【感想・ネタバレ】集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえのレビュー

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西垣さんの本は「ビッグデータと人工知能」(2016年)を読み、とても面白かったので、少し昔に書かれている本書を手に取りました。個人的には集合知とは何で、ネット時代にどういう意義があるのかを知りたいと言うことで購入しましたが、読み終えた感想は、集合知以外のところというか、知のそもそものあり方についてとても勉強になり面白かったです。

 また経営学の重鎮である野中郁次郎さんの「知識創造企業」との関連性をすごく感じました。野中さんは日本企業がいかに各従業員の暗黙知を吸い上げてイノベーションにつなげているかを分析されていますが、知は人間個々人に暗黙知として宿ること、そして暗黙知と暗黙知がぶつかりあってグループ内で共有化されるプロセスや、その暗黙知が形式知に「表出化」されるプロセスを分析されていますが、西垣さんの思想との親和性を強く感じました。そして西垣さんの呼び名を借りれば「主観知」こそが出発地点であって、客観世界とは仮象であること、そしてこれからのデジタル技術は、人間の暗黙知を表出化するところにこそ使われれるべきだと述べていて、とても共感できました。産業資本主義が、世界の客観化にあったとすれば、デジタル技術は逆説的に聞こえるかもしれませんが人間の主観知へと焦点を当て直すことになるのかもしれないと思い、非常に興味深く拝読しました。西垣説は正しい気がしましたし、日本はこの領域は得意なのでは?と感じた次第です。

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2023年04月30日

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集合知とは何か?
共同体知、コミュニケーションにおける暗黙知。
自己の深層の活性化。

知識とは「主観的」なものである。
専門家の知識は、あてにならないことが、近年示されている。
「客観知」二人称の知として蓄積することが必要?

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2014年08月12日

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内容が薄くない。それだけに予備知識なしに読み続けるのは苦痛になるかもしれない。
筆者の知に対する考察の深さには恐れいる。読む価値のある本であり、集合知に興味があれば買うべし。

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2013年06月08日

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集合知のうちおもにインターネット上で構成されるものについて扱った本。難しそうな印象の本だが、個々の人間の主観世界がいかに集合知を形成していくかを平易に書かれた良書である。

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2013年04月16日

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書名には「流行り」に合わせて「集合知」と冠してあるのだが、内容のほとんどはクオリア論やオートポイエイシス論に立つ「情報とは」についての解説である。著者はエンジニア出身ではあるが、Webテクノロジーそのものの専門家ではなく、社会学など人文系との境界領域を専門とする。したがて本書の内容もテクノギーク向けの読み物とはいえない。だが、理数が嫌いな人からみても、数学・科学臭さがあり、ジャーゴンもある程度知っていないと読みにくいので、新書としては中途半端なところかもしれない。どちらかと言えばWeb2.0やSNSを安易に民主主義の変革に結び付けるような軽薄な風潮については、はっきりと反対の立場を表明してある。

サイバネティックスからルーマン社会学へと展開していく第4章あたりが、非常に面白かった。

ただ、まえがきや第一章で、原発と専門知云々についてのあたりは、情緒的で不安定な感じがする。想定読者層を考えて「掴み」として書くようにすすめた編集のアドバイスなのかもしれないが、逆効果ではないか。

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2018年10月14日

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専門知・客観知への疑念が持たれるようになった原発事故以降、ネット上の集合知が見直される風潮があるが、それに対して警笛を鳴らしているのが本書。
興味深いのは、本書の著者がコンピュータやソフトの開発に携わったこともあり、現在は情報学の第一人者とも言える人物であるということ。IT礼賛に傾いているかと思いきや、著者の主張はその反対。安易なIT化は人間に不安定をもたらす、と指摘する。「知とは本来、主観的で一人称的なもののはず」で、「客観知の方がむしろ人為的なツクリモノなのである」という指摘は、ネット上の集合知への向き合い方に重要なヒントを与えてくれる。IT礼賛・ネット礼賛どころか、人間礼賛だ。
正直、想像していたよりハードルの高い本で、脳みその中の普段あまり使わない部分を使わざるを得なかった。脳みそ錆び防止効果は予想外。

