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最高。
ずっと漂うシュールな空気感と妙に人間臭い登場人物が、滑稽な雰囲気を醸し出していて良かった。
みんななんだか変な人だけど、宗ニ母と和田レミがおもしろすぎた。
夫婦の形はそれぞれだけど、このくらい自由であってもいいかもと思った。
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とにかく病んでて、でも人間ってこんなもんなんじゃないの?って感じがします。
なので、好きです。
病んでる方は元気でると 思います。
日々生きていく中で、幸せってなんなの?
でも ほんのささいのことで、人間って救われるし幸せになれるってのが分かる。
角田先生の日常の自虐的な表現、冷めてる人間観察 はまります。
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「終わった人」と並行して読んでたんです。だもんで、落差というか格差というか、寄りかかるべき価値観、よって立つものがない世代の人々の悲哀をモロに感じました。悲哀、でも底抜けの気安さとでもいいたい安逸さもあるわけです。
子どもできない、夫婦仲そこそこ、半ば別居状態、でも嫌いじゃないし、
どの類型にもあてはまらない、将来の展望もない、でも不幸を感じてない
なら、いいじゃん。でも、将来は???
これって、無間地獄ってやつなんじゃないか。
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タイトルに惹かれて買った本。
ゆるやかな流れで専業主婦房子の日常が描かれていく、と思いきや、この夫婦の抱える空虚感が読んでいて怖い。空虚感、あるいはからっぽの箱、のイメージ。ふたりとも、そのことに気づいていないように見えることがさらに怖い。
良し悪しではなく、結婚したらマイホームを建てて、子供を産んで・・・という「目標」を持っている房子の親世代は、少なくともからっぽの箱に何か入れようとしているのだけれど、若い夫婦の現実味のなさは、彼らがまさに言うように「ゼロ」の状態で、いまどきこういう夫婦もいるよね、こんなスタイルもありだよね、と思う一方で、なにか背筋を寒いものがとおっていく感じ。
あぁ、これが角田光代さんの描くリアリティなんだな、とも思う。
読み終わってから文庫本の表紙を見ると、非常に意味深に見える。
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なんてことない日常を、つらつら書かれているのだけど、
その日常こそが、恐ろしい。というお話。
子供のころは天才少女と呼ばれ、鉄道の駅名地名を暗記し
その頭脳が認められ、テレビ出演することもしばしば。
しかし、10歳くらいから、天才少女が普通の女の子に戻りはじめた房子。
普通に家庭を築き、
普通の夫と、マンションを購入して暮らしているはずだった。
その夫は、向上心というもののカケラもなく。
何をするのもメンドウ。
そんなメンドウな夫が、会社にほど近い場所に一間のアパートを
借りたいと言い出した・・・
ここから始まる夫のこと、妻のこと。
そこに、愛があるのか、ないのか。
嫉妬があるのか、ないのか。
はたして、二人のビジョンは、同じものへとなっていくのか。
追い詰めていくのかと思えば、自分が納得するまでの行動で
満足しちゃったり、
とても普通すぎて、おかしい。
なかでも、普通じゃないようで、今では普通と誰もが認める
夫の母が、可愛らしくて、とても微笑ましい存在。
心に素直なまま動くことができるとういうことは、
素晴らしいこと。
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ごく普通の生活をしている人たちの話のように始まるのは表現のリアリティのせいだろうか。たまプラーザとか近くの風景など些細なことがうなずけたりする。だからだんだんと登場人物の異様さ、不思議さが気がつかないうちにこちらの中に入ってくるようだから、ちょっと恐ろしい小説。
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「対岸の彼女」が面白かったので、
すぐまたこの著者の作品を購入。
一見平凡な、
でもどこか不思議な夫婦の物語。
これもなかなか面白く、
しばらくこの著者に
はまってみようと思った。
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夫が仕事場に近い部屋を借りたことがきっかけに起きたさざ波に巻き込まれた30代夫婦の話。
夢やビジョンが持てないこと、親との価値観の違い…
