【感想・ネタバレ】まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学のレビュー

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Posted by ブクログ

社会学の面白さを教えてくれた本。 授業の教科書として購読したが、初めは堅苦しい本に感じてあまり面白いと思わなかった。しかし、無駄のない簡潔な短い文章でありながら、そこらじゅうに考えさせられる言葉が敷き詰められている。 尽きなく生きるとは何なのか。 何ヶ月後、何年後と何回も繰り返し読んで、自分が今感じている感想とぜひ比較したい。

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2022年03月14日

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誰もが犯罪者になりうることを示している。
個人責任論を見つめ直すきっかけになる作品。
文学チックで素敵。

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2020年08月10日

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東大卒業式の告辞で五神総長が「個人の内なる多様性」に引きつけて引用されていたので。読んでみると、大澤真幸教授が解説しているように、統計で捉えられる社会構造がその中で生きる生身の人間の人生や価値観をどう形作っているかを考えたもので、40年前の論考ながら、指摘されていることの多くは今の社会にも当てはまる。短編ながら読み応え充分。

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2019年05月06日

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今まで読んだ本の中で1番衝撃的だった。他人に対してひどいことをしていなくても、我々の気づかぬうちに人を傷つけていく。そしてそれが他人の人生を変えてしまう可能性が十分にあるということ。今まで知らなかった自分が恥ずかしい。今後どのように人と接していけばいいのか考えさせられる内容だった。

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2013年05月02日

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言葉が手に取るように分かるとき、意味は胸に浸み込む。本書を読むと、ビジネス本の堅い言い回しが空疎に感じられてならない。本書は1968年周辺の世相を題材に取り、田舎から「金の卵」として大量に都市へと送り込まれた若者たちの孤独を鋭く抉り、『無知の涙』で知られる連続ピストル射殺事件の犯人の実像に迫る。1968年は僕らが現代日本を考える上で重要だ。それは、安田講堂落城、3億円事件、連合赤軍といった歴史的な事件があったせいではなく、貧しかった僕らの両親が青春時代を過ごしたからだ。本書で指摘されているように、「金の卵」と呼ばれた若者たちは従順な労働者として重宝されたのであって、自由意志を持つ者は「生意気だ」と排斥される。この構図はいまの僕らの時代にも大きく影を落としているわけで、「終身雇用」の完成のために多くの若者の夢が押しつぶされてきたというわけだ。もうひとつの論点として、都市への若者世代の流入が東北をはじめとした田舎を疲弊させ貧しさに拍車をかけたことが指摘されているが、いまの僕らの時代も同じことが起こるように思う。今度はグローバルなスケールで。TPP参加など世界はフラット化する一方であり、日本が環太平洋の中で過疎化するのではという危惧を最近強くしている。英語が話せる程度ではなんともならんのではないのか(僕は英語もロクにしゃべれません!)。価値を産み出すにはどうすればいいのか。いまこそ自由意志をもつべきだと思う。

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2013年03月18日

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「永山基準」で有名な、1968年に起きた連続射殺事件の本人・永山則夫が立脚していた意味世界を、見田宗介が鮮やかに描いた論考。

集団就職の時代、郷土から上京してきた青年は転職を繰り返した挙げく逸脱行為に走る。しばしば背景は、「都市が不可避的に課す孤独でや労働の問題である」と語られる。親密圏の形成や、労働疎外は現代でも無縁社会論や派遣の問題との布置連関で語られる。だけど、物事はそう単純ではない。

見田宗介が指摘するのは、「孤独」ではなく翻って「濃密な人間のまなざし」。上京青年を対象に行なった当時の統計資料をもとに、彼らが最も欲しかったものは、自分独りの空間と時間。
永山則夫を逸脱に走らせたのは、都市が含有する「他者のたえざるまなざし」、まなざ地獄であったのだと。

本当によく書かれています。

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2010年12月23日

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「まなざしの地獄」、副題は「尽きなく生きることの社会学」。

