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「死に至る病とは絶望のことである」。──この鮮烈な主張を打ち出した本書は、キェルケゴールの後期著作活動の集大成として燦然と輝いている。本書は、気鋭の研究者が最新の校訂版全集に基づいてデンマーク語原典から訳出するとともに、簡にして要を得た訳注を加えた、新時代の決定版と呼ぶにふさわしい新訳である。「死に至る病」としての「絶望」が「罪」に変質するさまを見据え、その治癒を目的にして書かれた教えと救いの書。
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Posted by ブクログ
絶望こそ死に至る病である。 現代においてもそれは同様だが、その“絶望”こそどこから訪れ、どこに存在しているのか。それを解説し、考察したキェルケゴールの本著作だが、最終的には似非キリスト教徒への糾弾と、本来あるべき信仰の姿を示唆する内容になっている。 それゆえか、キリスト教徒ではない人間からすると...続きを読む、いささか読み取りにくい部分が多く、前半こそ“絶望”に関する考察を深める良著だと感じられたものの、後半においては、本来手に取った目的(絶望とは何か、どこから訪れ、どう対処する“病”なのか)をかなえてくれるものではなかった。 あとがきにおいても、翻訳家がそれを認めており、またキェルケゴールの生涯や他の著作から、彼がどんな目的で本書を仕上げたのか解説してくれているので、彼にとって“絶望”とは“信仰”より対を成す形で、思索する対象であり彼が理想とする信仰への在り方のために必要だったかを補足してくれている。 “深淵を覗く時、深淵もまた見つめ返しているのだ”とはニーチェの言葉だったか。 その名言と同様に、“絶望”を考察するとき、絶望もまた考察者に絡みつくのだろう。 では、それにおいて思索をすることは全くの無駄であり、不必要であることなのか? しかし本著では、そういった意識がない人間であっても、絶望は生涯の友のよりもひっそりと寄り添っているのだと示している。 キリスト教的な部分は難解ではあったが、絶望から解き放たれるためには信仰が必要だということはわかった。 信仰、という言葉を使うと、なにやら厳しく重々しく宗教的になりがちだが、柔らかく表現するのであれば「信じる心」が必要ということだ。 何においてもでもいい。未来でも、自身の能力でも、他人への絆でも。それらを感じている時だけ、絶望は身を潜めて影に還る。 あるいは、現状絶望している状態であれば、絶望の信奉者だということだ。 彼等は決して姿を消すことなく、人生において常に見張り、虎視眈々と様子を伺っている。 人が想像するという力を失わない限り、彼らはそこに在る。それを認め、それに飲み込まれることのない、信仰する“何か”が必要なのだと、改めて考えさせられた。
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