ナティスの反ユダヤ政策を進めるための法律、いわゆる「ニュルンベルク法」の検討にあたって、アメリカの人種差別的な法律が真剣に検討され、法案に大きな影響を与えたということを論証している。
たとえば、フレドリクソンの「人種主義の歴史」を読むと、アメリカや南アメリカの人種主義とナティスの人種主義が、比較対
...続きを読む比されながら、論じられていて、「人種主義」がナティスだけのものでないことがわかる。そして、この本を読むと、それがより具体的なものとして、理解できる。
ナティス・ドイツがアメリカから学んだのは、黒人差別の根拠となる具体的な法律だけではない。
歴史的に、アメリカは先に住んでいたインディアンを殺戮し
ながら、西部を開拓したわけだし、第2次世界大戦前は、白人以外の移民を制限したり、二流市民にしたりといったこともしていて、ナティスは、この分野における先進事例として、アメリカを評価していた。
また、ルーズベルトのニューディールの経済政策も、従来な自由主義から逸脱しており、さまざまな政策について法的な位置付けが最高裁で争われることになっている。このあたりもナティスの経済政策との類似性から、ナティスの賞賛の対象であった。
法律の分野においてもっとも驚くべき議論は、大陸法と英米法との違いにかかわることだ。大陸法は法の条文が細かく定義され、法律に具体的に書いてないこと、刑法における推定無罪の思想があるわけだが、ナティスにとっては、その法律の基本的な仕組み自体が気に食わない。
そうしたなかで、ナティスは米国のおおらかな慣例法的な性格に惹かれていく。法的にあまり細かい規定はなく、さまざまな裁判の判決などを通じて、解釈が積み上がっていくという仕組みをドイツの人種差別などの法のなかに取り入れていく。
これが、きわめて恣意的な司法制度、裁判を可能にしていくのだ。
反全体主義の経済学者で、アメリカに移住したハイエクの議論によると、人間が人工的に法を作っていく大陸法よりも、自然な法秩序が慣例の中から生み出されていく英米型の法律のほうが優れているということだったのだが、ここでおきているのは、その慣例法がこういう形で悪用されるということだ。
さらに、ナティス内部者は、ヒトラーの命令に単純に従うのではなく、「ヒトラーだったらどう考えるか」ということを自ら考え実行することを求められていたという説明は、これまでナティス関係の本で読んできたものとリンクづけられる指摘なのだが、あらためて法律体系との関係でその理解が深まった気がする。
実は、タイトルほど衝撃的な本ではなく、ある程度、この分野を読んだあとでは、「だろうな」という話しなのだが、これまでいろいろ学んできたものが、法律という観点から議論され、つながっていく感じがあった。