作品一覧 2023/12/15更新 運動会と日本近代 試し読み フォロー 海外名門大学から見た日本 オックスフォード、ハーバード、そして日本研究 試し読み フォロー カルチュラル・スタディーズ 試し読み フォロー 検証 コロナと五輪 変われぬ日本の失敗連鎖 試し読み フォロー 「声」の資本主義 試し読み フォロー さらば東大 越境する知識人の半世紀 試し読み フォロー 視覚都市の地政学 まなざしとしての近代 試し読み フォロー 一九三〇年代のメディアと身体 試し読み フォロー 戦後と災後の間 ――溶融するメディアと社会 試し読み フォロー 大学とは何か 試し読み フォロー 大学は何処へ 未来への設計 試し読み フォロー 大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 試し読み フォロー 大予言 「歴史の尺度」が示す未来 試し読み フォロー 知的創造の条件 ──AI的思考を超えるヒント 試し読み フォロー 天皇とアメリカ 試し読み フォロー 東京裏返し 社会学的街歩きガイド 試し読み フォロー 東京の憂鬱 試し読み フォロー 都市のドラマトゥルギー 試し読み フォロー トランプのアメリカに住む 試し読み フォロー 敗者としての東京 ──巨大都市の「隠れた地層」を読む 試し読み フォロー 「文系学部廃止」の衝撃 試し読み フォロー 平成史講義 試し読み フォロー 平成時代 試し読み フォロー メディア空間の変容と多文化社会 試し読み フォロー 1~24件目 / 24件<<<1・・・・・・・・・>>> 吉見俊哉の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 知的創造の条件 ──AI的思考を超えるヒント 吉見俊哉 AIは連続的な出来事に関する予測は得意だが、非連続の事態には無力である。例えば、大災害・戦争・感染症など。 非連続に立ち向かう力こそが知的創造力で、それは人間にしかできない。この先AIがどんなに発展しても。。。 ------ 逆に言えば知的創造力を必要としない職業は全部AIがとって変わるだろう。遠く...続きを読むない将来、世の中の大半が失業者になるだろう。(私は元々ニートなので高みの見物をさせていただこう/(^o^)\) Posted by ブクログ 知的創造の条件 ──AI的思考を超えるヒント 吉見俊哉 知的創造の条件、方法について述べられているけど、AI社会が加速していくなか、我々は世界をどのような視点で眺め、その中でどのように物事を考えるべきなのかを考えさせられた。 シンギュラリティは来ないはずなのだけど、実質的にAIが人を超える状態を作り出さないためにも我々は関係、対話、身体性を大切にして行か...続きを読むなければと思う。 Posted by ブクログ トランプのアメリカに住む 吉見俊哉 雑誌、世界に掲載されたエッセイを集めたものである。読み易い。学生にとってはハーバードの教育が参考になるが、その通りを望まないであろうことは明白である。 Posted by ブクログ 大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 吉見俊哉 / 苅谷剛彦 大学は死んでいる吉見俊哉☆☆☆ 現代の大学論・改革論の基礎を網羅している、著者の見識の深さ素晴らしい されど日本社会は、少子化・財政逼迫の中で争われ、中期ビジョンの実行のための取組は為されにくい 1.大学の環境変化 ①18歳人口激減②グローバル競争激化③Digital革命の社会構造変化 91年大学設...続きを読む置基準の大綱化 大学院の劣化 教養教育の弱体化 「カレッジ」大学の基本 生活共同体(旧制高校) 帰属の単位→エリートの育成 2.大学改革の機運 ①日本社会にとって大学の重要性が高まる ②従来の大学教育には問題があった ③科目数の多さ15科目 米国は5つゼミのごとく 2冊読破/毎週→ハード実質 ④大学入試が大学問題ではない トータルシステムの見直し=教育・成果が本質 3.印刷革命15世紀グーテンベルク活版印刷→知の拡散 Digital革命も知の体制改革へ 大学<出版の隆盛 知の拡大へ 21世紀 Digital革命→新たな「知の再編・再構築へ」 Posted by ブクログ 大学とは何か 吉見俊哉 大学の系譜的解説。実は大学も多義的なことが理解できた。かなり中身が厚いので再読の価値あり。一応世界史、メディア、リベラルアーツの軸があるらしい。 ①中世大学 欧州経済圏の中の自由都市に流浪の知識集団が定着したのが始まり。ボローニャに代表されるように法学(医学)が優越するが、アリストテレスのイスラム再...続きを読む輸入で神学(学芸諸学)のパリも発展。しかし托鉢修道会の浸透と宗教・領主による分割で大学が硬直し衰退。 ②国民国家による再発見 専門学校・アカデミー(実学研究)・印刷革命による出版(知識人網)産業の中、独でカントの「理性と有用性の峻別(哲学の理性の自由)」と共にフンボルトのナショナリズムを背景とした主体的国民育成の為の「研究と教育の統合(=文化)」による個人陶冶が大学を甦らせた。英国では「リベラルな知」として哲学が文学(シェイクスピア)と理学に分割され、米国は大学院(学位制度)を作った。 ③帝国大学 啓蒙ナショナリズムから儒学国学に代わって洋学が導入し、実学中心の官立専門学校を統合した「天皇=帝国」の大学として帝大が設立された。主導者森有礼の思想に天皇制とプロテスタンティズムの結合体のもとで国民は主体化する事があったのは面白かった。帝大が広がるにつれ、東大は管理、地方帝大は社会設計、植民地帝大はその両方の分科大学が設立された。また、福沢諭吉の流れを汲む私学や岩波中公の出版業が帝大システムと結合し、教養読者層に支えられた創造知空間(吉野作造等)を形成した。 ④戦後大学 南原繁は専門知と総合知の統合を目指し、旧制高校を廃止した。が、大学モラルは崩壊し、対抗運動としての学生闘争も潰えた。高度成長に伴う大学大衆化と理念の矛盾は46答申以後も規制緩和やサービス産業化に於いて継続し、公社構想や法人化、大学院の問題、「学生が大学を選ぶ」などでも噴出した。底流には大学の意義問題があった。筆者は、国家・企業社会に次ぐものは何なのか問題提起している。キーワードは国民国家の退潮とデジタル化(→空間的拘束からの解放・中世大学への再移行)、卓越性(→思想的拘束からの解放?)である。 終章が非常に難解(特に脱指示化あたり)だった。エクセレンスとリベラル知の関係は表裏一体と感じたが、違うのだろうか。 自分はコスモポリタニズム的な考えに懐疑的なのだが、一方で多国籍企業・大学を含めた一大市場が形成されているのは理解できる。しかし、教える側と一部の知識層はその波に乗れるだろうが、大衆はどうなるだろうか。大衆教育という役割を大学が担ってしまった以上、トップ大学とその他で分断が生じてしまわないだろうか(G型L型)。国民国家が希薄になったとして、世界規模の新階級が形成されたらそれはそれで怖い。そうしたときに中世大学の結末が気になりもう一度最初に戻り、歴史の循環性を疑うのもなかなか面白いものである。2021/1/23 (注:その後丸山眞男の議論を読み、本書の議論の流れが丸山の議論を踏まえていることがわかった) Posted by ブクログ 吉見俊哉のレビューをもっと見る