【感想・ネタバレ】承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱のレビュー

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傑作。皆それぞれの立場があって、命をかけてそれを全うしていたんだろうなと想像して号泣した。当時も人が死んだらちゃんと悲しい。

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2023年10月15日

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朝廷と武士との関係に変化を与えた、承久の乱。
それに至るまでの経過を、平安時代の院政の始まりと
武士が台頭から、乱後の情勢まで、粛々と説明してゆく。
序章 中世の幕開き
第一章 後鳥羽の朝廷  第二章 実朝の幕府
第三章 乱への道程   第四章 承久の乱勃発
第五章 大乱決着    第六章 乱後の世
終章 帝王たちと承久の乱
国名地図、主要参考文献、関係略年表有り。
文中に適宜、略系図、地図等有り。

承久の乱へ至るまでとその後の情勢と歴史の変遷について、
史料を駆使し、学者や作家の様々な説を考察し、
或いは引用しながら、時代の流れを簡潔に語り、
特に節目にあたる和田合戦のような事件や
政治にも関わる和歌等の事項は、詳細に記述されている。
最初に朝廷。
院政の始まりから権力が絡む対立と武士の台頭。
平氏と源頼朝の動向に関わる後白河法皇。
正統の王とは何かを模索する後鳥羽の、マルチな才能と院政。
次いで鎌倉幕府の将軍、源実朝。
和歌での後鳥羽との繋がりと統治者としての姿。
朝幕協調の平和は、後鳥羽の支援と実朝の将軍親裁の強化。
後鳥羽の子を将軍にして後見する実朝の幕府内院政の夢は、
後鳥羽の日本の帝王への夢とも繋がる・・・はずだったのが、
実朝暗殺により空しく散る。更に大内裏の焼失。
大内裏再建への造内裏役への大抵抗への嵐。
幕府をコントロール出来ないことへの後鳥羽の憤り。
そして承久の乱。
後鳥羽の布石、万全の戦略ではあれど、未来予想図は予測不可。
後鳥羽ワンマンチーム対チーム鎌倉の戦いの状況と決着、
戦後処理とその後までは、かなり詳細に綴られている。
結果、公武の関係が劇的に変わり、武士の世と成る。
本郷和人氏の「承久の乱」は分かり易く簡潔な印象でしたが、
坂井氏は、より詳細で重厚な専門書の印象。
承久の乱とその後について詳しく知りたかった自分としては、
大いに欲求を満たされた内容の本でした。

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2023年02月19日

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後鳥羽や実朝、義時といった当時の人々の人間像がつぶさに浮かび上がり、読み応えがあった。承久の乱は巷間伝わるような滅びつつあった王権が仕掛けた無謀な戦争ではなく、鎌倉方・京方ともにギリギリの判断が勝敗を決した側面がリアルに跡づけられ、当時の社会に及ぼした影響の大きさを実感した。

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2021年01月30日

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2022年大河ドラマ「#鎌倉殿の13人」の予習として読んだのだが(気が早い)、非常にわかりやすく、一気に読み終えてしまった。
第一次出演者発表後の人物相関図を横にして読むとよりわかりやすい。
著者が時代考証を担当されるとのことなので、今から22年の放映が待ち遠しい。

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2020年11月22日

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何となく、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を潰そうとしたけど、反対に潰されて、島流しになった、ぐらいにしか理解してなかった「承久の乱」

白川上皇による院政誕生から、堀川、鳥羽、近衛、崇徳、後白河への流れを通して中世の始まりを説明してくれ、平治の乱、保元の乱、頼朝の鎌倉幕府までを丁寧に解説してくれる。その上で、三代将軍源実朝の暗殺、幕府に対する不信による後鳥羽上皇の承久の乱への流れを淀みなく教えてくれる。

とっても面白かった。

実朝は思っていたよりもずっと優秀な政治家であったりとか、後鳥羽も意外とまともな人物だった。

白河上皇は孫の(後の鳥羽天皇)15歳に、藤原公実の娘璋子17歳を入内させる。璋子は父亡き後、白河の養女になっていた。璋子は入内しても鳥羽と同衾せず、白河の御所に戻ってしまった。璋子が産んだ子は、白河の子だと噂される。当時白河65歳。その子は後の崇徳天皇だった。という話がなぜか心に残った。

