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この本を読むと、アーレントの眼差しに触れることができる。アーレントと知らない街角ですれ違ったような気分になれるので、ほとんどの思考する人はアーレントの著作へと誘われる。
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アーレントの生い立ちから始まる生涯と代表作の内容の平易な説明を通して彼女の難解な思想を読み解く入門となる素晴らしい本だった。さらに深く知る上でアーレントの著作をこれから読む必要はもちろんあるが、友人との交流を大切にし、多くの影響を受けた彼女の思想を知るには著作のみでは限界があるのでそういう意味でも伝記色の強い本書はそこまでカバーできているので読む意義があったと思う。
彼女の政治哲学には難しい部分ももちろん多いが、根底にあるのは''現実を理解し事実を語ること''ということだった。また彼女の人柄としては友人思いで、とても誠実な人物なのだと感じた。そんな彼女がアイヒマン論争で友人たちと絶縁することになってしまったのはとても残念に感じた。
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自分の身にふりかかる不合理な現実を必死で理解し、思想という形で昇華させて世界に還元するとハンナ・アーレントの、恐るべき知的自力再生産能力、とでもいうべきものに感嘆してしまう。少しでも吸収したく、付箋をはりまくる、メモをとりまくる。
こんなに分かりやすく本をまとめてくれた著者にも感謝したい。
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〇子供の頃の経験(学校で教師に侮辱されたら即帰って良い、という母の教え)
・相互の尊敬
・無条件の信頼
・社会的・人種的差別に対する純粋でほとんど素朴と言ってよいほどの軽蔑の念
〇人は、攻撃されるものとしてのみ自分を守ることができる
(ユダヤ人として攻撃されるなら、ユダヤ人として身を守る)
〇絶望-それはまるで奈落の底が開いたような経験
〇因果性はすべて忘れること。その代わりに、出来事の諸要素を分析すること。重要なのは、諸要素が急に結晶した出来事である。(全体主義の起源、ではなく、全体主義の諸要素とすべきであった。。)
〇官僚制=誰でもない者による支配、が個人の責任と判断に与えた影響
〇全体的支配は、人間の人格の徹底的破壊を実現する。(被害者にとって)自分がおこなったことと、自分の身にふりかかることの間には何の関係もない。すべての行為は無意味になる。
〇ホッファー「大衆運動」
〇リアリティ:「物のまわりに集まった人びとが、自分たちが同一のものをまったく多様に見ているということを知っている場合にのみ」世界のリアリティが現れる
〇ホルクハイマーとアドルノ「権威主義的パーソナリティ」:匿名の権威としてのマスコミに服従・同調する傾向(→ファシズムへの潜在的傾向)
〇科学的知識は「破壊力」に関わるものであれ「創造力」に関わるものであれ、所与の人間のリアリティ、地上に複数の人々が生きる現実とは疎遠なもの。
〇あたかも私たちは(科学的知識によって)自分自身の人間的存在から離れてしまったよう
〇行きたいところへ出発することができることは、自由であることの最も根源的な身振り
〇思考の欠如=思考に動きがなくなり、疑いを入れないひとつの世界観に則って自動的に進む、思考停止の精神状態
〇同胞愛はOK:人々が直接結びつく同胞愛や親交の温かさの中では、人々は論争を避け、可能な限りの対立を避ける。..(が、これが)政治的領域を支配するとき、複数の視点から見ると言う世界の特徴が失われ、奇妙な非現実性が生まれる。
〇アイヒマン=思考が欠如した凡庸な男=紋切り型の文句の官僚用語を繰り返す
〇考える能力=誰か他の人の立場に立って考える能力
〇自分の感情的な反応に注意を向ける代わりに、自らの義務として、割り当てられた仕事を遂行しようとした
〇「必然または義務」として遂行されるとき、悪は悪として感じられなくなる
〇アイヒマンはヒトラーの命令を遂行することを自分の価値を証明する意義のある貢献だとみなした
〇全体主義ー加害者だけでなく、被害者においても道徳が混乱(ユダヤ人によるユダヤ人のリスト提供)
〇服従することは、組織や権威や法律を支持すること
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〇全体主義は、技術志向の大衆社会の中で起こりうる
