【感想・ネタバレ】死の講義―――死んだらどうなるか、自分で決めなさいのレビュー

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Posted by ブクログ

死んだらどうなるか、誰にも分からない。証言した人がいないから。では、どうするか。死んだらどうなるか、決めるしかない。あるいは、信じるしかない。それこそ宗教だ。死についてとことん考えてきた宗教の知恵を借りるしかない。この本は、様々な宗教が死についてどう考えてきたか、わかりやすく教えてくれる。私としては、ゆるい一神教であるユニタリアンがいいかな。

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2023年08月18日

Posted by ブクログ

本当にこの本面白かった。
この前読んだシェリーケイガンの「死とはなにか」とどうしても方向性は似るんだけど、宗教の位置付けとかを宗教別に紐解いて行って、偏りは感じるものの…橋爪氏ってキリシタンだったっけ…仏教にバイアスが掛かってる印象を結構受けたかな。
兎に角色々な宗教観や宗教を取っ払った思想など網羅した上での死生観や日本の悪しき風習を濃縮してるような一冊だった。

この本読んで改めて覚り(悟り)の事を思うと、誤解を恐れずに言うと、「結局やってる事ってディープラーニングしてるんかな?なら結局LLMって悟りじゃん。」とかこの本の真意じゃない所で浅い思考してて読み進むのがえらく時間掛かってしまった…

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2023年06月07日

Posted by ブクログ

タイトルは仰々しいが、この本からは、各宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道)のエッセンスを学ぶことができる。
各宗教が死をどのように捉えるかは、宗教の考え方の根本をなすところであり、本著では、それを分かり易く解説しているところが評価できる。
何よりも、各宗教に共通するところ、異なるところを改めて整理することが理解を深めることができる。
宗教を合理主義を補完する位置付けにあるとし(両方が成り立つ)、宗教の価値を違った捉え方から認識することができたことは収穫。

以下抜粋~
・この世界を神が創造した/この世界は偶然である、は二つの「相」である。
一神教の神を信じること/世界は自然法則に支配されていること、は相転移のように、お互いに行ったり来たりできる。

・インドの人々の考え方の基本は、因果論である。英語でCausalityという。仏教では、因縁とか縁起とかいう。

・(インド)「真理」とは何か。世界のあるがまま、出来事のあるがままを、認識することだ。その認識、すなわち「真理を覚る」ことは、可能である。そして、「真理を覚る」ことは、最高の価値がある。インドの人びとはそう確信している。

・(インド)修行、は訓練である。瞑想のやり方に熟練して、真理を覚ることを目指す。ほんとうに心理を覚る修行者は、ごくひと握りにすぎないにしても。

・(インド)カースト制は分業のシステムである。分業は相互依存なので、紛争が起きにくい。動物を殺害することを禁じているのも、紛争や暴力を避ける意味がある。

・カースト制は、人々に職業集団を提供し、社会の安定に寄与する。一方で、社会的不平等を生み、人々は苦しみ、社会は病んでしまう。
そんなカースト制を、裏で支えるのが輪廻である。

・(中国儒教)人間を支配するには、人間が生きている必要がある。人間が死んだらどうなるのかは、政治には関係ない。中国の人びとが現実的で、死についてあまり興味がないようにみえるのはこのためである。

・(中国儒教)教育を受けた農民の代表が統治をおこなう。これが、儒教の本質である。軍事力や伝統による統治ではなく、教育による統治。能力あるものが統治するという考え方は、とても近代的だ。政府の正当性も主張しやすい。儒学が中国で成功したのはそのためだ。

・マルクスレーニン主義は、官僚制である。政治中心主義である。唯物論であって、宗教を敵視する。中国の人びとの伝統的な考え方にぴったり重なる。現世的で、合理的で、政治中心主義だから。

・(日本江戸時代)イエ制度と寺請制度は、人々の考え方を大きく変えた。寺請制度は、仏教原理主義に手を焼いた武家政権が、採用した仕組みだ。
(宗派から「信」の要素が抜けていく。この結果、何年か経つと、どの宗派も似たりよったりになる)

