【感想・ネタバレ】「文系学部廃止」の衝撃のレビュー

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巷で耳にする"そんなん学んで何になるの"という言説に漠然とした不安を抱えている文系学習者にお勧めしたい一冊。文系の知が役に立つことを述べてくれるだけでなく、個人的には文系の論文の構成について詳しく述べているので、論文作成時にも役立つと思う。
吉見先生のゼミ、時間があれば参加してみたいな〜!今期のシラバスも凄かったそうな

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2020年04月09日

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タイトルがキャッチーすぎて、コアな人文系の人々が敬遠するのではないかと心配してしまうけれど、とても読みごたえのある良い本だった。

教養とリベラルアーツの違い、文・理の区別の歴史的背景、文系は社会にとって長期的に役に立つということ、未来の大学像などなど、文学部の学生としては興味深い話題ばかり。

本の文系軽視の問題だけでなく、現代において「学ぶこと」の価値とは何かというところまで深く掘り下げているので、文系や大学関係者だけでなく、あらゆる人に読んでほしい。

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2017年11月13日

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『大学とは何か』が大学論の基礎文献ならば、この本は現代日本への応用編。キャッチーなタイトルに反して、中味の射程は深い。前半の報道とその反応をめぐる浅薄さは痛快。学問の有用性を問い直す中で、文化にとって根源的な遊戯性の指摘で締めたことが印象的だった。

・大学には、学生や保護者への説明責任が大学にはあるのですが、説明責任を負うことと奉仕することは違います。
・「教養」は国民国家的な概念。グローバル教養は形容矛盾。
・イギリスでは「カレッジ」とは学寮のことで、学生が所属する大学の基本単位。日本でいえば学部。米国では「大学院」と「高校」にはさまれた「学部レベル」の教育課程を意味する。
・「教養」がどちらかというと近代産業文明の中で国民の人格を陶冶・涵養するために過去の伝統との結びつきを強調したのに対し、「一般教育」は人類の未来的な課題に立ち向かう能動的な知性を具えた市民の育成を目指した。リベラルアーツ=中世的な貴族社会、教養=近代的なブルジョア社会、一般教育=現代的な民主主義社会に対応。
・人文社会科学の様々な知は、その本質において、複眼的で流動的な「価値」を問い、観察し、分析し、批判し、創造していく視座や方法として、19世紀から20世紀にかけて形成された。
・大学はそもそも高度な知識を備えた教師と学生の協同組合として誕生したのであり、この協同組合の掛け金は「資本」ではなく「真理」でした。
・もはや教育と研究だけで大学がその価値を証明するのは難しい時代であり、社会的実践という第三の要素が重要になってきている。
・中高で要求される優秀さは確実な記憶力や思考の緻密さ、地道な努力など「失敗しない能力」。大学は、そうした基礎に立ちつつも、むしろ「失敗する能力」が求められる。
・日本の大学で25歳以上が占める割合は2%。世界は20%。
・文系において論文とは、著者の問いについての学問的方法論に基づく「認識」の深まりを、実証的な根拠を示しながら文章として構造化したもの。(このあと論文論もあり)
・個人的動機と学問的問いは別。問題意識は後者。
・大学と専門学校を隔てる最大のポイントは、大学は社会的需要に応じて、人材を供給する訓練所ではないこと、そのような神座自受用の短期的変動を超える時間的な長さや空間的な広がりを持った価値と結びついていることにある。
・ホイジンガ:遊びは文化の周縁にあるのではなく、文化は遊びを通して生成する。遊びのないところに真に充実した意味は見いだせない。

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2016年04月12日

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ネタバレ

2015年の文科省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が出て、「文科省は文系学部廃止を企んでいる」という解釈が瞬く間に広がった。2013年の国立大学改革プランで示された文言の焼き直しに過ぎなかったにも拘らず、である。
この原因は、この「通知」の文脈的な理解ができずに文章の字面だけで記事を書いて平気なマスコミ記者たち、あるいは関連資料に当たることも記事を系統的に検証することもなく、マスコミ情報を前提に議論を始める一部の大学人やメディア言論人の劣化に一因がある。もう一つ「文系は役に立たない」という認識が広まっていたことも大きい。