にもかかわらず、最後に房子が見せる執念のようなものはなんだかこわい。
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おもしろい。主人公房子のキャラがすごくいい。熱くならず、かといって全く冷めてるわけでもない。自分のことを遠くから眺めてて、気持ちを冷静に分析してる。自分とは全然違うような、それでいて共通点があるようなとこが共感もてるのかも。この人の小説はどれも主人公が魅力的。2008/1/29
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最初らへんは引き込まれたけどどんどん虚無
離婚したって結婚したままだって同じで全部に退屈してるような専業主婦の房子
読んでると虚無な気持ちになる
目標とかが特にない人の心情が丁寧に書かれてる
生活って生きてるってなんなんだろって気持ちになる
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数ページ読んで5, 6年前に一度読んだ小説と気付いたが、記憶が朧げでほとんど忘れていたので再読。
感想は、こわい。
解説でも始めに怖いと書いてあって、全くの同意見だと思った。
誰も死なない、誰かに同情されるような境遇でもない、なのにこわい。
角田さんの小説は、時々猟奇的で不気味さを孕んでいて心から怖いと思う時がある。(みどりの月が割とトラウマ)
本作の主人公、房子・宗二夫妻は徹底的にズレている。
お互いに特に不満はないはないけれど、だからといってなぜ夫婦をしているかもわからないようなゼロの2人。
虚無感がすごい。
でもなんとなくわかる気もする。
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夫が、仕事で忙しく家に帰れないときのために部屋を借りたいと言う。
何もない部屋。だけど落ち着く。
早くに仕事が終わった時も自宅に帰る気になれない。
夫の父親は亡くなっているが、母親は息子の家を訪ねてくる。
どうも婚活パーティーに出るらしい。
夫が浮気をしているのを知っても何も感じなかった妻。
その妻が夢中になったのは、夫の母親の再婚だった。
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元は他人同士。
紙切れ一枚の関係。
努力を惜しめば、夫婦なんてあっという間に別々の道を歩いていける。という、そんな怖さを描いているようなお話。
でも、元は他人同士だった二人が、たった紙切れ一枚の関係になるまでは、お互いそれなりに愛情を注ぎ努力をしてきたはずなのに、結婚という言葉に安心しきってしまうのか、お互いを思いやる気持ちをいつのまにか忘れてしまっているような気がするんだなー。と、自分自身に言ってみたりする。
なんだか夫婦の本当の姿を描いた作品で、読んでて自分の心を見透かされたようで、ドキッとしちゃった。
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郊外のマンションに暮らす三十代夫婦、子供なし。彼女の平和な日常に不穏な空気が漂い始める。旦那が別宅で不思議ちゃんと密会、その旦那の母が熟年見合いをし初老の男性に入れあげる。何より主人公、妻房子の感じ方がどこか世離れしていて可笑しい。幼少時には天才とうたわれTVにも出演した彼女だったが、今はただの人になるという設定、特殊な事件が起きなくてもぐいぐい読ませてくれる。さすが角田光代だと感心した。
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特別な夢や欲望はなく大きな不満もない、でも自分はいわゆる「幸福」ではないとわかっている三十代夫婦。
どこかで聞いたような台詞を口にする人を不思議な思いで眺めたり、自分で台詞めいたことを喋りながら「本当はこんなことが言いたいんじゃないのに」と思ったり。
離婚するといいつつ結局仲良く過ごしていたり。
特殊なようでいて、実はよくある夫婦像なのかもしれない。
演じている自分を冷めた目で見る妻や、何にもしたくない無気力な夫。
状況は違うのに妙に共感するところがあった。
すごく読みやすいのに心に残る、後味もなかなか良い話でした。
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角田さんの本を読むのは恐らく初めて。
だからどんな作風かも分からないまま読み進めていった。
生活の生々しさがそこにはあった。
宗二が言う“ビジョン”を思い描くこと。
その“ビジョン”を思い描き続けていくことの難しさに思いを馳せた。
年を重ねるに連れて、それは難易度を増していくのではと思う。