・(日本)中国では、忠は、政治リーダーに対する服従、孝は、血縁の年長者(とりわけ親)に対する服従、だった。忠と孝とは別の行動原理である。(忠>孝)
それに対して、日本はまったく別の原理でてきていた。
徳川家、大名、町民、農民もイエを営んでいる。
江戸儒学は、忠と孝とを区別するのをやめて、「忠孝一如とした。」

幕末に天皇への忠誠を絶対化する「尊王思想」が盛んになったのは、忠孝一如の論理的帰結である。
(徳川幕府にとっては皮肉な結果)

・(日本)儒学(朱子学)は、幕府が公認する正当な学問だった。生きている人間の政治を、担当した。死については、仏教が担当し、僧侶が葬儀を行った。うまく棲み分けていた。

・平田神道の英霊のアイデアは、幕末の官軍(西軍)、そして明治の陸軍の注目するところとなった。
国家神道のもと、人間は、伝統的な仏教の死と国家神道の死を、二重に死ぬ。

(宗教の持つ意味)
・常識的な無神論者は結論する、自分がこの世界にいるのは、偶然だ。

・合理主義者は思う、世界には偶然という穴が空いている。

神が世界を創造したのなら、この世界に偶然は存在しない

神を信じる→(神学)→合理主義→科学
合理主義者の「神を信じる」は、科学をはじめとする合理主義を補完し、「偶然の空白」をみったり埋めるような「神を信じる」のである。

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2022年07月17日

Posted by ブクログ

死について考えることは、どう生きるかにつながる。
死について、人間が最も考えや知恵を集結させたのが宗教。だから各宗教を知ることは、自分の死を選ぶことができる。

合理主義と一神教や仏教などを、相反せず自分の中に同居できるという考えが好き。
また、比較的自分の近い、儒学や道教についても学べた。儒学と道教は2つで1つの側面がある。道教は死者の国を創り上げた。(閻魔様がいて、、等)

先祖崇拝は、儒学と同様、絶妙に私を避けてるという考えも面白い。
たしかに、子孫に敬ってもらう時、それは死者の自分であって、死そのものではない。

自分に置き換えていくと(自分がしっくりくる、選びたい死の考え方は何か考えていくと)
坐禅を組んでいる間は仏である、という禅宗はいいなと思う。今のことに集中する、つまりよりよく現世を生きることに繋がる。ただ、禅宗は死後は何も残らない。(仏だから、極楽浄土にいるだけ)それは少し寂しくて、先祖崇拝の考えも支持したい。
ただ、死んだ後、決められたスケジュール通りに進んでいく考え方はあまり好きではない。

、、、みたいに、自分の死に対する考えを選び取るという作業ができて、より自分自身と対話ができるようになる。
とても面白い本だと思う。

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2021年09月26日

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面白かった!
今まで、なんとなく捉えていたことが覆されることも沢山書いてあった衝撃と、自分が捉えている中心の由来も感じたりして、いろいろ考えさせられた。

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2021年06月03日

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久しぶりに最高に素晴らしい本に出会ったような気がします。著者の本を時どき気に入って読んでいたのですが。
たまたま手に取って読みましたが、これは大げさに言うと衝撃を受けた感じがしました。

死を考え、死と宗教の関係に発展させ
一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)・多神教
・インド(ヒンズー教・初期仏教)の宗教・中国(大乗仏教・儒教・道教)・日本の宗教(仏教・神道・国家神道・江戸時代の仏教)
の解説を踏まえたうえで
死について考えるうえで、宗教を選択する重要さを論じているあたりは、すごく波のような流れで頭に入ってくる感じです。
宗教のとらえ方が正直に言って変わった感じがします。
自分は、正直ユニタリアンが一番ひっかかった感じがします。あとは仏教の考え方。さらに念仏宗の考え方が
やはり自分の遺伝子の中に組み込まれているような・・

