【感想・ネタバレ】暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマのレビュー

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島国日本にとって、当時、外国を攻めるには当然ながら船で行くしかない。

日清戦争、日露戦争など戦争にまつわる本を色々読んできて、兵站の重要性を認識していたつもりだが、その裏にたくさんの苦労があったことを知った。

まさか、海軍でなく、陸軍が海上輸送を行なっていたとは、ほとんど認識が無かった。しかも、自前の船を持っていない状態で。

そして、戦争がいかに残酷であるかと言うことも改めて認識した。
戦争自体の存在もそうだが、現実を見ないまま戦争に進んでいった空気というか、人間の決断というか、一言で言えば「なんとかなる」や「なんとかせよ」といった精神に恐ろしさを感じる。

根拠のない「なんとかなる」や「なんとかせよ」ほど怖いものはない。

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2023年01月24日

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宇品、と聞いても全くピンとこなかったが、昔広島の宇品に陸軍の船舶輸送司令部があり、陸軍の各種派兵の海上輸送を担ったという。このことは、ヒロシマに原爆が落とされた理由のひとつになっている。

本書は、「船舶の神」田尻中将の歩みとともに発展した陸軍船舶輸送について、膨大な史料をもとに構成された大変な労作

田尻中将は、兵站の観点から、日中戦争が泥沼化するなか、ある意見具申をする(具申が原因か定かではないが、この直後司令官を罷免される)。その後は、田尻中将の懸念の通り、多くの船員の死を招き、戦局は益々悪化することになる。

そしてヒロシマに原爆が落とされたとき、被害を免れた船舶輸送司令部は、佐伯司令官の指揮のもと、迅速な救援活動を繰り広げる。(このとき、著者が疑うほど、迅速かつ的確な救助活動が行われている。その理由については本書参照)

この二人の指揮官は、当時としては傍流に置かれた軍人だったかもしれないが、国民の生命・財産を守る軍人としての本分を全うしたと言えるのではないか。
こういった人がいたことを、本書を通じて知ることができたことに感謝したい。

そして、防衛省は、今後島嶼部への脅威に対処するため水陸機動団を新編し、輸送力の強化を図ろうとしている。

歴史は繰り返さないが、韻を踏む。
まさに今、読むべき本だと思いました。


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2022年07月05日

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広島市の宇品にあった陸軍船舶司令部を中心に、太平洋戦争における日本の船舶輸送について分析、研究した結果をまとめた本。研究が精緻で、歴代の陸軍船舶司令官に焦点を当て、精緻な研究がなされている。大戦直前まで司令官であった田尻昌次の自叙伝や回想録、大戦中を司令部で過ごした篠原優が纏めた始末記などを中心に、防衛研究所の専門家の意見を聞きながら的確に分析がなされていると思う。後方支援体制が整わない中、無謀な戦争に突き進んだことが、よくわかる。今でも船主協会が自衛隊に悪い印象を持っているのは、戦時中に民間船員たちが身分も保証されず、無茶な任務の中、次々に犠牲になった経緯があったことを、よく理解できた。

