【感想・ネタバレ】君たちはどう生きるかの哲学のレビュー

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Posted by ブクログ

本の印象。タイトルが熱を帯びた投げかけのように感じるのに、文章は淡々とした語り口が続いていく。
だから、ジーンとした心に刺さるものを得るには、読者の側の姿勢に委ねられる。
上原氏もこの本の中で書いていたが、それは鶴見俊輔氏の文章術を引き継いだもの。“なるべく形容詞や副詞は避ける。「美しい」とか「とても」とかは使わない。基本的には名詞と動詞だけで良い”というものが貫かれているからなのだろう。

コペル君が、友達と約束したのに、上級生の理不尽に抗議する友達の雄姿に加われず。そのことを分析した箇所が気に入ったので一部引用します。

〜〜火のそばに手を持っていけば熱いから手を引っ込める。赤ん坊にはそのようにして火の恐さを教えている。それが人間の思想の根本だと私は思う。そういう反射が思想の最も重要なもとになるという気がする。だからリンチが生じるような状況がきても、リンチを避けるような、リンチにくみしないような反射が自分の中にある人たちが大勢いれば、それは食い止めることがあるできる。これは日常的な付き合いの問題であるし、生活の中で自分が自分で育てる感覚の問題なんです。それは思想をどう見るかということとかかわっている。〜〜

【コペル君が何故行動に移せなかったのかの答え】
トゲトゲしい空気の中で行動を起こせる「反射」がコペル君の体の中になかったから。コペル君は自分の意思に反して行動を起こせなかったのだ。

ここからは、この本が引き連れてきた記憶と妄言を書くことにする。
必ずしも、この鶴見俊輔氏の考えには納得したわけではないけれど、こうやって、その原因をつきつめていこうとする姿勢に共感した。そして、自分が若い頃思い悩んだことを思い出した。


それは、『自分は自分より上位職にある者、弁がたつ者の意見にすぐに靡いてしまう』ことへの自己分析だった。
決して自分の意見がないわけではない。だが、意見を闘わせること、人によってはそれによって不機嫌になる人がいてその表情や振舞いを勝手に想像して、“ことを荒だてたくない”とひ弱な自分の姿が他者の意見をまるごと飲み込んでしまっていたのだ。
そうやっているだけなら、“そのひ弱な自分がそこにあるだけだから一人間の問題”だし、それを引っさげた人間の佇まいや振舞い、言動は虚勢では覆い尽くせず周囲の人間の信頼を獲得することはできない。というだけでこれも本人の問題で済ませられる。
でも、許せなかったのが、自分が必死に努力して自分の存在を高めようと努力し、エネルギーを注いでいる日々のもがきが、このことで『無意味に感じられた』瞬間があった。様々な、苦労や経験に耐え忍んでいるのは、「自分が自分として存在するため」なのではないのかと思えてきたし、それはこの世の中にある“正義”という言葉に影響を及ぼすようにおもえてきたのだ。
それから、条件反射的な同意(自分の意見を引っ込める)はしなくなった。自分の意見の裏付けを持てないときは、相手には時間をもらってでも、それを整理して伝えるようにしてきた。

【世の中をうまく生きる】≦【自分を生きる】ことに価値を見出した瞬間であった。
今でも、その指針をもって世の中を生きている。しかしそのことによる葛藤が障害物のように立ち塞がることだらけでもある。
そして、そんなとき呟いている。
「あぁこれが、みんなが口にする“現実”っとやつの正体だな」って。

いつの日か、“世の中”と“現実”の関係を図に示して孫に見せてやらねば。



鶴見俊輔の書は読んだことがないので、読んでみようと思うが、この世代の人は、書物をとおして多くを知ることになるので、生きる姿勢と言動が一直線上にあるのを強く感じた。

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2018年10月16日

Posted by ブクログ


『君たちはどう生きるか』をなぞりながら、哲学者 鶴見俊輔の視点を織り交ぜ、平易な文章で読みやすく、深掘りと解説がされている。

「貧しき友」にある、「私は、その人が出発点から努力によって、どれだけ自分の生活や精神を向上させたかという尺度が大切だと思っている。」は、共感。

さらっとら読める。

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2018年07月07日

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