【感想・ネタバレ】昭和天皇・マッカーサー会見のレビュー

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戦後の昭和天皇にまつわるモヤモヤが一気に晴れる。明確な根拠を持った的確な論証。東京裁判、講和、日米安保、靖国など、現在に至る禍根の根源が明らかにされる。
特に昭和天皇にとり国体とは三種の神器の護持であったとは、驚きを通り越し、呆れてしまう。必読。

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2019年08月28日

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ネタバレ

昭和天皇とマッカーサーの会談を、マッカーサー回想録の通りだと思い込んでいたが大間違い、ファンタジーであった。
昭和天皇が立憲君主の枠をはみ出したのが 2・26 とポツダム宣言受諾だけというのも実情から外れているだけでなく、現行憲法施行後もそれは続いていた、むしろ積極的に行われていたというのが、筆者の主張である。筆者が言うように、戦後二重外交が行われていたというのが、実態を表しているように思える。

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2015年02月01日

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ネタバレ

<要約>
 安保体制とは、昭和天皇が望んだことであり、憲法第九条と米軍の日本駐留によって、共産主義勢力による天皇制打倒に備えることをその目的としていた。

<抜粋>
p.v
昭和天皇が新憲法によって「象徴天皇」になって以降も、安全保障問題といった「高度に政治的な問題」にかかわっていた

pp.ix-x
世界が冷戦対決の時代を迎える前後から昭和天皇は、内外の共産主義が天皇制の打倒をめざして直接・間接に日本を侵略してくるのではないか、という危機感に苛まれていたのである。
こうした差し迫る脅威に直面した昭和天皇にあっては、非武装を規定した憲法九条によっても、機能を失った国際連合によっても日本を守ることは不可能である以上、天皇制の防衛は米軍という「外国軍」に依拠する以外にない、という結論に至った[...]。
かくして、米軍駐留に基づいた安全保障体制の構築は、いかなる政治勢力や政治家にとってよりも、昭和天皇にとって文字通り至上の課題となった。[...]つまりは、安保体制こそ戦後日本の新たな「国体」となった

p.19
東京裁判をひかえてマッカーサーは様々のパイプ、メディアを駆使して、戦争は軍閥と国民の意志であった、それに抗したならば天皇自身の立場が危うかったであろう、という"演出効果"満点のイメージを「天皇発言」という形で内外に広め、それによって天皇めんその正当化を印象づけようとしたのではないか

pp.20-21
キーナンとしても自ら調査したところ天皇が平和主義者であることが明らかになったので、「最後はマッカーサー元帥が定める所であるが、私としては天皇を無罪にしたい。貴君もそのように努力してほしい」と、田中(※隆吉)に"支援"を要請した

p.21
キーナンの話に接した田中は、「この時ほど私は感激した事はなかった。私は死を賭して、天皇を無罪にするため、軍部の行動について、知る限りの真実を証言しようと決心したのである」と、証言台に立つ"崇高なる任務"に燃えたった

p.23
極東諮問委員会の代表団や『ライフ』誌、NHKなど"表舞台"においては、自分は戦争に反対であったが軍閥や国民の意思に抗することはできなかったとの「天皇発言」が活用され、だからこそ天皇に戦争責任はなく免訴されるのが至当である、とのアピールが展開された。他方"裏舞台"においては、戦争が自らの命令によって行われた以上は全責任を負うとの「天皇発言」がキーナンや田中隆吉に"内々"に伝えられることによって、天皇を絶対に出廷させてはならないという両者の決意と覚悟が固められ、"法廷闘争"において見事な成果がもたらされたのである。

pp.46-47
当時マッカーサーの周辺は、辞職説、病気説、帰国説などが乱れ飛ぶ状況にあったのである。要するに会見に臨んだ天皇の立場がきわめてきびしいものであったのである。[...]外からの一切の干渉を排し、国内での"絶対権力"を維持しつつ自らの占領遂行の基盤を固めていくうえで、「政治的道具」としての天皇の重要性が改めて強く認識されざるを得なかったのである。とすれば、この会見の歴史的な意義は、天皇によるマッカーサーの「占領権力」への全面協力とマッカーサーによる天皇の「権威」の利用という、両者の波長が見事に一致し、相互確認が交わされたところに求められるべきであろう。