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2019年02月15日

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 認識を改めたのは、後鳥羽上皇がただ戦に負けた愚かな君主ではなかった事。承久の乱の顛末だけを見ればそう見えるのだが、実は朝廷の権威を高めようと足掻いていた事を理解した。
 源実朝の暗殺がなければ、武士の世の到来はまだまだ遅れていただろう。

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2019年01月28日

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2022年度の大河ドラマ、三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」(北条義時=小栗旬、北条政子=小池栄子、源頼朝=大泉洋)は大ヒットとなった。
かつての大河ドラマ「草燃える」(北条義時=松平健、北条政子=岩下志麻、源頼朝=石坂浩二)のリメイクで、主役は、史上最も人気の無い(と言われる)北条義時だ。
一体誰がこんな地味で暗く陰湿な男のドラマなど見たいだろうか?
しかし、そんな予断を見事に裏切って、この大河ドラマは、三谷幸喜の絶妙の演出と、優秀なキャストによって、一年間高視聴率をキープしてみせた。
お見事!と言いたい。

大河ドラマ「鎌倉殿」のクライマックスは承久の乱だった。
それまで天皇家は戦争で負けたことがなかった。
天皇家と戦うというだけで、相手は戦闘意欲を失い、腰砕になってしまうのが常だった。
承久の乱もそうなる筈だった。
後鳥羽院は、鎌倉幕府に戦争を仕掛けるが、戦争で勝とうなどとは思っていない。
相手を朝敵と名指すだけで十分だと考えたのだ。
案の定、朝敵と名指しされた鎌倉方は腰砕けとなり、まともに天皇家に弓引こうなどと言う武士はどこにも居なかった。
義時にしても、全軍を任された義時の嫡男、泰時にしてもそうだ。
ビビる鎌倉武士を、ただ一人叱咤したのが、鎌倉殿の役を務めていた北条政子だ。
出陣することに決まったものの、ビビった泰時は出陣前に、父である義時にお伺いを立てる。もし、敵の陣に後鳥羽院がいることがわかったらどうしたら良いか、と。
その時は、全員、馬から降りて土下座して謝れ、と言うのが義時の回答だった、と言う。
幸い(?)、後鳥羽院が出陣しなかったがために、泰時は思う存分戦うことが出来、鎌倉方は勝利を収めた。
これが、日本史上、初めて無敗神話を誇った天皇家
が、敗北した戦争なのだ。

本書は、その「承久の乱」を主題として、「鎌倉殿」の主人公、北条義時が、時代の巨大な転換を行ったことを十分に理解させてくれる。
承久の乱が、日本史上、途轍もなく大きな意味を持ったこともよく分かるのだ。
著者の坂井孝一は、「鎌倉殿」時代考証も務めた。

承久の乱を日本史の画期と見做すのは、社会学者、大澤真幸も同様だ。
大澤真幸は、「日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」において、日本史上、唯一成功した革命が、承久の乱とその乱後の処理(貞永式目の制定)にあったと断定している。
大澤真幸は、それを主導したのが、義時の嫡男、泰時であったと、革命のヒーローを北条泰時であるとする。
本書では、それを批判し、大澤が「日本で唯一の革命」と呼ぶ承久の乱とその乱後の処置を決定したのは、泰時でも義時でもなく、政子であったと述べる。
鎌倉殿の地位にあったのが政子であったことを勘案すると、坂井説に軍配があがるのではないか。

坂井は、また、後鳥羽院が起こした承久の乱について、「後鳥羽院は討幕まで考えていなかった」と主張する。
その意味では、時期を合わせて発行された本郷和人「承久の乱」の見方を否定するものとなっている。
本郷説は、承久の乱の目的は、明らかに討幕にあったというものだからだ。

