感情タグBEST3
Posted by ブクログ
久々にハードカバーの本を一気に読みました。
最後まで悲しく苦しかった。
特に母親との確執は自分とも重なり胸が痛んだ。
悪気なく人を傷つける人は一番キツイ。
互いに傷つけるしかないのであれば離れるのも大切なこと。
でも少し母親の気持ちも聞いてみたくなった。
実家のちらし寿司、本当はみんなで食べたくて待っていたのでは?とか。私も「お手伝いじゃない」と叫んだことがあるので。
ご主人のことは病の恐ろしさとそれを受け入れるしかない家族の気持ちが赤裸々に書かれていて親の病を思い出していた。大切な人が病んでいるのを見るのは本当に辛い。
シッターの村上さんとの心の行き違いは似たもの同士だから起こる行き違いのようでこれまた苦しかった。著者は本質的にとても私と違う方なのだけれど、共感する部分も多くまた驚くことも沢山あり、一つの映画を観たような気持ちになりました。
Posted by ブクログ
運よく、サイン本を買うことができた。「今を生きてる?」と万年筆でサインしてあった。一子さんらしいと思いつつ、感動しながら、中身も読み進めた。
私は「かなわない」で初めて一子さんを知り、一気にファンになったが、先日学生時代の友人の中で「かなわない」について話した時、友人の中にも「自分から不倫してることを書いた人でしょ?」と眉を顰める人もいた。一方で、「不倫を自分から書くから文学なんだよ!」と憤る人もいた。私は一子さんのことは、写真の才能も文章の才能もあってうらやましいくらいにしか思っていなかったけど、そうか、これが文学か。
そして、この「家族最後の日」も装丁が素敵だと思う。「かなわない」もなんでトースト???と惹きつけられたけど、家族~はまず赤が美しい。写真の帯も是非めくってほしい。(ネタばれ?)
Posted by ブクログ
ここのところ何ヶ月もかかって1冊読むことが続いてたが、夜更かししてまで数日で読んでしまった。そしてハマった。これは前作も最新作も、はたまた石田さんの本までも買う勢いだ。
この本に出会うタイミングも良かったのかもしれない。若い頃だったら、未婚だったら違ったかもしれない。今のこの時にはドンピシャだった。
本業の写真もとても素敵。(本には関係ないが、個人HPのTOP写真がグッときた)
何かと非難されてるようだけれど、取り立てて目くじら立てるようなことあったかな?
これは日記だし、好きとか嫌いとか辛辣な言葉が、本音があって当たり前では。全てに共感はしないけれど、ほぼほぼ、あ〜わかる〜と思った。
こういうドロっとしたのみんな心に無いのかね?みんなそんなにピュアで優しいのか…
でも不愉快に感じたり、合わない人もそりゃいるだろう。面白いよ!とこの本を勧めたところで、どこが?とか嫌な気持ちになったって言うであろう人が数人は思い浮かぶもの。。。
あー!とにかく、今の勢いで他の本も読みたい!
すぐに手に入らない環境でイライラするほど笑!!