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2018年11月18日

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軽い気持ちで読み始めたらかなり哲学的で大変だった…。集合知どうこうと言うよりも、今後の情報化社会やAIが活躍(?)する社会に不安を感じる人が安心できるような本かもしれない。生命体と機械って何が違うの?ということに対する記述箇所が面白かったと思う。(なるほどと思った)ただ今後、その違いすら埋められていくかもしれないけどね、とも思った。

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2017年10月25日

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ネタバレ

あとがきの日付が「2012年11月」となっているので、3年と5ヶ月前になる。
この間にITがいかに進歩したかを感じる。
なんといっても今月、AlphaGoがリ・セドル九段を破った事実は、ディープラーニングがITの世界にパラダイム・シフトをもたらした。
本書は、このディープラーニングという閉鎖システムがIT上で実用的になることを前提にしていない。
著者は従来の開放システム(=与えられたプログラムで処理するだけのもの)だけですべてが処理される世界になることを望んでもいないし、予想もしていない。
ディープラーニングによるパターン認識と学習は、主観知の相互作用による合意形成と根本的なところは同じものではないかと思う。
また、タイプIIIと呼んでいるものは、今、IoTと騒がれているもの。
IoTとディープラーニングを活用し各自の主観知から合意を作る世界、すなわち著者が望み予測するものに近い将来が実現に向けて歩み始めたのではないかと思う。

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2016年03月30日

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基礎情報学の祖、西垣氏の本。内容は、基礎情報学がベースとなっていて、おさらいしつつ集合知を考えていく。文中で紹介されている、平野啓一郎「私とは何か」、西川アサキ「魂と体、脳」に出会えたことが収穫。

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2014年12月12日

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前半部分,西垣通にしては分かりやすいと思ったが,やはり途中から難解に.
しかし,おぼろげながら雰囲気は分かったかも知れない.
逆に雰囲気しか分かっていないのかも.
とりあえず「みんなの意見は案外正しい(The Wisdom of Crowds)」というのは読んでみないといけないな.

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2016年02月29日

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数学的には、個人の知より、集合知の方が正しい。ただし、そうなる条件としては、多様性の高い集団であることとのこと。多様性が低ければ、結局、個人が間違うのと同じ様に間違うという当り前のこと。

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2013年09月04日

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クオリア,暗黙知,APS,HACS,ネオサイバネティクス,SEHS,分人,アサキモデル...色々な学説が出てきて、思ったよりヘビーな新書だったが筆者の要点としては、
①多様な価値観が混在する人間集団において閉鎖性・不透明性が保たれれば、メンバー同士の二人称対話(信用のキャッシング行為)にもとづき、社会は安定性と動的適応性へ向かう(→盲目的にオープン/フラット化した社会への反対)
②人間(生命体/心)はリアルタイムで閉鎖的な自律システムであり、機械は静的な時間で開放的な他律システムと、異なる性質ゆえに、ITエージェントはAI(Artificial Intelligence)からIA(Intelligence Amplifier)へ転換し、人間の対話協調を補助するものになるべきである(→自己言及のパラドックスに陥る汎用的人工知能への警告)

人間がどれだけ身体機能を機械に依存しても、人のクオリア(心)や対話能力はそれに代替できないから、ドラえもんとかタチコマみたいなのはやっぱりSFの世界ってことかぁ。。