〇すべきこと=自分の価値観に従う、自分の経験に則する、自分の確信や感情を重視する
〇(彼女の正論は)嘘に立てこもっている生きているあれほど多くの人のいちばん痛いところを衝いた
〇自分は自分自身以外の何者でもない(民族の娘ではない、特定の民族を愛さない、自分が愛するのは友人だけ)
〇物語が重要(理路整然とした論証よりも)
=個々の事件や物語へ脱線し、多くの解釈が混在する
〇判断力が機能するためには、社交性が条件―複数で生きる人々が共通感覚を持つためには、相互の仲間を必要とする
〇理解することへの欲求、「私は理解しなければならない」という内的な必要性
〇言葉や行為や出来事を理解しなければならないという内的な必要性
〇思考だけが「和解」をもたらす。
〇自分自身であろうとする絶対的な決意、非常に傷つきやすいにも関わらず、耐え忍んでそれを成し遂げる力を持つ
△?(ローザ・ルクセンブルク)はげしく世界とかかわり、自分自身にはまったく関心を持たなかった
〇公的に発言するときは、自分ではなく世界を賭ける
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ごくごく最近になって名を見聞きするようになった「ハンナ・アーレント」。どんな人だろうとこの本を読んでみた。アーレントの人生をたどりながら著者や論稿の要旨、アーレントの思想がまとまっていて入門書としてとてもいい。
ユダヤの血が流れているとか、『全体主義の起源』(アーレント自身は「全体主義の諸要素」とすべきだったと後悔しており、確かにそうだと思う)という著書があるという程度の前知識から、ナチ批判やユダヤ人に寄った思想の人だと思っていたけど、実はアイヒマン裁判をめぐる論ではユダヤ系はじめリベラル派から大いに非難されたりもしている。でもその考え方は、そういった自分のバックボーンを差し置いてとても公正なものに思える。
著者によれば彼女は「一人前の大人が公的生活のなかで命令に『服従』するということは、組織や権威や法律を『支持』することである」(p.201)と述べているとか。
私だって日常的に、たとえば職場で仲間うちで、今さら自分が声を上げてもしかたないとか、和を乱さないためにと、その社会の総意ということになっている方向性に沿ってしまうときがある。そのとき、私はしかたないと言い訳しながら支持しているわけ。不参加・非協力を選ぶこともできるのに。アーレントはこういう極面で思考する「自分」であれと言っているように読んだ。
しかしなぜ、いま日本でアーレントが注目されているのだろう。安倍くんが跋扈したり嫌韓・嫌中が台頭しているような社会では、アーレントの思想に向き合っては耳の痛い人がたくさんいると思うんだけど……。それとも一定の人はそれではよくないと思っているのかな。
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アーレントの半生をなぞりながら彼女の思考の軌跡も共に辿ったとても分かりやすいアーレント入門書。彼女の著書や、彼女がとても大切にしていた友人関係や夫についてもコンパクトにまとめて論述してあり分かりやすい。
これからアーレントの著作を読んでいくにあたっては必携の書かと思う。映画「ハンナ・アーレント」もこの本のおかげでとても楽しめた。おすすめ。
Posted by ブクログ
ハンナ・アーレントに興味を持ったのは映画を見たからかもしれないけれど、この間100分de名著の仲正昌樹先生の本も一気に読み終わって、原本に行く前にこの本を読んでみた。めちゃくちゃ面白い。
考えたのはワタシが人間であることと日本人であることは同義なのか違うのかってこと。あと、人種を最近やたらと感じることが多くてそういうことについても考えた。複数性の大切さ。全体主義に向かう恐ろしさ。
例えば、もしも地球上では人種間での争い事があったとしても月に行ってまで国家にこだわる必要性はあるのかどうかとか考えてしまった。何かを誰かを排除して出来上がる正義は本当の正義なんかじゃなくてまやかしなのではと思う。
複数性で色んな意見を大切にしないとみんなが同じ方向へ向いてしまった時に間違っていることに間違っていると言えるようにすることの大切さとか考えてしまう。
次は『今こそアーレントを読み直す』を読んでそれから原本へ行きます。
Posted by ブクログ
気になる著者、著書があると、入門書とか、ガイドブックみたいなのに頼らず、まずは原著(もちろん翻訳のね)を読む。分かろうが、分かるまいが、とりあえず1〜2冊読んで、自分なりに理解した感じをもって、ちょっと「入門」を読んでみる、というのが、自分の読書スタイルかな?
