現在のコロナ禍は2年以上が過ぎ、やや落ち着いてきた印象もあるが、なお完全終息からは遠そうだ。
終息に向け、ワクチン接種が推奨され、3回目の接種も進みつつはあるが、一方で、ワクチンについては強く反対する人も一定数存在し続けている。
本書は、コロナ禍に合わせて刊行されたかのようなタイトルだが、実は原著
...続きを読むはコロナ以前に書かれている。最終稿が脱稿されたのが2020年の1月末、その数日後にWHOが新型コロナウイルスに関して緊急事態宣言をした、というタイミングだった。
つまりは、ワクチンに関する「噂」、それに関連する反ワクチン運動というのは、以前から繰り返されてきたということである。
著者はそれを「生態系」に例えている。ある菌株があった場合、それを取り除いても、菌が繁殖する土壌があればいずれはまた菌が繁殖するだろう。根絶やしにするためには土壌自体を変える必要があるだろうが、しかしそれはそれで生態系のバランスをさらに乱すことになる。果たしてそれは「解決」に結びつくのか。
著者は医療関係者ではなく、人類学者である。自身はワクチン賛成派だが、その「科学的正しさ」だけに寄りかかるのではなく、なぜ繰り返しワクチンについての「誤った」噂が出回るのか、根源を考え、解決に向かうことはできないかというスタンスを取る。
著者はそこには、「自分のいうことを聞いてもらっていない」という不満があると見る。
科学者側は得てして、「科学的正しさ」を前面に押し出す。曰く、これだけの臨床試験を行い、これだけの証拠がある。だがそれは、反ワクチンの人々が聞きたい答えとはズレているのではないか。
一方で、科学者側も自身の「論理的」主張を聞き入れてもらえない苛立ちを抱える。
これではいつまで経っても平行線である。
考えてみれば、ワクチンというのは奇妙なもので、人々はどこも具合が悪くないのにこれを投与されるわけである。そこには自分を守る意味合いもあるが、集団を守る面もある。率はともかくとして、副作用の可能性はある。そして自分の体内に入れられる液体に何が入っているのか、見えるわけでもない(もしかしたら「注射」というのも疑念を増幅するのかもしれない)。
大衆の側としては、場合によっては有害なものを与えられる。その陰で、製薬会社や国が結託して儲けているのではないのか。ほかにも深刻で重要な問題があるのに、それを差し置いてワクチンに躍起になるのは「裏」があるのではないか。疑い始めればキリがないのかもしれない。
1998年、MMRワクチンが自閉症と関連するとされた噂は1本の論文が発端だった。だが、この論文が誤りであると撤回された後も、噂は止まなかった。
2003年、ナイジェリア北部でのポリオワクチンボイコットの背景には、政治的な緊張状態や不信感があった。欧米から提供されたワクチンは子供たちを不妊にするという噂は、治験で子供が死亡したという噂と相まって大規模に広まった。9.11後の対テロ戦争はイスラムを標的にしているとして、元々西側への反発が強かったのだ。
誤った噂が広がる背景には、すでに存在する不満や疑念がある。それらが燃料となってこのワクチンは「怪しい」とする「直観」に突き動かされる事例はいくつも存在する。
ワクチン自体に副作用がないわけではない。けれども噂の中には不適当なレベルのものも確かに存在する。
その中で、バランスの取れた立場を取るには、本書終盤近くに登場する、反ワクチンの親をもった若者の主張が大きなヒントになるのかもしれない。彼の母が反ワクチンとなったのは、愛情が欠けていたからではない。ワクチン推進派の人と同じように、彼女もまた子供を愛していたのだ。それゆえ、彼は親の意に反してワクチンを接種することを選びつつ、一方でこう言うのだ。
このデマという病気に治療法はありません。私の母は、おそらく自分の考えを変えることなく、死の床につくまでワクチンが自閉症を誘発すると信じて生きていくでしょう。しかし、母のような人たちを悪者扱いして、彼らに問題があるというのではなく、解決策を見つける必要があります。
*日本の状況について、特にHPVに関しても言及があるが、著者に若干の誤認があるようで、巻末の解説で指摘されている。詳しく知るには別の本にあたる必要はあるが、HPVに限らず、日本のワクチン行政に紆余曲折があったことは確かなことだろう。
但し、本書全体を読むと、HPVの件は日本だけが慎重だったわけでもなさそうだ。