坂井は、後鳥羽院が倒幕を目指したという本郷も与する「謬説」がどのように一般化したのか、「文献」と「思い込み」の二点で説明してみせる。
中々、説得力がある。

「文献」とは、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」だ。
ここには、後鳥羽院の意図を「倒幕」とすることで、鎌倉方の団結を図った、と述べられている。
「倒幕」と見做すことで、メリットあったのは鎌倉幕府だったのだ。
その記述に、歴史家が引っかかったというのだ。

「思い込み」とは、後醍醐天皇による討幕の過去への投影、ということだ。
承久の乱から100年後、後醍醐天皇による倒幕計画が成功し、鎌倉幕府は崩壊する。
この倒幕という歴史的事実を過去に投影することで、後鳥羽院の意図も、後の後醍醐天皇と同様、討幕にあったと誤認した、というのだ。

歴史的闘争はすべて土地を巡るものであることが
本書を通して、つくづく理解出来る。
土地の取り合いはオセロゲームのようなものだ。
承久の乱で鎌倉幕府が得たのは、
 平家領500+天皇領3000=3500領
という膨大な領地だった。
天皇家の土地ばかりか、それまで手の届かなかった西国の平家領まで手にしているのだ。
これが、源氏鎌倉幕府による全国支配に繋がっ
た事が分かる。
承久の乱が無ければ、鎌倉幕府は、東国の地方政権で終わったという事だ。
その意味では、源氏三代の将軍は、全国の支配者ではなく、鎌倉を中心とした地方政権の主人(あるじ)に過ぎなかったのだ。
真の全国政権は、承久の乱後のことであり、初めて全国支配を成し遂げた鎌倉殿は、誰あろう北条政子であったということになる。

承久の乱は、兼ねてから議論のポイントになってきた。
今や葬り去られた戦前の皇国史観学者、平泉澄の理論を社会学理論のモデルに作り変えた小室直樹も承久の乱を日本史の画期と見做している。
それは、古来から日本にあった「予定説」が「因果律」に転換した思想的画期であるというものだ。
この理論モデルによって、日本史の思想的展開、承久の乱の持つ途轍もない影響の意味が分かる。
(小室直樹「論理の方法」)

坂井孝一は、源実朝に関する研究で実績を上げた。実朝像の転換を図り、教科書の記述まで変えた業績は大きい。
教科書の記述も歴史学者の研究の進展によって、次々と書き換えられて行っているのだ。

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2023年08月12日

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後鳥羽上皇は、多芸を嗜んだバランス感覚のある人物であったんだろうなあと勝手に想像しています。
世が世でなかったら、色々な方面で功績を残せたんだろうに。
でも、どこの時代でもこういう人はたくさんいるんでしょうね。

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2023年01月28日

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源実朝は朝廷への崇敬が篤かった人物とされる。
「山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも」
この実朝の和歌は君(後鳥羽上皇)への忠誠を詠っている。このため、戦前には愛国百人一首に選ばれるなど皇国史観・軍国主義に利用された。

「君が代も 我が代も尽きじ 石川や 瀬見の小川の 絶えじとおもへば」
これも実朝の和歌である。これは君が代(後鳥羽上皇の治世)も我が代(自分の治世)も終わることがないと詠っている。上皇と自分を一体化させることで自分の治世を強化させようとする大胆な和歌である。実朝は皇室に一方的に忠誠心をささげるような忠君愛国の勤皇家ではなく、自分の権力のために朝廷を利用する強かな為政者であった。御恩と奉公Give & Takeの世界の住人である。

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2022年11月03日

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「鎌倉殿」の今後の展開を大いに勉強した。承久の乱は比較的簡単に終わった史実だと思っていたが、
その後の武家政権の確立につながる重要な事件であることがよく分かった。乱の陰で多くの敗者がいたことを忘れてはならない。

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2022年02月07日

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院政の成立から幕府草創、承久の乱に至る過程から乱勃発、乱終結後の一連の流れが描かれていて興味深かった。

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2021年10月11日

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朝廷と幕府の対立関係が見えてくるまで、結構難儀しながら読んだ。一旦、構図が掴めるとあとは本当に面白く読めた。