本はそれ自体が一つの世界で、「人とその思想」みたいに読むのではなくて、テクストとして何が書かれているのか、ということにフォーカスすべし、みたいな考えも結構染み付いている。
ということで、アーレントも、そのパターンで、原著と悪戦苦闘中。
一応、最後までたどり着いたのは、「暴力について」「イェルサレムのアイヒマン」で、主著(?)の「活動的生」と「革命について」は、半分くらいで、先に進めなくなっている。「全体主義の起源」にいたっては、最初の20ページくらいで挫折。
ものすごく難しいという感じでもなくて、一行一行は読めるし、パラグラフもいくつかは読める。読めるだけではなくて、かなり共感を感じる。もしかしたら、この人は、わたしが疑問に思っている問いへの答えをもっているのではないか?と期待を感じる。
が、ページを繰っているうちに、だんだん話しが分からなくなってしまう。
結局、結論はなんなの?
どこに行こうとしているの?
みたいな感じ。
というなか、行き詰まりを解消すべく、分かり易そうなこの新書を手にしてみる。
まさに「人とその思考」というより、「人」にかなりフォーカスした本で、すごく読みやすいですね。
これを読むと、アーレントの思想は、かなり彼女の人生に起きたことを知らずしては理解できないものだったんだという気がしてくる。
というのは、わたし的には「邪道」なんだけど、アーレントについては、著書で完結する人ではない。むしろ、彼女の人生そのものが、彼女の作品だったのだ、という気がしてきた。
と言っても、彼女は行動の人ではなくて、思考の人。
でも、その思考というのが、抽象論、演繹法ではなくて、具体的な経験から、自前のツールをその場その場で作りながら、行きつ戻りつ、考える感じなんだよね。そして、その思考は、具体的な言動と一致している。しばしば、かなり過剰な感じで。。。
という人なので、彼女の本を読んで、すっきり理解ができる、ということにもともとならないということが分かった感じ。
彼女の場合、書簡集も結構膨大なものがあるのだが、もしかすると、彼女の人生という作品、つまり彼女がリアルに他者との関係を大切にしながら生きたというのは、そこに残されているのかも、とか思い始めた。
う〜ん、どこまで読めばいいのかな?