Posted by ブクログ
ーーー絶対に、死なれてはならない。ーーー
またとんでもない本が一冊この世に産声を上げた。
家族最後の日、と題された本書は、三人の家族との最後をそれぞれ記している。
母、義弟、そして夫の石田さんだ。
それぞれ何が「最後」なのかも形が全部違っている。
SNSをフォローしているので、あのときのツイートの裏面でこんなことを考えていたのか、こんなことが起きていたのか、と、彼女のその時の心情を思うと、とても、かなしくなったりした。
誰かに対して何かをおもうことについても、日々、日常生活で自分も誰かを無意識に傷つけたり傷つけられたりしているのだろう、といろんなことを考えさせられる。
表面上こうだったからって、人間の心情がそうとは限らない。そんなアタリマエのことをまっすぐに書いている。
石田さんのことで「どうしよう」と思っているのに、石田さんにメールしそうになったり、
お母さんに泣きつきたいとおもったり、TwitterやInstagramのフォロワー数だけが伸びていったり、よくないのにたくさんのいいねをもらったり、でもそこは書けなかったり、ほんとうにほんとうに、植本さんは文章で、写真で、生きる痕跡を残していく。
石田さんのネタで稼ごう!死ぬ前に一花咲かせよう!という発想など、笑けてしまう。
下の娘(えんちゃん)の「とにかくちからをあわせなきゃいけない」など。
石田さんの音楽仲間たちや、シッターをしてくれている仲間たちの話も、ただただありがたかったり、え、とおもったり。
生きているし、生きていく。
ヘビーだけど光がある。
Posted by ブクログ
実母との絶縁、義弟の自殺。夫への突然のがん宣告。
「かなわない」から事態は急転する。
手術後、ICUにいる石田さんを見舞った帰り道、疲れて、弱って、誰かに吐き出したいがその相手が見つからない。筆者はふと石田さんにメールしそうになる。そして、気づく。石田さんの携帯はいま、自分が持っている。貴重品は家族が預かることになっているから、今朝から持たされたのだ。
「石田さんにはいま、どうがんばっても届かない。届けられなくなる日が来るかもしれないと思うと、涙が出そうになった。……p.164」
この箇所で何回も泣いてしまう。「かなわない」では泣かなかったのに、これはダメだ。
石田さんはいいとして、親父や義弟や実母のこと、シッターの村田のエピソードなどは、ここまで赤裸々に書いちゃっていいんだろうかと心配になる。が、書いておかないといけない、書かずにはいられないという植本さんの気迫が文章を通して伝わって来る。
Posted by ブクログ
淡々とした日記のなかに、媚びへつらわない正直な毎日が、想いが、詰まっている。
「写真を撮っているとき、そして文章を書いているとき、私の精神は安定している。そのときは誰にも依存せず、自分一人で立っている気がする。」
そう言う筆者の植本さんにとても共感する。
一人で立つ、ということばがよく出てくる。自立、自律?
一人で立たなければいけないと私もずっと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
人という文字は、人と人が支え合っている様子を表しているなんていうけれど、その角度というか、支え具合、支えられ具合はフレキシブルに変化していくのが理想だと思う。常に寄りかかっていなくても良くて、でも立っていられないときには、「助けて」さえ言えれば、いろんな人が少しずつ支えてくれる、はずだ。
「すべてを支えてくれる人は、本当にこの世のどこにもいない。いろんな部分をいろんな人に少しずつ支えてもらって、やっと一人で立っていられる。」
そもそも、一人で立っていない人なんて世の中に沢山いるじゃん、とも思う。それでもきっと別にいいのだけれど、それを許せない自分がいる。本当は羨ましいのかもしれない。そこに対して頑ななのは、やはり自分がどこかいびつなのかなとも思う。せめて、素直に「助けて」が言えるように。植本さんは、一人で立つことに対して、とても誠実だと思った。そういうところが、好きだと思った。
——————————————
ふと、お母さんに泣きつきたいと思った。私のいまの苦しみや悲しみをいくら周りの人たちに伝えたとして、ちっとも減る気がしない。全部をさらけ出せて、受け入れてくれるのは、結局お母さんしかいないのではないだろうか。周りを見渡しても誰もいない気がして、どうしてもそこに行き着いてしまう。そんな希望が昔からずっとあって、それがかなえられることがなかったから、私はいまこんな風になっているというのに。母への憎しみとともに、子どものように泣きつきたい衝動にかられる。