「明治27年、日清戦争を機に、東京の大本営が広島に移されたことはよく知られている。帝国議会も衆議院・貴族院ともに広島に議場を移し、議員たちが大挙して押しかけた。首都機能が丸ごと地方に移転した、近代日本で唯一の例である。たとえば総理大臣・伊藤博文の居宅は大手町四丁目、参謀本部次長の川上操六は大手町三丁目。第一軍司令官の山県有朋は比治山の麓。新聞社主事の徳富蘇峰が滞在した旅館は大手町四丁目。人力車で数分の距離に国内の要人のすべてがそろった。極めつけは広島の一丁目一番地たる広島城に、明治天皇その人が寝起きしていることだ」p4
「天皇自ら就寝するまで決して軍服を脱がず、侍従にも軍服を着させた。戦地の兵隊と同じように過ごさねばと場内への女官の立ち入りを禁じ、ストーブを持ち込むことすら拒んだ。約7か月の広島滞在の間、大本営から外に出たのはわずかに四度だけだった」p4
「(原爆投下候補地検討)何度も検討が重ねられた目標検討委員会で、広島が一度たりとも候補から外れなかった理由。それは広島の沖に、日本軍最大の輸送基地・宇品があったからである」p7
「太平洋戦争とは輸送船攻撃の指令から始まり、輸送基地たる広島への原子爆弾投下で終わりを告げる、まさに輸送の戦い、“補給戦”だった。その中心にあったのが、広島の宇品だったのである」p9
「船舶を使う海上輸送業務は本来、海のエキスパートたる海軍の仕事だ。事実、世界中のほぼすべての国の軍隊で、海上輸送を担うのは海軍である。陸軍の出番は船から荷が下ろされる揚陸の段階や、その荷を前線に運搬する陸上輸送業務から。陸軍が海洋業務全般を担うという宇品の形態は、世界でもまれな現象なのだ」p40
「海軍は、陸軍部隊を運ぶ海洋輸送の仕事は海軍の任務ではないと拒んだのである」p41
「(海軍の主張)陸軍の兵隊を船で運ぶ作業は陸軍が自力で行うべきであり、もし上陸するまでに海上で戦闘が発生するようなら、海軍の主任務ではないけれど護衛するのはやぶさかではないと主張した」p41
「海軍からすれば諸外国に伍する艦船も足りないのに、陸軍を輸送するどころではなかったとも考えられる」p42
「松原茂生は世界でも例をみない旧日本陸軍独自の海洋輸送システムについて、陸軍船舶司令部は、船と船員を持たない海運会社のようなもの、と位置付けているが、的を射た表現だろう」p44
「海軍は、出港・戦闘・上陸そして補給まで、すべての行動を最初から最後まで自力で完結できる。しかし海洋業務のノウハウを持たない陸軍は、そのほとんどを民間業者に頼らねばならなかった。当然、その船舶輸送は多くの問題を抱えることになる。日本が近代国家としての歩みを始めたときからずっと船舶輸送問題は陸軍のアキレス腱だったのである」p46
「(薩長中心の人事制度)私はこの事件により、但馬無閥の私が軍に一生を託して将来を開拓するには、私個人の実力を養成し、個性を磨き、他に遜色なき人格を修養し、以て茨の道を切り拓き、堂々と勇往邁進するより他なきをいやというほど思い知らされた」p55
「昭和17年春、田尻の長男・昌克の結婚式が行われたときのことだ。厳しい統制下で電灯にはカバーがかけられて会場は薄暗く、十分な馳走も用意できなかったというが、出席者の豪華な顔ぶれは人々を仰天させた。仲人を務めたのは海軍大将の中村良三.時の海軍大臣・嶋田繁太郎を筆頭に、陸海軍双方から大将や中将クラスがずらりそろってテーブルを囲んで談笑し、まるで大本営の連絡会議のような風景になった。陸海軍の関係が悪化する最中で、田尻もすでに軍籍を離れていたが、それでも大勢の海軍の大物たちが駆けつけた。このときのことは陸海軍の垣根を越えて人間関係を築き、「陸海軍中将」との異名をとった田尻の面目躍如たる一場面として関係者に語り継がれた」p86
「(杭州湾上陸作戦(昭和12年))アメリカの軍事史家アラン・ミレットは「1939年の時点で、日本のみが水陸両方作戦のためのドクトリン、戦術概念、作戦部隊を保持」していると分析。さらにアメリカ海軍情報部も「日本は艦船から海岸の攻撃要領を完全に開発した最初の大国」と認めた」p134
「(田尻昌次)之を以て決して満足してはならない。科学の進歩は駸々乎として止む所を知らない。今日の精鋭は必ずしも明日の精鋭ではない、と自戒している」p135
「戦時の一年は、戦術・兵器ともに平時の五倍から十倍の進歩がある」p144
「(鉄鋼の少ない造船業への配分)この背景には、鉄鋼の配分を統制する商工省鉄鋼統制協議会と企画院が大きな影響力を持ち、配下の産業を優遇したことがあった。かたや造船を担当する逓信省の発言権は小さく、十分な配給を得ることはできなかった。言い換えれば、船舶不足が国家の命運を左右する問題として認識されていなかったということである」p154
「島国から軍隊を運ぶのは船しかない。軍隊が外征すれば、そこへ軍需品や糧秣を届けるのも船。もし資源を入手するために南方に進出すれば、そこに兵を送るのも、資源を運んでくるのもまた船である。一にも二にも、船が必要だ。その船が圧倒的に不足する日本にとって、勇猛な南進論も、遠くに聞こえ始めた対米英開戦論も、田尻には夢物語のように響いたことだろう」p157
「(田尻の辞任の挨拶)駅長は、田尻が乗り込む車両の入り口にマイクスタンドを設置し、別れの挨拶を行ってほしいと促した。マイクは日本放送協会が特別に用意したもので、音声はそのまま広島市内の全家庭に流されるという」p179
「東京駅のプラットフォームには参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省、其の他の官庁、民間会社などから夥しい辱知の方々が出迎えて下さった。広島の火災の不始末が胸につかえていて何とも面映い思いだったが、これぞ私の三十数年にわたる長い官職奉仕の最後の一コマであった」p180
「幼いころから純粋な軍人教育だけを徹底的にほどこされて軍人になった者と、人間として世間で色んな苦労をして、それから軍人という職業に就いた者とではね、やっぱり違うよ。誰だって、ものを見る目だとか、何かを判断するときには、小さいころからの経験が影響するものでしょう。陸軍と言う組織のためにどう最善を尽くすのかという考え方において、両者は土台から異なる。田尻さんとか今村均さんのような人は、言ってみれば軍人としての巾が広い。だけど、それが官僚組織の中で生きていくのに良いことかどうかは別問題だ」p186
「(米戦略爆撃調査団 ジェローム・コーヘン教授)この戦争は、日本にとって乗るか反るかの大博打であったが、日本は賭博を打つにあたって船舶事情に十分に注意を払わないまま飛び込んだ。日本の船舶に対する措置は、初期の過度の自信と無計画性、稚拙な行政、内部の利害対立という特徴があった」p220
「船乗りたちの存在を「軍属は人間以下」「船員はハト以下」などと公然と蔑んだ当時の陸軍の風潮」p239
「(第17軍船舶参謀 三岡健次郎)輸送会議をやりましたときに、船の損害予測はどのくらいかと質問され、私は「6/10は見なきゃならん」と答えたら、井本熊男大本営参謀から「何を言うか、6/10もやられてたまるか」って、えらく叱られてしまって。相手は中佐で私は少佐ですから、「ハイ」と言って引き下がったが、結果は10/10、やられてしまいました」p264
(昭和17年6月)物資不足にあえぐ日本とは対照的に、昭南(シンガポール)の港湾倉庫には油やゴム、スズ、砂糖などの物資が入りきらないほどギュウギュウに積まれていた。しかし、それを日本へ運ぶための船がないのである」p286
「物資を輸送するための組織の準備は手つかずのまま、唯一決まっていたのは、南方物資を還送するという「方針」だけだったのである」p289
「(船舶参謀 嬉野)大東亜戦の天王山はガダルカナルです。ガダルは戦で負けたのではなくて、要するに手持ちの優秀船が、全部なくなっちゃったんです。高速輸送船という戦略兵器が局地戦で潰さっれちゃったんです。そのあとの戦というのは、掛け声だけですね」p308
「戦闘詳報などの一次資料でも脚色や改竄が行われることは珍しくない。後世に読まれることを想定して綴られた日記なども同様の危険性は常にはらんでいる」p338
「大正時代後半は軍縮が続き、近代でもっとも軍人への風あたりが厳しかった。軍人は軍服で電車に乗ることすら憚られ、時の逓信大臣・犬養毅が「軍人いじめが過ぎると、いつか反動がくる」と警鐘を鳴らしたほどだった。それでも、こと震災時における軍の行動についての報道は総じて好意的だ」p345