と悩むほど、アーレントを魅力的に感じた。
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悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。
今でも、人類が引き起こす、ジェノサイトとは特別な何かではなく、普段の我々の横に寄り添う、思考停止の症状でしかない…
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2013年に日本で公開された映画『ハンナ・アーレント』は、戦後にアメリカでも名声を確立していたアーレントがアイヒマン裁判に挑むという時代設定であったが、これを読むとそれまでの彼女にどういう経歴があってあの裁判にたどり着いたかのかということが理解できるだろう。
映画を観てアーレントに興味を持った人が『全体主義の起源』や『人間の条件』などの原典を紐解く前に、取っ掛かりとして読むのにちょうどいい入門書。
この本ではアーレントの生い立ちから、ハイデガーやフッサール、ベンヤミンとの出会い、ドイツを追われた後のフランスの収容所生活、そこからアメリカへ亡命、無国籍なユダヤ人という賤民の認識(←ここ注目)、ハンナは母語のドイツ語以外はギリシャ語、ラテン語、フランス語ができてもなんと英語はできず(!)に渡米してしまうのだが、語学をいちから学び、アメリカ国籍を取得、大学教授の職を得て、アイヒマン裁判への傍聴に向かうという一連の流れが伝記のように語られる。
悪をやみくもに糾弾するという正義は、またその行為も偽善と差別を生むことに気がつく彼女の冷静な判断。アメリカに亡命した際のユダヤ人同士における批判、アイヒマン裁判、リトルロック高校事件、アーレントには一貫した視点があることに気付かされる。これを機に、彼女の一覧の著作に興味を持つ足がかりとなるであろう一冊。
終章、彼女のフッサールへの追悼の言葉にも心動かされる。友人を大切にしたアーレントを取り巻く人々に関する情報も多く、文章も読みやすい良本。
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本書は20世紀の哲学者アーレントの生涯と彼女の思想についてまとめたものになります。アーレントといえば「全体主義の起源」「人間の条件」などの著作が有名ですが、本書を通じて、彼女の原体験的なものの理解が深まり、思想の背景にあるものが何なのかなどとても考えさせられました。新書なのであっという間に読めるかと思っていましたが思いのほか時間がかかりました。その理由は2つあります。1つ目はアーレントの思想が独特に感じる箇所があって、理解に時間がかかる点。2つ目は、理解できた後に、「なんて深い洞察なんだろう」と感銘を受けて、自分自身の「思考」プロセスが開始されてしまうことです。この2つ目がすごく重要だと思うのですが、アーレントほど自身の思考プロセス、つまり自分と自分自身の間の対話のスイッチをオンにしてくれる人はいない気がします。そしてこれは彼女が望んでいることなのだと思います。思考すること、そしてその思考したことを自分の心の中に閉じ込めるのではなく、他者に投げかけることで「世界」とも関わることこそがアーレントの望んだ人間のあるべき姿だと思います。本書はアーレント初学者でも読めるように配慮されて書かれているとは思いますが、やはり最低1冊くらいは作品を読んでから、本書を通じてアーレントの人物像を学ぶとより得るものが多いのではないかと感じました。おすすめです。
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『全体主義の起源』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレントの生涯と思想をたどる。
ハンナ・アーレントってどんな人物かと聞かれて、答えられなかったので、読んでみた。
よくまとまっており、ハンナ・アーレントについてざっとは理解できた。ハンナ・アーレントの社会、人間に対する洞察力はすごいと感じた。
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ユダヤ人彼女がユダヤ人虐殺アイヒマン裁判を傍聴し思い描いていた悪の人物像とあまりにかけ離れていた凡人だったことにショックを受け。邪悪な行為は個人の問題ではなくシステム的に行動し考えることをやめた人間の愚かなさが原因悪の陳腐さとホロコーストにはユダヤコミュニティも加担していたと雑誌し発表するとユダヤ人総反発を受け孤立それでも信念を貫く彼女は凄い。