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2021年03月21日

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本屋さんで、書評が掲載された本のコーナーにあった。
「死」をテーマにしている本に惹かれる。
なんでだろう。

思春期からしばらくは、死にたいことがたくさんあった。
なんとか生きてきたけど、今は死ななくてよかったなぁと思う。

みんながみんな浮上できるわけじゃないけど、こんな自分が浮上できたから、今の子供たちも(自分と似たように悩んでいる子は)浮上できる可能性があるのかもしれない。

だったら、伝えられることは伝えてあげたい。
そのために、自分の中にいろいろな智恵を蓄えておきたい。
と、思っているのかもしれない。厚かましいけれど。


宗教にコミットする、という考えはなかった。
自分では熱心に信じないし、信じている人の邪魔はしない(ハッピーになるなら、それに越したことはないから)。文化としてなら、応援してもいい。
そんなとらえ方だった。いやな上から目線。

「偶然」を、自分の中に落とし込むための拠り所とは考えたことがなかった。
そこまで困っていなかったから。
困るほど考えていなかったから。
宗教を作り上げ、信じていた人たちは、人生と真剣に向き合ってきた人たちなのかもしれない。

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2021年01月24日

Posted by ブクログ

いろいろ考えさせてもらった。平易にこれだけのことを書ききる力量、文才、感服するばかり。名著
1日で読み切れた。
橋爪大三郎先生の著作は、いつもなんらかの活動のきっかけになる。春くらいに、もう一度読み直そうと思う。

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2021年01月07日

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 Podcast、Spotifyなどに「COTEN RADIO」という番組があり、この中の「老いと死の歴史」の参考文献として紹介されたものです。

 一神教、インド、中国、仏教、日本などの宗教観を元に、それぞれの死生観がどうなのかが描かれています。死後は、「復活する」、「輪廻する」、「そのまま何もない」、「黄泉の国に行く」など様々ですが、著者は、結局これらを参考に、「自分で決めなさい」と結論づけています。これを読んでも、自分としては、田坂広志氏の「死は存在しない」の考えに同意なのですが、決めることで「新しい自分になる」という著者の見解には少なからず賛同しました。

仏教では「世俗の葬儀などに関係してはいけない」となっているにも拘らず、日本の風習と混じって、「葬式は仏教しか」やらないようになったなど、色々な宗教の考え方や歴史が簡潔に書かれ、大まかに捉えたい方にお薦めです。

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2024年05月20日

Posted by ブクログ

三大宗教、神道が死をどのように捉えているのか、網羅的に解説して、あなたならどの死がしっくりくるか選びなさい、と迫ってくる。
死をどのように捉えているかは、それぞれの宗教の宗教観が滲み出ている。
現代日本人の死生観も作られたもので、それを当たり前と受け入れているだけ。死は、もっと自由に考えて良いのだ。

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2024年05月04日

Posted by ブクログ

死についての本というより、キリスト教・仏教・イスラム教・儒教・神道などの各宗教の考え方を教えてくれる本。

個人的には、合理主義者が合理的に説明できない偶然の空白を埋めるために神を信じるという説明がめちゃくちゃ納得。日本人からすると一神教の考え方ってどうも馴染みがないけど、そう考えるとなんかわかる。

何かの宗教に入信しよう、とまでいかなくても、死の捉え方含め自分の中の整理を固めておくことが善く生きることに繋がるのだと思った。


ー自分の死を引き受けるには、どれかひとつの考え方を選択しないといけない
ひとつの考え方を選択するからほかの選択のことがよりよく理解できる

ー自分で決めて、そのように生きると,その通りに死んだことになる

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2023年01月28日

Posted by ブクログ

様々な宗教の死に対する見方、死後の世界をどう考えているかが書かれてあって、とても面白かった。一番初めに書いてあった「いよいよ死にそうになった時には、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうちに、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。」という文が気に入った。
もともとは人々は、小さいコミュニティの中で暮らしていて、そのコミュニティの人々は同じように生き、同じようないイメージの中で死んでいった。しかし、社会が大きく複雑になっていく中で、商人、職人、農家など人の営みも様々で、人の生き方も様々になってきた。人々の生き方が何通りもあるということは、人々の考え方も何通りもある。広い場所には、さまざまな文化をもった人々が集まる。死んだらどうなるかの考え方の違くなる。これが「宗教の違い」として意識される。複雑な社会には宗教というものができる。

