中川政七商店、見つけたらついついのぞいてしまうファンです。
高校生の時に知ったマルヒロの波佐見焼をきっかけに器に興味を持ったし、今はお気に入りのバックワークスのリュックで通勤している。
今までこのお店をビジネスの視点から見たことがなかったし、好んで使っている品々やそれを作る全国の作り手にも、こん
...続きを読むな壮大なバックボーンがあったなんで知らなかった。
使い手に届けてこそ工芸は生きる。
私たちに、日本が誇るべき職人の手仕事を届けてくれて、本当にありがたいと思った。
ものづくりや伝統工芸の盛んな町に生まれて、父もそんな職人だったから、そういったものはすごく身近に感じて育ってきた。その分、地元の伝統産業全体が年々力をなくしていっている様子もなんとなく肌で感じてはいて、好きなのに自分では何もできないことを歯痒くも感じていた。
そんな日本全国の工芸品やメーカーをを廃らせないように本気で頑張っているこの会社のことを知ることができて、単純だけどすごく嬉しくなった。
この先100年も200年も続いてほしい。
政七さんが繋いでくれた縁で私の手元にいる子たちにもさらに愛着が深まった気がする。
効率的でファストなものが溢れる世の中だけど、自分の選んだひとつひとつの品が、愛しくてたまらないと思う人がもっと増えたら嬉しい。
政七さんの工芸に対する覚悟と愛情が詰まった一冊だけど、もちろんビジネスの側面からも面白く読めた。
恵まれた環境で仕事をするに越したことはないし、それが用意できることを私も誇らしく感じる。しかし、何もしなくてもそうした環境が自然に与えられると考えているとしたら、それは少し違う。今ある環境は先輩たちが努力して勝ち得てきたものだ。それは報酬制度などの経済的なものや、ブランドなどの社会的な評価も同じで、そのうえで今の社員たちは仕事をしている。環境に甘えるのではなくそれに見合った仕事をして、さらに良い環境を自分たちの力で手にする。そうした心構えが、社員と会社の真に対等な関係つくるのだと思う。
まあまあですね、というような表現を好む人は、もしかしたら、こちらの手の内を知られたくないと思っているのかもしれない。でも、自分たちのビジネスや業績について必要以上に秘密主義になると、周囲の理解や支援を得にくくなるおそれがある。それならば考えていることや計画していることを話せる範囲で伝えて、困っていることや足りない部分もできるだけ正直に話す。そうすれば共感して、応援してくれる人も出てくるのではないだろうか。
プロフェッショナルになるまでは仕事は楽しめない。
会議の場でただ漫然と考えてもアイディアは生まれない。普段からいろんな店や物を見て回るのも大事だし、目的意識を持って本アートを見ることも、地力をつけるうえでは効果がある。一方で、単なる思いつきを実現性と市場に対する効果を担保したアイディアにして、さらに企画へと発展させるためにはある一定の「型」が必要だ。禅の世界から生まれた「守破離」という言葉がある。松岡正剛さんはこれを、「型を守って型に就き、型を破って型へ出て、型を離れて型を生む」と表しているが、プロフェッショナルをめざす以上は、まずは手本を愚直にまねて「型」を身につけなければならない基本がなければ、それは「形なし」にすぎず、「型破り」にたどり着くことは永遠にできないからだ。
楽しい仕事とそうでない仕事があるのではなく、その仕事を楽しめる人とそうでない人がいるだけ。
製造現場は観光資源。
知的欲求を満たす観光スタイルは、定番のツアーにはない楽しさ
工芸にまつわる秘密のほとんどは、製造現場にある。百聞は一見にしかず。
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