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ドイツにユダヤ人として性を受けたハンナ・アーレントの生涯を綴った書籍です。
ナチス台頭の時代、同時代の軍国日本との対比でアーレントの生き方を考える。
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20世紀を代表する政治哲学者でハンナ・アーレント(1906-1975)の生涯と思索をコンパクトにまとめた入門書。
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アーレントの生涯の主だった出来事をごく簡単にまとめてみる。
1906年、ドイツで誕生。知的で裕福なユダヤ人家庭で育ったケーニヒスベルクでの少女時代。マールブルクのハイデガー、ハイデルベルクのヤスパースに師事した学生時代。反ユダヤ主義を掲げるナチスが権力を握ったためパリへ亡命。シオニストの社会活動家として働きながらベンヤミンをはじめとする知識人と交流したパリ時代。第2次大戦勃発によりフランス政府から「ドイツ人=敵性外国人」とみなされ収容所へ監禁、翌年ドイツによるパリ占領の混乱の中で脱走、ニューヨークへ亡命。『全体主義の起原』(1951)『人間の条件』(1958)を執筆、アメリカの大学で教え始める。レッシング賞受賞(1959)。アイヒマン裁判を傍聴し『イェルサレムのアイヒマン』(1963)を執筆、論争を呼ぶ。1975年、ニューヨークで死去。
20世紀の歴史が「ユダヤ人女性」アーレントに課した「出来事」の数々に改めて驚かされる。書斎での静かな学術研究に沈潜する「観照」的生活など許されず、政治的で論争的たらざるを得ない生涯であったが、時代と格闘し続けた「実践」的知識人であったと言える。印象的なのは、パリでのベンヤミンや、サンフランシスコでのエリック・ホッファーなど、さまざまな知識人との交流の事実である。ベンヤミンとは亡命先のパリで出会い、文学、哲学、政治を語り合うなど互いに親しい友人となる。その後、収容所から脱走したアーレントがニューヨークへ亡命しようとする直前、偶然ベンヤミンと再会するが、彼女とともに出国できなかったベンヤミンは徒歩でピレネー山脈の国境を越えようとするも果せず、自殺することになる。
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このように「実践」的たらざるを得なかったアーレントは、その人間観においても、決して観念論や世界観や形而上学といった体系的理論で以て個々に多様な人間存在を抽象化し自らの理論の歯車に貶めることをしなかった。
「理論がどれほど抽象的に聞こえようと、議論がどれほど首尾一貫したものに見えようと、そうした言葉の背後には、われわれが言わなければならないことの意味が詰まった事件や物語がある」(p216)。
あくまで現実の世界に根差した存在として人間を捉えること。そうした姿勢は、「私たちが行っていることを考えること」を企てた代表作『人間の条件』における人間の実践の三類型にも表れているように思う。『人間の条件』では、地球上の現実的な存在としての人間に課されている諸条件に対応して人間の実践を分類し、その歴史的変遷を跡付けることで、現代世界を根底的に批判しようと試みた。
【労働 labor】は、人間存在の自然性という条件に対応する実践である。生理的存在として自らの生命を維持し拡大させようとする実践がここに含まれる。【仕事 work】は、人間存在の反自然性という条件に対応する実践である。人間は決して動物のように自然に埋没してしまっているのではなくて、生物学的に条件づけられた自己の自然性を超越して永続的な人工的世界を作り出そうとするのであり、技術、学術、芸術などの実践がここに含まれる。それゆえ、アーレントは【仕事】の人間的条件を「世界性 worldliness」と呼ぶ。【活動 action】は、人間存在の複数性という条件に対応する実践である。地球上において人間は決して単独で存在しているのではなくて、多様な他者との関係のうちにある。人間であるという点では同一でありながら個々人は決して同一性では括れない複数的な他者との関係において、言葉と身体を通して自己の存在を表わしめ以て自分が何者であるかを示そうとする(それは世界にとっては予測不可能な「はじまり」となる)、そのような政治的な実践がここに含まれる。