この本は1960年代後半から70年代へと至る時期のの本社会にスポットを当てていて、その中でも連続射殺事件を起こした当時19歳の少年N・Nの境遇を基軸を置いている。少年は網走の刑務所で生まれその後青森に渡りそこでで母親に冬の間捨てられた経験を持っている。それゆえ彼は中学校を卒業すると同時に東京に上京する(故郷を捨てる)少年は東京で、“尽きなく生きようとしていた”、つまり自分自身の不可欠な存在としての確証を得ようとしていた。だが東京という都市が彼に提示したのは、社会的上昇と確固たる存在性という甘美なものではなく、「まなざしの地獄」であった。彼がどんなに容姿を整え一生懸命働けども、網走の刑務所の生まれで青森からの上京者という抽象的な表相性を持つ限りにおいて、まなざしは彼のアイデンティティの総体を規定し、そしてとらえる。なぜ“地獄”なのか。それは、まなざしによって自身のアイデンティティを否定的に意味づけられるからだ。(都市のまなざしは、具象的な表相性において、抽象的な表相性においてひとりの人間のアイデンティティの総体を規定し、予料する。)そして少年は、奇しくも犯罪によって、「存在すべからざる者としての存在」についての確証を得たのは、皮肉だと思う。この論文は現代においても応用可能で、秋葉原の通り魔事件や「酒鬼薔薇聖斗」に関する考察も解説部分にある。

この少年はまなざしの囚人になり、発狂したけれども、僕らも彼に比べれば軽度であるけれども十分まなざしにとらわれているんじゃないかって思う。いや、むしろそれが当たり前のことだろう。注がれるまなざしを一方的に思い込むことで外見を気にするし、アイデンティティや生い立ちももちろん気にする。僕もここ東京で、尽きなく生きようとしている一人の人間なんだ。

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2011年03月07日

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永山則夫が都市で味わった孤独という実存的な地獄を、見田宗介は〈まなざし〉の問題として提起している。現代社会の犠牲者の象徴的問題として有名であるが、いま一度、都市問題の原点を振り返るのに丁度良い。

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2009年10月07日

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永山則夫事件をとおして、都市に流入する若者の在り方を洞察した本。
とまとめておく。

高度成長期に都市に流入した「金の卵」の若者たちは、他者からの自らを規定しようという「まなざし」と、自己解放のための上京の間で苦しむ。
ましてや、その「まなざし」が否定的なものであれば、さらに苦しむ。

また、「新しい望郷の歌」では、ふるさとが、「帰る」ものから「作る」ものへと変遷していくさまを分析している。


この本の何がすごいのか、という解説がしっくりきた。

① 死刑囚の人生という極限値と、都市の若者の一般的意識の平均値を組み合わせることで一つの結論を導きだしていること。
  前読んだ小熊さんの本でも、調査の方法は様々あると学んだが、この本では質的調査と量的調査を組み合わせて社会を分析している。
  数値でしか見えない部分を、死刑囚の人生を負うことで、実はこの統計の背景にあるのはこういった思いではないかという分析が非常に面白い。
  「当時の若者は給料にはこだわらないのだな」という統計的結果から、まなざしの地獄から逃走しようとする青少年たちを捉えている。
  普通の人間ではこんな分析はできない。

② 現代社会の写し鏡のような分析であること。
  当時の若者は、まなざしの地獄からの逃走と戦ったが、2000年代の若者は誰のまなざしからも届かないところにいるところからスタートする。
  2000年代のの若者にとっては、まなざしの不在の方が地獄なのである。
  N・Nはまなざしの不在から逃れるために、何の関係のない他者を殺す。そこで自己を確信する。
  しかし、同じような事件を起こした現代のKは、まなざしの不在に苦しみ、自己をシニカルに顧みるが、何の関係のない他者を殺すことで自己を確信する。


じゃあ、さらに2020年代になってみてはどうなんだろうか。
今の若者は、他者の「まなざし」に対してどう生きているのか。
逆に、「まなざし」を渇望しているような気はする。

