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「死」とは何か。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。本書は、知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する本。
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Posted by ブクログ
死んだらどうなるか、誰にも分からない。証言した人がいないから。では、どうするか。死んだらどうなるか、決めるしかない。あるいは、信じるしかない。それこそ宗教だ。死についてとことん考えてきた宗教の知恵を借りるしかない。この本は、様々な宗教が死についてどう考えてきたか、わかりやすく教えてくれる。私としては...続きを読む、ゆるい一神教であるユニタリアンがいいかな。
本当にこの本面白かった。 この前読んだシェリーケイガンの「死とはなにか」とどうしても方向性は似るんだけど、宗教の位置付けとかを宗教別に紐解いて行って、偏りは感じるものの…橋爪氏ってキリシタンだったっけ…仏教にバイアスが掛かってる印象を結構受けたかな。 兎に角色々な宗教観や宗教を取っ払った思想など網羅...続きを読むした上での死生観や日本の悪しき風習を濃縮してるような一冊だった。 この本読んで改めて覚り(悟り)の事を思うと、誤解を恐れずに言うと、「結局やってる事ってディープラーニングしてるんかな?なら結局LLMって悟りじゃん。」とかこの本の真意じゃない所で浅い思考してて読み進むのがえらく時間掛かってしまった…
タイトルは仰々しいが、この本からは、各宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道)のエッセンスを学ぶことができる。 各宗教が死をどのように捉えるかは、宗教の考え方の根本をなすところであり、本著では、それを分かり易く解説しているところが評価できる。 何よりも、各宗教に共通するところ、...続きを読む異なるところを改めて整理することが理解を深めることができる。 宗教を合理主義を補完する位置付けにあるとし(両方が成り立つ)、宗教の価値を違った捉え方から認識することができたことは収穫。 以下抜粋~ ・この世界を神が創造した/この世界は偶然である、は二つの「相」である。 一神教の神を信じること/世界は自然法則に支配されていること、は相転移のように、お互いに行ったり来たりできる。 ・インドの人々の考え方の基本は、因果論である。英語でCausalityという。仏教では、因縁とか縁起とかいう。 ・(インド)「真理」とは何か。世界のあるがまま、出来事のあるがままを、認識することだ。その認識、すなわち「真理を覚る」ことは、可能である。そして、「真理を覚る」ことは、最高の価値がある。インドの人びとはそう確信している。 ・(インド)修行、は訓練である。瞑想のやり方に熟練して、真理を覚ることを目指す。ほんとうに心理を覚る修行者は、ごくひと握りにすぎないにしても。 ・(インド)カースト制は分業のシステムである。分業は相互依存なので、紛争が起きにくい。動物を殺害することを禁じているのも、紛争や暴力を避ける意味がある。 ・カースト制は、人々に職業集団を提供し、社会の安定に寄与する。一方で、社会的不平等を生み、人々は苦しみ、社会は病んでしまう。 そんなカースト制を、裏で支えるのが輪廻である。 ・(中国儒教)人間を支配するには、人間が生きている必要がある。人間が死んだらどうなるのかは、政治には関係ない。中国の人びとが現実的で、死についてあまり興味がないようにみえるのはこのためである。 ・(中国儒教)教育を受けた農民の代表が統治をおこなう。これが、儒教の本質である。軍事力や伝統による統治ではなく、教育による統治。能力あるものが統治するという考え方は、とても近代的だ。政府の正当性も主張しやすい。儒学が中国で成功したのはそのためだ。 ・マルクスレーニン主義は、官僚制である。政治中心主義である。唯物論であって、宗教を敵視する。中国の人びとの伝統的な考え方にぴったり重なる。現世的で、合理的で、政治中心主義だから。 ・(日本江戸時代)イエ制度と寺請制度は、人々の考え方を大きく変えた。寺請制度は、仏教原理主義に手を焼いた武家政権が、採用した仕組みだ。 (宗派から「信」の要素が抜けていく。この結果、何年か経つと、どの宗派も似たりよったりになる) ・(日本)中国では、忠は、政治リーダーに対する服従、孝は、血縁の年長者(とりわけ親)に対する服従、だった。忠と孝とは別の行動原理である。(忠>孝) それに対して、日本はまったく別の原理でてきていた。 徳川家、大名、町民、農民もイエを営んでいる。 江戸儒学は、忠と孝とを区別するのをやめて、「忠孝一如とした。」 幕末に天皇への忠誠を絶対化する「尊王思想」が盛んになったのは、忠孝一如の論理的帰結である。 (徳川幕府にとっては皮肉な結果) ・(日本)儒学(朱子学)は、幕府が公認する正当な学問だった。生きている人間の政治を、担当した。死については、仏教が担当し、僧侶が葬儀を行った。うまく棲み分けていた。 ・平田神道の英霊のアイデアは、幕末の官軍(西軍)、そして明治の陸軍の注目するところとなった。 国家神道のもと、人間は、伝統的な仏教の死と国家神道の死を、二重に死ぬ。 (宗教の持つ意味) ・常識的な無神論者は結論する、自分がこの世界にいるのは、偶然だ。 ↓ ・合理主義者は思う、世界には偶然という穴が空いている。 ↓ 神が世界を創造したのなら、この世界に偶然は存在しない 神を信じる→(神学)→合理主義→科学 合理主義者の「神を信じる」は、科学をはじめとする合理主義を補完し、「偶然の空白」をみったり埋めるような「神を信じる」のである。