「アーレントにとって政治は支配・被支配関係ではなく、対等な人間の複数性を保証すべきものであった」が、【労働】や【仕事】が支配的となるにつれて、「「誰であるか」を示す活動、そして予測不可能な「始まり」の要素は脱落していったのである」(p147)。
そして、全体主義を批判するアーレントが最も根本的な足場としたのが、複数性という人間の在りようである。全体主義とは、人間の固有性、自発性、偶然性、予測不可能性、則ち複数性を否定しようとする暴力として特徴付けられる。アーレントは「全体主義は政治の消滅である」(p114)と喝破した。全体主義はイデオロギーとテロルという手段を用いて政治の消滅を遂行しようとする。イデオロギーは、世界全体を単一の体系によって説明しようとすることで、その世界を実際に構成している個別具体的な諸人間存在の複数性、他者性を、当の人々の思考から抹消しようとする。テロルは、個々の諸人間が具体的に作り出した他者との関係を、物理的に破壊する。
単一のものの見方に塗り潰されて人間の複数性を否定する事態は、まさに思考停止の状態であるといえる。逆に言えば、思考が運動し続けるためには、自己とは異なる他者が存在しているということが必要条件となる。人間が現実をリアリティをもって経験できるのは「私たちが見るものを、やはり同じように見、私たちが聞くものを、やはり同じように聞く他人が存在するおかげ」(p148)であるというアーレントの指摘は意義深い。
他者と個別具体的な関係を結びながら、同時に集団において自己と他者のそれぞれの前提条件たる複数性を抹消してしまわないこと。複数性という過剰を鬱陶しがらせようとする虚偽意識に傾かないこと。現代人の多くは、複数性を孤立と取り違えてしまっているがゆえに、いっそう「全体」へと糾合されやすい傾向にあるのかもしれない。複数性の否定は、個人による経験の無意味化につながる。個々の経験が現実に根を下ろした意味をもち得なくなると、諸個人は孤立化する。孤立化した人間が、経験の意味も他者との関係も回復されないまま、人間の顔をなくした匿名多数という「全体」へと束ねられていく。そしてこの「全体」が個人的な倫理とは全く別の論理で運動してしまうがゆえに、未曾有の悲劇を惹き起こした。「全体」化に対する異物としての複数性を手放さないこと。その異物性が世界にとっての「はじまり」と呼ばれているのではないか。
「私たちは考えることや発言し行為することによって、自動的あるいは必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。そこで新たにはじめることができる。アーレントにとってその「はじまり」の有無こそは、人間の尊厳にかかわっていた」(p225-226)。
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映画『ハンナアーレント』を観て、もっと知りたいと思い、読んでみたら思いの外難しかった。もともと映画で歴史的背景は知っていたから、気楽に読めると思っていたら、そうでもなかった。それだけハンナアーレントの思想・哲学は独特なものなのかもしれない。
quote:
「思考」とは自分自身との内的対話であり、過去と未来のあいだに生きる人間が時間の中に裂け目を入れる「はじまり」である。
Posted by ブクログ
人間の行動や価値観は環境によって定義される、ということを強く感じたきっかけが、アイヒマン裁判、そしてハンナ・アーレントという人の存在だった。
何となく知ってはいたものの、彼女自身の人生や、思想そのものについてきちんと触れたことが無かったので、この本を読んでみた。
哲学的、抽象的な表現も多く、また哲学者や思想家の知識に乏しいので、理解しきれていない部分もあるけど、自分の頭で考えることの大切さと、考えずに思考停止してしまうことの恐ろしさを改めて学ばせてもらった。
「『物の周りに集まった人々が、自分達は同一のものをまったく多様に見ているということを知っている場合にのみ』世界のリアリティは現れる」という一文がとても印象に残っている。今でいうダイバーシティの文脈の話だけど、ここが崩れるといわゆる独裁政治や全体主義の方向に進んでしまうのかもしれない。
本筋ではないけど、労働と仕事と活動の話も面白かった。
