読み応えあり。
当時の資料を丹念に読み解き、そこから想定できる事実を提示し、また、多くの先達の業績にも触れる。
まさに歴史書の名にふさわしい。平山氏は武田氏を専門としていて武田氏や真田氏に関する多くの著を書いており、自分もいくつか読んでいる。
あとがきにもある通り、NHK大河ドラマの時代考証を担当さ
...続きを読むれたのを機に、武田と家康についての研究を進めたことはまことに嬉しい限り。
さて、内容について非常に多くの情報を含んでいるが、その中で、いままで自分が知ったことと違っていて、印象に残った点を以下に記す。
1.信玄と家康が密約して、今川氏真の領国を分割占領した際の有名な話、川を境に東側を武田、西側を徳川との密約だったが、これがもともとは大井川だったのを信玄が天竜川と難癖をつけて、遠江まで攻め入ったとの従来の説を一刀両断。もともとそのような取り決めはなく、切り取り次第だったのだが、武田の駿河侵攻に対する北条の攻撃で窮地に陥った武田の弱みに付け込んだ家康が武田に難癖をつけて、遠州から武田を駆逐したというのがこの書の解釈になる。
2.足利義昭が反信長になった時期、契機
信玄の上洛戦は義昭からのゲキによるといわれているが、本書では信玄が三方ヶ原で大勝したのに慌てて義昭は京から逃げる準備をしていることになっており、その後の信長からの異見十七か条に反発して信長に逆らうというのが本書の解釈。(通説と順番が違う)
3.信長と信玄は、信玄の上洛戦開始まで同盟関係にあったが、信長と家康は同盟しているのに、家康は、今川領の分割後に急激に反武田となって、上杉北条と同盟を結んでいること。同盟として、信長と家康の同盟はもっとも重要としても、双方の同盟国同士が敵対関係にあったとは。。。改めて知ると少し不思議。
これについて、著者は再三、信玄は、家康を信長配下の国衆として認識しておらず、信長の意見に逆らえない、との認識を持っていた述べている。
そのため信玄は家康に対する不満を信長にぶつけていると。
しかし、信玄ほどのものがそのような誤った認識を長年にわたって持ち続けたというのはなかなか信じがたい。