自己を規定するまなざしというよりかは、逆に今は頑張れば、他者から見られる自分を作ることができる。
他者の「まなざし」をコントロールできるようになった今、その自由さに苦しんでいるような気もする。

という安直な考察をしてみたが、多分、この本のように確固たる考察をしないと分からないものだとも思う。

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2023年10月09日

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ひとりの人生の体験を中心として、社会からの視線、家郷、帰る場所の再考を提起する作品でした。
少し読みづらい部分もありましたが、本編は120ページほどで分量としては読みやすかったです。
社会学的なテーマで、地方と都市のどちらも嫌な部分が上手く抽出されている。
社会の柵と言ってしまえば簡単だが、その社会を構成する人の集まり、その中で生まれる暗黙の了解、社会的望ましさなどが、アイデンティティを否定的に意味付け、若者の自由意志を潰し、逸脱を引き起こす。

犯罪者という先入観無しに読めなかったわたしもまた、社会のまなざしの中でしか生きることのできない危うい人間だと思う。

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2022年03月09日

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この本はある方にお薦めしてもらった本だ。社会学というのは未開拓だったが、知識欲に駆られた私にとって良書だったと思う。
死刑囚N.Nと都市について。タイトルにある、まなざしの逃げ場なき地獄について。そして、解説にあったKとAのN.Nとは対照的でありながら類似性を感じた事柄。透明を欲するか、まなざしのない自由を欲するか。だが、N.NもKもAも犯罪を冒したからこそ辿り着いた居場所があった。精神があった。私にとってそれが悲しい。

この本は馬鹿な私にとって難解であったが、そのぶん読み返したいと思うし、社会学というものを真正面から見つめたい。そう思った。

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2021年12月30日

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1968年の連続射殺事件の犯人・永山則夫を対象とし、個からそれを取り巻く当時の社会構造と変動を総体とした社会学論考。

他者からのまなざしは個人の現在と、そして未来をも呪縛する。具象的であれ抽象的であれ、ある表層性において人間を規定するまなざしと、その記号化に囚われ、陥凹し、存在と離脱された一つの事例がN・Nである。その背景としての当時の社会として、高度経済成長期に合わせた集団労働力としての地方から都市への出稼ぎ者の流入、地方の貧困、家郷の喪失、といったことがある。

この内容を、個から総へ、そしてまた個へと行きつ戻りつしているのが本書である。社会学者ならではの表現と言い回しは、もっとわかりやすくならないのか!といらだちを抑えつつ辛抱していくと、ジワーっと内容が入ってくる(気がする)。

貧困とは貧困以上のものであること、というのは本事件の核心であり、社会情勢の変化のなかでの影の部分の発露であることがわかる。

特に解説が良く、内容だけではなく、数十年たった事件の論考がなぜ再度まとめられたかということの補完にもなっており、現代と比較することで社会学的な意味合いが増していることがわかる。

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2015年02月16日

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周囲の視線に苦しむことは決して他人の事ではない。
また直接的な視線に苦しむこともあるが、無関心というまなざしが一番怖い事がよくわかる。
考えさせられる内容だった。

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2014年10月13日

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端的でわかりやすい。30年以上前に書かれたもので、少し自分の認識とズレがあるようには感じたが、それでも、こういう視点で社会を見渡せたら面白いだろうな。こういうものの見方ができるようになりたいな。

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2011年12月13日

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永山則夫についての本。
ラベリング理論についての本として読むことができるが、
素直だが社会的に弱い立場にいる人間が周りの人からの心無い視線や一方的なラベリングによって苦しみ、自分の精神を守るために非行や不法行為に走ってしまうことを生々しく想像させられる。

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2020年03月07日

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死刑囚永山則夫の生涯を下敷きに社会からのまなざしに病んだ当時の(そして現代も)社会を切り取る。永山則夫の死刑が執行された年は、神戸の少年Aによる事件が起きた年。見られることから逃れる犯罪から、見られようとする犯罪へ。まなざしというキーワードで語られた見田宗介の社会学の名著。

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2015年10月17日

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