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2022年02月02日

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 なぜ広島に原爆が落とされなければならなかったのか? この疑問を突き詰めことから著者の取材は始まった。

 かつて廣島は軍都だった。日清戦争を機に廣島に大本営が置かれた。それはよく知られた事実。

 大本営から少し南、宇品の港から「陸軍」の兵士が大陸に送り込まれた。日清戦争から日露戦争、シベリア出兵、満州事変、日中戦争から太平洋戦争と陸軍の兵士は宇品から戦地へ送り込まれた。担ったのは陸軍船舶司令部、暁部隊と呼ばれた。補給と兵站も一手に担った。そんな港は全国で廣島だけだった。

 暁部隊の3人の司令官を通じて、太平洋戦争の無謀と国民の無残を描く。海は生命線だった。資源のない日本にとって、海と船は生命線だった。全て海を通じて、もたらされた。安全な海と十分な船がない限り、戦争を遂行することは不可能だということを宇品の司令官は知っていた。だから、「船舶の神」田尻昌次中佐は対米開戦に反対し、そして罷免された。その他二人の司令官たちの思考と行動、そして破滅。

 もう一つの「失敗の本質」。それにしても「ナントカナル」の戦争計画の杜撰。それが数百万の国民の命を奪った戦争のすべて。「輸送」は科学。現実。「ナントカ」はならないのである。

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2021年12月27日

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前半の主人公田尻氏の話だけでも良いじゃないかと思いながら読み進めて行ったが、後半のすごさ感動もさらにひとしおであった。
本を読む側としては数時間だが、作者の費やした時間、そして読者の心に残る時間のなんと膨大なことか

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2021年12月09日

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日露戦争から太平洋戦争終戦後までの船舶輸送、そして宇品の船舶司令部の歴史を調べ上げた渾身の一冊。やはり堀川恵子さんはその調査の緻密さ、文章力とも今の日本で最高のノンフィクションライターだ。日露戦争の成功体験から抜け出せぬまま、現実を直視することなく無謀な戦争に突き進んでいった過程がよくわかる。船員の多くが兵士ではなく、丸腰の民間人だったとは。鳩より下に扱われた彼らのガダルカナルでの惨状などもっと知られていい。南方での死者のほとんどが餓死だったこと、杜撰な計画と甘い読みから船を作る資材もなくなり油布で石油を運ぼうとすらしていたこと、また、特攻は飛行機だけではなくベニヤ作りの船でも行われていたことなど、何もかも暗澹たる気持ちになる。
輸送や船員の地位の整備を訴えて罷免された田尻元司令官、無為に多くの兵を海で失わせてしまいながらも原爆投下直後から救援活動を的確に手配した佐伯司令官。彼らを通して輸送の歴史を俯瞰させてくれた堀川さんに感謝。自衛隊の災害活動の原点が関東大震災後の軍の活動にあったというのも目からウロコだった。佐伯司令官が原爆直後「流言飛語を防止し、民心を安定せしめる」よう説いたのも、関東大震災の時の経験によるものだったのだろう。
生涯の一冊とも言える素晴らしい作品。

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2021年11月16日

Posted by ブクログ

あまり進んで読むようなジャンルではないが、堀川惠子さんという著者に惹かれて読んだ。素晴らしいノンフィクションに決まっていると。
で、著者の何を読んだのか振り返って見ると、多分『裁かれた命』1冊だけのような気がする。その時にすごい!と思ったのだろう(それなら他の著作も読めばいいのに)。