一神教:被造物はすべて神の命令で存在し、神の管理下にある。それは群れとして、存在し、個別としては存在しない。唯一人間だけが個別としてつくられ、個別のものとして存在する。人間はそれぞれ名前があって、個性あるものとして、神に創られる。
この世界は、神の意志のあらわれである。神の意志で起こる出来事を奇蹟という。自然は奇蹟である。この自分が存在することも奇蹟である。
神が世界を作ったのだから、世界を壊す。それが終末。

反対に、日本の人には、自然がやがて存在しなくなる、という発想がない。中国の人々も、その発想がない。どんな変動があっても自然は変わらぬまま、という感覚府がある。

一神教では、生命は、神が人間に与え、それが取り上げられて死ぬのは、神の下す罰である。一神教では、人間は本来死なない。

一神教の考え方は、裁判は良いものだ、である。裁判は正義を実現し、弱者を守る。人々は、法律や裁判を、信頼する。

一神教を緩くとらえるとき、すべての存在や、この世界は偶然ではなく、必然ととらえる。

「可能性世界意味論」この世界を生きる私と別に、まだ私がいる。どのような可能世界でも、私である。どの可能世界でも、言葉は意味が通じるはずだ、と考えていく。
しかし、この考え方を徹底させると、「この私」がいなくなってしまうかもしれない。例えば、学校を卒業しなかった私。2歳で歩けるようにならなかった私。犬に生まれた私。。。

【インドの文明を考える】
真理を覚るとは、この世界のあるがまま、すなわち因果関係の連鎖のネットワークを確認することである。それは、自然科学と似ている。自然科学も、この世界の因果関係の連鎖を確認しつくすことを目標にするからである。

仏教は、瞑想によって現れる宇宙の実相を「真如」という。真実と大体おなじである。真如は恐ろしくて、言葉にすることができない。言葉は、精神の内側で意味を持つが、その外では有効でなくなるのである。
真理を覚れば、人間(生き物)は人間(生き物)でないとわかる。

【日本人は、死をこう考える】
イザナミの死=神も死ぬ。神を前に死は無力である。神も死の穢れを恐れる。人間は、神に頼らず、自分だけの考えと力で死に立ち向かっていかなければならない。これが日本人の原体験。

平田篤胤は本居宣長の弟子。本居宣長の国学を継承することを意識し、多くの書物を残した。国学の標準的な解釈による神道を復古神道という。それに対して、平田篤胤の解釈による神道を平田神道という。
平田は「英霊」を発明した。平田は禁書であった聖書を読んだらしい。聖書の霊の概念をヒントにした説がある。篤胤は、人間は死んで黄泉の国に行くのではなく、霊となる。特に国のために命をささげた人びとの霊は「英霊」として、この世界にとどまり続ける。

天皇に対する国民の義務を「大義」という。

【死んだらどうなるか自分で考える】
神を信じることは、合理主義のもう一歩進んだかたちになっている。合理主義は、科学を生み出す。そして、合理主義のもとは、神学(信仰)だった。
つまり、キリスト教世界では、神を信じる→神学→合理主義→科学
そのうち神を信じる→神学の部分がどうでもよくなり、世の中が世俗化し、合理主義と科学だけになった。

合理主義者が神を信じるようになるとどう変わるのか?目立った変化はないが、満足感がある。偶然に惑わされず。理性を貫くことができる。自分の考えや行動を検証できる、世界をそのまま引き受けることができる。
世界は、こうあるように起きている。それを偶然とみるか、岐津善とみるか。ささやかだが、大きな違いである。偶然とは、自分と関係ないこと。必然とは、じぶんと関係がおおありなこと。だから生き方が違ってくる。

