アルコールと煙草漬けの両親に育てられ、自身もアルコール依存症のリハビリを受けたことのある精神科医が、経験談を交えながら酒や薬物に依存する人びとと社会の歴史を辿っていく。
依存症の経験を持つ医師が依存症治療の歴史をまとめた、いわゆる当事者研究というやつで、まずいきなり結構ヘビーな著者フィッシャーの
...続きを読む入院体験とカミングアウトから始まる。
でもカタい本ではない。とてもフランクな語り口で、アルコールが自分をダメにしていると認められなかった逡巡の日々を綴ったエッセイとしても面白いし、酒と薬物という切り口で見たアメリカ史としても超面白い。最近読んだなかではレベッカ・ソルニットの『ウォークス』に編集意図が近いと思う。
キリスト教社会で依存症は堕落とみなされ、貧民への自己責任論や人種差別に繋がったこと。それがロマン派の詩人たちの手にかかり、〈天才の病〉として美化されたこと。宗教ではなく医学で取り扱うべき問題だとされてからも、遺伝説や脳疾患説など還元主義的な偏見が当事者たちを苦しめていること。ドーパミンやエンドルフィンなど脳内物質を制御することで治せると謳われたこともあったものの今のところ特効薬と呼べるものはなく、それは依存症が病気というよりも人間が陥りうる一つの状態であって、社会システムの問題だということ。
上記のようにさまざまなトピックを語り起こしつつ、合間に自身がアルコールに依存していき、決定的に生活が破綻するまでを綴っている。通史を知ることでわかることは、依存症者にとって医学はあまり味方になってくれなかったということだ。
19世紀以降、依存症という世間的なスティグマを負った人びとの助けになってきたのは相互扶助グループの存在だった。そこでアルコホリーク・アノニマス、通称AAと呼ばれるグループが重大な社会的ムーブメントを起こしていくのだが、ここがとても面白い。今アメリカのエンタメを見ているとしょっちゅう目にするグループセラピーの元祖はここで生まれたのだ。
依存症をめぐる歴史からアメリカという国が見えてくる。古くは先住民を陥れる罠にもなり、貧富の差によってリーチできる医療に大きな違いがあり、肌の色によって病院か留置所か行き先が変わる。一方で相互扶助のネットワークも広がっており、同じ経験をした仲間に自己開示する場がある。日本はどうなのだろう。グループセラピーは日本人にはあまり向かない気もするけれど。
本書は「正常」と「異常」を定めて線引きしたがる社会の姿を浮き彫りにする。依存症者に落伍者のレッテルを貼って安心したいマジョリティに対して、彼ら自身のより良い人生のために、懲罰的なやり方ではなく依存症の上手い付き合い方を模索している医師たちもいる。未来の治療法として脳に直接刺激する方法が紹介されているのはギョッとするが、フィッシャーが伝えたいのは、大事なのは当事者を苦しみから解き放ってやることで、社会の都合を押し付けることではないということだろう。