【感想・ネタバレ】日本文学史早わかりのレビュー

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講談社文芸文庫
丸谷才一 「 日本文学史早わかり 」


西洋の文学史の枠組みにとらわれず、勅撰集(詞華集)に注目して、日本文学史をまとめた本。

5つに分けた時代区分は、年数に偏りはあるが、宮廷文化の盛衰 や文学の共同体的性格という目線から 分けられ、とてもわかりやすい


詞華集に代表される日本文学の大半は、共同体的な立場で書かれたものだったが、明治時代において、西洋の刺激が強すぎて、詞華集のない文学になり、個人主義的になったという論調


「趣向について」という論考から、自然主義文学や私小説といった個人主義的な純文学に対して、批判的立場をとっていることがわかる



時代区分、指導的な批評家など
1.八代集時代以前(9世紀半ばまで)
「萬葉集」

2.八代集時代(13世紀半ばまで)
「古今集」「新古今集」
宮廷文化の全盛
紀貫之

3.十三代集時代(15世紀末まで)
「新勅撰集」「風雅集」
宮廷文化の衰微
藤原定家

4.七部集時代(20世紀初めまで)
応仁の乱から日露戦争(自然主義の勃興)
芭蕉七部集
宮廷文化の普及
藤原定家

5. 七部集時代以後
個人詩歌集
宮廷文化の絶滅
正岡子規


5の時代区分(明治時代)において、天皇は恋歌を詠まなくなったことの意味
*天皇自身が勅撰集の伝統を否定し、宮廷が宮廷文化を拒絶した
*日本文学が個人主義的になったことの現れ


江戸の文学趣味の基本は「新古今」
「新古今」は古代文学の終わりを飾り、近代文学の先駆けを示す


「趣向について」
日本自然主義と私小説によって成り立つ日本の純文学は〜趣向を軽んずることによって、江戸文学と対立しているだけでなく、人類の文学史全体と対立している


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2023年12月14日

Posted by ブクログ

「美意識の型」を提示することは一国を統治する上できわめてコストパフォーマンスの高い打ち手であり、従って日本文学は「土俗的かつ洗練された」宮廷文学(=勅撰詞華集)を中心に回っていたという洞察。

また本論ではないが、日本の自然主義文学の特殊性についての指摘も興味深かった。西欧文学史の中ではそもそも異端な19世紀文学を、さらに煮詰めて手本としてしまったがゆえの孤独な自我へのフォーカス、そして社会・風俗の中の人間という視点の欠如。

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2023年01月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

女子大生の皆さんと出会っていると、僕自身の無知もさることながら皆さんがモノを知らないことに唖然としてしまうことが多い。知らなくてもいいことかもしれないけれど、知っていたほうがいいことのひとつに文学史がある。

どの作品を誰が何時書いたか、そんなふうに要約されがちなジャンルだけれど、本来は違う。万葉集以来、ハハハ、大きく出ましたね、どれほどの書物が、この国において、文学の範疇として残されてきたのかしらないけれど、それが何故その時代の、その人物によって書かれたのか、そう考える所に文学史の意味があるのであって、そこが文学史の「史」たる所以というものだ。

  文学を文化現象として捉える為の文学史。

 そう考えると、もう亡くなって久しい、丸谷才一という小説家の名前がすぐに思い浮かぶ。「日本文学史早わかり」(講談社文芸文庫)、「忠臣蔵とは何か」(講談社文芸文庫)、「恋と女の日本文学」(講談社文庫)の三部作がわれわれ素人向けに書かれた丸谷流日本文学史の真骨頂。

  たとえば、「忠臣蔵とは何か」では歌舞伎の演目としての忠臣蔵において、例えば討ち入りのシーンは何故あのような火事場装束という衣装の役者によって演じられたのか、ということを考察のきっかけとして、御霊信仰の文学的意味について懇切丁寧、且つ薀蓄山盛に語っていて、文化人類学がらみで文学史に興味を持っている人なら、読み出したら止まらないに違いない。

  「恋と女の日本文学」では中国の古典文学には恋の話が極端に少ないのに対して、万葉から源氏物語に代表されるわが国の古典は「恋」だらけ。いったいこの違いはどうしてだろうというのが基本テーマ。

  丸谷才一が言うには、この違いに関心を持った、おそらく最初の人物が本居宣長。「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」(宝暦十三年・1763年)という「もののあわれ」について論じた書物の中で以下のように論じているらしい。丸谷才一現代語訳を引用する。彼は旧仮名遣いの人なのであしからず。

 《人間が好色なのは、昔も今も、日本も中国も、みな同じだが、中国歴代の史書を読むと、あの国は日本よりも淫猥なことが少し多いやうである。ところがあの国は、何につけても倫理善悪のことだけうるさく言ひつのるのが癖になってゐて、好色のことなども例の賢ぶる学者たちが非難してあばき立て、憎々しい口調で厭らしさうに書き記す。さういうふわけだから、詩にしても、自然さういふ国の風俗に従い、堂々たる男子の雄々しい心構へについて言ふのが大好きで、それだけをあつかふ。めめしくて見つともない恋情の情など、恥ぢて口にしない。しかしこれはみな、表面を取りつくろい、偽る態度で、人情の真実ではないのに、それを読む日本人は深く洞察せず、中国の詩文にあるのを事実と思ひ込み、中国人は色情に迷ふことが少ないなんて判断する。馬鹿げたことである。わが国の人は何につけても寛大で利口ぶらないため、道徳をうるさく言ひ立てることもしない。人生の姿をありのままに表現した本のなかでも、歌にまつはる物語などはとりわけ「もののあわれ」を大事にしてゐるので、色好みな人びとの感情を率直勝つ流麗に書き記す。(以下略)》

  宣長がこうした主張にいたった事情について、丸谷は二つのポイントを指摘する。

  ひとつは西洋近代の恋愛小説を知らなかったにもかかわらず、こう主張した宣長の恋愛体験について。

  もうひとつは宣長が日本の古典のみならず、漢文の書物についても非常に博学多識、勉強家であった点。

  もちろん、日本文学に関する考察としてはここが始まりであって、宣長の影響下に明治の小説群もあったというのが作家の主張。

  ついでの話だが、宣長が平安朝の美意識を評して使い、定着している「もののあわれ」という用語の出典は藤原俊成の歌だそうである。

 恋せずは人は心もなからまし もののあわれもこれよりぞ知る  藤原俊成
 
  この本の後半では、丸谷は「女の救われ」というテーマで今度は平家物語の悲劇のヒロイン建礼門院徳子めぐる考察を繰り広げる。これまた面白いのなんの、ハハハ、要するに皇后さんの男性遍歴についての考察なんですね。面白がり方が少しおっさんかもしれない。反省!

 ともあれこの本は講演を元にしていて、読むのに手間がかからない。教養の間口を広げる読書としてはオススメ。(S)

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2019年01月29日

Posted by ブクログ

通説である政治史と文学史を一致させた区分ではなく、著者独自の勅撰集・七部集を基準とした時代区分に新鮮味を感じた。

文学者というのは、新説を提起する存在でなければならないのだなあという感想を抱いた。

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2011年12月12日

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