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2013年08月28日

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正直、今の私には少し専門知識が不足していて咀嚼しきれない表現が多かった。通常、新書を読むペースより2倍の時間をかけ、目次を写してメモをとりながら2度読む方法をとった。
西垣通氏の著書は以前に何度か読んでいて社会学的な視点で興味のある眼差しを持っている方だという印象を持っていた。本書も、第一章で今沸き立っている一般意思2.0に安易に乗っかることへの警鐘を鳴らしている。この本を読む一年程前に読んだ『一般意志2.0』東浩紀氏著を読んだ時は、集合知の活用による新しい社会システムを待望したものだ。第三章・第四章と難しく感じたが、第六章は総まとめ的にわかり易く本書を振り返ってくれている。

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2013年07月27日

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集合知の本でありつつも「ビッグデータの集合で、最適な回答が導き出せる」という立場とは真逆の本。

情報学をベースにしつつ、認知学、心理学、組織論などの分野と関わりながら、人間と機械の違いに注目し、「人間の知が機械に取り込まれる」のではなく、「機械を使って人間がどのように知を流通させるか」がテーマ。

途中までの議論に比べると、最終的に示される方向性がかなり抽象的で、少し迷子になる感じ。

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2013年07月16日

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「グローバルでフラットなIT社会」を目指すというような最近の画一的な風潮に,「個人的な知」からの切り口で批判的に論じた一冊.めちゃくちゃ面白い.

全体的に少し感情的な表現に感じるところもあったけど,何より,「本当にコミュニケーション活性化とか,情報共有とか,徹底的に推し進めていいのかな?」という疑問を持ちながら推進していた自分にとっては刺激的でためになった.

集合知の他の本でも記載があったが,あまり緊密すぎる関係性は,多様性を損ない効率が低下する.というような話があったが,
ここでは「開放系と閉鎖系」の集団モデルの安定性の比較の例で紹介されていた.
どちらにしろ,単純に数値のサマリーを行うように人の活動を取り扱おうとするとダメにしてしまう,というリスクを考えなくてはいけないようだ.

西垣先生の本も数冊読んでたら,ようやく「客観的で科学的な物事の解析」とは少し視点の違う「主観的で閉鎖的な人の意識を起点にした世界認識の組立」のような感覚が掴めてきたかも..?

おもしろかったー.

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2013年06月22日

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あとがきから引用

20世紀は、専門家から天下ってくる”客観知”が絶対的な権威を持っていた時代だった。21世紀になると、一般の人々の多様な”主観知”が、互いに相互的な位置を保って交流し、ネットを介して、ゆるやかな社会的秩序を形成していくのではないだろうか。個々の血のにじむような体験からなる、繰り返せない主観的世界こそ、生命体である人間にとって最も大切なものだからだ。

著者は工学部出身で、情報学が専門。このため、難解な箇所も見られたが、知のあり方はどうあるべきか、という問いに迫る読み応えのある一冊。

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2013年06月17日

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ネタバレ

集合知とは何か、というタイトル通りの本です。
生命体の集合知では、クオリアという感覚質によって外界の情報を無意識にインプットされ、個体の記憶を基にして情報が再編される閉鎖的自律システム(オートポイエティック・システム)。時間や場所や心理状態が変われば、同じものを見ても感じ方が変わるのは当たり前。そしてその感じ方はその人個人のものなので閉鎖的である。
閉鎖的ならばどうやって他人とコミュニケートできるのか?完全なコミュニケートは不可能(個人の痛みを他人が完全に理解するのは無理!)だが、意識に上ったものは会話等によって意志疎通ができる。
人間個体を理解することで集合知を深く探求することはできる。
また、生命体の本質は閉鎖的自律システムなので、所謂『人間みたいなコンピュータ』は作れない。コンピュータは入力したデータに基づいて出力する(しかも出力情報はいつ引き出しても同じである)から開放型他律システムだからである。
さてネット集合知は専門知を超えることができるのか?その答えはまだ出ていない……。

読み応えがあり、難しいけれど、面白いです。
情報学の視点から人間を考えるとなるほどかようになるのかと感心しました。集合知というと、ネットワークや哲学がその学問領域になるかと思いましたが……、機械情報学からの出発が、生命システムに行き着く、そして再び機械情報学に戻るのは何だか不思議ですね。