宇品という地名も聞いたことがあるようなないような。「暁部隊」というのは聞いたことがあるような。
それくらいのもともとなんの知識もない私だが、まずは、田尻昌次という陸軍中将の、本当の意味での軍人としての仕事ぶりというのか人間性というのかに惹きつけられた。日の目が当たって、ご遺族も喜んでおられるのではないか。自叙伝も残された甲斐があった。資料を掘り起こすというのはこういうことなのかとノンフィクション作家の素晴らしさ、堀川さんのお仕事ぶりに感銘を受けた。
"田尻昌次という、一人の軍人の人生の終わり方は、官僚組織としての昭和陸軍を象徴しているのか。
 陸軍史を生涯のテーマとしてきた原さんが、ひとつ溜め息をついた後、こう付け加えた。
「少し大きな話になるけどね、ぼくは、やはり日露戦争の影響が大きかったと思う。日露は『勝った』のではなく『負けなかった』戦なんだ。それを大勝利とぶちあげて、酔ってしまって、あらゆる判断が狂っていった。兵站を軽視するのも、小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢も、あの頃から酷くなるだろう。実力を顧みず、思い上がってしまったんだ。それを正直に指摘しようとする者は組織からどんどん排除されていく。開戦に反対して首を切られたのは、なにも田尻さんだけじゃない。まあ、こういう話は決して昔噺じゃないけどね」" 186ページ

田尻中将が罷免された後、世界大戦へと突き進んでいく。全く船舶が足りないというのに「ナントカナル」!「何度読み返しても文脈が掴めない」。数字に則っていないのである。計算を無視している。足し算引き算ができていない。こちらの頭がおかしくなる。

分析に携わった元少佐の証言
"「あの当時の会議の空気はみんな強気でしてね。ここで弱音を吐いたら首になる、第一線に飛ばされてしまうという空気でした。『やっちゃえ、やっちゃえ』というような空気が満ち満ちているわけですから、弱音を吐くわけにはいかないんですよ。みんな無理だと内心では思いながらも、表面的には強気の姿勢を見せていましたね。私も同じですよ」"
根拠のない楽観的な予想、あからさまなグラフの細工。
開戦時の大蔵大臣賀屋興宣の遺稿
"冷静に議論をしようとしてもすでに意図が定まっていて議論はあとから理屈をつけるということが多い。たとえば、最も重要な海上輸送力の計算をするのに、新造船による増加と損傷船の修理能力を一方に計算し、一方に戦争による減耗を考える場合、減耗率を少しずつ少なくみて、増強力を少しずつ多くみれば結論のカーブは非常に違ったものになる。そこを人為的にやればなんとかやれるという数字になるのである。冷静な研究のようで、それはたいへんな誤算をはらむ状況である。"
「賀屋の指摘が前出のグラフを指すものかどうかはわからない。似たような細工がほどこされた検討は他にも存在しただろう。確かなことは、明らかにおかしいとわかっていながら、誰もそれを指摘しなかったということだ」。
このあともホントに笑ってしまうような無茶苦茶な数字のごまかしが続く。全くごまかせてないのだが。どの数字が正しいのか…面白すぎて、どんどん引用したくなるのだが、キリがないのでやめる。

厳しい予想を出すと怒り、一蹴する。調査研究をしていない。まともな資料を作れない。デタラメな数字を出す。実際には厳しい結果が出てしまう。莫大な犠牲が払われる。

現在のコロナ対策(オリンピックも)と完全に私の中でかぶってしまい、歴史は繰り返すというのか、日本がそういう国なのか、どこの国でもそうなのか、こういうのって治らないのか、とか思ってしまう。

だめだ、引用してしまう…
日本の戦時経済を研究したアメリカの教授
"この戦争は、日本にとって伸るか反るかの大博打であったが、日本は博打を打つにあたって船舶事情に十分な注意を払わないまま飛び込んだ。日本の船舶に対する措置は、初期の過度の自信と無計画性、稚拙な行政、内部の利害対立という特色があった"
「陸海軍部も政府も、船舶の重要性は十分に知っていた。しかし彼らは、その脆弱性に真剣に向き合う誠意を持ち合わさなかった。圧倒的な船腹不足を証明する科学的データは排除され、脚色され、捻じ曲げられた。あらゆる疑問は保身のための沈黙の中で『ナントカナル』と封じられた。」

日本、何にも進歩してないな。
博打、無計画、稚拙な行政、科学の軽視、保身…

もう一人の司令官佐伯文郎中将についても書いておかなければならない。広島に原爆が落とされた後、すぐさま自分の判断で広島市内の救援救護、復旧に入られた。大混乱の中、自らの被曝も構うことなく(部下もなのだが)的確な判断で復旧に邁進された。船舶司令官が陸の人々を救う判断がすぐにでき、実行できる。ものすごいリーダーである。

素晴らしい取材力と文章力で紡がれたノンフィクションを読み、まだまだ思うことがたくさんあるのだが、あまりにも長くなってしまう。あとは心の中で復習しておこう。


 