「文系は役に立つ」が本書の主眼である。
この点では広田照幸氏の発言が印象的である。「哲学なんかこそ、実は新しいアイディアの宝庫なんです。現象の本質を抽象的な概念で論理的に考える訳ですから。長い目で見れば、そうした思索こそが、あたらしいアイディアを生み出す。そういう意味では、『経済効果』から見ても、ちゃんと意味はある」。つまり、目的遂行的には理系的な知が役立つが、「価値創造的」には、文系の知こそが、長く広い未来のために役立つといのが、著者の主張である。

ただ、昨今の新自由主義的経済の中では、結果がすぐに、しかも成果を数値化して示すことが求められるなかで、文系的な知の重要性が評価されにくいのは事実かもしれない。さらに、数ある大学の中・下位校、特に多数を占める文系の学部教育のお粗末さが、「文系不要論」に拍車をかけているように思われるのである。

この著書では、大学人やマスコミなどが混同(誤解)している用語を整理していることも重要だ。人文社会系、教養、一般教育、リベラルアーツの定義がされないために、大学教育改革の論点が定まらないことが多いからだ。

○リベラルアーツ(Liberal Arts):
11、12世紀に誕生した中世の大学教育における言語系の三学(文法学、修辞学、論理学)と数学系四科(代数学、幾何学、天文学、音楽)を指す(著者は「音楽」を芸術系に分類しているが、ここでの音楽は現在でいう物理学と解すべきである)。リベラルアーツは、リベラルに思考する技法、つまり、私利・私欲、因習、社会通念、偏見、迷信、先入観、そして功利性から解放された(liberal)、普遍妥当性のある価値や概念(真理)を見出し、理性的で論理的な思考でもって正しい問題解決策を導く技法(arts)を身につけるための科目群と考えるべきであろう。
○教養(Culture):19世紀以降の「国民国家」の形成(ナショナリズム高揚)が背景。近代産業文明のなかで、国民の人格の陶冶・涵養をするために過去の伝統との結びつきを強調。「文化=教養」を通じた国民主体と国家の一致という考え方がある(p.83)。
○一般教育(General Education):大学教育のユニバーサル化とともに、一般大衆に向けて機能する基礎教育の必要性とともに登場。異なる専門分野を総合する力を身につけ、未来的な課題に立ち向かう能動的な知性を具えた市民の育成を目指す。アメリカにおける大学院の発展が背景。
○共通教育:1990年代以降の大学改革の流れの中で登場。従来の一般教育に加えて、スキル科目(コンピュータ・リテラシーや実践的英語能力)が含まれる。グローバル化社会や情報社会を生き抜くスキルを身につけることを目的とする。

第四章「人生で3回、大学に入る」では、あまりにも理想的すぎるはと思われる記述が散見された。大学で学ぶ費用が高くなっている中で、その費用を投資しても、少なくとも2回目、3回目の入学では回収できる期待がほとんどない。そもそも今の日本の社会では、大学入学のため退職しようものなら、再就職のときにより良い条件で雇用される可能性は低い。単に趣味で学びたいという人もいるかもしれないが、あまりにもコストがかかる趣味である。知識を得るのであれば、書物や学会、インターネットでも十分可能である。そもそも、大学のレベルでは一方的な講義形式が主流であるし、数少ないゼミでも、中身の深い議論が期待できないからだ。

東京大学の教授の著書だけに、中身が濃く読み読み応えがある章(1~3章)と少し現実離れしているのではないか思われる章(4章)が併存している、そんな印象であった。

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2018年07月21日

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2015年6月の文科省による「国立大学法人等の組織・業務全般の見直し」通知から始まったメディア報道の騒動から解き明かし、「理系」偏重と「文系」軽視の傾向がこの時に始まったものでないことを分かり易くひも解いてくれる。遠く岸内閣時代の松田文部大臣の説明にさえ、そのことがでてくるという。文系は大学にとってはお金がかからず、学生を集められるということから私学がそれを歓迎していたというおまけには、苦笑いまでしてしまう。つまり大学とは何かそのものが問われるテーマであるとの説明。「文系は役に立たないが、価値がある」という議論ではなく、「文系は必ず役に立つ。それは今後の経済成長に貢献するという手段的な有用性に限定しない。価値の軸の変化を予見したり、先導したりする価値創造を可能にし、長く役立つ教育」をアピールする。長期的には理系以上に役立つ、ことの主張である。しかし、国立大学の教員人数の8割を理系が占め、その結果、学長も理系が多いとの現状はお寒い次第である。もう一度、大学は「国家や企業社会に奉仕するのではなく、人類的な価値に奉仕する」ことを確認し直す必要があるだろう。12世紀から始まる中世の大学に始まる「リベラルアーツ」と19世紀の欧州の国民国家から始まる「教養教育」、20世紀の半ばからの米国の大学のユニバーサル化に淵源がある「一般教育」の3つの比較は分かり易い。