流罪地での後鳥羽の旺盛な和歌詠みに、表現とは狂おしきものだと心に沁みた。

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2021年05月16日

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本郷和人氏の『承久の乱』と比較すると、こちらは後鳥羽院の巨人ぶりが際立つ。文化発展に寄与した側面だ。帝王としてのコンプレックス(三種の神器を継承していない)からそうした帝王らしさを追求したとの見立てだ。

また「鎌倉幕府」の存在感も強調されている点は、本郷本との大きな違い。本郷氏は鎌倉幕府というよりも、「北条義時とその仲間たち」という側面を強調。一方、坂井氏本では「チーム鎌倉」の意義を強調しつつも、義時の存在感は左程強くない。後鳥羽院の義時追討の院宣を、鎌倉幕府は幕府への攻撃と見て、一枚岩になれたのが、後鳥羽院のワンマンチームであった朝廷側に大勝利した原因と捉える。

本郷本は実朝暗殺の黒幕は義時とするが、坂井本はこれを真っ向から否定し、公暁単独犯説を取る。そのため、「承久の乱」勃発そのものには偶発的な要素を多く認める叙述となっている。本郷本は在地領主の経済的利害とそれに基づく国家構想と朝廷のそれらとのせめぎ合いが乱の大きな見取り図を提供しているのに対し、坂井本は後鳥羽院のキャラ要素が際立っているように思う。

後鳥羽院が、実朝暗殺を許した挙げ句に権力闘争を京に持ち込む“怪しからぬ”幕府の真の実力者を義時と見て、その義時を排除し、幕府を朝廷のコントロール下に置こうとしたのは確かだろうが、問題は義時がそれを含んで挑発行為を企図していたかどうかだと思う。乱の終結後、幕府が速やかに三上皇を厳しく処断し、かつ朝廷を実質支配下に置いたことは、たまたま乱に勝利したからではなく、最初から意図的に乱を起こさせたという側面が強いように思う。

いずれにせよ「承久の乱」以降、建武の新政を挟むものの、650年にわたる武士の時代が成立していったのである。

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2020年10月31日

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ネタバレ

#鎌倉殿の13人 #ラスボス
#後鳥羽上皇 
貴族の政治とは儀礼
衰退した宮廷儀礼を立て直す
=あるべき貴族社会を上皇が再建!

1.習礼→諸家の日記提出し研究 
台記:藤原頼長日
玉葉:九条兼実
2.公事堅義→学んだ儀礼の口頭試験
3.成果→故実諸「世俗浅深秘抄」
4.実践→直後に節会習礼
内弁役の九条道家を上皇は見事と褒めた
※内弁 大極殿等儀式の主会場の最高責任者
 一之上卿(一上)=筆頭公卿が務める
 作法知識必要=家に伝わる日記が重要
(清盛は役不足で太政大臣の時もしてない)
子の順徳天皇も故実書「禁秘抄」著した
有職故実と帝王学
※禁中並公家諸法度第1条→禁秘抄コピペ

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2020年01月13日

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承久の乱をその前史から結末まで記述した一冊。乱前後で幕府と朝廷の力関係が変化し、社会構造の転機となったことが論述されている。院政期から鎌倉時代初期の流れが良く分かって勉強になった。

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2019年10月20日

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ネタバレ

一二一九年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が暗殺された。朝廷との協調に努めた実朝の死により公武関係は動揺。二年後、承久の乱が勃発する。朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、執権北条義時を討つべく兵を挙げたのだ。だが、義時の嫡男泰時率いる幕府の大軍は京都へ攻め上り、朝廷方の軍勢を圧倒。後鳥羽ら三上皇は流罪となり、六波羅探題が設置された。公武の力関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決定づけた大事件を読み解く。

序章:中世の幕開け
第1章:後鳥羽の朝廷
第2章:実朝の幕府
第3章:乱への道程
第4章:承久の乱勃発
第5章:大乱決着
第6章:乱後の世界
終章:帝王たちと承久の乱