最終的には、これらの様々な死に対する考え方をみて、自分で実際に調べてみて、一つを選んでみてくださいと言っている。相対主義は良い面もあるが、自分自身の死を考えるとなると一つしか選ぶことができない。
「自分の死を引き受けるには、どれか一つの考え方を選択しないといけない。一つの考え方を選択するからほかの選択のことがよりよく理解できる。」

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2022年08月17日

Posted by ブクログ

祖父が亡くなり、葬儀に参列して「四十九日旅をして、故人は成仏する」という住職の話を聞いていたら、「死んだらどうなるのかな」という思いを抱き、手にとってみた一冊。
キリスト教、ヒンドゥー教、儒教など、世界の宗教の死に対する考え方が解説されている。その中で、日本で行われている仏式の葬儀や死に対する考え方は、本来の仏教の教えとは異なるということなども知る。一神教の考え方については、昔、クリスチャンの友人に「神を信じるってどういうことなの?」と尋ねた時に「神様がいるから大丈夫、っていう感じかな」と答えられた時のことが思い出された。
著者は、様々な宗教の考え方に触れたのち、自分が死について、どの考え方を選択するかは私たち一人ひとりが選択せねばならないと言う。死は自分の経験を超越したものであるため、その瞬間にどう死ぬかは考えられない。死について考えることはよく生きるために大切なこと。
小さい頃は死ぬことはただ怖いことだったけど、それは自分の大切な人が亡くなって残されることが怖かったのかもしれない。そして、自分が死ぬことについて、本書に書かれている通り、経験を超えているからこそ考えにくいことではあるけれど、宗教という視点で考えてみることでよりよく生きられるのかもしれない。死生観ということについて、初めてきちんと向き合うことができそうな、きっかけとなる一冊。命題が書かれていて、読みやすい。

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2022年01月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『死』について考えることで、よりよく生きられるということが、1番学ぶことですね。色々な考え方はあれど、死んだら死者の世界に行くので、決して死ぬことを恐れてはいけないと分かりました。

最後は各宗教での考え方をもとに、考え方を選ぶきっかけをいただけたので、少しは自分ごとになったような気がします。

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2021年11月27日

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帯の推薦と、ネットでたまに記事を読んで面白いと思っている人のものだから手に取ってみた。いろんな宗教が死をどのように説明しているか、ということを中学生にも分かるように書いた本とのことで強く興味を持ったので。内容は大雑把に一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、インド哲学系(ヒンドゥー、仏教)、中国系(儒教、道教)、日本オリジナル(日本の仏教、神道)となっていてそれぞれの宗教の基本的な考え方とそれに基づいて死をどのように説明しているか、ということを解説している。作者に言いたいことは...確かに書きかた、表現こそ分かりやすいけれども内容はやっぱり難しいよ、ということでこれをさらっと理解できる中学生とかほんとにいるのかなと...いるんだよね、でも。優秀な人っているから。しかし本書のテーマはやはり重要で、死んだらどうなるか自分で決める、だいたい本書にはそのバリエーションが網羅されているのでそこから選べばよい、そして「自分でどのように死ぬか決めてそのように生きると結果として自分が思ったように死ねる」と説く。現代は科学万能主義で比較表を作るが如くの相対主義が幅を利かせているが、万物、特に死のようなことは科学や合理主義では割り切れない、そして人類の英知の結晶である宗教的な思索を抜きにはやはり納得が得られない、そういうことだろうな、と。簡単に人が死んだ昔と違って今は医学の進歩もあって死が身近になくそれ故にあまり考えが及ばなくなっているのでは、という危機意識から書かれた作品。とても興味深く考えさせられました。おすすめです。