インターネットが当たり前の時代において、人間に求められるのは、情報を加工する能力でしょう。知識自体はウェブ上にあるので、それらをうまく組み合わせて知恵を生み出す。
言ってみれば、レゴブロックがたくさんあっても、それを組み立てて遊ばないと意味がないのと同じです。お城を作ったり船を作ったり、組み立て方のパターンは無限にある中で、どういう組み合わせが適当か、考えなくてはなりません。
しかし、注意しなければならないのは、知恵が肝心だからといって、知識(レゴブロック)を疎かにしてはならないということです。知識がなければ閃きもない、よって『知識はネット上にあるからわざわざ記憶する必要がない』となってしまうと、知恵を生み出す素地が育たず、よい結果は得られないでしょう。要は下積みが大事ということです。

平野啓一郎さんの小説が気になりました。分人という概念は、ユングのペルソナと同じだと思いますが、確かに現代人は複数の人格を持ちすぎだと感じます。それらが一貫性をもったものならば、著者の言うように問題はないのかも知れませんが、うまく制御できないときは爆発しそうで恐いです。『いい人を演じるのも疲れた…』なんてのはよくある話で、そこは喜怒哀楽ある人間だから、あまりストレスを溜め込むことなく円滑に人間関係を進めたいものです。

僕の評価はA+にします。

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2013年05月31日

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1948年 ウィーナー「サイバネティックス-動物と機械における制御と通信」
      ウィーナー「人間機械論」
サイバネティックスとは、本来、生命体が生き続ける為に、いかに電子機械を活用すればよいか、という実践知に他ならない。

生物の主観世界を考慮した革新的なサイバネティックス1970年代から現れた「二次サイバネティックス(サイバネテックスのサイバネテックス);観察行為を観察する」。(ウィーナーは「一次サイバネテックス」)

二次サイバネテックスの創始者は、ハインツ・フォン・フェルスター。

生命体(人間)は、「作動するシステム」(自分で自分を創り出す)ので、「自律的なシステム」、「オートポイエティック;(自己創出的)な存在)。

機械は、他の存在(人間)によって制作され、また他の存在(いわゆる出力)を創り出すので、「アロポイエティック・システム」。

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2013年05月23日

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「情報」「知識社会」「知」「パラドックス」「自己言及」「クオリア」「心身問題」「オートポイエーシス」「自己組織化」「時間」「生命体」「生物」「秩序」「分人」「平野啓一郎」「ベルクソン」「モナド」等々最近、気になっていた言葉が次々に現れて驚いた。

内田樹さんが、「人は何を知りたいかわからないままに知ろうとする。」と言われていたように記憶しているが、まさにそうなのではなかろうかとこの本を読みながら思った。「そうか!私が知りたかったのはそういうことだったのか!」という思いがしたからである。

先日読んだ『リーダーシップとニューサイエンス』で情報の本質が気になりだし、それと同時に水野先生から情報学の入門書である本書を授けられた。まるで、自分自身でも気づいていない私の好奇心が見抜かれているかのようである。前者は情緒に訴える書物で本書は理性的なものだが、傾けられている情熱や純粋さは前者を凌いでいるように思う。200ページ余りの短い本であるが内容は濃い。

知について、こうこうこういうものである。というような説明はないが、

「…大切なのは手際よく所与の知識命題を集めてくることではなく、自分が生きる上で本当に大切な知を、主体的に選択して築き上げていくことのはずである。」(p49)

というような思いに貫かれていて、とても頼りになる。


また、著者は言う。

「心とは徹底的に「閉じた存在」なのである。自分の痛みのようなクオリアは他人には決してわかってもらえないことが、その証拠といえる。」(p82)

