【感想・ネタバレ】神さまたちの季節のレビュー

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Posted by ブクログ

1964年の角川新書を再編集したもの。民俗写真家の芳賀日出男氏が1960~63年に撮影・取材した各地の祭礼や年中行事が、18件紹介されている。徳島県の山村に残る傀儡師(漂泊の人形遣い)の集落を取材した冒頭の「初春の傀儡師」に驚き、それ以降も一気に読み進めてしまった。

傀儡師のように間もなく姿を消した芸能だけではなく、かまくらやお遍路のように今も残る習俗も記録されている。だが、消えたもの、残るものいずれにも共通するのは、「資本主義の世の中では観光資源化する祭のみが強力に生きのびることができる」という冷徹な事実であり、「祭を信仰の立場から見る人はそれを堕落と嘆き悲しむ」。その一方で、「町の人の身になれば観光かまくらも捨てられない」。では、どうすればよいか。この難題に対するいくつかの解答も、間接的ながら、本書には記されているように思われた。

解説は神崎宣武氏。高度成長を経て、芳賀氏が撮影したムラの日常が急変すると同時に、フィールドワークのあり方も、芳賀氏のような忍耐強い方法から大きく変わったことを指摘しており、本書の歴史上の位置づけをより明確に伝えてくれる。

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2021年03月29日

Posted by ブクログ

この本が出版されたのが1964年。60年前ですら忘れられかけている風習について取材しているが、今も残ってるのだろうか。残っていても形骸化してるのではなかろうか。現代人の弱点で、理由を知りたくなる。何を祀るのか?なぜ祀るのか?なぜこのような形態になったのか?
雪祭りのかまくらが水神様を祀るためのもので戦前までは丸くなく四角かったことを知っていたか。入口は子供がひとり潜り込めるくらいの小さな穴だったのに観光化して写真を撮るために大きくしたこと。だから火鉢を持ち込んでも内部が暖かくならないこと。
海浜のお盆。海から先祖が帰ってきて盆踊りに混じって現れる意味。その夜だけは都会に行った娘たちも帰ってきて、それに歓声をあげて迎える漁師の若者たち。日本各地の四季折々の祭。「祭はだれのためにあるのか?もちろん神のためにある。その祭がだんだん盛大になると、神のためよりは見物人のためにおこなわれる。信仰よりも祭の造型や演出が重んじられて、見せることに技巧をつくす。」悲しいが、今の祭に信仰は殆どないだろう。見物人のため、見物人を集めるため、あるいは参加者のストレス発散のため。目的は変わってきているだろう。そして村人たちも信仰から来る自然な表情なんてしなくなる。カメラを向けてもピュアな表情は中々撮れなくなる。個人情報保護もあるから、尚更だね。



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2023年06月24日

Posted by ブクログ

写真とその説明が丁寧にされているのでとても読みやすい。冒頭に簡単な地図もあるので、それをもとに自分の日本地図に書き込みをしていつかここに行こう、なんて考えたりしながら読み進める。
村それぞれにしきたりがあって、田舎の祭りでも時代と共に変遷がある。
伝統が続くお祭は本当にそこに神様が降りてくるお祭なのだ。著者は写真家だが、民俗学とは、民間信仰とはを考えさせられるテーマだった。

印象に残ったこと
桜は天候を占うなど、信仰としての対象でもあったこと。(鎮花祭 京都府)
勤労感謝の日は、もとは新嘗祭(収穫感謝)の日であったこと。(稲霊 奈良県)

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2022年10月02日

Posted by ブクログ

・芳賀日出男「神さまたちの季節」(角川文庫)は「著者が昭和三十五年から三十八年にかけて足にまかせて自由に見てあるいたものである。」(「はじめに」3頁)私にはまづこれが有難くもまた嬉しい。東京五輪が昭和三十九年であつた。その直前の各地のおまつりの姿が見られるのである。今となつてはかういふのは珍しいであらう。解説で神崎宣武が「いちばん気になる写真」(267頁)といふ186頁の「鹿の精たちは農家に祝福の踊を捧げてめぐる」、確かに「ここには、たくさんの情報がある。」(同前)神崎が挙げてゐる以外にも多くの情報があるだらう。私は「霜月の訪れ神」(220頁)の参候祭の写真が「気になる」。その最初は三都橋集落の写真である。写真上中央に津島神社、参道が右斜め下から続く。川の流れに沿つて建つ家々がある。頁をめくると神々の写真が続く。大黒天がぬめくら棒を出してゐないの は、とりあへず文章で察せよといふことであらうか。その写真を見るとカメラマンはゐない。子供達ばかりである。大人よりも子供が目立つ。前の方を子供が占めてゐるからかもしれない。男の子は学生帽か野球帽に学生服、女の子は制服がなかつたのか、厚手の私服である。 現状からは信じられない様子である。カメラマンが何人もゐて我が物顔に動いてゐる。子供達は少ない。いや、ほとんどゐない。神崎が解説で描く「自動車で大がかりな機材を運び、その場の人たちをもしりぞけて場所を占領し(中略)報道カメラマンも、アマチュアカメラマ ンも区別がつかないほどに仰々しいカメラの列」(268頁)といふのが最近の様子であらう。さういふのを想像できないまつりの場が東京五輪前にはあつた。私が初めて参候祭に行つたのは東京五輪から既に遠い。「丘の上から降臨してくる観音さまの化身千子」(219 頁)は、直前に栗島の公会堂から出る、降臨することに変更された。お宮までは、当然、車であつた。それでもまだカメラマンは多くなかつた。これでもこの写真とはずいぶん違ふ。東京五輪とその後の高度成長政策が日本の民俗を激変させた。本書は激変以前のまつりを見せてくれる。東京五輪前は田舎でも子供達が多かつた。これも激変の様の一つであつた。
・本書は東京五輪以前の18のまつりからなる。新春は徳島県の「初春の傀儡師」に始まり、12月の春日若宮おん祭で終はる。古い写真である。それゆゑに人が少なかつたりもするのだが、必ずしもさうではないものもある。例へば「春の豊年祭」の小牧の田縣神社豊年祭、 今も昔も例の大男茎形が有名である。私はこのまつりを知らないのだが、66~67頁の「熊野社から田縣神社へ神幸する男性神」の写真の場所は、今はどうな つてゐるのかと思ふ。現在の写真だと渡御は町の中を行つてゐる。ところがこれは何もない荒れた道筋である。こん なのはおもしろくないといふことで、現在は写真も撮られないのであらうか。また65頁の「女の厄年をはらってもらう婦人たち」は、現在は巫女なのであらう か。それとも厄の年齢が違ふのであらうか。この2つだけでも印象が違ふ。豊年祭の大男茎形は、「明治維新の頃は 六十センチくらいの長さで」(64頁)あつたらしい。それが「時代を経るにしたがって(中略)最近ではこんなに大きくなってしまった という。」(同前)から、まつりは確かに変はる。厄年の婦人が若くなるのは良い。ましてや神社周辺の環境変化は当然である。やはり私には、本書は東京五輪以前のまつりの様子を見せてくれるといふ点で忘れ難いものである。柳川水天宮祭の「運河の小舟から舟舞台を眺める」の図(109 頁)、今でもかうして眺めてゐるのであらうか。

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2020年08月20日

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