に続けられます。 “亡くなった主人に対して、生前にこんなことを言ってあげればよかった、彼からの問いかけにこう答えればよかったという思いが強く残っていました” そんな後悔を少しでも薄めるために、大学時代に実際にアルバイトをされていたという葬儀屋を舞台にこの作品を執筆した…とその経緯を語る長月さん。このレビューを読んでくださっている方の年齢、属性はマチマチです。しかし、今までの人生の中で少なくとも誰かしら一度は近親者を送る場面に接してこられたことがあるのではないかと思います。この作品はそんな思いをされた方のど真ん中に響いてくるものがある作品だと思います。では、ここでまず大切なことをお伝えしておきたいと思います。 “この本はヤバイやつや!電車で読んだらあかんやつや!” そもそも「ほどなく、お別れです」という書名からして怪しい雰囲気が漂っているこの作品。その予想通りこの作品は読者の心のど真ん中を射抜きます。この作品は上記した冒頭の概略から予想できる通り、ファンタジー作品です。『私にはちょっとした能力がある。”気”に敏感なのだ…』と説明もされるその力が発揮された先にどんな世界が描かれていくのか。同じように死者の思いに寄り添うファンタジー作品としては辻村深月さん「ツナグ」と続編の「ツナグ 想い人の心得」があまりにも有名です。あの作品でも大泣きが止まらなくなった私ですが、この作品の感覚も基本的には同じ地平線上にあります。残念ながら「ツナグ」にはこれ以上続編が刊行される雰囲気がないこともあり、あの世界観をもう一度!と思われる方がいらしたとしたら、この作品をおすすめしたいと思います。方法論こそ違えど、同じ温度感の涙の読中・読後がそこに待っていると思います。 さて、そんなこの作品は「ツナグ」と異なり、表紙にも象徴的に描かれている『東京スカイツリーのすぐ近く』にある葬儀社が舞台となります。『不動産業界の会社』を志望するもあとがなくなった主人公の美空。そんな美空は作者の長月さん同様に葬儀社でアルバイトをしています。物語は結果的に葬儀社の舞台裏を描くことともなり、葬儀社の”お仕事小説”の側面も垣間見せます。 『坂東会館は、二階と三階の式場のほか、四階の座敷も合わせると一度に三つの式を行うことができる。その他にも、お寺やご自宅などの外現場もある』。 規模感が語られていく『坂東会館』の葬儀社としての”お仕事”はこんな風に語られます。 『たとえ真夜中だろうと、どこかで人が亡くなれば連絡が入る。ドライアイスを持って駆け付けたり、病院までご遺体を引き取りに行ったりしなければならない。葬儀屋というのもなかなかに大変な仕事だ』。 これは朧げながらに類推できることですが、この作品では、そんな葬儀社で働く感覚をこんな風に に説明します。 ・『葬儀という仕事では、失敗が許されない緊張感に常にさらされているため、終わった後の和やかに緩んだ空気が、何よりも心地よく感じられるのだ。それは私以上に彼らのほうが感じていることだと思う』。 ・『決して安くはないその費用に見合うかどうかは、式がいかにスムーズに行われたかは言うまでもなく、細やかな気遣いができているかなど、働きぶりによって厳しく評価されてしまう』。 なかなかに大変な裏事情が垣間見えます。私も父親の葬儀を経験し葬儀社の方と散々にやりとりしました。気持ちがとても敏感になってるが故にスタッフの一言ひと言に冷静さを欠いて反応してしまうこともあったように思います。 『結局は、人間が好きでないと務まらない仕事なのです』。 大切な人の最期をお任せする存在だからこその大変さがそこにあることがわかります。同じように葬儀社が舞台となる作品としては、町田そのこさん「ぎょらん」、宮木あや子さん「セレモニー黒真珠」、そして、村山由佳さん「花酔ひ」などがありますが、葬儀に真摯に向き合うスタッフの姿が一番よく描かれているのがこの長月さんの作品だと思いました。 そんなこの作品は『私にはちょっとした能力がある。”気”に敏感なのだ…』という先に『ただ見えて、感じるだけ』という主人公・美空が持つ特別な能力に光が当たります。「ツナグ」には、”使者”として、主人公の歩美が死者と生者を引き合わせる役割を果たします。この作品では生者に死者を引き合わせるという展開があるわけではありませんが、死者の思いを感じる存在として主人公の美空が物語を引っ張っていきます。そんな美空には〈プロローグ〉冒頭に記される通り、 『姉が美鳥、私が美空…けれど、姉と私が出会うことはなかった。姉は私に出会う前に、飛び立ってしまったのだ』。 と記されています。物語はそんな姉妹に隠された謎を伏線にして展開していきます。