日々の生活の営みの中で行われる労働(後には何も残らない)と、作品や製品など成果物を生み出す仕事、そして人と人の間で行われる共同としての活動。どれが良い悪いではなく、このバランスをうまく保ちながら生きていけたらいいなぁと思った。
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全体主義と対決し公共性を問い続けたハンナ・アーレント。ユダヤ人としての出自を持ちながら、それにとらわれない。事実のみを見つめ続ける彼女の視線は厳しい。
「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、公的生活のなかで命令に服従することは、組織や権威を「支持」することだという。「事なかれ」を許さないわけだ。
自分が情けない。
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ハンナ・アーレントの評伝。奇をてらうことなく、時系列に沿ってアーレントの生涯と思想をわかりやすく説明してくれている。思想内容の説明がやや手薄な印象はあるが、まずはこの本でアーレントの人となりを知った上で、他の本にあたった方が理解が深まるような気がする。
Posted by ブクログ
映画「ハンナ・アーレント」で初めて彼女の存在を知った。
かなり感銘したので、その時に買っていたのですが、しばらく積読状態であった本書を手に取って読み始めた。
あの時代に
このような思索者がいた
あの時代に
その思索者がここまで批難にさらされた
あの時代に
その思索者を支えた人がいた
あの時代に
それでも生き抜いた思索者がいた
もし
池田晶子さんが あの時代に生きていたら
どんな風に 思索していただろう
どんなことを 発していただろう
と 思った
Posted by ブクログ
アーレントの生涯を辿りつつ、同時代の様々な課題と取り組んだ彼女の思想を描き出す新書。『全体主義の起源』、『人間の条件』、『イェルサレムのアイヒマン』など彼女の主要な著作のポイントを紹介しつつ、その中にレッシング論や公民権運動とアーレントの関わりといった問題を組み込むことで、アーレントの思考の論争的な部分にも行き届いた解説が加えられている。
Posted by ブクログ
『全体主義の起源』『人間の条件』『イスラエルのアイヒマン』等のハンナアーレントの生涯が描き表されている本。
ユダヤ人として、ユダヤ・イスラエルにおいてもドイツに
おいても、アメリカにおいても全体主義というか
思考を停止させてしまういろいろな現象に対して勇気
をもって警告する彼女の生き方・考え方に対いして
感銘を受ける内容です。
日本の東京裁判。いまの日本。世の中の状況などが
彼女がどのように思考するかが聞いてみたいと
思います。
また、それらで垣間見える全体主義というか、凡庸な悪に対して思考を停止することに対してあらがってみる
ことを心に持っていたいと思います。
近代の哲学家・思想家の中でも感銘を受けるうちの
一人であると思っています。
Posted by ブクログ
素晴らしい人生。素晴らしい思想。アーレントは人間の条件を読んだだけだが、難しかった。しかし、本書はの記述は焦点を絞り、易しく分かりやすい。無国籍問題の重さをつよく感じた。
・「ひとたびすべてが〈政治化〉されてしまうと、もはやだれ一人として政治には関心を持たなくなる」。総力戦を戦うとき、選択や決断や責任に対する自覚が失われる。
・反ユダヤ主義はナショナリズムの昂揚期ではなく、国民国家システムが衰退し帝国主義になっていく段階で激化した。
・共同体の政治的・法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利を持つ権利」を奪われている。
・カトー:独りだけでいるときこそもっとも独りでない
=オアシス
・「社会というものは、いつでも、その成員がたった一つの意見と一つの利害しか持たないような、単一の巨大家族の成員であるかのように振る舞うよう要求する」(『人間の条件』)。そして、統治の最も社会的な形式として「誰でもない者」による支配、「無人支配」である官僚制をあげた。
・加害者だけでなく被害者においても道徳が混乱することをアーレントは全体主義の決定的な特徴ととらえていた。
・「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それを物語れば、耐えられる」:アイザック.ディネセン