死について考えることは、どう生きるかにつながる。 死について、人間が最も考えや知恵を集結させたのが宗教。だから各宗教を知ることは、自分の死を選ぶことができる。 合理主義と一神教や仏教などを、相反せず自分の中に同居できるという考えが好き。 また、比較的自分の近い、儒学や道教についても学べた。儒学と道...続きを読む教は2つで1つの側面がある。道教は死者の国を創り上げた。(閻魔様がいて、、等) 先祖崇拝は、儒学と同様、絶妙に私を避けてるという考えも面白い。 たしかに、子孫に敬ってもらう時、それは死者の自分であって、死そのものではない。 自分に置き換えていくと(自分がしっくりくる、選びたい死の考え方は何か考えていくと) 坐禅を組んでいる間は仏である、という禅宗はいいなと思う。今のことに集中する、つまりよりよく現世を生きることに繋がる。ただ、禅宗は死後は何も残らない。(仏だから、極楽浄土にいるだけ)それは少し寂しくて、先祖崇拝の考えも支持したい。 ただ、死んだ後、決められたスケジュール通りに進んでいく考え方はあまり好きではない。 、、、みたいに、自分の死に対する考えを選び取るという作業ができて、より自分自身と対話ができるようになる。 とても面白い本だと思う。
面白かった! 今まで、なんとなく捉えていたことが覆されることも沢山書いてあった衝撃と、自分が捉えている中心の由来も感じたりして、いろいろ考えさせられた。
久しぶりに最高に素晴らしい本に出会ったような気がします。著者の本を時どき気に入って読んでいたのですが。 たまたま手に取って読みましたが、これは大げさに言うと衝撃を受けた感じがしました。 死を考え、死と宗教の関係に発展させ 一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)・多神教 ・インド(ヒンズー教・初期仏教...続きを読む)の宗教・中国(大乗仏教・儒教・道教)・日本の宗教(仏教・神道・国家神道・江戸時代の仏教) の解説を踏まえたうえで 死について考えるうえで、宗教を選択する重要さを論じているあたりは、すごく波のような流れで頭に入ってくる感じです。 宗教のとらえ方が正直に言って変わった感じがします。 自分は、正直ユニタリアンが一番ひっかかった感じがします。あとは仏教の考え方。さらに念仏宗の考え方が やはり自分の遺伝子の中に組み込まれているような・・
本屋さんで、書評が掲載された本のコーナーにあった。 「死」をテーマにしている本に惹かれる。 なんでだろう。 思春期からしばらくは、死にたいことがたくさんあった。 なんとか生きてきたけど、今は死ななくてよかったなぁと思う。 みんながみんな浮上できるわけじゃないけど、こんな自分が浮上できたから、今の...続きを読む子供たちも(自分と似たように悩んでいる子は)浮上できる可能性があるのかもしれない。 だったら、伝えられることは伝えてあげたい。 そのために、自分の中にいろいろな智恵を蓄えておきたい。 と、思っているのかもしれない。厚かましいけれど。 宗教にコミットする、という考えはなかった。 自分では熱心に信じないし、信じている人の邪魔はしない(ハッピーになるなら、それに越したことはないから)。文化としてなら、応援してもいい。 そんなとらえ方だった。いやな上から目線。 「偶然」を、自分の中に落とし込むための拠り所とは考えたことがなかった。 そこまで困っていなかったから。 困るほど考えていなかったから。 宗教を作り上げ、信じていた人たちは、人生と真剣に向き合ってきた人たちなのかもしれない。
いろいろ考えさせてもらった。平易にこれだけのことを書ききる力量、文才、感服するばかり。名著 1日で読み切れた。 橋爪大三郎先生の著作は、いつもなんらかの活動のきっかけになる。春くらいに、もう一度読み直そうと思う。
三大宗教、神道が死をどのように捉えているのか、網羅的に解説して、あなたならどの死がしっくりくるか選びなさい、と迫ってくる。 死をどのように捉えているかは、それぞれの宗教の宗教観が滲み出ている。 現代日本人の死生観も作られたもので、それを当たり前と受け入れているだけ。死は、もっと自由に考えて良いのだ。
死についての本というより、キリスト教・仏教・イスラム教・儒教・神道などの各宗教の考え方を教えてくれる本。 個人的には、合理主義者が合理的に説明できない偶然の空白を埋めるために神を信じるという説明がめちゃくちゃ納得。日本人からすると一神教の考え方ってどうも馴染みがないけど、そう考えるとなんかわかる。...続きを読む 何かの宗教に入信しよう、とまでいかなくても、死の捉え方含め自分の中の整理を固めておくことが善く生きることに繋がるのだと思った。 ー自分の死を引き受けるには、どれかひとつの考え方を選択しないといけない ひとつの考え方を選択するからほかの選択のことがよりよく理解できる ー自分で決めて、そのように生きると,その通りに死んだことになる
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橋爪大三郎
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