それは明確な“正解”や“枠”がなくなっていくから。
例えば義務教育の間であれば、小学校→中学校と一連の流れがある。
余程のことがない限りは向かう道を特に迷う必要がない。
しかし、その後はどうだろうか。
進学、就職と少しずつ枝葉が分かれていく。
その中から自分で“選択”をしていかなければならない。
明確な“ビジョン”を持って選択できる人が一体どれくらい居るのだろうかと僕は考える。
僕らは明確な“ビジョン”を持って“選択”する練習を殆どしてきていない。
だから年を重ねるに連れて、“ビジョン”を思い描き続けるのが難しくなっていくのだと思う。
そんなことを考えさせられた一冊。
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なんとも言えない気持ちになった。
夫婦なのに夫婦じゃないような感じ。
これから先もこの夫婦は根本的に変わる事はないんじゃないかなーと思う。
この関係は自分からしたらちょっと、いやかなり寂しい…。
途中で結婚式の描写が出てくるところでは、やっぱりケジメとして結婚式はきちんとした方がいいんだなーと思った。ちょうど自分が今結婚式の準備をしていて、やることがいっぱいで疲れてきたところだったけど、この本のおかげでやる気が出てきました(笑)
p253 だからやっぱりビジョンを持たなくちゃいけないんだ。郊外の家。芝生の庭。そろいの自転車。なんだっていい。犬と子ども。赤い車。清潔なシーツ。テレビ禁止の笑い声が絶えない食卓。ボーナスで行く海外旅行。
p267 宗二「そういう、何かかたちあるものを作るようなことが、したかったんだよなあって思うなあ。ひとりで、じゃなくだれかとね。だれか、っていうのはつまり男とね、男ってのはまあ、結婚みたいなことをしてくれる人ね。」
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無関心、無感情ということほど怖いことはあまりないのではないかと思う。
夫婦なら、長く暮らしていくと、やはりもとは他人なので
相手の行動に対して苛立ったり年月が経つと前よりもそっけなくなったりするのかもしれないが、
私は、根底にいつも愛情は持っていて、相手のことを大事に思っていたい。
だが、房子は、夫に対して愛がないのではないか、と思ってしまうくらい相手に対しての感情がない。夫が四畳半の家を借りるのにも無感情。浮気にも何でも無感情。怒ったりする「振り」をしているだけで、実際は何の感情や欲望も持っていないのだ。
房子は、昔からそんな性格である。何に対しても。良く言えば放任主義、悪く言えば無感情。
私は、おいしいと言ってご飯を食べたいし、何に関しても感受性が強い方なので、房子の気持ちはよくわからなかった。小幡さんの家の犬がこの物語にそういう役割を果たしているのかもよくわからなかった。
ただ、読み終わった後、怖いという感情しか残らなかった。自分はこんな風に、感情がない人間になりたくない。
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結婚した夫婦とは、本来は、一緒にいろんなことを決断していって、一緒に何かしらを育んでいくもの。この夫婦は、子供が居なかったり、共に決断することや、共同作業となるものがなかったりして、共に育むものがいつまで経っても見つからず、可もなく不可もないまま、なんとなく宙ぶらりんのまま、結婚生活を送っている。立派に育たなくて虫が湧くだけの厄介な庭の桜の木でもいい、隣の犬のように居ても居なくても、生活に支障のない存在でもいい、それでも「何もない」よりはマシだ。角田さんはそういうことが書きたかったのかな。
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以前に読んだことがあったものをまた読んで、最後の最後に、読んだことのある本だと気づきました。
結婚に向いていないような、生きる気力の薄いような、現実味のない二人が結婚し、さざなみが起こり、うねりが起こり、でも二人なりに解決に向かったような感じで終わる話です。
まあまあ、かな。
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日常と非日常の狭間に揺れる夫婦の物語。一緒に生活する事に疑問を抱くが、その解決策が見いだせないジレンマに陥る二人。
自分に置き換えれば、確かに答えはない。角田さんの小説は面白いけど、反面、現実の怖さを思い知らされることに何時もなる。
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結婚って、他人と家族になって暮らすって、こわい!