・アーレントにおける権力は暴力と異なり、人々が集まり言葉と行為によって活動することで生まれる集団的な潜在力だった。
Posted by ブクログ
2019.05.24 改めて、過去に学ぶ必要性を強く感じた。見過ごしていたり、ないがしろにしていることが多すぎる。先人の優れた論考に目を向ける必要性を強く感じた。
Posted by ブクログ
・アイヒマンおよびナチの犯罪は狂人やサディストによっておこなわれたと考える方が楽だがそれは事実ではない。「必然あるいは義務」として遂行されるとき悪は悪として感じられなくなる
Posted by ブクログ
ハンナアーレント の生涯、思想、著作をまとめた本。「全体主義の起原」の論述は わかりやすい。印象に残ったアレントの言葉は「思考し、自由を求め、判断を行使する人々が生み出す力こそが世界の存続を支える」
「全体主義の起原」に対するアーレントのスタンス
*ガス室、全体主義など人間の無用性をつきつけた出来事に対して出来事の諸要素を分析→因果性を排除→諸要素の結晶=出来事
*起こるべくして起こったのではなく、人間の行為の結果としての出来事
*反ユダヤ主義、帝国主義の諸要素は 必然的に 全体主義に直結したのではない
*人間の選択を描いた→他の選択肢もありえたのになぜ それを選択したのか
*官僚制という誰でもない支配が 個人の判断と責任に与えた影響を検証
*全体主義は 政治の消滅である
Posted by ブクログ
昨今大きく喧伝される『多様性』であるが、全体主義こそその対極にあるものだろう。
被害者はもちろん、加害者からも個性と責任を奪うことによって、
一人ではなしえない大逆を可能とさせることはミルグラムの監獄実験によって示されたが、
ハンナ・アーレントがいなければ、これがアイヒマン実験とも呼ばれることはなかったかもしれない。
戦後まもない、誰もが理性的ではいられなかった時代、
ナチ体制下における最終収容所の所長であったアイヒマンがイスラエルにて裁判に臨む際。
大衆はもちろん、知的階級さえも懲罰的な復讐を望んでいた只中にて、
ホロコーストを、残虐非道な悪役たちが非力な民衆を強制して実行した犯罪ではなく、
歴史的な現象である全体主義の結果のひとつとして捉えることができたのは、彼女だけだった。
2017年の現代においてさえ、この思想に同調できない人類は多い。
『社会』がない限り犯罪は犯しようがないのに、『社会』の責任を考えず個人への復讐としての私刑を許す。
『最大多数の最大幸福』を信じ、少数派は間違いであり、全員が多数派に正されるべきだと考える。
犯罪者も被害者も多数派も少数派も『多様な個人』であるはずが、それを忘れて『全体視』してしまうことは程度が違えど誰しもある。
それは個人の悪意から生じるものではなく、社会階層という分断された環境によって育まれる思考だ。
この差異を、これからの技術革新や教育はどこまで埋めることが出来るのだろうか。
学校、会社、地域、国。
現行の法技術では、対象を不特定多数として扱わなければルールは作れず、行政と司法が果たすべき運用の役割は過剰に大きい。
ならば、真に多様性を許容した社会での法とはどのような形をとるのだろうか。
その答えは、ハンナ・アーレントの伝記ではなく、著作でこそ見つけられるのかもしれない。
Posted by ブクログ
ハンナの全体像が理解される、ガイドブック。哲学・政治哲学をコアにして歴史や論理・倫理とかなりの分野に及ぶ思想家である。「イスラエルのアイヒマン」で、ユダヤ虐殺がユダヤ人協会の協力で行われたこと、ドイツ国内の反ナチ運動は非力であったこと、アイヒマンは凡庸な公務員である・・・。状況や雰囲気を超えて、主体的個人として、本質を抉るべく、考え・洞察する迫力には圧倒される。
Posted by ブクログ
ずっと長い間気になっていたが読めていなかった一冊。
激動の時代を生きて、その中で考えることをやめなかったとても強い意志を持った女性の伝記的な一冊。
ユダヤ人の立場が理不尽に弱かった戦時中と戦後のイスラエルによるナチズムへの報復の感情が強かったアイヒマン裁判などで自身で考え抜いて周囲からどのような批判を受けようとその考えを変えることはなかった。
彼女の大切なものはユダヤ人という人種ではなく周囲の友人などでありナショナリズムなどは関係ないという言葉はやはり力強い。
彼女の哲学の内容というとしっかりと理解することはできなかったが伝記として読むととても分かりやすく面白い本であると思う。