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Posted by ブクログ
実は今まで寂聴さんの本は読んだことがなかった。でも、『携帯小説』を少しだけ読んだことがある。瀬戸内寂聴さんが名前を隠して投稿したと話題の作品を読んでみた。
すごい……と思った。
他のケータイ小説と変わりのない時代の物語が忠実に書かれている。高校生が書いているものと思っても不思議ではないくらいのクオリティのものが仕上がっていた。
バカにしているわけではなくて、ちゃんと流行が取り入れられていてその時代の言葉も散りばめられていて、古臭いものが一切消えている事に感動してまうくらいの作品だった。
それでいて、文章は携帯小説にしては固いような気もした。私はその硬さも好きだった。
ただ『ケータイ小説』が好きではなかったため、途中で挫折した。
私が当時知っていた寂聴さんの事と言えば、尼になってる人、小説を書いているようだというぐらいしかなかった。
ケータイ小説の最初しか寂聴さんの小説を読んだことがない。
私がこの『花芯』を読もうと思ったのは、それが『性的だと話題になった作品』だというからだった。その部分に興味を持って、読んでみることにした。
やっぱり『すごい』しかない。ケータイ小説が軽い文体だったので、そのような感じなのかと思えば、全く違って古くて硬い。それでいて、女性の部分の表現が柔らかい。女性の視線があちこちに紛れ込んでいて、ドキッとする。
・いろ
るいという五目(踊、長唄など)の師匠と銀次郎の恋物語。銀次郎18、るい49という年の差から別れて、銀次郎は結婚し、るいは死を迎える。銀次郎もいつの間にかいなくなり、死の連絡が来る。
短くて読みやすい。江戸という馴染みのない設定なので、よくわからない部分もあるけど全体的にはしんなりとしていて嫌いではない。
『きゃしゃなるいの体は、うす青いらんぷの灯りの中では、人魚のような妖しい白さに濡れ、底のない泉のようにゆたかにあふれ続けていた。』25p
性行為中の描写がこれ。すごくしっとりしている。
・ざくろ
亮吉とナミの恋物語。どちらも別の伴侶との間に子供がいる。亮吉は子供が欲しいと言い、ナミはいらないというが……。
『皮を弾いてのびてゆく、白い粉をふいた若竹のようなすがすがしい少女の肌の弾力が、未知の触感として、ひどく私の好奇心をそそってくるのでした』53p
亮吉の娘に生理が来たと聞いて、ナミも自分の娘がそんな年ごろかもしれないと想像しつつ他の少女を眺めているシーン。すこし異常な感覚かもと思うし、これ男性の視線だと危険になる。でも、女性もそんな目で少女を眺める瞬間があるのは分かるような気がする。世間的にはアウトだけど。
子どもが欲しい云々は、正直よくわからない。
・女子大生・曲愛玲
中国人の曲愛玲(チュイアイリン)とみねの恋愛模様?
女性同士の恋愛かと思いきや、愛玲には男がいて妊娠しているといい……。
正直、この物語はわからない。時代背景も複雑な感じがするのに、人間関係も複雑だった。
・聖衣
電車の中で二人のシスターに出会いながら、けい子は過去を考える。
「性の喜びは、けい子にとって、いつまでたっても、あの幅広い、とらえがたい風に似たオルガンの音のようなものであった。男がじぶんの上でうごめき、嘆きを忘れ、恍惚と虚脱するのを感じる時、けい子はじぶんが、まんまんとふくれ上がった、ゆたかな海になった想いがする。」108p
ひっそり言葉が隠されてるのだろうかと思いながら読んでしまった。でも、すごく素敵な心理描写だなと思う。
物語のラストは男に「私とだけじゃなかったんだろう」と言われて子供を下ろして、男が死んでいてくれたらと願う……。過去はドロドロだけど、電車の中ではシスターが微笑むというほのぼのシーンで終わってる。ひっそりとシスターでも『性的なものがある』とほのめかしているのも、どんな意味なのかを考えてしまいそうになる。
・花芯
園子の物語。雨宮と結婚し、越智と浮気する。その後、雨宮とは離婚し園子は娼婦になる。
物語は好みではないし、娼婦になるまでの過程も共感できる点は少ないのだけど、細部は確かにと思うものが多々散りばめられている。
『私の処女なんて、全く偶然に、結婚まで守られたにすぎない。』147p
『女というものは、自分の目でさえ遂に確かめることのできない、小さな薄い一枚の膜のため、死ぬまでの貞操を約束させられねばならないのだ。』147p
『臨月近くには、お臍まで飛び出してくる醜悪な我身の裸を、真正面から真横から鏡に映したことのある女なら、じぶんが女に生まれたのを呪いたくなるだろう』151p
『死というものを、私は、セックスの極におとずれる、あの精神の断絶の実感でしか想像することができないのだ。』249p
女や身体への呪いがこれでもかと書かれてるのはすごいなと思う。ただ性に奔放なわけではなくて、出産後に性の喜びを知ったというのもあり得そうな話だとは思う。(すべての女性がそうなるわけではないし、大半の女性は出産後の性行為は苦痛でしかない。ホルモン的には出産後は性欲が抑えられる)
