フォロワーさんのレビューで知った詩集。
うつくしいことばと、純粋さに、わたしの忘れかけていた何かが共鳴した、ような気がした。
重吉の詩のことばを借りれば、「ほそいがらすがびいん」と鳴って、壊れるように。
壊れた「がらす」は粉々になって、光にきらきらと反射してプリズムとなる。
重吉の詩を読んで「び
...続きを読むいん」と鳴ったひとは皆、そのうつくしさに惹かれるのだろう。
重吉はずっと、かなしさを抱えてた。
愛する妻と愛らしい子たちはいても。
平安な日々を送っていたときも、詩では「はらにたまっていくかなしみ」と書いていたことを知って、後に妻の富美子さんは、『八木をひたしていた【かなしみ】とはなんだったのだろう、としきりにおもわずにはいられない』と、回顧している。
人間の抱える深いかなしさって、結局、ひとりで生まれて、ひとりで生きて、ひとりで死んでいくってことに尽きるのではないだろうか。
でも、重吉の【かなしさ】は、わからない。
重吉は29歳のとき結核で幼い子と妻を残し夭折している。
最期は妻の名を呼びながら亡くなったそうだ。
好きな詩。
[草に すわる]
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
[ああちゃん!]
ああちゃん!
むやみと
はらっぱをあるきながら
ああちゃん! と
よんでみた
こいびとの名でもない
ははの名でもない
だれのでもない
[あかつちの]
あかつちの
くずれた土手をみれば
たくさんに
木の根っこがさがってた
いきをのんでとおった
短詩が好きだな、と思う。
短詩ではないけれど、「この世の中から活動写真と芝居と写真道楽と別荘をなくしてしまえ」
と息巻く[なんというわからぬやつらだろう]、宮沢賢治の[雨ニモマケズ]を思い出した[こういうくらしができたなら]も、いい。