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2017年11月16日

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文系学部云々以前に、
大学とはどういうものだったのか、
どういうものなのか、等々、
今まで深く考えずに述べていたことの中で
実はこういうことだったのかと気づかされることも多く、
大変勉強になりました。

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2016年12月18日

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昨年話題になった「文系学部廃止」と言うタイトルに興味を持って手にとってみた。文系学部廃止自体に関する内容は第1章のみで、大部分はその背景の解説。実際には文科省通知は「廃止」などとは言っていないし、通知の内容はずいぶん前から既に発表されていた内容であるし、世の中を騒がせたのは不勉強なマスコミとそれに乗っかった知識人であるのが実態なんだが、なぜその様な騒ぎとなったのかその背後にある本質、この20年間の大学を取り巻く状況についての解説と分析が非常に参考になる。大学の現状とその危機感は本書に書かれている通りだと思う。文系の著者としては「文系は役に立たないけど価値がある」というのではなく、「文系は(長期的に)役に立つのだ!」と言うことを主張している。その論拠として、そもそものヨーロッパにおける大学の成り立ちと変遷を解説しているのだが、リベラルアーツとは何か、教養教育とは何か、日本の戦後の一般教養教育というものがどのように変遷してきたのか、その解説が非常にまとまっていて分かりやすく、個人的には非常に興味深かった。役に立つとはある目的を達成するための手段としての有用性と、その目的自身を設定、価値の軸を設定するための有用性があり、前者は短期的で理系的、後者は長期的で文系的と著者は主張している。理系的な”役立つ”は短期的で、設定された目的を達成するための手段に過ぎない、と言われると個人的には反論したくなるが、もちろんそう言う部分もある。本書後半では今後の大学がどうあるべきかと言うことを論じているのだが、そのほとんどは既に文科省が各大学を誘導しようとしている方向とほとんど変わらないし独自性は感じられないのが残念だった。その議論の前提には、グローバル化は避けられない、今後もどんどん進行していく、という仮定があると思われるが、本当にそうだろうか。昨今の世界の状況を見ていると時代はされに別の方向に向かいつつあるように思うのだが。

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2016年10月04日

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東京大学の吉見副学長による『大学とは何か』の続編。タイトルの「「文系学部廃止」の衝撃」以上に読みごたえがあった(2015年の“騒ぎ”はマスコミの不勉強と煽り)。
「大学は、国に奉仕する機関ではない(p64)、人類的な普遍性に奉仕する(p66)」
「国・文科省に大学危機の打開で中核的な先導役となれる力がもはやない(p134)」
あとがきでは「今日の大学は、一般に思われている以上に劣化している(p151)」と述べられている。
自分なりに「大学を再定義」しながら、コトにあたっていこう。

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2016年08月14日

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もとより国立大学の成り立ちが理系中心の教育をする場であり、産業の推進に親和性のある経済学等の社会科学系があとに続き、次いで教員養成が続き、人文系の分野はそういう文脈で並べられると、数値としての成果が出しにくい。今回の通知は決して文系学部廃止をうたっている訳ではなく、大学が社会への貢献や成果を要求されたときに、文系学部が何を持ってその結果を示すのか、そもそも結果とは何かを繰り下げていった本でした。今や大学は何をするところか、その価値について、世間一般からも地位をおとしめられている危機感を感じる中で、著者の授業「アタック・ミー」など、結局のところ、まだまだ大学は個人の教員の努力と工夫で魅力を高めている部分が大きいと思いました。

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2016年04月10日

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たとえが用いられていて一読してわかりやすいと思うのだが、たとえに止まってしまうと具体的に実際の社会でどうしていくべきかということを見失ってしまいがちになる。
素晴らしい教育の実践を行っている事例を大学から広く発信していくことが大切ではないかと思う。大学自身による積極的な広報を進めていただきたい。

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2016年03月12日

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第2章までは論の切れ味の鋭さに感心するとともに非常に勉強になった。しかし3章のナメクジウオと宮本武蔵の例えはわかりにくく、少し無理があるように感じた。文系学部の価値創造性に着目した論点は非常に納得できるものであったが、これを実証できるかが、大きな課題であり、理系ではこの力が備わらないかは疑問である。

