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与謝野晶子、聖徳太子、原敬、宮沢賢治などなど、よく知られている歴史上の人物の史実から、主に日本の歴史で流行病がどう影響していたかを、先生お得意の臨場感ある語り口で読むことができる。
また、磯田先生の研究者のとしてのルーツについても触れられていてよかった。
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「賢者は歴史に学ぶ」
まさにそれを地でいくのが今回のコロナ禍では
ないでしょうか。
スペイン風邪をはじめとして、人類の歴史は感
染症との戦いなのです。
過去の文献を紐解くと、現在のコロナ禍と同じ
状況がいくらでも出て来ます。
特に今回スウェーデンが実施しようとした「集
団免疫」を行うべき、と言う議論は過去にも同
様にあったようです。
しかし「免疫」にはまだまだ謎が多く、集団免
疫は必ずしも効果があると判断できない経緯が
あったようです。これは現代でも同様です。
さらに昔の日本人の生活習慣にも目を引くもの
があります。
昔の高級布団には片側の隅に「フサ」が付いて
いました。これは頭の方の印だそうです。日本
人は昔から「ゾーニング」の観点で清潔を心が
けていたことが分かります。
まさに「答えは歴史にの中にある」と納得させ
られる一冊です。
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今回のコロナで政治家がよく口にする「専門家の話を聞いて判断する」。
この専門家の中に歴史学者はいるのだろうか。
100年前のスペイン風邪の教訓は?歴史に学ぶべきことは多い。
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先程読み終えた。
はじめは教訓くさかったが、読みすすめるうちに、こういうアプローチ・切り口もあるのか、と関心。
文は読みやすく、出典も確かなので、過去に日本は疫病に対してどのような対処をしてきたのかの知識をえることができる。
良書。
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磯田先生の解説で、感染症を軸に歴史を振り返る。どれほど医学が進歩しても、人の行動は変わらないことがよくわかる。
人の歴史は感染症との戦いでもある。
その昔、感染症に対して祈祷を行なっていたが、江戸後期あたりから、隔離を行うようになっている。大正時代のスペイン風邪では、その隔離政策がうまくいかず何度も何度も流行が襲ってきている。
歴史から何を学べばいいだろうか?政策だけでなく、個人の行動も学べることはある。歴史から教訓を読み取ることは大事なことなのだと思う。
最終章、磯田先生の恩師の歴史人口学、数量史料の話も面白い。
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歴史は繰り返すことをまさに示してくれる本です。江戸時代から感染症には隔離がある程度認識されていたこと、ただその知恵があまり広まらなかったことや、スペイン風邪の時にも、なかなか行政が動けなかったことなどが具体的に述べられています。今と同じだと痛感させられます。それでも現代では科学が発達したおかげで、対策がたてやすくなっているのではと、希望も持たせてくれる内容です。歴史は繰り返すが、それでも少しずつでも社会は良くなっていると思いたくなりました。
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日本の歴史において感染症がどのような影響をもたらしたのか、考えたことなかったことに気づき、何らかの気づきを得ることを期待して、本書を手にした。
本書では、江戸時代以降(特にスペイン風邪)が日本社会に与えた影響を、統計的な観点と患者史の観点から、探る。
「感染症の歴史」と聞くと、感染症がどのように当地に至り、流行し、収束したかという一点のみが取り出されてしまう場合が多い。だが、感染症が流行していても、当時の人々の生活、政治はその期間も続いていること。そして、感染症の流行そのもののみならず、感染症が世の中を大きく動かす原動力になり、為政者が成す感染症対策もそれらに大きな影響を受けていること。以上を「感染症という補助線を引いてみると、日本史の新たな姿が見えてくるのです。」という一節から改めて気付かされた。
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史料から日本史上の感染症の歴史を紐解き、現代の感染症(執筆時点ではCOVID-19第2波)の示唆を得ようとする試み。江戸時代のコレラ流行、大正時代のスペイン風邪流行など、市民の日記から天皇の行動記録まで様々な史料から感染経路や流行の特徴を導いていくのが新鮮で面白い。