それこそが、こんな風に説明されていく姉の存在です。 『姉は今も幼い姿のまま、私の夢に現れる。これはもう、私に霊感があることと無関係とは思えなかった。むしろ、姉が付いているから霊感があるのかもしれなかった』。 この作品は〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた三つの短編から構成されています。それぞれの短編には美空が見ることになる死者の存在があり、ある意味でその死者が主人公とも言えますが「ツナグ」ほどにはハッキリした存在ではありません。どこまでいっても美空が主人公として物語を引っ張っていく構図に変化はありません。ここに、短編タイトルをご紹介しておきたいと思います。”→”の後は私の感涙レベルです。 ・〈プロローグ〉 ・〈第一話 見送りの場所〉→ 大号泣 ・〈第二話 降誕祭のプレゼント〉→ 号泣 ・〈第三話 紫陽花の季節〉→ 衝撃 ・〈エピローグ〉→ しんみり どうでしょうか?短編タイトルからはその内容を想像することは不可能だと思います。また、ここでそれぞれの短編の内容にこれ以上触れることも敢えてやめておきたいと思います。「ツナグ」と大きく異なるところはこの作品は葬儀社が舞台であり、ある意味で物語のエンドが決まっているところです。つまり、『坂東会館』に連絡が入り、ご遺体のお引き取り、お通夜、そして告別式、そして火葬場へのお見送りの段まで。それがこの作品が展開できるある意味でのタイムリミットです。その限られた時間の中に心を込めたお見送りをする、それが美空たち葬儀社のスタッフに課せられた使命です。物語では、美空と同じ力を持った存在として僧侶の里見が描かれます。そして、力は持たないまでも美空と里見を繋いでいく漆原の存在が物語にどこかミステリーっぽさを生みながら展開してもいきます。人によってどの短編に心打たれるかは変化すると思います。これは、亡くなった人の属性とその背景にあるものによって何に感じ入るかという違いだと思います。この視点から私は上記したような感想を抱きました。特に〈第二話…〉については心の準備ができていなかったこともあって、あまりの衝撃の大きさに涙が止まらなくなってしまって、もうどうなることかと思いました(汗)。そう、もう一度大切なことを書きますね。 “この本はヤバイやつや!電車で読んだらあかんやつや!” この言葉を決して軽んじられませんように。誰もいない自宅で思う存分、物語に浸りましょう!この作品世界に没入しましょう。その先には、この作品が宝もののように思える読後があなたを待っていると思います。 『結局はね、生きている人の心の中の問題なのですよ。どう死を認めるか。どう諦めるか。ご遺族の気持ちに区切りがつくことで、たいていは死者も納得するものです』。 『東京スカイツリーのすぐ近く』の葬儀社で働く主人公の美空。そんな美空には『あまり口外することではないが、私にはちょっとした能力がある。”気”に敏感なのだ』という力の存在が隠されていました。葬儀社の”お仕事小説”の側面も垣間見せるこの作品。ほんのり漂うファンタジーの香りに心地よく涙できるこの作品。 「ほどなく、お別れです」という言葉に思いを馳せてもしまう素晴らしい作品でした。 Posted by ブクログ 世界をめぐるチキンスープ 神楽坂スパイス・ボックス3 長月天音 相変わらず美味しそう。 しかしスパイス料理ならではの悩みもあるね。 食べ物の記憶は結構残るけども、同じものを別の場所で、となったら難しい。だけどそれが不可能ではないのが料理の魅力なのかなあ。スパイスはインドのイメージ強いけどそうじゃないんだな。 Posted by ブクログ 神楽坂スパイス・ボックス 長月天音 個人的にとても好きな話でした。 食べることが好きだからこそかもですが スパイス料理をすぐ食べたくなってしまいました笑 また、話の構成が 主人公とお客さんの目線それぞれ別れて書かれており、相手の心情がわかる描写が特に素敵でした。 次の章も楽しみになり、食欲もそそり、 色々刺激的でした! Posted by ブクログ キッチン常夜灯 長月天音 なんかこのところ 美味しいものが出てくるお話しが多くなった感じがします。 主人公はファミレスの店長に抜擢された女性ミモザ 夜中まで働く仕事で なかなかちゃんとした食事がとれない そんな時 夜中から朝までやっている キッチン常夜灯を見つける。 コロナのあと 食事が大事 もてなしのいい 温かい環境...続きを読むの食事が 心を潤す って そういうお話しが増えた気がします。 この常夜灯 近くにあったら 通いたいですね。 Posted by ブクログ 長月天音のレビューをもっと見る