自分の思いが伝わらない、相手の気持ちがわからないと涙したことのある人にとって、いっそのこと「心とは徹底的に「閉じた存在」なのである。」という地点にまで降りて、そこから再び世界を構成したり、コミュニケーションについて考えたりするアプローチは心強い。ある意味、希望の光ともなるかもしれない。

さらに、人と人との関係、組織との関係、社会との関係も情報学の観点から分析整理されていて新たな視点を与えてもらった。いつか、自分の言葉でまとめられるようになりたい。書物にせよ演劇にせよ簡単にわかることはそんなにはありがたくない。なんだかよくわからないけど、ざわめく心が落ち着いたり、新たな希望が感じられるものがありがたい。

さて、これはまったくのピント外れかも知れないが…生命体が閉鎖系であるがゆえにその作動原理が再帰的、自己循環的、自己創出的であることと、ニーチェさんの「永遠回帰」は関連があるのじゃなかろうかと気になり、ニーチェさんやジル・ドゥルーズさんの本を読みたくなってきた。

Mahalo

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2014年05月09日

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西垣通の新刊。集合知は、ゼロ年代のweb2.0のときに微妙に流行って、オープンとかシェアとかあのへんのネットカルチャー的な耳あたりのよいバズワードとも相性が良かった。ノマドだとか新しい民主主義だとか一般意思2.0だとか、10年代の議論にも連なるかもしれない。
しかし、著者はそんな意識が高くナイーブな理想論に与しない。その一見新しく見える思想自体が、20世紀を通じて支配的であった論理主義的な前提に依拠していると指摘する。それらは20世紀においてさんざん議論されたことの変奏あるいは焼き直しでしかなくすでに限界が見えているとして、彼らのユートピア的な幻想ははっきりと否定される。
そうした問題意識のもと、知のあり方そのものをあらためて検討し再定義を行うこと、そうして再構築された前提から集合知の可能性を見出していくことが本書の目指すところとなる。
では、知とはなにか、知のあり方いかなるものなのか。著者は、知の原型を、徹底的に主観的で身体的な、本来的には共有不可能な一人称的なものだとする。それらは再帰的・循環的な閉鎖システム(オートポイエーシス)において生じる。
そのような閉鎖系からいかにしてコミュニケーションが生まれどのように知が共有されるのか。ここで著者が提示するのがHACS(階層的自立コミュニケーションシステム)であり、ここに至って著者の研究の集大成ともいえる大著「基礎情報学」「続 基礎情報学」との接続が果たされる。
さらにマーク・ハンセンによるSEHS(システム環境ハイブリッド)、あるいは西川アサキによる数理的な検討であるアサキモデルを手がかりに、閉鎖システム間のコミュニケーションから知識や秩序が生成されるメカニズムを紐解いていく。
こうして丹念に考察してきた集合知とその可能性は、いわゆるバズワードの集合知とは大きくことなり、地味で面白みのないのものである。社会の状況を一変させるような即効性もなければ、意識高い系を喜ばせる派手さもない。そこでにあるの生命と技術とか並存する社会状況であり、それを冷静に見つめる姿勢が求められる。
一時期もてはやされた集合知という言葉も、いまとなってはすでに過去のものになりつつある。しかし、一過性の流行として消費され尽くす前に、集合知の可能性をあらためて検討し直すことは決して無意味なことではない。

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2013年05月05日

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ネタバレ

情報論の西垣さんの本。
原発事故との絡みも多く、面白い。
過度の専門分化と予算不足からくる産学協同の推進が専門知のレベルを落とした。
専門知の普遍性と一般性の崩れ。