承久の乱が、武士の世を決定づけたことは間違いない。
しかし、歴史の授業で習った承久の乱像を捨てる必要がある。
後鳥羽上皇は優秀な人であったし、当初は鎌倉と対立するつもりもなかった。
実朝亡き後の鎌倉幕府が一丸となって戦ったのに対し、
後鳥羽上皇側の読みの甘さやチーム力の弱さが際立っていた。


乱に至る経緯や細かな内容まで求めていない人は、
「承久の乱」日本史のターニングポイント (文春新書) 本郷和人氏の著作で十分だろう。

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2019年10月01日

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ネタバレ

流石中公新書の乱シリーズ、コンパクト且つきめ細やかな記述で分かりやすく著者の説がよく提示されている。
 はじめにで史料について丁寧に解説してくれるのがうれしい。
 坂井さんの実朝評価はあらためて勉強になっていて、武士として将軍として堂々とふるまおうとしたことがよくわかる。また、和田合戦が初期鎌倉時代における重要な合戦であったことが分かった。そして、実朝謀殺の背景については、公暁単独犯行説をとられている。
 後鳥羽については万能の王だが、部下からは研修ばかりやりたがるめんどくさい会長くらいだったのではないかと、現代風に解説していて面白い。
 承久の乱の経緯については、チーム鎌倉の結束が、北条政子のたくみな演説によって達成されたことが分かった。
 それにたいして、ワンマン後鳥羽、三浦氏を抱き込むのに失敗して大敗である。北条泰時が一時死地に赴いたのは知らなかった。

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2019年06月26日

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後鳥羽上皇は誤解されていると著者は言う。その通りのイメージしか持っていなかった。そ「無謀にも幕府にたてつき、返り討ちにあって島流しになった、時代の流れを読めない傲慢で情けない人物」というもの。
研究が進んで、実は朝廷では最高の実力者だったし、倒幕を目指して乱を起こしたのでもない。朝廷と幕府との関係を再構築するのが狙いだったことも分かる。
でも、読み終わってますます誤解は深まったな。

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2019年03月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

承久の乱が後鳥羽上皇の倒幕運動ではなく、北条義時の追討をし、幕府をコントロール下に置こうとする意図だったのを、北条義時側は幕府に対する攻撃と捉え直すところが面白い。

源実朝という若い朝廷と融和した将軍が失われたことで、幕府と朝廷との間にヒビが入っていき、巨人後鳥羽院が動き出す様が、抗うことができない歴史の流れを強く感じた。

歴史学では、当り前なのかもしれないが、『平家物語』の印象的な場面、宇治川の先陣争いなどが、『吾妻鏡』の記事を基に作られているとあった時に、確かに文学と史書、時代の前後関係から考えると宜なるかなと納得した次第。

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2019年03月07日

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日本史に詳しくないので、最後まで読み通せるか不安だったけど、読みやすくて通読できた。
面白かった。

平安時代(末期でいいのかな?)に成立した院政の解説から始まり、後鳥羽院の人物像、鎌倉幕府三代将軍の源実朝の惨殺、そして、承久の乱の具体的な経過、乱後の幕府の体制へと話題が進む。

承久の乱における朝廷と幕府の関係を「後鳥羽ワンマンチーム」対「チーム鎌倉」との言い表しているのが言い得て妙。

後鳥羽院による「北条義時追討」の院宣や官宣旨が発しられてから鎌倉方が入京して京方を制圧する迄の期間が約1カ月。こんなにあっさりと方がついてしまったとは知らなかった。

源実朝の死後、北条家による執権政治で幕府が治められていたのは以前から知っていたけど、源頼朝の直系が不在になってしまって将軍職は誰が継いでいたのだろう、という疑問も本書を読んで解消。将軍職は京都の摂関家の人間が派遣されていたのですね。

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2019年02月24日

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隠岐に流された上皇という認識しかなかった後鳥羽上皇が、武芸ともに優れた不世出の天皇であったことを知る。公暁という一人の若者の凶行をきっかけに、日本史のあり方そのものが変わった。そして、承久の乱により、その後400年以上続く武士の世が決定づけられた。このような歴史理解を得ることができた。
中公新書の「応仁の乱」「観応の擾乱」に続く「乱シリーズ」の中でも、人間関係が比較的わかりやすく、理解しやすい。

