【感想・ネタバレ】だれも知らないムーミン谷 孤児たちの避難所のレビュー

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Posted by ブクログ

原作とアニメの違い、なぜ後半ストーリーがあのように進んでいったかの考察など。
なるほどー、と腑に落ちました。
読んでいて、とても原作が読みたくなってしまいます。

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2015年01月03日

Posted by ブクログ

読書もまたひとつの《旅》であるとするならば、この本は著者による「ムーミン谷」への《旅》のいわばドキュメントであり、その足跡をたどることで、ぼくら読者もまた、べつの角度から捉えた「ムーミン谷」の新たな眺望を新鮮な驚きとともに手に入れることができる。

発端は、テレビアニメ「楽しいムーミン一家」を観て育った著者が、あるとき9冊からなる原作のシリーズを手にしたところからはじまる。本を読んだ著者は、当惑する。テレビアニメのなかでは「割愛」され感じることのなかった「ふたつの問題」が、原作ではシリーズ全体を貫く大きなテーマとなっていたからである。そして、著者はそこからひとつの仮説を導き出すのだった:「アニメ『楽しいムーミン一家』に描かれたムーミン谷は、原作において登場人物たちが直面するふたつの問題を克服した後のユートピア、いわば『省略されたユートピア』を描いたものなのではないか?」。

物語を丹念に読み解いてゆくことで、原作においてムーミン谷の住民たちが「克服」せねばならなかったふたつの問題ー「自然」と「住人どうしの関係」が浮き彫りにされる。読み解くにあたって、焚き火、ランタン、灯台、かまどなど物語に登場する《光》がもつ象徴的な意味に注目したのも面白い。「夏」と「冬」というふたつの季節が支配する世界の対峙も、北欧においては四季は日本ほど明確なものではなく、春は夏の、秋は冬のそれぞれ「露払い」程度にすぎないことを思えば納得のゆくところだ。

もちろん、ムーミン谷はフィンランドにあるわけではない。とはいえ、作者トーベ・ヤンソンが北欧の厳しい自然のなかで多感な少女時代を過ごし、物語を育んでいったことは紛れもない事実である。そして、そんな「北国のひと」トーベ・ヤンソンによる素朴な《民話》という側面から「ムーミン」を読み直すとき、著者は、現代の日本に生きるぼくらもまた未来を照らす《光》を手に入れることになるかもしれないと言う。まったく同感である。ムーミンの原作をいまこそ読もうと思う。

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2014年05月28日

Posted by ブクログ

副題の「孤児たちの避難所」に惹かれて借りた。原作を読んだ人なら誰でも、ムーミンシリーズは孤児や、どこにも居場所がなかった存在たちの話だと知っている。

なぜトーベ・ヤンソンはマイノリティたちの物語を書いたのだろう。子供の頃に無人島で子供たちだけで過ごした体験が彼女にどんな影響を与えたのか?敗戦後の厳しい社会状況が想像の原動力となったのか?

彼等の背負う「孤児」という重みを掘り下げて論じているのではないかと期待したが、別にそんなことはなく、登場人物に孤児が多い事実を指摘しただけだった。

トーベ・ヤンソンがスウェーデン系のフィンランド人で、当時のフィンランドではマイノリティだったという話は初耳だったけれど。でも、フィンランドは長いことスウェーデンの属国だったし、北欧はマイノリティに優しいイメージ。

まあでも、ムーミンシリーズの評論としてはアリなんじゃないかな。こういう読み方もあるって事で。要するに、ムーミンの原作を読んでみて、おもしろいから、という本。

ムーミンシリーズを読み返したくなった。北欧の神話や民話、挙げられていた参考文献にも興味を惹かれた本があったので、読んでみたい。

著者は、自分を含めた日本人はみんなアニメを通してムーミンに親しんできたので、原作ではこうなんだというのを、みんな知らないでしょう、というつもりで「だれも知らない」という題名をつけたようだ。
アニメより原作を通してムーミンに親しんでいる日本人が少数派だとか、初耳なんだけど。むしろ、ちゃんとムーミンのアニメを見たことはないなぁ。ここでも少数派か。まあいい。

「ムーミン谷の仲間たち」の、「春のしらべ」は、私も大好きな話だけれど、この話のスナフキンが孤独に疲れているという読みはしたことがなかった。はい虫がスナフキンを批判しているとも思ったことがないな。
むしろ、自分だけの孤独を楽しんで心底から幸せを感じている時に、ふとムーミンの顔が思い浮かんで、「あいつはいい奴だけど、いまは最高の友達のムーミンにだって会いたくないよ」って感じだと思ってた。だから、はい虫にそっけない態度をとったんだ。