pp.52-53
会談では冒頭から新憲法、とりわけ第九条をめぐって議論が交わされた。天皇はまず、「日本ガ完全二軍備ヲ撤廃スル以上、ソノ安全保障ハ国連二期待セネバナリマセヌ」と切り出した上で、しかし「国連ガ極東委員会ノ如キモノデアルコトハ困ルト思ヒマス」と、四大国が拒否権をもっている極東委員会をひき合いに出して、事実上は国連二期待できない旨を強調し、マッカーサーの意見を求めた。
これに対し、第九条の挿入に熱意をかけたマッカーサーは、破壊力の飛躍的な増大によって今後の戦争には勝者も敗者もないであろうこと等を指摘した上で、「日本ガ完全二軍備ヲ持タナイコト自身ガ日本ノ為ニハ最大ノ安全保障デアツテ、コレコソ日本ノ生キル唯一ノ道デアル」と改めて"第九条の精神"を天皇に説いたのである。さらに国連についても、現状はともかく「将来ノ見込トシテハ国連ハ益々強固ニナツテ行クモノト思フ」と、天皇とは異なる評価を展開した。
 しかし天皇は、第九条にも国連にもおよそ期待をかけていないかのように、「日本ノ安全保障ヲ図ル為ニハ、アングロサクソンノ代表者デアル米国ガ其ノイニシアチブヲ執ルコトヲ要スルノデアリマシテ、此ノ為元帥ノ御支援ヲ期待シテ居リマス」と、米軍による日本防衛の保障を求めた。そこでマッカーサーは、「米国ノ根本観念ハ日本ノ安全保障ヲ確保スルコトデアル。此ノ点ニツイテハ十分安心アリタイ」と答え、具体的な軍事戦略上の問題に議論をすすめた[...]天皇は、事実上第九条に代わる日本の安全保障のあり方、つまりは米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた訳であった。

p.54
アメリカに占領してもらふのが沖縄の安全を保つ上から一番よからうと仰有つたと思う

p.106
「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に"制約"を感じることもなく、ひたすら信念に基づいて「政治的行為」に勤しんでいるようである。

p.126
新憲法下において「象徴天皇」でありつつ「己が好む所」に従って「政治的行為」に勤しんだ天皇の言動は、むしろ戦前以来の行動パターンにおいて"一貫性"を持っていた

pp.141-142
天皇制はマッカーサーによる憲法の"押し付け"によって存続することができた

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2014年05月25日

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映画「終戦のエンペラー」で、マッカーサーと会見した昭和天皇が「責任はすべて私にある」旨伝えて、マッカーサーが感激したというストーリーが出てくるが、その種本は「マッカーサー回想録」、藤田尚徳の「侍従長の回想」あたりだろう。しかし、当時の通訳の奥村勝蔵のまとめた手記では、そのような事実は出てこず、著者は疑問を呈している。
 11回あるマッカーサーとの会見では、むしろ共産主義の脅威や、米軍駐留の希望、そして天皇制の維持といった要素が天皇の心を占めていたのが分かる。松井明メモなど最近分かった史料を読み解きながら、史実に迫る努力には納得させられる部分も多い。多少、自画自賛的な記述が多いのが気になるが、それを補って余り有る好著だった。
 

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2014年04月26日

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これ名著だ。

昭和天皇が国体・皇室を守るためや共産主義に
どれだけ恐怖していたかなどの帝王として
生まれたが故の超高度な(かつ超私的??)
政治判断が理解できる。

ここまでアメリカにかけていたとは。

誤解なく言うとさすが常に政治を組下の
権力者に総覧させていた家柄だけあるなー。

このすべてが国民に安寧をもたらすためであると
信じてる。

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2014年03月30日

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著者が膨大な日米双方の史料を精緻に分析することにより明らかになった昭和天皇の実像は、これまで国民が抱き続けてきた、立憲君主制をひたすらに守ろうとした平和主義者とはまったくと言って良い程にかけ離れたものであった。この著作はもっと日本国民に知らしむべきものである。特に沖縄県民の人々はこれを読んでどのような感想をもたれるであろうか。著者の『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交』と白井聡著『永続敗戦論』も併せて読むと、戦後から最近までの主な外交問題がはっきりしてくる。