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歴史家の磯田道史が、文字通り感染症の日本史を綴った一冊。
感染症は欧米や中国だけでなく日本でもあり、パンデミックも今と変わらずに存在したことがよくわかった。
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エマニュエル・トッド 新ヨーロッパ大全 速水先生の言葉を借りれば、この本は西側ヨーロッパ全域を構成する16カ国を483の地理的単位に分け、国境を取り払ったこの単位ごとに観察を行うことにより、一国内の差異を、ヨーロッパ内の特徴として捉えました
誰もが経済合理性に基づいて行動すると考えがちですが、そうではありません。速水先生はこう言っていました。磯田くん、インド行ってみたらわかるよ。人は、経済合理性には行動していない。伝統や習慣や宗教に基づいて生きていると
日本の場合、農奴は存在せず、独立自営の傾向の強い、小百姓の家族農業がおのずと盛んになり、経済社会が自発的に出来上がりました
鷹山は、これだけ手を尽くしたにもかかわらず、多くの領民が死んだのを悔やみ、去年、痘瘡流行、国民夭折につき、年始御儀式を略殺すと、翌年の祝賀をやめました
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コロナが流行しだした2020年の段階で、歴史家の磯田さんが日本の感染症の歴史を振り返った一冊。
歴史は未来の予言書だなぁ。
攘夷思想はコレラを持ち込んだ西洋人への嫌悪感から。ゼロコロナ政策を続ける中国で、クラスター発生源になりうる海外から入ってくる外国人を嫌がるのも歴史の繰り返し。
スペイン風邪だって、3度大きな流行の波があったなら、コロナだって、何度も流行は繰り返す。
21年には収まっていて欲しいという思いも感じる本書でしたが、まだまだ収まらない2022年に読んだ。
原敬だってスペイン風邪にかかったんだから、岸田さんがコロナにかかるのも織り込み済みかな。
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スペイン・インフルエンザの世界的流行が、戦争=軍隊の移動に起因するものだ、という歴史的事実は、つい100年前のことだし記録もたくさん残っているのだから、少なくとも国の政治を司るひとたちの間では、当然のことと周知されていて然るべきではないのか。それなのに、何故アメリカ軍からの感染の染み出しを許してしまったのだろう。現在ウクライナ侵攻の真っただ中、どのように終結することになるか見当もつかないけれど、これによってまたCovid-19パンデミックが広がってしまうのでないかと懸念する。(2022-02-12L)
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第六波の最中に読んだので、この本が書かれていた頃に比べワクチン接種が一巡したり内服薬が開発されたり状況は変わってはいるものの、歴史から学ぶことは多いなと感じる一冊。
歴史の中の感染症も面白いのだけど、患者史として一人ひとりの日記から掘り下げる感染の歴史がとても興味深かった!
スペイン風邪は言っても100年前なのでたくさんの文献が残っていて、大正天皇、志賀直哉、原敬など誰もが知ってる人々だけではなく一般人の日記からも当時の状況をリアリティーを持って読み解けるのが良い。
個人的には最後の章の磯田さんが師と仰いだ速水先生に学んだ歴史人口学のところがとてもおもしろかった。
新型コロナもそうだけど、感染者数にすると数字でしかないが、そこには一つ一つ人生がありそこに着目することでより正しく事実を知ることができるのではないかなぁと思う。
しかし日本の衛生観念(手洗いなど)は本当に最近できたものなのだなぁ。
それでも昔からの風習によるゾーニングの考え方で救われてきたことは多々ありそう。
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感染症特にスペイン風邪にかかった歴史上の人物の様子など、興味深かった。
ただ、章によってテーマがぶらついていてちょっと置いていかれる感があります。
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新型コロナが終息しない今だからこそ、歴史から学ぶべき事柄がある。江戸時代以前は、ウイルス感染の科学的な対応力が低く、国=藩での対応もまちまち。維新によって統一国家となった日本で流行したスペイン風邪について、著者の恩師・速水融の研究成果をベースに、市井の民、皇室・政府高官、文学者の日記を含めた感染記録を検証。現在の日本は、民主国家であるが故に感染症対策が後手に回っている? 民主主義的資本主義の中では、感染対策と経済対策を交互に強弱させて、コロナの収束を図らなくてはならないのだろうか?
