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ひきこもっていることを悪いことだとみなして、そういった人を表に無理にひっぱりだそうとする行いを、たとえば吉本さんがテレビで見たといいます。それは、スーパーの店長がひきこもり傾向の人々を集めて、その気質を矯正しようとする行いでした。そして番組では、それを善いことだ、とする文脈で語っていたそうで。著者はそれは違うよ、と丁寧に、中学生でもわかるような言葉で語ってくれます。「分断されない、まとまったひとりの時間をもたないと、人は何者にもなれない」というところから始まって、不登校について、いじめについ、死について、自分の引きこもり気質について、世間の風潮についてまで、おしゃべりの感覚で語ってくれています(本書は口述を録音編集してテキスト化したものか口述執筆だったようです)。
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非常に面白く読むことが出来ました。
なぜなら私も吉本氏と同じく、「ひきこもり傾向が極めて強い人間」だからです。
今日も一日、ずっと本を読んで過ごしました。
仕事以外では人と会う事はほとんどないです。
1人暮らしなので、仕事以外ではほとんど誰とも話しません。
休日に友人と会う事も極めて少ないです。
そんな私の生活を肯定してくれるよな内容でした。
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stayhomeも在宅勤務も、コロナ禍ではひきこもざるを得い状況になったからこそわかること…。ポジティブなひきこもりは、むしろ、人生には必要で。ひとり時間をもつことも必要で。このタイミングでであえてよかった本。
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ひきこもりがち気質の自分には、こういう考え方でもいいんだ!という安堵が得られる内容でした。非常に共感できる内容が多かったです。
自分なりの社会との付き合い方を考えるきっかけになりました。
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ひきこもるのは悪いことじゃない。人付き合いが苦手な人は、無理に他人に合わせて軽く生きていくよりも、引きこもって自分の時間をしっかりと持つべきと説く。無理にひきこもった人を社会に出そうとしたり、ひきこもった人たちだけを集めて社会を作ろうとするのは逆効果。引きこもって内面が醸成された人は、いつかそのうちその人なりの方法で社会と関われるようになる。
一人の時間を持つことの大切さを説く著者の意見には大いに共感します。その場限りの安心を得るために、無理な人付き合いで、貴重な自分の時間を埋めることはないと思いますし。会社勤めをしていると、なかなかそうはいかないのが難しいところではありますが、そういう気持ちは持っていたい。
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「ひきこもり」という言葉にはネガティブなイメージが先行し、駄目なもののレッテルが貼られているけど、そんなことはないんだよと手を差し伸べてくれる作品でもあります。ひきこもる人は自分の内面と向き合うことが多く、思考が熟成し、それが価値になり、人間としの深みをえることもあるので、そんなに悪いことでもない。音楽や絵画、文学やるような人にはある種必要な素養でもありますしね。「学校に流れている偽の厳粛さ」という表現は言い得て妙だな。
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偶然にも、いじめ問題などにも言及している本だった。引きこもりは気質であることもある、それを認めるべきだというのは大賛成。不登校、引きこもり、子供の自殺についてのお考えも、全て賛同するわけではないけれどとても参考になった。
装丁は、字が大きめ&行間広めで、さくっと読めます。
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人は皆一人でいるのは寂しいものだと思う。
その前提から出発して、そうは言っても一人でしかいられないのは仕方ない、一人でいるのも悪くないよ、と説くのは説得力がある。
一人は寂しくないと説かれても説得力はない。
一人でいるとき、その使い方が問題だ。テレビを見ていたり、ネット上でつながっていたりするのでは、実質的に一人でいないのと一緒。内省という言葉は最近とんと聞かれないが、それをするのが一人でいるメリットだろう。
自分個人としては一人でいるのは好きだ。誰かといるのは相当に相手を選ばないと楽しいとは感じない。暗いかもしれないが、考えようによっては生きやすくできているのではないか。
一人でいても楽しいと思えるのは、他人とではなくても対話ができるときだと思う。例えば歴史や自然や文学、スポーツ、料理。何でもいいが、自分なりに楽しい、面白い、と思えること、ものが身の回りにあり、それを通して自分が新たな知見や達成感を得られるとき、一人でも楽しい。寧ろ一人だから没頭できて楽しいということもある。
そういうとき、わざわざそのことを声高に主張したいとは思わない。死ぬときだって、自分なりの楽しみをたくさん抱えて死んでいけると思う。他人に規定されない人生を歩むことが安定を生み、それが幸福ではないだろうか。
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世間では、ひきこもりって響きは、マイナスのイメージばかり。
でも、吉本隆明さんは、かなり肯定的に捉えている。
ひきこもりの人は、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです。
う~ん。深い。確かに、自分の考えや思考を深めたかったら、どっぷりと1人になる時間って必要。人生の一時期、どっぷりと「人生」とか「社会」とか、「自分」と向き合ってぶつぶつ考える時間って必要だよなあって最近思う。
”きのこ”の時間。大切にしたい。
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いい話だな、と思った。