女性とはこうだと言いたいわけでもないし、人によっては子どもを置いていくなんてありえないのだろうけど。(この短編集の女性キャラたちは子どもに対して淡白すぎる気はする)
母子神話を信じたいわけではないけど、そう簡単でもなさそうな……でも短編だからその辺りがあっさり見えてしまうだけなのかと考えてしまう。
一冊読んで満足したので、寂聴さんの本はもういいかなと思った。
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瀬戸内晴美。若き日にこの素晴らしくも、迫力ある作品を世に出したからこその寂聴先生なんだと改めて実感した。読み返したい作品。女性のすごさ、その一言でしょう。
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『子宮作家』ねぇ……そんなに下品な作品では全然ない、と思うのは、書かれた当時と今の風俗が変化しているからだろうか。
むしろ、恋のなんたるかも知らないうちに、親が勝手に決めた好きでもない男性と結婚し、子供まで生んでしまった後に、恋を知り、夫を愛していないと気づいてしまう女性のなんと可哀想なことか、と同情すらしてしまう。
そこで、妻とは、母とはどうあるべきかということを、自分自身がどう生きたいか、よりも大切だと考える女性だったなら、心と身体を別物として生きられたのかもしれない。
けれど園子は、既成概念などに囚われない女性であり、心と身体を別物とは思えない女性だった。
夫や子供を置き去りにしてまでも恋い焦がれた相手と、結ばれたと同時に恋が終わったというのも、なんというか……。
でも、分からなくもない。
わたしも、わたしの周りの友人たちも、20代の頃は同じような感じだった。
この作家の男女関係に対する考え方は、数十年後を先取りしていたのかもしれない。
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「きゅうきょくの、しょうふ」ですよホントに!
僕がこれまで女性に漠然と感じていた、なんとなくな恐怖を見事に体現してくれた作品でした。
男女関係なく人間にはきっとこういう衝動が潜んでいて、その動物的な本能は誰にも止められないし摂理なのです。
だからこの作品を読んで、「うわ、なんか気持ち悪い、、、」とか言っちゃう人は全員ウソつきなんじゃないかなー。
「花芯」というタイトルも素晴らしい。花の、女性の芯とは一体何なのか。それは最後の一文に全て集約されています。
Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴の文章というか、言葉選びのセンスがとても好きで、尊敬する。
いちいちきれいで、ムダがなく、性について書いているのに厭らしさはなく、品がある。
押し付けがましくなく、真理をついてくるので一気に読んでしまう。
また別の本も読んでみよう。
Posted by ブクログ
瀬戸内晴美時代の六篇からなる短編集。
「いろ」
長唄などの師匠・るいと31歳下の弟子・銀二郎との話。
読み進めるうちに、るいは玉三郎に重なる。顔の右半面は火傷でただれているが、色白で顔立ちだけでなく所作も美しく、どんなに歳を取り弱っていっても凛とした振る舞いをし、ただただ銀二郎のことを愛していた。そして、亡き後も銀二郎に愛されていた。
「聖衣」
電車に乗り、死の際に立つ不倫相手とのこれまでのことを思い返し、もうすでに亡くなってるかもしれないと思いながら、病院へ向かうけい子。
目の前に立った外人の尼僧の黒白の聖衣に秘される緋色の帯は何を言わんとしているのか。
「花芯」
園子は申し分の無い雨宮という夫がいながら、夫の上司である越智に一目で心を鷲掴みにされる。そんな越智に対して貞淑であろうとするかのように夫との関係を拒むようになる。越智には関係を持つ未亡人がいて、一緒になる事はできないと分かっているのに、夫の元からも去る。園子はなんて自分に正直で強い女性なんだろう。
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寂聴さんのエッセイ本は何冊か読んでいるけど、小説を読んだのは初めて。曰く付きの作品を読んでみたかった。50年位前とは思えない生生しさ。私は好きだ。辛いし痛いしけど。女の性。分かる自分も痛みを抱えている。
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こんなにも人間の性愛を、深く、上品さを持った淫らさで表現できるのはこのひとが女性だからだと痛感させられる短篇集。
女性こそが強さをもって人間のしがらみを隠すことなく、官能を通して表現し切れるのだ
こんな小説、現代では望むべくもない
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ザ文学といった感じ。
