【感想・ネタバレ】ヒミズ(1)のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

私も思う。不器量なら不器量なりに、世の中に遠慮して生きていくべきだと。才能がない人は、控え目に規律正しく自分の立場を甘んじて受け入れることこそが、必要とされることだと。
そうじゃなくて自分がくだらないくせに権利ばっかり求める図々しい人たちや、自分が何者かと思っている勘違い野郎は、ばかばかしくて大嫌いだ。

だから、私は人に優しく悪いことはせずに、生きようと思う。

って、小学生の頃から思ってた。中二病真っ盛り。

今はいい加減いい年だから、そんなことをいちいち気に留めたりしないけど、たまにふと思う。
今一生懸命あがいて生きてることは何の意味があるんだろう。悲しいときや辛いときに、この心の痛みにいったい何の価値があるんだろう。自分なんてくだらないくせに。まわりの人だってみんなくだらないくせに。世間に踊らされてるだけの幸せを求めて一生懸命に生きるなんて恥ずかしくてばかばかしいって。

ただ、いい年だから、そんなこと思って浸ってるうちはまだまだ大丈夫だなとか、みんなそんなことわかってて器用に生きてるんだよとか、結局人生なんて結構綱渡りでスレスレなんだなとか思う。

この漫画を読んで、そういう自分のくだらない妄想を思い起こさせられた。嫌だけど、怖いけど、病気だけど、主人公のような生き方もあるんだと思う。

1
2013年07月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

▷6巻完結◁

全般的に暗い!!ギャグ描いてる人なのかっ

人間いつどのタイミングで
道を踏み外してしまうかわからないなあ
と思わされる(´ー`)
茶沢さんのようないい子に想われながら
結局ひとりよがりに生きた主人公
やるせない

中学生て難しい年頃だもんなあ

0
2012年10月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

普通であろうとする主人公のひたむきな思いが、一度歯車がずれると一瞬にして転落の道へと落ちていく。マジメでありすぎるが故の思い込みの激しさ、苛立ち、葛藤。最後光が見えたかのようにみえて、あの絶望。鬱病をリアルに表現したら、こんな漫画になるのではないかと思う。01〜03年の作品だそうで、この時点で今や現代病の鬱をテーマにした古谷実の着眼点の鋭さに驚く。

0
2012年01月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

傑作です、この漫画。
「稲中」の作者さんの作品。

若者特有だと思うが、自分の「価値観」を神聖化しすぎて、その価値観に固執してしまい、過ちを犯した後もその価値観を変えることが出来ず、最後は悲劇で終わってしまう。

こういったモチーフを扱った作品は割と昔からある。
そういう意味で目新しさは無い。

代的なのは、縛られている価値観が「普通でいたい」っていうところくらいかな?「特別じゃなきゃいけない」プレッシャーが強い現代の若者の悩みっぽい。

子供は1つの価値観に縛られやすく、昔の2.26事件や5.15事件など、青年の純粋さ故に起こる事件も多い。そういうとき、大人が強制的でも良いので価値観を変えるための「きっかけ」を与えるべきなんだろう。

この作品でも、いくつか「きっかけ」はあった。

ボート場でしばらく働いてたおっさんや、ヤクザの言葉とか。ただし、強制力はないけれど。

そういう意味では、最後警察官が主人公を無理やりにでも逮捕していれば、最後の悲劇は防げた。

「問題を一人で解決する」という状況に追い込まれると、どうしても、こういう結末になってしまうんだろうな。。。

ちなみに、来年2012年には、園子温監督の映画も上映されるとのこと。
こっちも今から楽しみだ。

0
2011年10月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ



園子温監督の映画を先に観ている。
古谷実は初めて。
もともとギャグ漫画描いていたくらいの情報しか持っていない状態。

この巻は映画に似通っている部分が多いため(順序は逆だけど)スラスラと読み進めた。
住田の親友夜田が同級生であったり異なる点もあるが、ビックリした点が二つ。
一つは映画版においての住田んちのボート屋の忠実度。
まるでそっくり。
「ロケハンすげぇがんばったのかな」と妙な感動。
二つ目はシュールなギャグ顔。
簡単に言うと作家性みたいなモノ。
狂気を孕みつつ淡々とした作風にものすごくマッチしている。
漫画的な要素だなと思う。
俳優がこんな顔してもたぶん成立しないだろうし。