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2021年09月18日

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ネタバレ

この本は、日本陸軍最大の輸送基地「宇品」の歴史や、日本陸軍の補給組織についての歴史を、「船舶の神」とまで謳われながら陸軍を罷免されてしまった、元第1船舶輸送司令官の田尻昌次と、船舶参謀として太平洋戦争の船舶作戦を立案した篠原優、そして原爆投下後、原爆負傷者の救護活動を指揮した佐伯文郎の3人の歴史から紐解いていく一冊である。本稿では、この3人から特に田尻昌次について触れたい。
 田尻は、没落していく生家の再興を頼まれ医師を志すも、金銭的問題から教師として働いた。そして家族を養うお金を稼ぐために陸軍士官学校を受験、見事合格。
 そして陸軍という世界に入った田尻は、ここでも陸軍幼年学校出身でないことなどから厳しい経験をする。しかし田尻は、その自叙伝にも田尻が書いた通り、「私個人の実力を養成し、個性を磨き、他に遜色なき人格を修養」し、そして、茨の道を、陸軍大学進学という形で切り拓いた。
 その後の田尻の歩みは、日本陸軍自体の船舶輸送の近代化の歴史そのものとなっていく。田尻は、近代的上陸戦の実用に耐えうる輸送艇の開発や、海軍との連携、そして部隊の改革などを行い、第一次上海事変の七了口上陸作戦などを成功させ、日本の上陸作戦技術を世界のトップレベルにまで引き上げた。しかしその後田尻は、輸送を知り尽くしているがために南進論に反対、意見具申を各省庁に行った。しかしこのことが越権行為と捉えられ、陸軍を追われてしまう。この後陸軍の船舶輸送は、ガダルカナルに代表されるように、悲惨な末路を遂げる。
 私は、田尻のこの臥薪嘗胆の日々や栄光の日々、そして軍を追われる時の無念さを、この小説を読みながら追体験しているような感覚に襲われた。そしてまた、軽視されがちであった日本軍の輸送にこれほどまでに深く関わった軍人がいたことを知ることができ、今後も日本史を学んでいく中で異なる焦点にスポットを当てる重要性をこの本を読むことで学ぶことができた。

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2024年04月30日

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数多の将兵を送り出した広島の宇品港
日清戦争から昭和20年の終戦まで、およそ半世紀に渡って帝国陸軍の兵站の要を担っていた宇品に陸軍船舶輸送司令部があった。
普段スポットライトが当たらない船舶輸送司令官の視点から歴史を紐解いていく本書は、これまでにない解像度だった。
よく目がする「要約された歴史」では、単に"陸軍の暴走"などと片付けられているが、いくらなんでもこんな巨大組織で、しかも何段階も選抜を繰り返す当時の軍の全員が蒙昧だったはずがないと疑問だったのだが、これを読んで大分腑に落ちた。
しかし、いつの世も組織が巨大化すると腐るのは変わらない。

古代から現代まで変わらず重要な戦時の兵站問題は、海に囲まれた日本では全て船舶に頼らざるを得ない。
船を持たない帝国陸軍の命運を船が握っているとは皮肉だが、当初は民間船をチャーターして出兵していたとは驚いた。

明治の軍人たちは輸送の重要性を正しく認識し、宇品港開発(単に港としてだけではなく、検疫・研究・病院・倉庫など軍港としての機能を整備)に多額の予算を割り当てて来る国難に備えていたにも関わらず、その後の軍上層部に精神主義が蔓延り、兵站軽視になっていったことが残念でならない。
(さらに皮肉なのは、米軍は軍艦には目もくれず輸送船を集中的に攻撃し、海上輸送の遮断に注力していたことで、兵站の重要性を認識していたことだ)

歴代船舶輸送司令官の視点で丹念に描かれている大正・昭和の陸軍が、いかに道を間違え、いかに多くの犠牲を強いてきたかがよく分かった。

終始広大な海と不足する船舶と戦ってきた船舶司令部だが、最後の戦いは原爆が投下された広島の陸(おか)だった。
このとき既に海上輸送は崩壊していて、船舶輸送司令部は本来任務をまともに行えなかったが、原爆投下直後から市民の救護と消火・復旧活動に全力を上げた。
これで救われた命も沢山あっただろう。
船を持たなかった陸軍の船舶を司り海を縄張りとする軍人達の最後の戦場が陸であったことは、偶然だったのか必然だったのか?本書を読むとよく分かります。

余談ですが、戦争物で度々登場する辻政信は、漏れ無く悪者扱いなのは余程酷かったのかと思いました。



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2023年12月26日

Posted by ブクログ

凄い。

最後のページの写真。
読み終わる前に目に入って、なんの写真か分からなかったのだが…
読み終わり、ページをめくったら、言葉をなくした。

組織は狂う。
俊英が集い、そこらの通りがかりが見ても、愚かしい隘路に、何故全力で突き進むのか。

組織の狂った突進に、軋みに、不条理に轢き殺される多くの人々がいたことに慄然とする。英俊であろうと魯鈍であろうと、そのときがくれば、等しく擦り潰される。

社会とは、組織とは。
人類は、社会や組織を通じて、地球上の覇者として君臨している。
しかし、社会も組織も狂う。

「本書で繰り返し問われたシーレーンの安全と船舶による輸送力の確保は、決して過去の話ではない。食料からあらゆる産業を支える資源のほとんどを依然として海上輸送に依存する日本にとって、それほ平時においても国家存立の基本である。」(p381)