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2019年02月05日

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後鳥羽上皇や源実朝という人が私たちの常識と如何に違っているのかを痛感した。後鳥羽と実朝は和歌の名人同士というだけでなく、深い信頼関係があり、実朝は第4代将軍を天皇家から招いて朝幕の関係を更に深めようとしていた。実朝はひ弱ではなく、名君というべき後鳥羽はカリスマ的スーパーワンマン経営者!承久の乱とは実は東西の決戦で、宇治川あたりでの戦闘が激しく、実は平家物語の宇治川の戦いの描写はこれをモデルにした!吃驚である。後鳥羽は幕府を滅ぼそうとしたのではなく、北条義時一人を除こうとしたが、討幕の動きだと義時・政子側がうまくアピールして御家人たちをまとめた。興味深い主張だったが、最近の日本史の研究成果として従来の通説が崩れつつあるようなのだ。

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2019年02月02日

Posted by ブクログ

フィクション『実朝の首』を読んだことが切っ掛けで本書を読む。2018年12月に出版された本書を読めたことは幸運と言える。歴史学者の視座で、後鳥羽上皇が院政を執るに至る経緯を丁寧に書き起こし、続いて実朝暗殺という史実から、本論である承久の乱へと続く道程がとてもよく分かる。勝敗の分析も良い。武家が日本を支配する世の大きな一歩となる出来事だが、その武家は徳川でさえ300年しか君臨できなかった。日本人の精神の中に、無条件で天皇という存在を肯定する何かがあるのか、その大きさを改めて感じた。

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2019年01月26日

Posted by ブクログ

日本史の大きな転換点となった承久の乱を、前後の史実で浮かび上がらせる書。院政、鎌倉幕府の成立から対立、乱の実態、その後の変化と、読みどころが多い。
それにしても、『鎌倉殿』ロスが続いている、、、

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2023年05月20日

Posted by ブクログ

通史としての鎌倉時代が分かりやすく述べられている。中心となるのは後鳥羽院だが、その存在感は特段の強さがある。勿論承久の乱に敗れ、隠岐への流罪となるが、本来主人公となるべき北条氏の誰よりも個性的に見える。

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2022年12月17日

Posted by ブクログ

この直前に読んだ新書よりは学術寄りかな、中公のプライドかな?ただチーム鎌倉とか微妙かもしれませんけれど。
まぁさておき、義時追討を情報操作•すり替えによって幕府攻撃とした。まさに暗闘に相応しい。どうやらこの著者、大河の監修に関与している?模様だから、この線で行くのかな、行きそうだな。

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2022年10月12日

Posted by ブクログ

日本史、殊、鎌倉時代については無知極まりなく。今年は
『鎌倉殿の十三人』にハマりにハマりまくってしまい、本書を手にしました。大河でもクレジットとして名前が出る著者ですね。三部作の一冊目でしょうか。

オッケー承久の乱までの流れ、そして承久の乱後の武家公家の力関係の逆転などそのインパクトは掴みました。

個人的には、実朝といい後鳥羽といい、和歌などの文化に造詣が深い権力者に魅力を感じてしまいますね。

僕の中では、承久の乱の敗北で何となく間抜けな印象のある後鳥羽の再評価もできました。

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2022年09月28日

Posted by ブクログ

「鎌倉殿の13人」をきっかけに鎌倉時代のお勉強をしよう第2弾がこちら
ちなみに同じタイトル「承久の乱」でTVでお馴染みの本郷和人氏も出版しておられる
比較すると面白いだろうなぁ

本書は「承久の乱」とタイトルがあるものの、中世の始まりからきちんと筋立てて進められるので時系列的にもわかりやすい
その後に、後鳥羽上皇と源実朝について説明があり、いよいよ承久の乱…という親切な流れである