主人公・房子と宗二は結婚5年目のどこにでもいる普通の夫婦。ありがちな複雑な家庭に育ち、出会い、結婚し、ありがちな漠然とした不安に悩みながら生きている。
本作にはぞろり、としたイヤなこわさがある。どこの夫婦も突き詰めればこんなもんなんじゃないかと思う。みんな0。
角田さんは日常を描くのがとてもうまくて、だから心当たりなんかいくらでもあって、そこにぞっとさせられるし、はっとさせられる。
ああ、こわいこわい!
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特に得るものがない小説だが、日常生活の細かい描写なんかはさすが角田光代と思われる。
こういう生産性がない主婦は世の中に多く生息しているんだと思う。
一応最後で一歩踏み出すのかなと思わせてくれたところは良かった。
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うっとうしくて、しつこくて、相当おかしな人間だと思ってた和田レミが、
最後の方ではマトモに見える。俗っぽく思えてくる。
というのも、房子と宗二、ふたりとも、現実味があるようで全くない。
終始ふわふわしてる。
何もかもうまくいってないようで、それでいてぴったりおさまってるような、
なんとも言えない、不思議な感じになります・・・。
ただ、この二人も、第三者の目から見れば、どこにでもいる普通の夫婦なのだ。
人間、「本人にしか知り得ないこと」がほとんど、なのかもしれない。
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久しぶりに読んだ角田光代さんの小説。
あらすじはこんな感じです。
小さい頃、素晴らしい記憶力を持っていた主人公房子。
でも、大人になった彼女は平凡な主婦になっていて、毎日単調な日々を過ごしていた。
一方、小さい頃から奔放な父親のようには成りたくないと思い、常にビジョンを描いてきた宗二。
だが、大人になった彼は何もかもにやる気が持てずにいた。
そんな二人が始めた結婚生活。
宗二の
「仕事が遅くなった時に泊まるための家を会社の近くに借りたい」
という言葉から物語は動き出します。
宗二の同僚や房子の弟夫妻、そして宗二の母親と関わっていく事で、少しずつこの夫婦の関係が変化していきます。
これといって大きな出来事があるわけでもなく、大きな感情の動きがあるわけでもなく…。
でも、その淡々とした感じがこの二人の関係を表しているのかもしれないと思いました。
今まで読んだ角田作品とはちょっと違った雰囲気で、正直私は1度読んだだけでは作品からのメッセージが理解出来なかったのですが、
他の小説同様「結婚」とか「家族」がテーマになっているところは、注目です。
最後に、この小説の雰囲気を表していると思う文章を書いてみます。
「房子はときどき、自分が記憶装置のような気がすることがある。
自分というものの実体はじつはなくて、今まで見聞きしたテレビ・小説・映画・漫画・見ず知らずの他人の会話、それらすべてが自分の内に蓄積されて田所房子という実体になっているのではないか。」
というもの。
ちょっと変わった男女の結婚生活を覗けた小説でした。
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小説の主人公は「宗二」と「房子」という夫婦だ。
結婚五年目で子供はいない。「宗二」はイベント会社勤務、「房子」は専業主婦。
ある日、宗二が会社の近くに部屋を借りたいと言い出すところから、夫婦間におかしな空気が流れる。
仕事が立て込んで終電を逃した後の寝場所の確保・・
そんな理由をつけるが、彼はそこに心の別天地のような空間をつくる。
これは何となくわかるなあ・・オレも家族でいることは大好きだけど、時々妙に一人になりたいときもある。
しかし、これはやはり男の目線であり、房子には「夫婦であること」を見直すキッカケとなるわけだ。
そして、お互いの母親、そして宗二の会社の「和田レミ」というキテレツな女のエピソードが加わる。
今は「どこを切っても平凡サラリーマン」であるオレ(笑)
オレからすると、この夫婦の考えやドライな関係は、少し理解しがたいところも多かった。
しかし、「夫婦」ってのは、色んな形や約束事があって当然。
「これが正解」で「これが間違い」なんてものもなく、夫婦の間のセオリーは2人しかわからない。
そもそも他人が口を出すこと自体が、余計なお世話なわけだ。
ちなみに「庭の桜」とは、「幸せな家族のシンボル」であり、
「隣の犬」とは「責任を負いたくないという象徴」とのことだ・・ふーん。