あとがきに記された上記の言葉に、そこに至るまで気がつかなかったことに、その不用意さに、我ながら情けない思いがした。

戦後、約80年も前の、敗戦を経て記録も少ないはずの内容を、このように活写できる著者の力にも、感服した。

石をもて 追わるるごとく 去りたれど 忘れがたきは 金輪島山
つゆ空に 花一つ散りぬ 花月園
「ズーズー弁の天才技師」市原健蔵氏の歌。
歌を詠める教養が羨ましい。

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2023年07月14日

Posted by ブクログ

祖父は商社の船舶部にいて、戦時中は徴用されて終戦は横須賀で迎えたと亡くなったあとに親から聞いた。徴用されていたときになにをしたのかどこに行ったのか・・・兵站がお粗末だったとは知っていたけれど、ここまでお粗末だったとは思わなかった。もちろん、頑張ってる人や真面目にやってる人はいるんだけれど、それにしても情けない。負けるのも当然だなと思う。おじいちゃんに戦争中の話しを聞いてみたかったなと思うけれど、さて、どんな話しが聞けたんだろう・・・

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2023年04月21日

Posted by ブクログ

陸軍の兵士と物資の海上輸送を担った陸軍船舶部の話。大戦前から船舶の不足が指摘されていたにもかかわらず、参謀本部は「ナントカナル」の精神で数字の辻褄合わせをし、戦争に突入していく。しわ寄せがいくのは現場である。ガダルカナルでは多くの兵士と共に船員も餓死した。その悲惨さが詳細な資料を元に語られる。著者の取材力が凄まじい。著者は広島出身のノンフィクション作家である。

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2022年11月20日

Posted by ブクログ

広島の軍港といえば、「呉」が浮かぶが、「宇品」もそうであったことは結構忘れられていると思う。呉と違って面影もないし。
宇品には「陸軍船舶司令部」があったのだ。

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2022年08月19日

Posted by ブクログ

戦場で命を失うかもしれないという抑圧状態に置かれた集団はより団結を強め、「人々は自分自身であることをやめる一方で、同時により大きく力強い何かの一部になる。より大きて強力な何かの一部であると感じることは、まさに喜びをもたらす」

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2022年08月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 1969年広島生まれ、ノンフィクション作家、堀川惠子さん。「チンチン電車と女学生」の次に読んだのは「暁の宇品 」、2021.7発行。明治27年、日清戦争を機に、東京の大本営が広島に。広島城に明治天皇、人力車で数分の距離に国内の要人のすべてが。その広島で最も繁忙を極めた場所が宇品。その50年後、人類初の原爆が広島に。米国の計画、第1段階、広島、八幡、横浜、東京・・・17の都市。第2段階は、京都、広島、横浜、小倉。広島は重要な軍隊の乗船基地。宇品は(呉ではなく)日本軍最大の輸送基地。

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2022年08月11日

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なぜ人類初の原爆は広島に落とされたのか。その疑問から始まった著者の探求は、広島に兵士を送りだしてきた軍港宇品があったことに行き着く。その宇品で「船舶の神」と呼ばれた司令官の田尻昌次は、貧困から身を起こして日本軍の上陸作戦を支えたが、太平洋戦争の開戦に船舶指令の立場から反対して罷免された。田尻の諫言を無視して「ナントカナル」と戦争に突入した結果、次々と輸送船が沈められる事態となった。その中で奮闘した船舶司令官佐伯文郎は、原爆の惨禍の中で率先して救命活動を行ったが、戦後は戦犯とされた。田尻と佐伯の間に船舶指令を務めた鈴木宗作は、ベニヤ板で作った舟による無謀な特攻作戦を実行した。日本は島国であるにもかかわらず船舶による補給を軽んじ、その結果死んでいった船員と兵士への慟哭の書。

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2022年05月17日

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この日の広島では、人間の生と死の境は紙一枚より薄かった(P328)
第二次世界大戦中に、広島の軍港・宇品に置かれ、陸軍ながら補給と兵站(後方支援)を担った「陸軍船舶司令部」が描かれた作品(テーマは人類初の原子爆弾はなぜ広島に投下されなくてはならなかったのか?)。第二次世界大戦を陸軍兵士の海上輸送という視点で追体験することができる、日本の教科書にも載っていない田尻と佐伯という司令官の生きざまが描かれており、第二次世界大戦の裏側を見れた感じ。まだまだ知らないことが多いなと思い知らされた、戦争のシーンはあまりにリアルで悲しい。ノンフィクション小説好きには全員読んでほしい作品。

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2022年05月08日

Posted by ブクログ

当時を生きた一人一人にそれぞれの人生があったという当たり前のことを改めて感じながら、のめり込むようにあっという間に読んでしまった。

以前『失敗の本質』で、太平洋戦争での兵站線確保ができていなかった問題点についてなんとなく読んだことがあった。本書では、兵站線確保について、戦地へ輸送する食糧や兵器、それらを運ぶ船舶の確保などを任務としていた陸軍船舶指令部の立場から当時の様子を窺い知ることができた。

船舶輸送に携わった無名の軍人の生き様にも泣けてきた。
田尻昌次、佐伯文郎、篠原優、覚えておきたい。
広島の宇品にも行ってみたい。

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2021年12月05日

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なぜ、広島に原爆が落とされたのか。
日本の戦争は宇品港の輸送に支えられていた。
原爆を新たな視点で捉えた力作。