正解のない問題
正解の推測より「物事の決め方」へ

依然として「みんなの意見」より専門的権威を信じているという事実

数理社会学者スコット・ペイジ「多様な意見はなぜ正しいか」

一番問題なのは客観的な世界が存在し、しかるべき評価作業をおこなえば透明度がまして世界の様子がわかってくるという単純な思い込み。

...もっと大切なのは、自分が生きる上でほんとうに大切な知を、主体的に選択して築き上げていくことのはずである。

近代知ー普遍性の追求
デカルト、ニュートン、ライプニッツ

20世紀
論理主義の影響力
そこに対抗するように実存主義、構造主義などの相対主義系統

論理主義ーいまだに圧倒的な影響力
フレーゲ「述語論理」
ラッセル、ホワイトヘッド「プリンキピア・マテマテカ」
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
公理と記号論理にもとづく厳密な推論が数学の基礎をつくり、哲学は数学的論理にもとづく厳密で分析的な言語で経験を記述するもの。
→論理実証主義/ウィーン学団
ルドルフ・カルナップ
経験、実証を重んじる←ポパーから検証可能性の批判

自然言語は論理的厳密性を備えているのか?
ー分析哲学

コンピュータ(論理主義をふまえて)
ノイマン(数学基礎論)、チューリング
ヒルベルト(フレーゲ、ラッセルの影響下:数学を論理学の中に包含してしまおうとした)ー形式主義
「事物を記号であらわし、記号を形式的なルールに基づいて論理操作することにより、事物についての正確な知が得られる。」

ゲーデルにより無矛盾系が否定される
ヒルベルトのテーゼについてゲーデルと同じ否定的結論をチューリングが示す(チューリングマシン「オートマトン」)

AIからIAに(コンピュータをつかって人間の知識を活かす)
刻々と変化する状況の中で、常識と直観を働かせ、臨機応変に行動することが生物が機会より優れている点。

人間の知と機械の知の境界線に目を凝らさない限り見えてこない?

オートポイエーシス、サイバネティクス、自己組織化、複雑系、そういったところのやっかいな言葉の使い分けに関して。

平野啓一郎『私とは何か』のなかで分人
西川アサキ『魂と体、脳ー計算機とドゥールズで考える身体問題』

オープンになり過ぎもだめ、適度な「閉鎖性」が必要。
論理主義への猛批判がちょっと目についたけど、依然としてそれがある程度ドミナントな価値観なのであればそれが「閉鎖性」に結びつくこともあるのではないか?と思った。
ある程度の完全性への希求みたいなものは諦めるとしても、論理が好きという「趣味」の人もいるわけだし。
感情だけにそって話すとかなり厳しい状況になるのは確かだ。
もちろんそのルールが「論理性」が適しているところと「感情、感覚」が適しているところと、その中間みたいなところもたくさんあるとして。
線形世界や通常科学が「局所的真実」としてその居場所を残している、って言うところがこの辺できいてくる。
Anyway, 結構面白かった!

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2013年04月29日

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思考とか主観的な知識や暗黙知はどこまでも一人称的なものだから、これを客観的にとらえて三人称的にとらえた段階で変質してしまうので、主観的なものは主観的なままで捉えるのがいいみたいな話。

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2013年04月10日

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原発事故発生時のネット書き込み(集合知)の正しさなどの実例あり。そして集合知が正しいための条件が説明されている。

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2014年02月16日

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ネタバレ

「知とは何か」という問いかけは、決して、暇つぶしのペダンティックな質問などではない。むしろ、命がけの生の実践にかかわる問いかけなのだ。


前書きの1文を見ただけで、購入して失敗したと実感
小難しい単語を並べて、自己満足している学者チックな著者なのだと。案の定、本書は権威がありそうな他人の主張を参照するのみで、著者の意思が感じられない、いわゆるつまらない論文チックな文章となっている。

題名だけを見てネットで購入すると、たまに買ってしまう残念な一冊でした。

ペダンティック:pedantic

物知り顔の、学者{がくしゃ}ぶった、学者{がくしゃ}ぶる、知識{ちしき}をひけらかす (www.alc.co.jpより)

まさに、あんたのことだと著者に言いたい。

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2013年06月24日

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