まずは後鳥羽と源実朝の人物像
後鳥羽
正統なる王を目指し、三種の神器にこだわっていた(平家のせいで手元になかった)
祖父の後白河と似ている点が多くあり、その一部が好奇心旺盛、既成概念にとらわれない自由さと遊び心がある…あたりらしい
歌、琵琶、蹴鞠など芸術面もスポーツマン
さらには太刀の制作までしたというまさに多芸多才の極地
また宮廷儀礼の猛勉強をし復興を果たす
バイタリティ溢れる人物であるが、周りが振り回されて大変だったようである

一方の源実朝
源頼朝と北条政子の次男
北条氏が乳母夫
(兄の源頼家は比企氏が乳母夫 ここで北条との確執が生まれる)
将軍でありながら和歌や蹴鞠にふけ、朝廷と幕府、源氏と北条氏の狭間で苦悩し、若くして甥に殺された悲劇の貴公子…というイメージだが、最近の研究では違うようである
北条義時の要求にに対し毅然とした態度をとり、自立し出す
また統治者としていくつかの政策を打ち出し成果を上げている
唐の「貞観政要」も学んだらしい
また朝廷・後鳥羽とも良好な関係を築き上げ、支援を取り付けwin-winの関係に
ただ、実朝は実子がおらず、側室ももたなかったようで(ん?)、将軍継承問題がはらんでいた
しかし実朝並びに幕府首脳らは後鳥羽の皇子を…と交渉
これも朝廷側にも幕府を抑え込められメリットがある
いずれにせよ後鳥羽朝廷と実朝幕府はバランス良く保たれていた
とうとう右大臣にまで昇り詰めた実朝だが、その右大臣拝賀の日、兄頼家の息子公暁に自身が別当を務める鶴岡八幡宮で暗殺される
著者は北条義時黒幕説、三浦義村黒幕説は否定

源頼朝以上の位を得、朝廷と良好な関係性を築き上げた実朝の死が後鳥羽と幕府に影を落とす
幕府は九条道家の子三寅を将軍予定者にし、北条政子・義時姉弟を中心とした新たな体制を築いた
一方、京都では、源頼茂の謀叛によって大内裏が焼失し後鳥羽にストレスがかかり出す
幕府内の権力闘争が都に持ち込まれたと後鳥羽は苛立ち、幕府のコントロールが効かなくなったと考え、その元凶の北条義時を排除しようとしたことがきっかけで承久の乱が勃発する
ここから大政奉還までは武家の優位性を公家に渡すことはなかった
そういった意味でも歴史の転換点といえる

また承久の乱勝敗の要因は以下のように分析される
チーム鎌倉vs後鳥羽ワンマンチーム
適材適所に活躍し、強固な結束力と高い総合力を誇る鎌倉方
一方のマルチな後鳥羽は全てを一人でこなそうとする独断専行の京方
ここが勝敗を分けたポイント
武家は闘いのプロだ
その辺りの後鳥羽の認識の甘さが敗因では…
治天の君が幕府よって流罪に処されると言う前例のない異常事態が起きた
後鳥羽の流人生活は約19年に及び享年60歳で没した

読みやすく順序よくまとめられているので、知識が浅くても読みやすい
様々な参考文献と著者の解釈で進行し、非常に丁寧に描かれている
しかしやはり途中から、誰が誰やらわからなくなってくる
トホホ
まぁまぁ、完璧を求めず少しずつ層を厚くしていければ…

それにしてもやはりまだ北条義時の凄さがピンと来ないんだよなぁ
どうしても北条政子が目立つ
北条義時の凄さがわかる読み物を探してみなくては…
しばらく鎌倉時代が継続しそうである

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2022年03月31日

Posted by ブクログ

中世王権の最後の輝きたる後鳥羽院の業績を中心に、実朝との関わりなども含め、何故承久の変が起こり朝廷が呆気なく敗れさったかを読み解く。

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2020年12月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

承久の乱が、貴族社会から武士の社会への転換点であることが、よくわかる。本郷氏の「承久の乱」も読んだので、意見の異なる点があるところを見つけるのが面白い。

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2019年06月23日

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