あらすじ
20世紀を代表する哲学書であり、最も難解といわれる『論理哲学論考』は、シンプルなドイツ語で書かれた美しい作品だ。今回の新訳では、その微妙なスタンス、ニュアンスを、細やかな目配りで忠実に再現した。いつでも、どこでも、肩の力を抜いて読める、まったく新しい『論考』をここにお届けする。■野家啓一さんの解説「高校生のための『論考』出前講義」を収録
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Posted by ブクログ
衝撃的だった。特に否定によって世界の内にあるものは全て真理関数で表せることに気がついたことがすごいと思ったし、納得してしまった。その上で世界の外にあるものは真理関数では表せないと気づいたときに著者が「6,44 世界がどうであるかということが、神秘なのではない。世界があることが神秘なのだ。」と述べてて、なんとなく毎日を生きている自分にとってささった。
記号論理学を勉強した上でもう一度よんだら今回理解できなかったところも理解できてまた新しい視点から本を読めそうで面白そう。読み直したい。
Posted by ブクログ
古田徹也氏が書いた解説書を読んだおかげで、ようやく本書を読み終えられた。しかし、解説書には省かれている項目もあったため、その項目部分は理解できなかった。また、岩波文庫版の方が語句の定義も載っているし、訳も自然だと言うことに光文社版を買ってから気づいた。失敗。ところで、本書の冒頭部に記載されている、『高校生のための『論考』手前講義』を読んだだけで、論考の内容を理解できる人はいるのだろうか。。「どう考えても高校生向けじゃないだろ!」とツッコミたくなるのは私だけじゃないはず(笑)
Posted by ブクログ
最後のことばは「語ることができないことについては、沈黙するしかない」と訳されている。従前これは「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」などと訳されてきた。
「せねばならない」は禁欲的でありそれゆえ戒律的で「自己」が見えるが、「するしかない」は事実を端的に述べている。ウィトゲンシュタインの本来はこっちではないのだろうか。淡々と事実を述べ、そうであるしかない結論に至る。もう否定しようがない事実が「示されている」のに、「せねばならない」などとご託宣を述べて屋上屋を架す理由はないわけだ。
「世界は、私の意思に依存していない」「倫理の命題も存在することができない」「倫理を言葉にすることはできない」「意思を倫理的なものの担い手として語ることはできない」などという人が「せねばならない」とは語らないと思う。
確かに英訳で読むウィトゲンシュタインにはご託宣めいたところがある。が、彼のネイティブはドイツ語だし、ドイツ語でところどころ読んでみる限りはこの丘沢訳のニュアンスに近い。
単なる印象だが、日本では芥川のイメージが重ねられているんじゃなかろうか。ウィトゲンシュタインの叙述スタイルはアフォリズムとはまったく異なるものなのではないだろうか。少なくとも「論考」ではまったく異なるものだとしか考えられない。
いろいろ考えさせられる貴重な翻訳だと思う。冒頭の野家啓一による解説も簡にして要を得たもので、ラッセルの序文なんか載せるよりよっぽどこの本の用途に適っている。