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2021年01月13日

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人は必ず死ぬ。
誰しも周知の事実だが、死んだらどうなるのか誰にも分からない(何故なら人は生きているから)。
それを知る一つの踏み台として宗教を用い、死をどのように捉えるかを記述した一冊。
個人的な思想でいえば、自分はユニタリアン的思想が一番しっくりとくる。
本書にも書いてある通り、各宗教から一つを選択しどの教えを参考に生きるのかを決めると、自動的にどう死ぬのかが決まってくる。つまり、どう生きるのかを決めるということはどう死ぬかを決めるということと同義なのである。
いざ死を間近に迎える前に、いつ死んでも良いという心持ちを確保する上で参考になった一冊。

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2020年11月07日

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世の中の出来事は、偶然なのか、必然なのか。
科学はある範囲については、
原因と結果を示せる。
でも、大事なこと、今ここにいる理由には
答えられない。

それを宗教の考え方を踏み台にして、
どうやって生きていくのかを考えよう、という本。

世界を作った人なり意思があったとする
一神教。

世界は因果関係であるとする
ヒンドゥー教

今を生きること、そのために
政治が大事であるとする儒教。
リーダーに忠誠を誓う忠と、
親を敬う孝が成り立つと、国がなりたつ。
その間をうめ、人は死ぬと、地獄に行くとする
道教。

世界は神々が作って、神々も死ぬ。
死んだら黄泉の国にいくとする神道。


一神教には、世界には終わりがある。
そこで人は復活し、裁判にかけられ、
行いが良ければ、神の国にいく。

ヒンドゥー教は、終わりがない。
輪廻をくりかえす。
真理を悟ると、輪廻から抜けられる。

中国や日本では、世界に終わりはない。
死んだ人が行く先がある。


自分の死は体験できないから
理解することができない。
だから、考えよう。
というメッセージ。

死んだら、土に帰る。
だから、それまで、一生懸命生きる、
っていう、無神論でいくのが、
しっくりくるなぁ、と。
そうでないと進化論への冒涜なんじゃないか。

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2020年10月30日

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・宗教それぞれにおける、人はどう生きてどう死ぬのか、という考え方を、かなりダイジェスト的にまとめた書籍。
・語り口調で書かれており、ザッと読める。内容は広く浅くの極みで、まずはいろんな死生観に触れて地図を描きたい人にとっては最適。
・出てきた単語を拾って、次に深める方向を見つけられると良いと思う。自分は、儒教と神道に興味が湧いた。
・国民柄というか、その国や地方の性格と紐づいてるなーというのが、わかる。この背景理解して色々な世界の人と話せたら面白いだろう(海外の人は宗教が身近、とよく言うが、この感覚が普通だとすると、自己肯定感も高いのがなんとなくわかる)

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2020年10月25日

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ネタバレ

死を様々な宗教はどう捉えているのかをまとめた本。
中学生にもわかりやすいように砕いてかかれておりわかりやすいのはわかりやすいのだけど、少し砕けすぎていて読みづらさもあり。

内容は、これまで思っていたイメージとは異なる宗教もありとても面白く読めた。インドの仏教と日本の仏教の各宗派との違いなどは特に面白かった。

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2023年04月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

中学生でもわかるように書いたとだけあって、難しいことはなく、読みやすかった。

以下読書メモ
ーーーーーー
・大条教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。

・死ぬということは、ものを考える「このわたし」が、存在しなくなることだ

・存在するものは、経験できる

・「このわたし」は、経験によって世界を確かめつつ、生きている。そのことは、経験的な事実である。でもその始まり(誕)と、終わり(死)は、超経験的な事実である。ふたつの超経験的な事実に挟まれて、「このわたし」は存在している。

・世界は、まったく無秩序なわけではなく、一定の法則に従っている。さまざまな出来事の起こり方には、決まったパターンがある。科学は、そうしたさまざまな出来事がどう起こるかを、合理的に秩序立てて説明する。科学は、人間の経験を整理する学問である。

・宗教も、役に立つかもしれない。宗教は、この世界がここにこうあるとはどういうことか、を考えるようにできている。その際、議論を、経験できることに限定しない。経験でないこと(超越的なこと)も、必要ならば遠慮なく取り込んで行く。死についてもっともつっ込んで、考えてきたのは宗教である。