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2013年08月03日

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【以下は本書の主張】
・『マッカーサー回想記』には事実誤認があり、史実としてみる昨今の向きには警戒が必要。たとえば、マッカーサーは天皇が筆頭に記された戦犯リストを英ソが提出したと述べているが、そんなものはない。
・天皇の側近たちは、悪くなったら皆東条が悪いので、すべての責任を東条にしょっかぶせるのが良いと思ったよう。
・天皇の免訴に向けて最も重要な役割を果たしたのが松平康昌
・昭和天皇は、自分は戦争に反対であったが国民や軍閥の意志には逆らえないという弁解と、自らが全責任を負うという相反することを述べているが、マッカーサーは極東委員会やメディアに対しては前者を強調して天皇の戦争責任を回避させようとし、裏では後者が関係者に知らされて天皇を出廷させないべく尽力せしむるという効果を果たした。
・マッカーサーは憲法第9条による国連による日本の安全保障を志向していたが、昭和天皇は米軍の駐留による安全を欲していた。
・昭和天皇は、憲法に規定された立憲君主としての責任を果たすというよりは、天皇自身の事態の認識のレベルに応じて介入を決めている。
・昭和天皇は、天皇制の存続には共産主義が敵対であることを認識し、米軍駐留を強く望んだ。とくに三種の神器を守ることに戦時中から気を遣っていた。
・昭和天皇は安保を強く望んだことから、米軍駐留に否定的な吉田や、吉田よりもっと否定的だった白洲次郎を警戒していた。白洲もまた天皇制存続に否定的だった。
・『木戸幸一日記』によると、御前会議前日の11月30日に、高松宮が海軍の厭戦気分を伝えたので海軍大臣らから事情を聴いた昭和天皇が、予定の通り(開戦)進めるように東条に伝えるようにと命じた。
・満州事変のときは、満州は田舎であるからあまり気にしなかった、と昭和天皇は独白している。
・昭和天皇は内乱への恐怖を抱いていた、というのが有力な説。戦前から高松宮に立場を襲われるのではないかと危惧していた。

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2012年09月26日

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日本国憲法では「天皇は国民統合の象徴であり、いかなる政治的権能も持たない。」と謳われているが、この条文を根底から覆しかねない内容が書かれている。
天皇はマッカーサーと会うにあたって、様々な占領行政について話をした。マッカーサーは当時全権を掌握していたかのように考えがちだが、まだアメリカ本国で設置されそうになっていた極東委員会より先を急ぐ形で日本の民主化を進めようとしていたなど、かなり流動的であった。マッカーサーは日本の占領統治をする中で、日本の反共の防波堤として作るためには、天皇が必要だったと考えていた(極東委員会ではアメリカ以外の国も出席し、憲法草案では天皇制が破棄されかねかった。)など、かなり黒々とした思惑があった。
また昭和天皇も、「国連だけでは日本をまもりきれないのではないか。」と危惧し、日本が沖縄を名義上貸すことで、日本を守ろうとしていた、とする。仮に国連の信託統治とすると、日本は完璧に主権を手放さざるを得ないし、国連の安保理でソ連との千島列島とミクロネシアの取引の結果、手が出せない、など、国際情勢に利用された結果でもあった。また昭和天皇自身、ソ連中国の共産主義の脅威はあったようで、その証左として戦後1970年代に東京都や横浜市、大阪府、京都府で革新勢力が躍進した時、「革命の脅威はないか」と側近に下問したとされている。
「昭和天皇・裕仁」は、かなり狡猾な政治家であったと言えるであろう。

