感情タグBEST3
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武田百合子さんは、「富士物語」と本書においては、ただただ天賦の才能としか思えない天才的な文章を買いています。
本書も随所に「信じられない…どうしたらこんなことが書けるんだ…」と感嘆するような表現があるのですが、ひとつ際立った箇所をあげるとすれば、著者のあとがき。とにかく彼女のあとがきを読んでください。何度読んでも、いつ読んでも、鳥肌が立つ。
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「富士日記」の番外編。武田夫婦と竹内好の三人のソ連、北欧の珍道中。独自の淡々とした描写がこちらでも魅力。
出版されることを想定していなかった記録だからこその魅力。子供の絵と同様、変な邪念がないのが良い。
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武田百合子が、夫・泰淳らと中央アジア→ソ連→北欧を旅した1969年の記録。
いや、日記形式で書かせたら右に出る者がいないのは当然だが、淡々と、だが生き生きと紡がれる毎日に引き込まれた。
当時のこととて、前半はガイドのついた団体旅行なのだが、身勝手だけど憎めない関西の富豪・銭高老人を楽しく愛しく見てる視点など、百合子さんの人格の大きさよ。
また、泰淳の妻への見下した物言い、そのくせ交渉・買い物・記録までなんでも頼る不甲斐なさなど、現代の女はイラッとするが、それもまた大きな愛で包んでらして…昭和の女は深い。
ただメニューだけを羅列した食事と、やったら出てくるゲロとトイレの話題。入ってから出るまでが人の営みよのう…。
描写と形容はうなるばかりなので、心に残ったものを抜いておく。
「何も見えない。ただ広い草原だ。はるばるとやって来た私たちを迎えながら、アルマ・アタの町は青い山々をひきつれて遥かにあとずさり、そのまま深く眠りこんでしまっている」
「石鹸で作ったような美青年である」
「大きな忘れものーー東京に置いてきた「時間」。旅をしている間は死んでいるみたいだ。死んだふりをしているみたいだ」
「いい天気。泣きたいばかりのいい天気。
存分に泣け、と天の方から声がすれば、私は目の下に唾をつけ、ひッと嘘泣きするだろう」
ひッと…出ないわー、すごい。
「天の巨きな手で掴まれ、夜の間に空を飛んで、この広場に西洋将棋の駒のように無造作に置かれた。朝目が覚めたら、昨日までなかった奇妙な家がひょっこりとあるのてわ何度も眼をこすっえみているーーそんな感じなのだ」赤の広場の感想w
「重たそうな水をめくって船が走る。雨は降ったり止んだりしている。薄陽が水面をひとわたり真鍮色に舐めてゆき、またすぐ暗い鋼色の水に戻り、雨が落ちてくる」
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海外旅行エッセイが好きで、読んでみた。
このエッセイ…というか日記を読んでいて、なぜ自分が他人の旅行記を読むことが好きなのか、考えさせられることになる。
通常、旅行エッセイでは、筆者が旅先で眺めた風景や交流した人々、口にした食べ物から考えを巡らせ、反省したり、新たな知見を得たりとか、そういったことが盛りだくさんなケースが多い。そしてそれか旅行エッセイというもののフォーマル、典型的な形だと思っていた。
後書きにもあるが、これは完全なる日記である。目にしたこと、耳にした知人や夫の会話、食べた料理、他の旅行エッセイには類を見ないほど、淡々と記してある。
正直、最初はそのあまりの単調具合に読むのに飽き飽きしてしまった…のだけど、いつのまにかそのリズミカルな叙述、周りの自然や空気を捉える暖かな感性、そしてクスりとしてしまう、ちょっとした笑い。(狙ったフレーズじゃない所がさらに良い)僕はいつのまにか、引き込まれていた。
旅行記、旅行エッセイというものに対する考え方が変わる一冊だった。
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本人が後々世の人に読ませることを想定してたのか、あるいは夫が妻の作家性を見抜いて書くことそのもので事足りると思っていたのか、いずれにせよ才ある方々の珍道中です。
で著者の抜き取り方が絶妙に斜めを行っていて、まぁこのお方も変わった人なんでしょうな。
そしてこの度が終わった後、登場人物が生気を取られたかのようにこの世を去ったこと、何か色々考えさせてくれます。
ところで錢高という老人、かの有名なゼネコンの方ですかね。
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旧ソ連から北欧へと至る旅行記。
日記の形式で綴られる。
かなりドライでウィットに富んだ内容。
50年前のソ連はこうだったのかと思わされる。ソ連からスウェーデンに行き、不便な生活から便利な社会に変わったはずなのに。
筆者はソ連の方がたのしんでいたように思う。
なかなか破茶滅茶な珍道中。