20年前に出された本で、おそらく今よりも「ひきこもり」に対する風当たりは強かったはず。そんな中であえてひきこもりを擁護する吉本はまさに逆張りと言えるのだけれど、その逆張りも時間が経って、自然と頷きながら読めるようになっていた。
コミュニケーション能力や社会性だけが絶対ではない。自分自身の価値を生むには、また自分だけの言葉を作るには、必ず一人でいる時間が必要。考えてみれば、当たり前の話だ。そして、今の若者たちはなんとなくそれを理解しているように思えるし、実際実践していると思う。
ただ同時に、この本が出されてから20年経ち、社会に良い変化しかなかった、というわけではない。当然日本社会もさまざまな面で悪化していて、ひきこもりがいたとしてその社会復帰の問題や、そもそもひきこもっていない人たちまでもがまともな職を得られない環境ができあがっている。そういう意味で、読みながら、ふと吉本はまだ時代に対して楽観的であった(いや、ならざるをえなかった)と思ってしまった。
しかし、引きこもりでもひとつのことを持続すること、社会に何かしらのビジョンを見出さなければならないという、彼の言葉は、現在でも十分な強度をもっているはずだ。
だからこういった本は話半分、好きなところだけを頭に入れておいて、そのほかは有耶無耶なまま忘れることにしている。まさか吉本も自分の本を右から左まで丸暗記しろとは言わないだろう。そしてこの本の気に入った部分を、適宜頭の引き出しから取り出す能力を養うこと、引き出された言葉を自分なりに組み立てること。そしてこれらが、引きこもるあいだにするべき、自分自身の言葉の鍛錬なのだろう。
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絶賛社会生活に馴染めず引きこもっている今、たまたま見つけて即購入。
自分にとっての人生の価値を見つめ直している、そんな時期なんだろうなと少し納得できた。
個人的に
一般社会の中で不登校的な生き方を貫くことが大事、という言葉がとても気に入っている。
嫌でも社会や人とは関わらざるを得ないので、自分なりの関わり方を模索しようと思えるきっかけになりました。
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引っ込み思案の気質を持て余すとき、病的なものと区別するためには
「大勢の中の孤独」に安堵するといいと作者は言う。
その例として、銭湯と神社のお祭りをあげる。
これは、すごく面白いと思う。
僕は、自分ならば、そこに秋葉原と映画館と場外馬券売り場を加えたい。大勢の中の孤独って心地いいと、改めて納得する。
キャスターのように、オピニオンリーダーだったり、生き方そのものが「善」で成り立っていそうな人が志す仕事ってあるよなあ。
反対に、ひねくれてたり、劣等感の塊だったり、不器用だったり、そのような気質は本人はどうすることも出来ず、育てられた環境で規定されると吉本さんはいうけど、実際のところどうなのかな?
試行錯誤しながらも、親や周囲の大人が、こどもに対して文章や態度で示し、共に考えることが出来たら、こどもは大人になるときにそんなには失敗しないだろうか??この辺はちょっと議論が簡単すぎるきらいもある。
人の親になるということ、教えるということ、そして困難を打ち破る視点がつまった一冊だと思う。
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ひきこもりを善悪の軸で考えてはいけない。引っ込み思案は駄目で、とにかく社交的な方が良いという価値観が潜在的にあるから、ひきこもりは良くないとされているが、一人きりで、分断されないひとまとまりの時間を持つということは、価値のあることなのだ。
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1924年生まれの著者は、自分の父母よりさらに10歳年長。ひきこもりは時代を超えて存在していた。ひきこもりを肯定的に表現した書名に惹かれた。しかし、21世紀の今、著者が言うようにひきこもりの人が深く考えて生活しているか? 昼夜が逆転し、ネットやゲームの世界に逃避する若者が多くはないか? 本書が、ひきこもっている人達が自立して生きる指針になってほしいと願う。
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何か自分の身を立てるようなことを身につけるためにはまとまった、地味な時間が必要というのは、その通りだと心から思う。地道で孤独かもしれない、自分自身の時間をもつことの大切さに気づいたのは随分大人になってからだったので、子どもの時にこんな本を読みたかった。
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筆者は、ひきこもることは自分との対話の時間であり、これなしには自分自身の価値を作り出すことができない、と肯定的に「ひきこもり」を評価している。 個の力を信じ、むりやり何かをさせるのではなく自分で考えさせるということを基本に置いている。
ひきこもった状態は、たしかに自分の時間かもしれませんが、これが「自分を深める対話の時間」になるのかどうかはその人しだいではないかと思う。社会に出ることで自分と対話できる人もいるでしょう。
わたしは、この本は、ひきこもりの人たちにとって大きな力になるものだと思いますし、たまたま社会に出て生活している人たちにとっても振り返って自分を見つめなおすことの大事さを認識できる本ではないかと思います。
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閉じた集団や閉じた考え方が大嫌いな吉本さん。
大学生の頃、恩師の薦めで吉本隆明さんのぶあつくて赤いハードカバー「敗北の構造」を古書店で購入しました。きっと今よりも頭のよかったその頃でさえ理解するのが難しく読破することができませんでした。それはもう、プラトンなんかよりずっと難しく…
この文庫は吉本隆明さんがひきこもりについて普段感じていることを普段の言葉で書いてくれていて、ワタシにとってはじめての吉本さんの読破となります。
閉じた集団や閉じた考え方が大嫌いな吉本さん、その部分、おなじくひきこもり傾向のワタシにもよくわかりました。
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「3年寝太郎」とか「ものぐさ太郎」とか、日本には昔から民話として
引きこもりが語られてきたのではないか?