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2016年02月21日

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2015年にメディアを騒がせた「文系学部廃止」の報道を受けて、その報道の誤りの背後にある、「文系は役に立たない」という常識そのものに対する問いなおしをおこなうとともに、これからの大学のありかたについての提言をおこなっている本です。

著者は大学史を簡単にたどり、「リベラル・アーツ」や「教養」、さらに現代の大学においてしばしば言及される「コンピテンス」などの概念が、どのような経緯によって生まれてきたのかということを明らかにするとともに、人類的な普遍性に奉仕し、普遍的な価値を追求することが大学のほんらいの使命であることが確認されています。そのうえで、目的合理性とは異なる、人類的な普遍性をもつ価値そのものを問う文系の学問は、むしろ「役に立つ」のだという主張が展開されています。

後半には、現在の大学改革の方向性を批判し、著者自身の考えるあるべき大学のかたちについての具体的な提言が示されています。こうした提言がどれほど実現可能性をもつものであるのかということはわかりませんが、日本の大学が進むべき道に悲観的な読者にとってもポジティヴな展望を示したいという著者の思いは伝わってくるように感じました。

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2023年01月23日

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ネタバレ

「文系は役に立たないからいらない」「文系は役に立たないけれども価値がある」という議論を批判している。「文系は必ず役に立つ」らしい。「価値の軸を創造する力」「既存の価値を相対する力」が文系の知にはあるようだ。
私は文系人間だが、べつに価値がなくてもいいし、役に立たなくてもいいと思っている。でも、下り坂の日本でこれからの時代を生きていく子どもたちが今までと同じ感覚で安易に文系を選択することはあまりよいことだとは思えない。
いろいろな考え方があると思うが、大学に関する議論はそこに勤める人間の食い扶持ではなくて日本の将来や学生のことを第一に考えてほしい。

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2019年08月16日

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理系と文系の「役に立つ」の違いは分かったが、じゃあ文系が理系のように稼ぐには(キャリアを作るには)どうしたら?たしかに理系の研究するなら若い方がいいのかもしれないが、最初に理系を学んで、社会人経験積んでから文系、というのがなんだかな。周りにも大学生(18~20歳に入学した、一般的な意味の)の時には文系だったけど、看護学校入り直したり会社で勉強してSEなってる文→理の進路を行く人も存在する。文系でも「短期的に」役に立てることがないとなかなか就職が厳しいのだよ。神の役に立つ、地球社会の未来に役に立つ、立派なお題目だけど、まず自分が自立できるだけの金を稼ぐのに役に立つ学問を学びたい。
でも、「経済成長や新成長戦略といった自明化している目的と価値を疑い、そういった自明性から飛び出す視点がなければ、新しい創造性が出てこない」には納得。常識を疑う訓練をする、ことが大学進学を決めた大きな理由だったから。

理系…目的が既に設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく目的遂行型、短期的に答えを出すことを求められる
文系…「役に立つ」ための価値や目的自体を想像する価値創造型、長期的に変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる

18歳~20歳、30代前半、定年後60代で大学で学ぶ。理想的だけど、先立つものが・・・とくに30代前半なんて、4年も行くのはかなりの時間的ロスな気も。仕事はブランクなるし、子育てとかぶると大分厳しい。大学1,2回生のような大人数一方講義だとビデオやオンラインでいいわ。課題や同級生との交流があるからその場に言って学ぶ意味があるのであって。

<参考文献>
・マックス・ウェーバー『プロ倫』『職業としての学問』
・坂口安吾『堕落論・日本文化私観』
・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』

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2019年05月14日

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「文系学部廃止」といったニュースがいかに歪曲されていたか、また世間の人々が「文系学部を役にたたない」と思っているか、その背景がよくわかった。文系の有用性を「長い期間でみれば役に立つ」と定義づけているが、そんなに長く待てない人たちばかりになってしまったことが何よりも問題。長文を読む気力もなく、すぐにリターンをもとめる人たちに対して、この言説は果たして有効だろうか。

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2016年07月28日

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文系学部廃止の通知騒動をきっかけとして日本の大学の展望について論じる。大学だけの改革では何も変わらない気がする。ダブルメジャー,ダブル&マイナーの仕組みは面白いかもしれない。

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2016年07月24日

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「大学の文系学部は廃止されるのか」という風評に流されず、丁寧にその風評の由来を解説し、文系学部を含めたこれからの大学のあり方を提言している。
やや引用が気になるが、真摯に問題をとらえんがためのことであろう。