多くを語らないので、一度さらっと読んだだけでは分からないことがたくさん。
もう一度じっくり読み直したい。
文章の表現はさすが、、うっとりしてしまう。
物語に引きずり込まれてしまい、現実に戻ってきにくくなるのが難点。
Posted by ブクログ
現代文学に食傷気味だった頃、開いた一冊。
長らく本棚の中で眠っていたが、パンドラの匣を思わせる素晴らしさだった。
尻切れ蜻蛉の様に終わる表題作は、最後の三行に瞠目させられる。
何と切れ味が良く、格好良い物言いだろう。
読者を突き放して尚嘲笑う事、物書きになるべく生まれた妖怪の如し。
流石です。
Posted by ブクログ
繊細で且つ深い描写にゆらゆらと揺られて文字を追う心地よさ。美しい日本語とはこういうことなんだなぁ、と酔ったような心地にさせてくれます。女性の性愛を語っているにも拘わらず、品のある文章ゆえ下品にならずむしろ清らかに感じられた。
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子宮作家。最高の誉め言葉です。
昭和の匂いがします。TV等で拝見する作者像とはかなり異なりますが、こんな官能的な小説を書いたのが尼さんだと思うとそれもそれでなんという背徳美。
Posted by ブクログ
今まで私が読んできた瀬戸内さんの文章は、寂聴になってからの随筆がほとんどで、ずっと彼女の小説(特に晴美時代の)を読みたいと思っていました。
発表当時センセーションを巻き起こしたという「花芯」は気になっていたのだけれど、こうして読んでみると、本当にこれがン十年も前の作品なのかとビックリします。
当時の批評では「子宮」という言葉が多用されていると書かれたそうですが、読んでいるとそんなに気にならない。というか、それがキーワードになって作品の形をなしているように思います。
ただ、私が主人公の気持ちに共感できるか?というと、うーん、まだしっくりしませんね。
Posted by ブクログ
京刺繍のようにしっとりとした綺麗な文章でした。
品を作るとか妙な媚びのない、すっとする美しさ。
女の心と身体を扱うのなら、こうでなくてはと思う。
Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴さんの「花芯」という小説は1958年に三笠書房から出版されている。当時は本名の瀬戸内晴美という名を名乗っていたのだが、とは云いつつもおいらは全く知らないのだが、当時の文壇からは非常に冷たい仕打ちを受けることになっていたようなのだ。この作品を初めて読んだのである。
「美は乱調にあり」にて綿密にフィールドワークされた作品世界の中には、大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマが見てとれているのだが、「花芯」にとってはそんな「大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマ」の想像力が一段と鮮明に息衝いている。36歳というときに執筆された寂聴さんの「花芯」は、云わば「女性の女性による女性のための性」を追求していた作家の大いなる野望を、今の時代に示してくれる。けだし傑作なのである。
Posted by ブクログ
当時、よくここまで・・・!!
と舌をまく。
ラストにさらに驚愕した。
闘志を感じる。
この展開って、どういう思考回路でそうなったんだろう。
いまだに掴めない。だからまた読み返したくなる。
(他の作品を読んでみても、なかなかここまでの領域には達していないように感じる)
現在の生き方をみてみても「欲」について徹底している方だなあ。
Posted by ブクログ
決められた結婚をしたのち、園子はこれ以上ない程の恋に堕ちる。二人は惹かれあい、契りを交わしたけれど――恋は無くなってし、彼女は孤独になっていく。園子の体にある、ただ快楽を求める子宮が、もう一人の純粋な自分を守っている……。
なんだか、ものすごーくエロスな文章なのにものすごーーーくお上品な文章で感動した。読点多めでゆったりペース。多分、王宮女流文学を現代に復刻させるならこんな感じだろうな、と思いました。全体的にしっとりしている。
花芯以外の短編もじめじめ〜っとした内容なんだけどあくまでもしっとり。逆に田辺聖子さんだとからりとしている。うん、寂聴さんが式部で田辺さんが少納言かなー。
肉と魂は相反するものだけどその相克の中で燃えあがる愛とか恋とかってこういうものなのかしら。最初は現代女性作家と同じ毛色なのかなーとやや萎えてかかってたんですけど全然違うものを感じた。そりゃあ寂聴さんなんだし。
Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴は初めて読んだ。50年ほど前は物議を醸した小説らしいが、今出たなら、炎上するような話ではないと思う。この小説が嫌いな人は、つまりこの登場人物の女性のような生き方を否定したいんだろう。