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はじめに
第一章 人類史上最大の脅威
第二章 日本史の中の感染症
第三章 江戸のパンデミックを読み解く
第四章 はしかが歴史を動かした
第五章 感染の波は何度も襲来する
第六章 患者史のすすめ
第七章 皇室も宰相も襲われた
第八章 文学者たちのスぺイン風邪
第九章 歴史人口学は「命」の学問
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古文書を見かけると際限なく追っかける磯田さんだけあって、史料を例示しながらの説明は説得力があります。現在進行形のCOVID-19に対する指摘は同じものが繰り返し出てきますが、元々雑誌に連載していたものを集めたものなので仕方ないかと。あと、最終章は、磯田さんの原点を見るようで、個人的にはここが一番面白かったです。
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新型コロナウィルスで世界が一転した現在だからこそ読んでほしい一冊
日本はいかにして感染症を乗り越えてきたか?
感染症の歴史や予防、そしてワクチンやウィルスという概念のなかった時代にいかにして日本人は戦ってきたのか?
平安の史記、江戸時代の随筆、政治家や文豪たちの日記や記録から見る感染症の歴史を記した本。
日本人のゾーニング文化
疫病を忌神としてとらえた「張り紙」護符文化
歴史を変えた「はしか」パンデミック
攘夷を加速させた「麻疹」
スペイン風邪の脅威
皇室や宰相を襲った感染症
文学者たちが残したスペイン風邪の記録
などなど…
目に見えないウィルスと戦ってきた日本人の歴史
今も昔も変わらないのかもしれないな~と思うことも多々
例えば…
スペイン風邪を恐れるあまり自粛警察気味になった志賀直哉の話などは「おお~!あなたもですか!?」でも志賀直哉のすごいところは自分で「わちゃ~やりすぎてるよオレ…」的に自虐&反省してそれを克明に文章で残しているところ。イマドキの自粛警察に比べればかわいいものです。
他にも…給付金
コロナ禍で様々な物議を醸した給付金。
実は江戸時代にもありました。
パンデミックとなった疱瘡。
山口の岩国藩では藩民にまんべんなく米の給付を与え、さらに隔離措置もとったう。
ところがその対極に長崎の大村藩はなんと給付なき隔離…つまりほとんど棄民という措置を取ったのだとか。
ひい~!!
他にも名君と言われた上杉鷹山は「自粛」をやめて政治や経済を動かすことを考えたとか…
このあたりは今の政治家にも通じる悩ましい話です。
あと、読んでみたいと思ったのは
一般庶民がパンデミックの中でどう過ごしてきたのかということを記した十二歳のスペイン風邪 大叔母の百年前日記野田正子日記抄」
スペイン風邪が流行る中、街に繰り出す人、休校で時間ができたので遊びに行く人、お祭りやパレードなどでにぎわう街など…実は人の思うことや行動ってあまり変わっていないのかもしれない…。
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天然痘や麻疹、スペイン風邪など、ワクチンもなかった時代に日本人はどのように感染症に対応してきたのか。感染症はどのようにして広まり、終息したのか。患者はどこで感染したのか。学者による研究や当時の人々の日記などから考察する。特に大正時代のスペイン風邪は、現代のコロナウィルスと似たところもあって興味深い。
2020年9月発行で、コロナ第1波が落ち着いたあたりに執筆されたようだ。その後だいたい予想されている通りの展開になっている。
非常事態宣言下で自粛中、タイムリーな読書だった。今のコロナウィルスのパンデミックは、歴史にどういう影響を与えるんだろうか。
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過去の感染症からコロナとどう向き合うか、どう防御するかを読み解いています。
今のような科学がなくとも、隔離だったりゾーニングをしているところがすごいなぁと思いました。
そして領主は懐が深いというか、領民に対して手厚く保護していました。
上杉鷹山はその中でも素晴らしい施策をした方だったんですね。
どこかの国の首相も、お読みになったそうですから、ぜひ良い所を真似していただければ良いのですが。
過去から学ぶ大切さ、とは言ってもこのように本にして説明して頂けたのは良かったです。
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良書。
著者の本は相変わらず素晴らしい。歴史家として、社会に役立つためには何をすればよいか探求していることが伝わる。
ほんと沢山の伝染病に見舞われてきたことが分かる。当たり前のことなのだ。ただ、世界は変わってきたので時代にあった対策が必要だ。
