村松友視は1982年に「ファイター 評伝アントニオ猪木」を刊行し、そのあとがきでこう記した。
「これを機に、プロレスに関するいっさいの文章をしばらく休止し、私好みの観客席へもどりたいと思う」
村松友視はその後、本当にプロレスに関する書籍を出版しなかった。一部のプロレスマスコミには対談などで顔を出
...続きを読むしたりしていたが、デビュー時からのファン(=プロレスファン)は期待しつつも、もう諦めていたと思う。
今回突然この「アリと猪木のものがたり」刊行を知り喜んで発売を待ちつつ、なにがあったんだろう、そしてなぜ「猪木vsアリ」なのだろう、と思った。
この本読めぱその答えは明確に書かれていて、ふたつの疑問の前者については、えっ、そんなことなのかと(少なくとも私自身は)思い、後者については、長年の(中学生の時「私、プロレスの味方です」を読んだ時以来の)、ほんの少しのクエスチョンが氷解した。
当初この本の発売を知った時はただ単純に、猪木・アリ戦は40年の間に評価も変わり、これまで様々な書物で分析され尽くしていて、いまさら(と言っては失礼だが)村松さんがどんなふうに料理するのかな、それをやる価値はあるのかなとも思った。
しかしそれは僕の浅はかな考えだった。
この本のタイトルには「ものがたり」という言葉が入っている。
単純な試合の分析だけであるはずがなかった。
引用や内容に関する記載をするつもりはないけれど、ひとつだけ思うことは、アリも猪木もそれぞれが「世間」との戦いを続けていたこと、そして猪木だけでなくアリにとってもこの一戦がその「世間」との対立軸として機能したことがよく理解できた。
村松友視とアリは北朝鮮で接点を持つ。
アリと猪木のつながりは世間からは「所詮は金ヅルとしてだろう」と捉えられていて、それはおそらくほぼ真実であろう。
しかし、金だけで様々なリスクを背負ってあの北朝鮮まで行くだろうか、という我々の想像の余地(妄想という方が正しいか)をアリは残してくれたし、そもそもあの戦い自体がアリにとっては北朝鮮行きを超えるリスクであるはずで、とにかく最初から亡くなるまでアリは村松友視だけでなく、私達に終わることのないクエスチョンを与え続けてくれたという点でもやはり稀代のスーパースターであった。
アリが亡くなった直後、私はクアラルンプールに仕事で行った。
クアラルンプールといえば、猪木ファン側から言えば、アリがトランジットで立ち寄った羽田で猪木の関係者が応戦状(挑戦状にあらず)を渡した後に趣いた地である。ホテルのレストランの窓からはサッカースタジアムが見えて、もしかしてあそこで試合したのかな、などど思ったりして、勝手に運命を感じたりした。
妄想は生涯続く。