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2021年10月21日

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ヒロシマ関連の著作の多い筆者。爆心地からは距離があるが目標となったきっかけの一つだろう、宇品の陸軍の船舶司令部にスポットをあてたノンフィクション。

ヒロシマ原爆に関して多くの著作のある筆者。今回のテーマは爆心より南西4キロほどの宇品陸軍船舶司令部。

あまり注目されないが広島が原爆の目標に選ばれるのに理由がある。その一つが陸軍の輸送の拠点だったということ。もちろん民間人が犠牲になったことを免責するつもりはない。

おそらく筆者は船舶司令部の被爆直後の応急活動をきっかけに取材を深めていったのだろう。そして出会った“船舶の神”と言われた田尻中将の手記。遺族の元にあった自叙伝から、筆者は軍都廣島の発展に至る陸軍の海上輸送にテーマを広げざるを得ない。

戦艦や空母、一線級の軍艦を攻撃することを至上とした海軍。陸軍は自前で輸送船も上陸用舟艇も整備しなくてはならない。陸海軍のセクショナリズムがただでさえ乏しい日本の資源を奪い合う。

輜重、補給の軽視、本書の主役田尻中将は建白と引き換えに昭和15年罷免される。

ヒロシマをテーマとした中でテーマが手に負えないほど広がった筆者の苦悩が本書から伝わってくる。それに負けず、真っ向から大きなテーマに立ち向かった筆者。原爆ではなく、もっと根本の日本軍の敗因とあまり知られぬ船員たちの戦争に迫った力作である。

綿密な構成のノンフィクションでなくともテーマと筆者の強い思いがあればこその素晴らしい作品でした。

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2021年09月26日

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小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢。
実力を顧みず思い上がる。
それを正直に指摘しようとする者は組織から排除される。
こういう話しは昔話じゃない。
考えさせられます。

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2021年08月31日

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いい本だった。田尻、佐伯両司令官の生き様がいい。もし彼らがアメリカの軍人だったら、もっと中枢にいた事だろう。当時の日本の上層部を担いだ国民の不幸。ただそういう状況を作ったのも、マスコミ、国民なのだ。現代でもそう。気をつけなくては。

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2024年05月06日

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広島市の南にある港、宇品。
例えばヒロシマの原爆投下後の記録や、証言を少し読めば、港の名前として「宇品」という地名はすぐに出てくる。
広島が原爆投下の目標とされた一つの理由として、広島が軍都であったという事が挙がる。何故ならば、宇品は日露戦争の時代から、日本から兵士や資源を戦地へと送り出すための日本帝国陸軍の港であったからだ。
本書ではその宇品がどのようにして日本の軍の兵站の中心となったのか、そして第二次大戦において日本は兵站を軽視したために、あらゆる作戦が破綻し、敗戦へと突き進むのだが、その時に宇品はどうなっていたのか、という歴史を当時の宇品の指導者たちの記録を丁寧に読み解いて語っていく。
そして、原爆が投下され、広島が焼け野原のヒロシマとなったとき、宇品にいた陸軍の兵士たちはどのように行動したのか。

今まで数多くの原爆とヒロシマの記録を読んできた。その中で何度となく見た「宇品」、「似島」という地名が、単なる漢字の組み合わせでしたなかった地名が、具体的な、そこで汗をかき、笑い、泣き、叫び、怒り、悲しむ人々の生きている土地として立ち上がってきた。

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2023年04月22日

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恥ずかしながら、読み始めるまでタイトルの宇品が何かわからなかった。地名ということも知らなかった。
宇品とは戦時中の輸送拠点であり、兵士の派遣や物資の輸送を行っていた広島の軍事基地であり、陸軍船舶司令部が置かれていた。
その陸軍船舶司令部を舞台に世界大戦をどのように戦ったのか、そしてなぜ広島に原爆が落ちたのかを紐解いていく。
物語は、船舶司令官で「船舶の神」と言われた田尻昌次の手記から始まる。
船舶の神と言われるだけあって、非常に船舶の知識が豊富であり、宇品港の再整備などに着手した。しかし、上層部に対して現場の状況改善を陳情したことによって、罷免させられた。
田尻昌次という、一人の軍人人生の終わり方は、官僚組織としての昭和陸軍を象徴しているのか(p186)と著者が言うように、田尻の罷免は官僚組織的結末である。
また、軍事史研究家の原剛さんも「僕は、やはり日露戦争の影響が大きかったと思う。日露は『勝った』のではなく『負けなかった』戦なんだ。それを大勝利とぶちあげて、酔ってしまって、あらゆる判断が狂っていった。兵站を軽視するのも、小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢も、あのころから酷くなるだろう。実力を顧みず、思い上がってしまったんだ。それを正直に指摘しようとする者は組織からどんどん排除されていく」(p186)と言っている。
戦争が進むにしたがってどんどん船の数は減る。
それは想定以上のものであり、しっかりとしたデータに基づいていれば開戦の決断すら難しかっただろう。
船舶の不足により、物資の調達もままならずガダルカナル島での戦では、総勢三万一四〇〇人余の陸軍将兵のうち、命を落とした者は約二万八〇〇人。死者の七割以上が餓死であった(p278)という。
彼らに配給された正月祝いは「乾パン二粒と金平糖一粒」(p276)だったことが飢餓状態を象徴している。
また昭和十九年二月には「特攻艇」なるものが開発された(p301)
空だけでなくここでも特攻が行われた。
しかし、飛行機による特攻が国民の戦意高揚のため広く報道されたのに対し、陸軍船舶司令部の海上挺進隊は極秘任務とされたため、報道されることはいっさいなかった(p318)
そしてついに広島に原爆が落とされる。
原爆投下の直後、当時の船舶司令官佐伯文郎は、素早い判断で人命救助、被災地の復旧にあたった。
これは、関東大震災で参謀職にあった佐伯がその災害復旧に携わった経験のためである。
その経験が、迅速で的確な判断へと繋がった。
田尻司令官にしろ、佐伯司令官にしろそこには正義感という言葉だけでは語り切れない様々な懊悩があっただろう。
また、彼らだけでなく歴代の船舶司令官たちは「船員の軍属化」を訴えてきた。戦後になってそれは実現した。