隔離はどの時代でも有効な対策だ。栄養、体力を整えることも。
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コロナ前から「感染症の歴史」的な本は、数多くあっていろいろと読んできたのだが、コロナ以降は日本の感染症を扱った本が増えた。
ふだん古い時代を考えるとき、つい戦前と戦後、明治と江戸では断絶された世界のように感じがちだ(教科書の記述から受ける印象もそんな感じ)。
しかし、数々の日本の感染症にまつわるエピソードを読むと、日本(人)の歴史は途切れることなくつながっていて、そして震災同様、日本人は忘れっぽい(教訓が生かせない)のだなあと改めて感じさせられた。政治や行政の対応が遅れがちなのも、今に始まった話じゃない。
と読んできて、、、
最後に、著者の師匠である、速水融氏のことを描いた章が登場する。正直、本書の趣旨とは少々ズレているような気がするのだが、実はこの章が一番の読みどころ。
数量史料を駆使する、速水史学の考え方、アプローチがコンパクトにかつ分かりやすくまとめられている。著者と速水氏の関係、速水氏が網野義彦氏、宮本常一氏について語ったくだり等々、読み物としても面白い。この章だけでも本書を手に取る価値がある……とは少々言い過ぎか。
”積ん読”してある、速水氏の名著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』も読みたくなった。
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歴史的な仮名遣いが多く読みずらかったが、9章の歴史人口学における統計の意味は良くわかった。
単なる数値としての統計では無く、その数値の裏にある人間の行動について解き明かさなければならない。
そう言うところが歴史学の面白いところなんだろうな。
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面白かったし、「歴史は繰り返す」を痛感させられたし、「感染症の世界史」に比べれば読むべき本だと思う。
でも、まあこの本に限らず、テレビ出演時でも感じる時があるのだけど、磯田先生はあくまでも歴史の専門家なのであって、医療や法制度、政策立案等に関しては専門家ではないのだから、それらの部分に関して、それらの専門家以上に断定的な物言いをするのはどうなのかな…と思われるところはあった。なので星は辛めの3つ。ホントは3.5くらいなのだけど。
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安住アナのラジオに磯田先生が出演されていて、この本の話もされていたので、興味を持って読んだ。
ラジオで先生は、「歴史とは靴である」とおっしゃっていた。パンデミックは未曽有の事態ではなく、過去の時代にも乗り越えてきたことだから、歴史を調べれば参考になる事例が見つかる。
コロナに限らず、何か問題に直面にした時、自分の頭だけでゼロから考えるのではなくて、過去にさかのぼって事例を徹底的に調べることは、解決策を見つけるのに有効なのだと思った。
■引用
患者史
過去と同類のものが、反復的に襲ってくる→歴史が役に立つ
本能的な人間心理は変わらないものがある
感染症の対策には、総合的な知性が必要
長く幅広く時間軸で物事を捉える歴史学がもっとも威力を発揮する
緊急時のリーダーは、世評は放置し、仁慈、良心に従って断行する必要があります
世界を見て、1番、感染者や死者を減らしている国の対策を素早く取り入れるのが大切です。
地球を1つに見て、最善と思われる対策事例があれば、どんなに手間でも、政府は力の限りそれを真似たほうがいい。
ワクチンを開発し、集団免疫を獲得するのが我々のゴール
自衛隊が感染予防の見本を示している
おそらく化学兵器に対する訓練が行き届いているから
ノウハウを共有すべき
速水先生の言葉
「磯田くん、インド行ってみたらわかるよ。人は経済合理的には行動していない。伝統や慣習や宗教に基づいて生きている」
同じ国の中でも、地方によって特徴は異なる。多様性がある。
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文章が好き ◯
作品全体の雰囲気が好き ◯
内容結末に納得がいった ◯
また読みたい
その他 ◯
学び直したいなあ。
学生時代の受験勉強が面白くなかったけれど、今いろいろ興味をもつことができるのは、あの無味乾燥な受験勉強があったおかげなのか。
「歴史」ってこんなにも面白いものなのか。コロナ禍での皮肉な気づき。