・真理を覚るとは、この世界のあるがまま、すなわち因果関係の連鎖のネットワークを認識することである。すると、それは、自然科学と似ている。自然科学も、この世界の因果関係の連鎖を、認識し尽くすことを目標にするからである。

・科学者は、一度に全体を認識しようとしたりしない。一部で我慢する。将来科学が進歩すれば、やがて自然の全体がわかるだろう、と期待する。

・人間はほんとうは、生き物ではないのだから、死ぬことはない。生まれてもいなかったのだから。人間の生死は、この世界の法則に従って起こる。その法則を体現すれば、生死を超越する。

・中国は広大な農業地帯。世界でもっとも豊かな場所だ。ただしまっ平らで、防御がしにくい。北方には騎馬民族がいて、侵入してくる。そこで、強力な政権が必要だった。
中国の農民のコンセンサスは、つぎの通りである。
1、統一政権ができて、騎馬民族を撃退してほしい
2、それには強力な正規軍を組織し、必要なら万里の長城も築いてほしい
3、そのためのコスト(税金、労役、軍務)を、負担してもよい

・カースト制は分業のシステムである。分業は相互依存なので、紛争が起きにくい。動物を殺害することを禁じている(殺生戒)のも、紛争や暴力を避ける意味がある。カースト制は、人びとに職業集団(ジャーティ=共同体)を提供し、社会の安定に寄与する。しかし、保守的で、不公平である。とりわけ、社会的威信の配分が不公平だ。カースト制の上位にあるバラモンやクシャトリヤはまだよい。もっと下のカーストや、どんじりのグループの人びとは、生きていく気力も失せてしまうだろう。社会的威信の配分が不公平だと、人びとは苦しみ、社会は病んでしまう。

・ 中国の人びとは、自分はやがて死に、祖先として子や孫に祀られると思っている。子孫がしっかりしなければ、自分がきちんと祀られるかどうかわからない。いずれにせよ、中国の人びとにとって、死者は、この世界で生きていた血縁関係をそのまま保存した存在だ。抽象的な霊魂になって、死者の国で自由に暮らすわけではない。

・その代わり、政治家に名誉を与えるのは、歴史である。歴史に名を残すことは、政治に関わる人びとにとって最高の栄誉である。人生の目的、と言ってもよい。

・歴史書は、倒れた前の王朝のことを、つぎの王朝の知識人が、調べて書くのが慣例だ。王朝を越えて、バトンが受け継がれる。それには、あとの王朝の知識人に対する、信頼がなければならない。いまの王朝を生きる知識人と、あとの王朝を生きる知識人が、同じ価値観をそなえているからそれができる。王朝が交替しているからむしろ、権力や利害のしがらみなしに、公正で客観的な判断が期待できる。義を貫き非業の死を遂げた者も、歴史に記され、歴史書のなかに永遠の命をえることになる。

・歴史は、過去についての物語、死者たちの物語である。が、それをいま生きている後世の者たちが、記憶し理解し、評価することである。生きている者たちがいなければ、歴史はない。歴史を気にするとは、自分が、後世の人びとにどう見えるかを気にする、ということだ。後世の人びとは、価値観(艦)を共有する、言わば仲間。その彼らが、死んだあとの自分をどう見るか(だけ)を気にして、自分の死それ自体から目を背けるという態度なのだ。

・ 「忠」は、政治的リーダー(とりわけ、皇帝)に対する服従、だった。「孝」は、(とりわけ、親)に対する服従、だった。中国では、忠を求められるのは、皇帝に仕える行政職員(官僚)。孝を求められるのは、血縁集団(崇族)のなかにいるすべての中国人。官僚組織と宗族とはきれいに分離しているので、忠と孝とは別々の行動原理である。