戦争における船舶、輸送の役割など考えたこともなかったが、それらはとても重要な任務であり、戦況を左右するほどである。
今まで知らなかった事実ばかりで、多くを知ることができた。
「ホテル・マジェスティック」は船舶将校たちの兵站宿舎だということ。
有名な話なのかもしれないが、本書を読んで初めて知った。ベトナム旅行で前を通ったことを思い出し、感慨深いものを感じるとともに、知らず知らずのうちに歴史の一部と交錯しているのだろうと感じた。

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2022年08月24日

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ネタバレ

おもしろくてすごく勉強になる本だった。まず写真がすごい。戦争するというのがどんなことなのか具体的にイメージできる。なのでいかに無茶なことをしていたかというのもよく分かる。後半から端々で『日本軍兵士』を思い出しながら読んだ。宇品に行く時は,この本のことを思い出そうと思う。

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2022年06月30日

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地球の歴史で初めて原爆が投下された街 広島。
そこには日清戦争時大本営を移管しその後軍事都市として発達してきた歴史がある。特に中心部から南へ4キロの埋立地 宇品は陸軍の「軍隊の乗船基地」として幾百万の兵隊達や武器を戦地へ送り出してきた。
「船舶の神」船舶司令長官の田尻昌次が作り出した旧日本陸軍独自の海洋輸送システムは「暁部隊」の活躍でロジスティックを担った。陸軍運輸部長も兼務した田尻は船舶不足への国家的対応の必要性を強く進言したが火災発生の責任により宇品を去ることになる。日本陸軍の兵站軽視の精神論は日露戦争に遡り、「勝った」のではなく「負けなかった」のを大勝利と錯覚したことに起因する。佐伯の時代に四方を海に囲まれた持たざる国が船舶不足という致命的な欠陥を抱えたまま広い海洋を戦場とする世界大戦へ突入していく。一年半の準備をしたマレー上陸作戦はノルマンデイを凌ぐ成功を収めた。
米軍の本格的な反攻によりソロモン諸島のガタルカナル、ミッドウェイと大敗し輸送船団も壊滅し、残るはベニヤ製特殊艇での特攻という状況に追い詰められる。兵站(輸送・補給)、軍需・民需の海洋輸送を閉ざされ兵糧攻めのなかで、1945年8月6日広島に原爆が投下される。佐伯は関東大震災時対応の経験を生かし全力で被災者の救援・救護を行うなか8月15日の終戦を迎える。最後の業務として復員作業があった、外地には陸軍315万人海軍30万人一般200万人計545万人がいて、朝鮮・台湾・中国に帰国する人も130万人存在した。
田尻から佐伯へと常に輸送と兵站が軽視され、船舶と予算の不足に苦しむ宇品の船舶輸送部隊は幕を閉じた。
藩閥人事と陸海軍の反目、陸軍内の派閥対立が生み出した突撃一辺倒の精神主義はロジスティックを軽視し、日本は原爆受難そして敗戦へと至るのである。
東大法学部助教授丸山真男の船舶司令部情報班勤務や叩き上げ長嶋機関士の痛切な逸話、そして戦後全船員の軍属化の実現など話題は豊富である。しかし、自分としては矢張り戦争指導者各人の人間性が気になる、真崎・荒木・小畑、宇垣・永田・今村、山下・石原・辻‥‥。
まともで有能な常識人は脇に避けられた。
作者は膨大な資料を調べ偏らず淡々と綴り、感情を抑えた正確で冷静な表現が冴える。

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2023年06月09日

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宇品は日本軍最大の輸送基地だった。
太平洋戦争が開戦すると、ルーズベルト大統領はただちに武装していない日本の輸送船にも一切の警告なしに撃沈するように命じた。国土の四方を海に囲まれた日本は平時から食料や資源を輸入に頼っている。その日本を屈服させるには、輸送船や輸送基地を攻撃することがいかに効果的であるかをアメリカは研究し尽くしていた。太平洋戦争中に撃沈された輸送船は小型船まで含めると7200隻以上、出征した船員の2人に1人が戦死した。太平洋戦争とは輸送船攻撃の指令から始まり、輸送基地つる広島への原爆投下で終わりを告げる、まさに輸送との戦い、補給戦だった。

失敗は常に外部に原因があるのではなく、そのほとんどが内部からの自壊である。

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2022年10月29日

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