でも、スナフキンにはティーティ・ウーのような存在のことがよくわかっていた。たったの一度も、誰からも大切なかけがえのない存在だと扱われたことのない小さなはい虫が、どんな気持ちで自分に話しかけてきたか、スナフキンはよく知っていたんだ。だから、いつも誰にでも愛想よく接することはできないと自分の良心をなだめようとしたけれど、そうできずに、おしゃべりするために戻っていった。でも再会したティーティ・ウーはもうそんな必要が無くって、生まれて初めて自分のものになった人生に夢中だった。その様子を見届けたから、スナフキンは安心してまた旅に戻ることができた。

あのみじめでちっぽけなはい虫に、人を批判するなんてことができるはずがない。彼は、誰かに何かを期待するなんて図々しいことはできない。ただ決死の覚悟で、そうできなかったらもう死ぬしかないという覚悟で、憧れのスナフキンに、一個の存在として認識して欲しいと請い願った。スナフキンは、何の気なしにではあるけれど、まさにはい虫の望みを叶えたんだ。だからちっぽけなはい虫はティーティ・ウーとなって人生を手に入れられた。そしてスナフキンも、孤独は素晴らしいが、自分以外の存在と出会うのも悪くはない気分で、新しい音楽を作った。

トーベ・ヤンソンのすばらしさは、彼女の観察力の鋭さと、自分が見聞きしたものを愛情を持って描ける表現力だ。私はそう思う。

今まで、ムーミンの評論は意識的に避けてきたけれど、他の人の評論を読んでも自分自身は変わらずに、新しいものの見方を手に入れられるみたいだ。これから、ムーミンに関する本をもっと読んでいってもいいな。

ムーミントロールとは、恐ろしい自然の気配のこと。ひとりでいる時に感じるつめたいすきま風のようなもの。人と自然のメタファーである怪物が対峙して、勝ったり負けたりする児童書や絵本は多いけど、自然の一部(ムーミン)と、大自然の対決は珍しい。言われてみれば。

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2016年10月22日

Posted by ブクログ

最初にムーミンを知ったのは、テレビのアニメ。
ねぇムーミン こっち向いての歌と一緒に、頭の中にあのキャラクターが刷り込まれた。
次に児童書を何冊か読んでみたが、あまりイメージは変わらなかった。
英語の勉強を始めてから、ペーパーバックを何冊か読んでみた。
一番、違和感があったのは挿絵だった。
楽しいムーミン谷の裏には、アニメで描かれなかった世界があるに違いない。

本書は、フィンランドの土地の精霊であるムーミントロルとムーミン一家、そして、ムーミン谷に集まる仲間たちの姿を、自然と神話そして、作品の内面から分析する。
原書(児童書)第一作の「小さなトロールと大きな洪水」から九作目「十一月も終わるころ」まで。
ムーミン谷に住み着いた一家、そこに集まってくる仲間。
そのパラダイスに忍び寄る影、ムーミン一家、ムーミン谷の崩壊、破壊を経て影、自然との合意、理解。
そして、ムーミン谷の再生へ。物語は、テレビアニメ「楽しいムーミン一家」へ引き継がれていく。
いままで、原書を読んできたけれど、それはたまたまその時々に入手できたもの目に触れたものを読んできただけで、順を追って読んだことはなかった。
これはいちど発表された順に原書を読んでみなければ。

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2015年10月06日

Posted by ブクログ

本編を読みたくなる魅力ある考察だが、ネタバレが激しい。
序論を読んだら一旦閉じて、本編を全部読んでから改めて本書を読み進むか、本書を全部読んでからなるべく記憶を消して本編を読むのが良い。

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2014年08月01日

Posted by ブクログ

ユートピアのように描かれているアニメ「楽しいムーミン一家」だが、原作の児童小説を読むとアニメとは違う印象のムーミン谷が描かれている。
原作では、距離のある登場人物たちの人間関係、度重なる自然災害による危機を通してユートピアができるまでが描かれていた。
原作から見えてくるムーミン谷とは…。
アニメもすっかり記憶が薄れているなぁ。
パペットアニメの劇場版がシュールすぎてびっくりしたんだけど、原作のこういう下地があったからなんだね。

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2014年07月20日

Posted by ブクログ

幼い時に見たし、子どもの時に読んだので、記憶はおぼろ。ただくっきりとムーミンを好きだったということだけ覚えている。
そんな自分がこの本を読むと、そうかそういう話だったかと驚きいります。
ほどよく忘れていることだし、本当にこの著者のいうとおりか、もう一度ムーミンを見て読んでみたいと思いました。

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2014年07月20日

Posted by ブクログ

アニメのムーミン(楽しいムーミン一家)の原作は、北欧の厳しい自然と人間との対立と調和の話だったという、原作9作に基ずく分析。原作者トーベ・ヤンソンの意向で表紙以外の挿絵を掲載できないそうで、原作が手許にないと少々解かりにくいのが難。

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2014年06月23日

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