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似たようなタイトルの本がいくつも出ていますが、こちらは歴史学の視点から感染症を読み解き、現在のコロナ対策への提言もされていて興味深かったです。「歴史から学ぶ」意味を感じました。
たとえば、軍艦「矢矧」でクラスターが発生し、そのとき航行を支えたのがすでにスペイン風邪に罹患して免疫をもっていた巡洋艦「明石」の乗組員だったことから、感染者を叩くのは意味がなく、むしろ免疫獲得者として経済活動の再始動にあたって大きな戦力になると書いています。
江戸時代には米による給付金があったこと、上杉鷹山は患者支援策を打ち出したことなどの一方で、スペイン風邪流行時にも修学旅行が行われたり自粛に頼った政策だったこと、原敬はいくつもの会合に出席して罹患していることなどを歴史書や作家や個人の日記、記録から読み取っていきます。
宮沢賢治の妹トシもスペイン風邪にかかり、このときは回復するものの、二年後に結核で亡くなっています。
この本が出たのは9月ですが、スペイン風邪と同様の経緯をたどるとしたら秋に次の波がくることを予測しています。このまま同じような経緯をたどると、この波がおさまるとして来年5月、さらに来年の冬に再度、流行がやってくることになります(スペイン風邪のときは第三波は感染者は少なかったものの致死率が高かった)。
最近のニュースでは菅首相が本屋を訪れて購入した書籍にこの本があがっていましたが(え、今ごろ!という気持ちはあるけど)、ぜひ一読して、コロナ対策に役立ててほしいです。
(『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』の著者、速水融氏は師匠とのことなんですが、最終章の師匠について書かれた部分は蛇足。まあ、書きたかったんだろうけど、感染症のテーマからズレている。)
以下、引用。
洋楽塾を開き、天然痘予防に貢献した緒方洪庵は、「事に臨んで賤丈夫となるなかれ」と弟子たちを鼓舞。弟子たちは往診に奔走、死者も出ました。洪庵のもとには、「誰々が討ち死」という手紙が来ました。
〈政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。〉
与謝野晶子「感冒の床から」
これは「次」と「清」の文化にも通じます。紙でも床に落としてしまうと穢れ、「お次にしてしまった」と言う。頭部が「清」で足元が「次」。床に落ちたものを頭に被るのを忌避します。体の部位も〝ゾーニング〟がされているわけです。
紀元前四三〇年、ギリシャでも、アテナイでパルテノン神殿が完成し、ペロポネソス戦争のために兵士を集め、籠城戦の準備をした直後、疫病がはやり、大量死がおきています。
敏達天皇、用明天皇の兄弟はともに天然痘で崩御しています。聖徳太子は用明天皇の子ですが、父も母も妃も本人も天然痘とみられる疫病で命を落としています。
この大流行で、宴会好きの藤原四兄弟がそろって病死しました。
山梨県では、赤い紙に幼子の手形を捺して、「吉三さんはおりません」と書いて門口に貼り付ける風習がありました。この背景には、放火事件を起こした八百屋お七が、吉三に失恋したまま死んで、風邪の神になり、吉三を取り殺そうと各戸ごとに覗き歩く、という伝承があります。
第一次対戦中に流行した「スペイン風邪」でも、実はスペインは発生源ではありませんでした。記録に残る最初の患者は、ヨーロッパ戦線に向かおうとするアメリカの兵士です。当時、中立国ゆえに報道官制が敷かれていなかったスペインの流行ばかりが世界に封じられたため、この名が付けられてしまいました。
江戸時代を研究していて感じるのは、ちょうど元禄あたり、西暦で一七〇〇年あたりを境に、いくつか日本社会に変化が生じている事実です。まず、ひとびとが幽霊とか妖怪を本気で信じなくなります。一六〇〇年代までの日本人はお化けや妖怪を本気で恐れていました。しかし、一七〇〇年頃を過ぎると、怪談などは盛んに語られるのですが、それは娯楽のフィクション、という意味合いが増してきます。
「疫病流行の背景には、異国との接近があるのではないか」ーもともと攘夷論者であった孝明天皇は、このパンデミックに直面することで、一層強く、攘夷=外国との距離=ディスタンスを維持することを考えるようになった、とみることも可能でしょう。
スペイン風邪
「第一波」「(春の先触れ)」は、一九一八年五月から七月まで。
「第二波」「(前流行)」は、一九一八年十月から翌年五月頃まで。
「第三波」「(後流行)」は、一九一九年十二月から翌年五月頃まで。
志賀直哉『流行感冒』
永井荷風『断腸亭日乗』
結論的には、病院のキャパシティを超えないように留意して、ワクチン開発まで経済活動を活発化しては制限して止め、またゆるめては活発化させるほかありません。経済か感染防止の二者択一ではなく、緩和と制限を繰り返しながら、弱毒化・ワクチン開発・症状緩和の技術開発まで、しのいでいくほかありません。