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2016年05月31日

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<目次>
第1章  「文系学部廃止」という衝撃
第2章  文系は、役に立つ
第3章  二十一世紀の宮本武蔵
第4章  人生で三回、大学に入る
終章   普遍性・有用性・遊戯性

<内容>
タイトルと内容はちょっと違って、文系学部が中心だが、大学そのものの生き残り策を提案している本。日本の社会がやや末期的状況の中、その一つが大学教育だ。定員割れの大学・学部が多くなり、とんでもないレベルの大学生(我々の時と比較して)が多くみられ、だからなのか卒業後の就職もおぼつかいない。策は、授業改革(私の嫌いなアクティブ・ラーニングを含めて=私は嫌いだが、大学教育には必要だと思う、や教養課程の再構築)・入試改革(入りやすく)・就職改革(卒業しにくく)。さらに一斉入学から就活、終身雇用にもメスを入れ、就職後、30歳くらいで再度、60歳過ぎでもう一度、大学で学び直すことを提案している。
文系は即効性のある「知」ではないが、絶対役に立つ、という言もとっても賛成である。

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2016年05月18日

Posted by ブクログ

文系は役に立つ。
約に立つための価値や目的自体を創造する価値創造型として役に立つという主張だが、イマイチピンと来なかった。
これで文系廃止論に対抗できるのかどうか不安である。

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2016年05月07日

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一般論に関する説明はわかりやすかったんですが、著者オリジナルの考え方の部分の説明が、わかりにくかったです。

個人的には、「文系は役に立つ」の説明について、かなり物足りないというか、我田引水な印象を受けました。

結論に違和感はないのですが、説明の過程には、かなりの違和感を覚えました。
著者の他の本も読んで、もう少し理解を深めてみたいと思います。

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2016年04月29日

Posted by ブクログ

本書の内容を大きく分けると前半の文系学部廃止議論をトレースした第1・2章と、後半の文系以外の大学全般に対する考察をまとめた第3・4・終章がある。前半はあとがきにあるように、既に雑誌で公表済みのものでその意味では新規性に欠ける。出版社からは、予約購入前にこの点について説明があるとよかった。この点についてはあとがきに控えめに言及があった。同著者の前作からの接続を考慮すれば、第3章から読み始めるとスムーズだろう。逆に言えば、第2章と第3章の連関が十分といえず、それらの間にもう1章あると読みやすいと感じた。新書なので許容範囲とは思うが。

前著でも力説していたように、本書でも「国民国家」と大学の関係で、その成り立ちと今日の存在意義を確かめている。グローバル化時代の今日の社会に在る大学を、種々の視点で表現し形作ろうとしている姿勢がこの本からもうかがえる。以下にいくつか引用したインパクトを与えるジャーナリスティックな記述は、読者を一種の急迫した気持ちにさせる。結果的に読み手に問題意識を植え付けることに成功している。

ただ、全ての提案に実現可能性があるのではない印象を持った。例えば、「学年の壁」を低くしたら、著者も引用している「学校基本調査」の各種調査ではどのように人数をカウントするかとか、カリキュラムの構造化は科目の履修順序性だけで担保できるか、といった素朴な疑問が湧いてくる。また「宮本武蔵を育成する現場」(p.169)としての授業を改革する処方箋では、教員数の減には触れず、科目数減を示している。「科目編成の少数精鋭」(同)という科目の統廃合は、教員の少数精鋭と表裏一体であり、私学はまだしも、はたして国立大学において、そうした文字どおり身を切るような痛みを味わうような施策を実施できるのだろうか。しかし、一たび国立大学がこうした改革を実行すれば、教育の質は向上し、私学と国立大学の教育内容の格差の拡大はさらに開くことも頭によぎった。

最後に、文系学部において”全て”の学生が、著者が述べる「論文を書くこと」と「ゼミ」に取り組むことができる大学は、日本でいくつあるのだろうかと思った。これらが「文系の学びの根幹」(p.222)だとすると、その根幹が存在しない大学や学部は決して少なくない。その理由は複数あるが、やりたくてもやれない私立大学もあるだろう。第3章以降、節々で一般的な大学論を展開しているように読めてしまったが、本書における「大学」の表記は、全体を通じて「国立大学」と読み替えたほうが理解しやすいだろう。そういえば、そもそも今般の通知は国立大学法人対象だったこともある。

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2016年02月27日

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