0
2012年10月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とても面白い。生きる意味を重大に捉えすぎ、極端で壮大な計画に走る「生き悩む」学生の話なのだがいわゆる厨二病系とは一線を画す。人生(生きていくこと)の重圧に正面からまっすぐに取り組んだ作品。

作中にずっと登場する怪物は主人公住田の「良心」だと解釈している。
普通の人間は程度の差はあれ、必ず自分の良心に目をつむって生きている。人間は必ず誰かを憎んだり、罵ったり、差別したりする。他の生命の命を残忍に奪い、他人の不幸に目をつむる。心の中にそういう悪意を育んでいるくせに、それを隠し、「自分は良い人間だ」と思い込んで生きる。
しかしそれが正しいのだ。人間は生まれながらに悪意を内蔵している。良心に捕らわれすぎれば自らの悪意=罪と真っ向から相対しなければいけない。それをすれば人間は住田のように「病気」になってしまうだろう。

作品当初から住田は心の中に巨大な「良心」という怪物を飼っていたように感じる。最初はそれが「世の中のクズや悪人を許さない」という方向に働いていた。またみじめな境遇に強い劣等感を感じ、「人並みに普通に生きたい」という良心的な生き方を選択できなかった苦しみが父親に向かった。
ここまでは住田の「良心」は外側、他人への批判へ向かっている。けれど父親を殺してしまったことで、住田の良心は内側、自らを批判せざるをえなくなる。
結果、住田は自分の悪行を償うように「ひとつくらい世の中のタメになりたい」と悪人を殺すことをもくろむようになる。
このとき住田は「世の中のタメになる」ことで良心の呵責を振り切ろうとしていたのだろうか?けれどこの行為は同時に悪意を凶悪に育て、更に人を殺すことで自分につきまとう化け物=良心を振り切ろうとしているように見える。自らの中にもある悪意を完全に無視し、人の悪意のみを独善的に裁ける正義の味方こそ、完全に良心を無視した非人間的な、「特別」な存在なのではないか?住田はそれを悟っていたのではないだろうか。
とにかく住田は自分なりの手段で、良心という化け物による呵責と戦おうとした。けれど最後は良心に食い殺されて自殺を選ぶ。

「罪と罰」にこんな下りがある。「どこか狭く高いところへ連れて行かれそこが両足で立つ面積しか無くても下は荒海で暗闇でもその70センチ四方の場所で永遠に生きることになっても今死ぬよりましだと。ただ生きていたい。生きていきたい。」金に困り老婆を殺害した主人公ラスコーリニコフの心情描写であるが、普通人を殺してしまっても生存本能を持つ人間はこう考える。
けれど住田は自殺を選択した。「罪を犯して生きながらえる」ことに耐えられなかった。
ホームレスのおじさんの言っていた「一生苦しみながら生きる」ことが何よりの償いだという考え方も確かにある。けれど住田は罪を償った後幸せになりうるかもしれない未来が許せなかったのだろう。良心の呵責にさいなまれ自分の生命を怪物に捧げてしまった。この良心という怪物に取り憑かれていた最初から、住田は「特別」な人間だったのかもしれない。

という風に読んだ。そう読むことで共感し、救われた気がした。ただ悲しいことに自分は「特別」でない、普通の薄汚れた人間なので、醜い悪意を自覚しながらも住田のように死を選ぶことができない。
思うに人間は誰でも同量の「悪意」を持っていて、人を殺しうるのではないのか?「こいつ死んじまえ!」と一生に一度は、誰でも思うだろう。「死んじまえ」とは行かないまでも、「憎い」「嫌い」「妬ましい」「ウザい」「邪魔」そういう悪意が発露しない人間などいない。その原罪としての悪意を「隠し持つという罪」に耐えきれず、自らの悪意に正直に向き合いすぎたために人を殺す人間もいるのではないか?そしてその人の「良心」はもしかしたら「悪意を隠し持つ罪」を犯している善人たちより大きいのではないのか?

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2012年01月17日

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