・生きるとは、何かを大事にすることである(価値)。そして、それを言葉で考え、言葉でわかることである(意味)。価値と意味は、一人ひとりの生き方である。学校では教わらない。理性からは導かれない。人びとに、価値や意味を伝えるのは、家族の役割。共同体の役割。そして、宗教の役割だ。近代になると、家族が孤立し、共同体がばらばらになる。宗教がいくつも並立する。そこで、相対主義になる。

・ 死はかならず、生きている途中にやって来る。でもそれが、終わりである。途中なのに、終わり。よってますます、死は考えにくい。これに立ち向かうには、いつ終かってもいいように生きる。これしかない。これを覚悟という。昔はひとがよく死んだ。武士は刀を差していた。女のひとは命懸けで子どもを産んだ。みんな死んだのだから、自分もいつ死んでもおかしくない、と覚悟していた。

・学問はどうか。昔は教会も政府も横暴だった。「ここに書いてあることを取り消せ。さもないと命はないぞ。」と言われた。「それならやむをえません。」と、命を奪われるひとがいた。真理がある、学問をする、とはこういう意味である。いまでも、学問にたずさわるひとは、その覚悟でものを書くのが正しい。政治も、ビジネスも、家族も、そして社会も、同じことのはずだ。死を前に動じない。自分の生き方がぶれない。これが、ほんとうの教養というものである。

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2021年06月01日

Posted by ブクログ

うーん、思った程ではなかったかな。
でも、ユダヤ、キリストそしてイスラムの一神教、政治を重んじた儒学、そしてインドのヒンドゥー、仏教、日本に入って念仏宗、日蓮宗、そして道元の禅宗、神道…世界を見渡せば、いや、日本に限って見たって数え切れないほどの宗教が乱立し、混ざったり分離したりして、本当に訳がわからんというのが自分の感覚。
でもその中で、どの宗教でも良いから、選択して決めよう。さすれば良く生きられるというのだが。
仏陀のように本当に覚るには数億年という途方もない年月がかかるものを、どんどん省略して、最後には座禅していればもう、仏というとあるのには笑ってしまう思いがしたが、それほど人は必死に覚りたかった、自分が生きているうちになんとかしたかったんだなと、胸打たれる思いがした。
もう二十年以上、前に読んだ手塚治虫の火の鳥を思い出したな。まさにあの世界のような気がする。
一つ選択するなら汎神論か、阿弥陀仏の念仏宗がしっくりくるな。一つなのだから、念仏宗かな。

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2021年05月24日

Posted by ブクログ

子どもの頃から「死」を恐れていた。
「死」を積極的に考えることで、むしろ恐れがなくなるのではないかと思い、読んでみることに。
世界中の様々な宗教が、それぞれ死をどのようにとらえているかが説明されている。
「死んだらどうなるか、自分で決めていい」。
こう考えるだけで、なんだか解放されて救われたような気分になった。
そして、「死」と向き合うことは、それまでの人生を豊かに過ごすために必要なことだとわかった。
これからは死をただ恐れるのではなく、よりよく生きるために「死」を利用していきたいと思う。

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2021年05月05日

Posted by ブクログ

宗教をベースに死をとらえる内容。死をテーマに、宗教への興味や理解を得るにはいい内容。だけども、死、というものに向き合って考えを深めるにはちょっとマッチしていない印象。
じぶんなりのいまいまの死ぬということは、
生きるも死ぬももともと生物の勝手な思い込みで、すべては、宇宙のいちぶでしかない。生きていようが死んでいようが、宇宙の一部には違いなくて、姿や形がかわるだけ、一時的な状態にしかすぎない。
という感じにとらえてる、個人的には。

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2021年03月24日

Posted by ブクログ

確かにそうだ。

読みすすめていく中で何度もうなずいた。

誰にとっても一度きり(しかも未経験で突然起こる)の死について、考えておくこと。死んだらどうなるかを自分で選択すること。そうすることで今をより良く生きることができる。

ゆっくりと咀嚼して考えていきたい。
納得感も得られる良本。

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2020年12月25日

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