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2012年04月19日

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この本を読んで、安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」とは、日本がどういう状態になることを目指しているのか、ますます分からなくなった。私が抱いていた昭和天皇像ががらっと変わってしまったことによって、戦後史の捉え方も変わってしまった。憲法や安保の問題、靖国問題についても。
資料をどう読むかによっても変わってくるところはあるのだろうから、疑問を持ちながら読まなければとは思うけれども、近代史・現代史をもっと学ばなければ、子どもたちにも学ぶことの重要性を伝えなければ、と思う。

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2015年05月16日

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現・関西大学法学部教授(国際政治論・外交史)の豊下楢彦による戦後の「天皇外交」論

【構成】
第1章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置
 1 第1回会見の検証
 2 「空白」の戦後史
第2章 昭和天皇と「東条非難」
第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く
第4章 戦後体制の形成と昭和天

 本書は、昭和天皇崩御から間もない1990年に著者が『世界』に投稿した論文「「天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置」を出発点とし、1995年に岩波新書から出した『安保条約の成立』で提示した「天皇外交」についての仮説を、新史料をもとに「結論」として確定させようというものである。

 前半の2章は、東京裁判が開始される頃に行われた天皇・マッカーサー会見において、戦争の責任について昭和天皇がいかなるメッセージをマッカーサーに伝えたのかということを、会見通訳を務めた人物のメモと従来から言及されている日記史料などを組み合わせながら史料批判を行い、事実の推定を行っていく。結論として、昭和天皇は東京裁判の開始直前において、股肱の忠臣と恃んでいた東条英機に戦争開戦の責任を押しつける発言を行ったことが明らかになった。

 後半の2章は、東京裁判の訴追を免れた昭和天皇が「象徴」となった新憲法下において展開した「外交」についての考察が行われる。その焦点は前著『安保条約の成立』で詳しく言及された、日米安保条約における米軍駐留についてである。

 著者の主張する仮説は以下の通りである。

  「①天皇は自らと天皇制の安全のためにも米軍への基地提供を
   絶対に必要と考えていた、②そのために、「吉田の裏で米政
   府の代表と交渉したいという意志すらもった」、③その結果、
   吉田は「基地提供をバーゲニングの道具として使うことを封
   じ込められた」(p.192より引用)

 著者は、近年新たに(改めて)外務省が出版した『平和条約の締結に関する調書』に安保締結をめぐる日米交渉の節目節目に吉田首相から昭和天皇への「内奏」を行った際の史料が含まれていることに言及し、「天皇外交」の存在を強調する。

 前著『安保条約の成立』同様ユニークな視点で面白いことは面白い。前半の2章については新史料を駆使しながら綿密な史料批判を展開しており興味深いが、松尾尊兌先生(京都大学名誉教授)の『戦後日本への出発』を引き合いに出して、持論の正当性の箔をつけようとするところがやや鼻につく。一方、後半の2章については、前著の「仮説」の内容を繰り返し説明するばかりで、天皇のメッセージが本当に吉田外交の「バイパス」だったのか、アメリカ側の政策決定にどのように影響を与えたのかが全く見えてこない。様々な論点を盛り込み、政治的存在としての「天皇」の立ち位置を改めて考えさせられるが、「牽強付会」という感も強い。

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2011年06月20日

Posted by ブクログ

どうも我田引水的になるところが気になるが、自分の持っている疑問であるところの、終戦の聖断をさせたといわれる「三種の神器を守らなければいけないからさすがに伊勢神宮が危うくなってきたから戦争を終わらせなければ」という昭和天皇の感覚に疑問を呈しているところはよかった。
東条英機を切って、アメリカのシナリオにのって、権限を逸脱してまで米軍駐留を自ら所望して守りたかったのは自分の地位ですらなく三種の神器に象徴される「国体」だ。
よくわからない。国体ってなんだ?歴史としての伝統?日本の独立性?
もし三種の神器が侵されて天皇制が廃されたとしたら、その後の日本とはなんなんだろう。日本であり続けるような気もするが。

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2012年05月24日

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