と感じることがある。
そこには、やはりイレギュラーな人ではあるが、それを
認めないということは感じられないおおらかさがある
と思う。
本書は、引きこもっていて何が悪いのか、
という現在の世の風潮とは逆のことが語られている。
だが、なんだか違う気がするのは、現在の引きこもりは、どうも
すべてが居ながらに手に入るというところと密接につながっている
気がして、なにかの準備期間ととらえることができない点だ。
引きこもりの客観的な原因が、ある程度わかっているのか?
ひきこもっているものが必ずしも考えているのか?
という条件付きで、本書は読まれるべきではないか?
と思えてしまう。
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概ね共感したが、昔の人だなぁ、という感じは拭えなかった。
心の病気の人とそうでない人ときっぱりと二分したり、
家族を持てば働く気にもなるだろうというような楽観視、
これらの発想はやはり昔の人のもので、
現代は、もっともっと複雑に入り組んで繊細で、
昔ほど単純ではないと反発したくなってしまった。
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よかった!ところ。
「ひきこもりが生み出すもの。
他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらすような言葉。感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉。ひきこもることによってそんな言葉を持つことができる。」
「ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、『価値』という概念がぴたりと当てはまります。」
「価値を生み出すためには、絶対に引きこもらなくてはならないし、ひきこもる時間が多い人は、より多くの価値を増殖させていると言えます。」
「あなたは社交的ではない代わりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より世系にやっているのです。それは毎日毎日、価値を生んでいるということなのです」
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私も引きこもり気質なので、大勢の中の孤独で安心というのはすごく分かる。
私の場合は、飲み屋のカウンター席であったり、少し騒ついた喫茶店がその場所だ。ネクラは死語になったけれども、社交性を讃美する風潮と正常であることへ狂信は、引きこもり気質の私たちには煩わしく感じてしまう。
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ひきこもれ、
というと社会に出てる人らに対しても
ひきこもりを推奨しているようだが、
そうではなく、ひきこもってもいいんだよ
的なニュアンスだと思った。
病気に関してはプロに任せるべきといいながら、
自論を述べるあたりは少し矛盾を感じたし、
ひきこもりの話から
いつのまにか、死や戦争、老いの話まで
だいぶ離れていった。
私は単純に吉本さんがどう考えているかを
読みたかったのでそれでも満足できたが、
ひきこもりを研究してる人には
少し畑違いな気もした。
吉本さんの時代のひきこもりと
現代のひきこもりでは
少し意味や、もちろん価値観も違うんだろうなと思いながら読みました。
個人的なあまり納得いかないパート
・偽の厳粛さに耐えられない子どもが不登校になる
・教師が生徒と向き合おうとするから生徒は迷惑する
・いじめる子どもと、いじめられる子ども どちらも心が傷ついている
・子どもの自殺は親の代理死である
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人と話すことが第一の言語だとすると、
自分との対話をするのが、
第二の言語であると作者言ってます。
この第二の言語を通して自分の価値を広げていく。
孤独や引きこもりは大人の言語を深め自分の価値を広げるために必要なのだとわかりました。
しかしただ引きこもっていればいいと
言うことではなく
他者に違和感を持ちながらも学校に行くこと
違和感を持ちつつも外と交わることに意味がある
という話も心に残りました。
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評論としてなら数ページでまとめられそうなことを
うまくかみくだいて1冊に仕立てた本
内容はともかく考えというものをひとに伝える手段として
これはこれで良い方法なのかよくわからない
Posted by ブクログ
思想以前に、戦中戦後を生きた方の話は、その考え方の違いを触れられるという意味でも面白い。
とても易しい文書で書かれているので、おそらく深い示唆があろう内容であっても今の私にはあまり読み取れなかったのは残念。もっとこの方の文章を読んでみようと思う。