ユーザーレビュー 死霊I 埴谷雄高 おもしろい。冒頭の蒸し暑さや、全編に散りばめられるギャグ。この小説、全編を通じてひとつのことしか言ってない。それが、一番最後の絶叫なんだよね。 Posted by ブクログ 死霊III 埴谷雄高 私は埴谷雄高の小説が大好き。なのでこの死霊は外せないコレクション。何度も読み直している。読む度に解釈が変わったりもする。未完のいうのがまた何とも言えず私を魅了する。 Posted by ブクログ 死霊I 埴谷雄高 さっぱり分からん。 いや、分かるんだけど、こんなに読者に不親切な小説もない。 なぜこんなに七面倒な言い回しと言葉を多用するんだ!! 自同律の不快と虚体について登場人物たちとその妄想が渦巻く不毛な論争のストーリーです。 ストーリーといえるかどうか・・・・ 自同律とは「私が私であること」 虚体と...続きを読むは「これまでに存在しなかったもの」「決してありえないもの」 だそうです。 読むのには相当の労力を要します。 Posted by ブクログ 死霊III 埴谷雄高 第七章「最後の審判」は一気読みした。 イメージの爆発がインフレーション起こした感じ。 しんどかったあ。 頭は使わずに読まないとこんな話は読んでられん。 埴谷雄高氏はこの話を書くために一生を費やしたような人です。 執筆に40年。気の長い話だ・・・。 その間どうやって飯を食ってきたのか・・・ ...続きを読む「不合理ゆえに我信ず」・・・この意味が分かりますか? Posted by ブクログ 死霊III 埴谷雄高 確かに読み辛いが、無茶苦茶面白かった、というのが率直な感想である。長過ぎるように思われる個々のセンテンスも読み進めるうちにクセになってくる。 最近、熊野純彦が『埴谷雄高――夢見るカント』という本を出したが、“夢見るカント”とはまさにこの作家の資質を言い表していると思う。埴谷雄高の文学は、「人...続きを読む間はおろか、あらゆる生物、あらゆる存在が夢を見ているのではないか」という妄想から出発しており、カントの超越論的弁証論のその先を夢想する文学だからである。 確か、寺山修司だったと思うが、かつて青年だった大人が恐れるべきなのは、青年の時のおのれの視線である、というような意味のことを書いていた。その意味で、埴谷はその言葉になんら抵触することのない生涯を貫いたといえるだろう。作家は、青年期に抱いた、宇宙と自己についての疑問を「自同律の不快」と「虚体」という言葉を使って、この作品の中で一生追究し続けたからである。 50年以上も書き続けて、ついに未完に終わったのは、この作品の持つテーマの巨大さゆえ仕方ないとも思われるが、残念でならない。あと50年あれば!、必ずや完成していたであろう。最後に、釈迦と大雄(ジャイナ教の始祖)の対話を構想していたとのこと。読みたかった! 『死霊』は全9章より成り立っているが、山場といわれる5章と7章は、圧巻というほかない。未完であるが故の本作品の欠陥を補って余りある。『死霊』は、―もしこんな気障な言い方が許されるとすれば―今も世界文学の中で、燦然と暗黒の光を放ち続けているように思われる。 Posted by ブクログ 埴谷雄高のレビューをもっと見る