【感想・ネタバレ】記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話のレビュー

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Posted by ブクログ

哲学に対しての知識はほぼ皆無だったけど挑戦してみた。読み終えるのにかなり時間を要したが、読んで良かったと思う。読んでいて今までの自分の考えが刷新されるような感覚が何度もあったので、門外漢の自分でも理解ができるような、比較的わかりやすく書かれた傑作なのではないかと思った。
わかりやすく書かれてはあるが、一般的なレベルの普通の言葉の使い方ではないので、理解できたとは簡単に言ってはいけないような気もする。またドゥルーズが言葉と格闘して練り上げられた、いくつかの概念を示す言葉は斬新な扱い方をされていて、詩にも近いような感触もある。
ドゥルーズの他の著作、スピノザのエチカ、アンリミショーなどにも興味を覚えるきっかけとなった。

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2022年08月01日

Posted by ブクログ

面白い。

その副題に記された年号(1972-1990)から推察される通り、本書は『アンチ・オイディプス』から『哲学とは何か』にいたるドゥルーズの思考の軌跡を側面から辿るものである。

★本を書くことの価値やその方法、本の機能に関するドゥルーズの洞察も捨て難い。(p41-42)

ドゥルーズは、私たちのうちに移行してくる外部の諸力に対し、私たちはたえず自分自身と徹底的に語り(折衝し)、自分自身にゲリラ戦を挑むことでおのれを見出さなければならない、哲学に出来るのはそれだけである、と述べている(p5-6)。

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2011年10月07日

Posted by ブクログ

ドゥルーズの対談や、知人の本に寄せた序文などをまとめたもの。
対談なので比較的読みやすいのではないかと思い、手に取った。
とはいえ、例によって、理解したとは言い難いので、読書ノートという形で心に残った箇所を引用するに留めたい。/


【プルーストの場合は、記憶の探索をおこなっているのではなく、ありとあらゆる種類の記号に目を向け、環境、記号の発信様態、記号の素材、記号の体制に照らして記号の性質を解明することが作家の責務となっている。『失われた時を求めて』はひとつの一般記号学であり、さまざまな階層に分かれた社交界を診断する症候学でもあるのです。カフカの仕事は私たちの行く先々にひそむであろう悪魔的な力を、ひとつ残らずつきとめた診断です。ニーチェがいうように、芸術家や哲学者は文明の病を見極める医師なのです。】(「哲学について」)/


【創造とは、いわゆる伝達ではなく、耐久力をもち、抵抗することです。記号、〈事件〉、生、そして生気論は深いところでつながっている。そしてこれらに共通するのが非=有機的な生の力能であり、この力能は絵画の、文章の、あるいは音楽の線にも宿るのです。有機体が死んでも生は残る。作品は、それが作品であるかぎり、かならず生に袋小路からの出口を教え、敷石と敷石の隙間に一筋の道を通してくれるものです。私が書いたものはすべて生気論だった、と自分では思っていますが、そこから見えてくるのは記号と〈事件〉をめぐるひとつの理論でした。】(同上)/


【最近、革命の惨禍を告発するのが流行っています。(略)要するに革命はかならず悪しき未来を用意すると言いたいのです。しかし、そんな意見が出てくるのは、ふたつのこと、つまり歴史のなかにある革命の未来と、生身の人間がおこす革命の生成変化とを、いまだに混同しているからにすぎないのです。それに、歴史のなかの革命と、革命の生成変化では、同じ人間でもそのあり方が違います。人間の唯一の希望は革命の生成変化にある。恥辱を払いのけ、許しがたい所業に報いることができるのは、革命の生成変化だけなのです。】(「Ⅴ 政治」)/


【ナチスの強制収容所は私たちの心に「人間であるがゆえの恥辱」を植えつけたと述べるプリーモ・レーヴィの文章に、深い感銘を覚えたことがあります。レーヴィによると、(略)私たち全員にナチズムの責任があるのではなく、私たちがナチスによって汚された。強制収容所を生き延びた人たちですら、(略)やはり数々の妥協を余儀なくされた。ナチスになるような人間がいたという恥辱、それをさまたげる可能性も力ももちあわせていなかったという恥辱、そして妥協に屈したという恥辱。こうした恥辱が集まったものを、プリーモ・レーヴィは「グレーゾーン」と呼ぶわけです。】(同上)/

これと同じ恥辱が、現在のロシア社会にも蔓延しているのだろう。

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2023年10月19日

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