作品一覧 2024/01/11更新 キェルケゴール ――生の苦悩に向き合う哲学 試し読み フォロー 死に至る病 試し読み フォロー 〈実存哲学〉の系譜 キェルケゴールをつなぐ者たち 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 鈴木祐丞の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 〈実存哲学〉の系譜 キェルケゴールをつなぐ者たち 鈴木祐丞 キェルケゴールのイメージが一変した。 彼の著作と生き様が、ウィトゲンシュタインへ決定的な影響を与えたことも興味深い。 ハイデガー、サルトル、ヤスパースのいう実存とは違う〈実存主義〉の系譜。元はソクラテスの産婆術、無知の知だった。 Posted by ブクログ キェルケゴール ――生の苦悩に向き合う哲学 鈴木祐丞 プロテスタント的信仰に基づく実存哲学を打ち出したキルケゴール。その著作と思索、人生の過程が概ね時系列に沿って紹介された一冊です。 キルケゴール的な実存主義に心惹かれる日本人はおそらくそれほど多くはないでしょうが、それに触れたいと感じる人、これから学びたいと思っている人が最初に手に取るのに適した一冊で...続きを読むはないでしょうか。 哲学を知るためには、哲学者の人生を重ねて知ることが理解の近道と考えているのですが、まさにキルケゴールはそのタイプですし、この本はそれを可能にしてくれる一冊です。 Posted by ブクログ 〈実存哲学〉の系譜 キェルケゴールをつなぐ者たち 鈴木祐丞 良き良き。キェルケゴールについての解説も手厚くしてくれてるし、各哲学者における影響も考察してる。ウィトゲンシュタインとの〈実存哲学〉系譜に入るよねっていう主張は奥深い。 後は各哲学者の主張に対する理解が不足してるので、どんどん補強していこうというやる気が湧き上がった。 Posted by ブクログ 死に至る病 セーレン・キェルケゴール / 鈴木祐丞 絶望こそ死に至る病である。 現代においてもそれは同様だが、その“絶望”こそどこから訪れ、どこに存在しているのか。それを解説し、考察したキェルケゴールの本著作だが、最終的には似非キリスト教徒への糾弾と、本来あるべき信仰の姿を示唆する内容になっている。 それゆえか、キリスト教徒ではない人間からすると...続きを読む、いささか読み取りにくい部分が多く、前半こそ“絶望”に関する考察を深める良著だと感じられたものの、後半においては、本来手に取った目的(絶望とは何か、どこから訪れ、どう対処する“病”なのか)をかなえてくれるものではなかった。 あとがきにおいても、翻訳家がそれを認めており、またキェルケゴールの生涯や他の著作から、彼がどんな目的で本書を仕上げたのか解説してくれているので、彼にとって“絶望”とは“信仰”より対を成す形で、思索する対象であり彼が理想とする信仰への在り方のために必要だったかを補足してくれている。 “深淵を覗く時、深淵もまた見つめ返しているのだ”とはニーチェの言葉だったか。 その名言と同様に、“絶望”を考察するとき、絶望もまた考察者に絡みつくのだろう。 では、それにおいて思索をすることは全くの無駄であり、不必要であることなのか? しかし本著では、そういった意識がない人間であっても、絶望は生涯の友のよりもひっそりと寄り添っているのだと示している。 キリスト教的な部分は難解ではあったが、絶望から解き放たれるためには信仰が必要だということはわかった。 信仰、という言葉を使うと、なにやら厳しく重々しく宗教的になりがちだが、柔らかく表現するのであれば「信じる心」が必要ということだ。 何においてもでもいい。未来でも、自身の能力でも、他人への絆でも。それらを感じている時だけ、絶望は身を潜めて影に還る。 あるいは、現状絶望している状態であれば、絶望の信奉者だということだ。 彼等は決して姿を消すことなく、人生において常に見張り、虎視眈々と様子を伺っている。 人が想像するという力を失わない限り、彼らはそこに在る。それを認め、それに飲み込まれることのない、信仰する“何か”が必要なのだと、改めて考えさせられた。 Posted by ブクログ 鈴木祐丞のレビューをもっと見る