結局私は自立をしないで生きてきたのだ。お母さんから石田さんへ、バトンが渡されただけだった。それがいま、自分に戻ってきてしまったような思いがする。自分のバトンは自分で持ちなさいと。こんな形で自立をしなければいけないなんて、思ってもみなかった。
Posted by ブクログ
一気に読み終わった。
前作 かなわない より、一子さんが家族としっかり向き合っていることを感じた。
あまりにも現実で、自分自身も体のどこかがおかしくなるかもと暗くなった。
でも、前回なかった写真も多く、私はこの人の生き方に励まされる部分も多く、いつかお会いできたらと強くも思う。
ただものではない、日記である。
子どもたちの様子、日々の食事、仕事の方々との関わりも、面白いのである
Posted by ブクログ
思ったことを書く。
簡単なようでとても難しいことじゃないだろうか。
作者に共感はしなかったし、どうしてそこまで白か黒かで物事を考えようとするのか分からないと思うことがあった。
でも、心をざわめかせるほど真っ直ぐな言葉で書かれた本、しかもエッセイというのはほとんどない。
まさに他の人の人生をのぞき見ている生々しさ。
Posted by ブクログ
著者のバックグラウンドがわかっていないのもあるかと思うが、周囲の特定人物(特に親父)に対するアタリの強さには正直、理解不能な部分がある。
あと、フリーランスの人達ってのは独特の人脈命綱社会というか、普通の人が会社等の組織に頼ってる部分を仲間や友達に支えてられて特別負担にも思わない文化なんだな、と。これだけ人を頼るのは俺には無理!と感じましたね。
Posted by ブクログ
前回の「かなわない」に比べ、夫のECDさんが癌になったことで家族で向き合うきっかけができたのは良かったのかな。
自分が今まで自由でいられたのはECDさんのおかげだったのだと気づき、改めて大切さがわかった様子。
相変わらずお母さんとの仲が険悪なのが残念だが、親子は大なり小なりいつになっても反発し合う面はあると思う。
ある程度の年齢になったらある程度の距離を置くことも大切なのではないだろうか。
Posted by ブクログ
「家族」をテーマにしたエッセイというか、日記。誰かが勧めていたのを見て読みだしたのだけれど、よくよく考えると「かなわない」は読んでないし、植本さんの写真はちゃんと見たことないし、ECDも石田さんのラップも聞いたことはない。
冒頭の広島の母との話で、「あぁ、最後ってこういう意味か」と思って読んでいたけれど、大半は法律上の夫である石田さんがガンで入院してから2か月ぐらいの諸々。どうしたって子育ても続くし、日常はしんどいし、不安も、疲れも、まぁ読んでて楽しくなるものではない。万人受けしないものだと思うけれど、個人的には読み進めずにいられないものでもある。
タイトルの「最後」に絡めていうならばどこかでピリオドが打たれる、というよりも、変わり続けていくということなのかしら、と。「理想の家族」像ってあんまり思いつかないし、わからないし、いい意味であんまり意識したくない。プロフィール見ると1つ年上なだけでまさに同世代で、同世代の人がこういう内容のエッセイを書く歳なんだなぁなどとも思ったり。
Posted by ブクログ
「かなわない」で文章がすごく好きだと思った植本さんの新著。
旦那さんである石田さんが癌だということが分かり、この先どう頑張っても終わりようのない日々の始まりが少し書かれている。
前作との比較になるが、文章からはだいぶ落ち着いたんだな、ということがうかがえる。前は文章もすごく凶暴で乱暴で、怖かったのだ。感情をぶんぶん振り回し、子供のように泣く一子さん、怖かったけど好きだと思っていた。
読みながら「家族最後の日」の意味を考えた。それはあとがきで明かされているのだけれど、そうかあと納得できた。家族を二つ持つことの意味を、私はまだまだ理解出来ていなかった。
読んで心が不思議と落ち着いた。、
Posted by ブクログ
植本一子さんの日記。実家とうまくいかず、ご主人が進行性癌になり、仕事も子育ても待ったなし。それでも友人や知り合いに助けられながら倒れず進みつづける。著者が考えたこと、日々の食事や出来事が書かれているだけだが、圧倒的リアリティ。読後、なんだか逆に励まされた感じがした。
Posted by ブクログ
赤裸々に自分の日々を書き連ねていく著書。
どうしてこんなに何もかも正直に書くことができるのだろう。
さらけ出しているつもりでも、つい恰好つけてしまったり
本人が読んだら傷ついてしまうのではないかと、躊躇してしまったりという気配がまるでない。
嫌いなものは嫌い、
イヤなものはイヤと口にして生きていく著者の姿に
またしても読後にはザラリとした気持ちと
切なさが残った。