昭和レトロな雰囲気、落ち着いた文体。生きづらい女性の哀しさが滲む物語。
Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴99歳の映画を観て読んでみたくなった。あのかわいいおばあちゃんと、この生々しい心の動きが全く結びつかなかったけれど、筋が通っていることや奔放なところは同じなのだと思った。
Posted by ブクログ
女性だから生み出せる表現ばかりで、下品な感じは全くしなかった。これを子宮作家と馬鹿にするとはなんと表面的…時代柄、仕方ないのか。。
女性として分かるものも多かったけど、勿論、分からない価値観も多かった。感動したとか共感した、ではなく、深く考えさせられた文章をメモ程度に。
・恋愛なんて、結局、誤解の上に発生する病状(p34)
・まだ男はできる…ということばよりも、まだこどもは産めるということばの方が、女にとって、なんとみずみずしく、涯しない可能を孕んだひびきをもっていることでしょう
(p37)
・愛とはもっと透明な、炎のように掌に掬えないものではないだろうか。
(p107)
・人間はどうしてだれも彼も結婚したがり、味気ない噓でぬりかためた家庭の殻の中にとじこもりたがるのだろう。出来ることなら生涯、独身ですごせないものだろうかと、私は度々空想した。
(p110)
・人間のだれもが逃れることの出来ない行為
(p118)
Posted by ブクログ
表題作『花芯』は1958年の作品,1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞した後の第1作で,ポルノ小説であるとの批判にさらされ,批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られ,しばらく干されていたのだという。
直接的な性愛描写を,隠すことを美徳としてきた(一部の)世間に対する,堂々たる反抗と読んだ。家庭というのは女性にとっては大きな制約なのであって,作者の裏表のない讃歌によって,子宮は自由へと解き放たれた。これは悪女でなければ雌獅子でもない,一娼婦の目覚めの話である。まだ熟しておらず粗削りではあるが,有り余るパワーを黙殺するのはもったいない作品である。
現代からすれば,陳腐にも思えるポルノと言ってしまえばそれまでなのだが,戦後間もない時代背景を見てこういう風土もあったのだという,慎重かつ真っ向からの批評が求められる。
Posted by ブクログ
なぜ買ったのか……多分、ツイッターか何かで紹介されていて、どんなものなんだろうか、と思って購入したのだと思います。
一作目の、るいさんが、果てしないなあ、と思いました。儚さを佇む。
Posted by ブクログ
こんな女に出会ってみたい。
解説者が如何にポルノ小説を文芸作品に昇華させようとしたとてそれはそれ。瀬戸内晴美さん自身こそばゆかろう。
いいじゃない、子宮作家でも又は袋とじ作家でも
Posted by ブクログ
何でしょう。特別面白かったと言う訳でもなかったのに、物凄く惹きつけられて一気読み。
今読むと特別タブーを扱った小説だとは感じませんが、当時はやはりセンセーショナルだったのでしょうか。
しかしこれを書いた人が今は尼さんだとは凄い。
解説が中々面白く、もしこれが男性作家であれば
『こんな女もいるかもね〜』になるところ、
女性作家が女の性を書いたもんだから、
『まじかよ!こんな女もいるのかよ!』と妙に生々しく恐怖すら感じる。
みたいな事を書いてあって、なるほどなぁとクスっときてしまった。
Posted by ブクログ
梳る。そんな言葉の一つ一つが、書かれた時代に暮らす作者の息づかいに、生々しく触れているような気にさせる。現代の女性という存在ではない、もっと気持ちや欲望に正直な、女という生き物の内面を目の当たりにし、男はいつの時代もただいるだけなんだと、改めて感じさせられる。
機微を映画にどれだけ写し込めているのか、興味が出たので、観に行ってみよう。
Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴のセンセーショナルな作品。
短編集だが、私小説のように、主人公は随分と年の離れた男に溺れて行く。産んだ子供を捨ててまで相手との情事に心を躍らせるのだが・・・・。どこか冷めている主人公の気持ちは、多かれ少なかれ 女性特有のものかも。
映画公開を前に読んでみたくなったのだが、瀬戸内寂聴の激しさを感じる作品であった。
TVでみると良い感じのおばあちゃんなのだけどもね。
Posted by ブクログ
5編の短編集で、表題作の「花芯」は、
作者が「子宮作家」と呼ばれるようになった所以のもの。
これによって長く文壇をほされていたというが、
今の時代では、その生々しい表現が小気味よくマッチし、
サクサク読み進めることができた。
私は表題作よりも、巻頭の「いろ」が好きだ。
老女の愛と性を描かせたら、この人以上の作者がいるのだろうか。