【感想・ネタバレ】回想十年(中)のレビュー

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Posted by ブクログ

中巻で興味深かったのは、自衛隊、農地改革、サンフランシスコ会議。
「私はいつも思うのであるが、軍人が戦争の専門家に偏することは、戦争そのものには或いは強くなるかも知れぬけれど、一般政治や国際外交の常識に欠けるところが生じて、外交を誤り、国を誤ることになる。大東亜戦争などは誠によい例である。こうした考えは、決して私のみの考えではなく、総じて軍人が政治を支配することを防ぐことは、各国とも大きな内政上の問題である。一方軍人自身もその分を弁えて、政治に深入りをしないようにすることが特に肝要であって、それには広い視野と豊かな常識とが必要である。」
「一体、私は再軍備などを考えること自体が愚の骨頂であり、世界の情勢を知らざる痴人の夢であると言いたい。」
「…世界いずれの国も今日独力を以て国を守り得る国はない。米国といえども、共同防衛がその国防の主たる観念である。日米安全保障条約は、この共同防衛の観念を以て作り上げられたものである。」
「憲法第九条にいうところの戦力の意味については、前に記した如く、当時の法務庁で研究して統一解釈を下していた。それによると、『近代戦争を有効に遂行し得るだけの装備編成を持つものを指す』という。その限界に達しないものは、憲法にいう戦力には該当しない。従って警察予備隊も保安隊も、その規模及び実力からいってこの『戦力』には該当しない。そして、そのように解釈するのが『憲法の各条章を総合判断した結果の合理的解釈だ』というのであった。」

辰巳栄一元陸軍中将の回想余話より
(ここ数年の間に陸上兵力を三十二万五千に増強すべきとの米国側の主張があったが)
「『日本の現状は、軍事上の要求のみで兵力量を決めるわけにはゆかぬ。今は先ず国に経済力をつけて民生の安定をはかることが先決問題だ。日本は敗戦によって国力は消耗し、痩馬のようになっている。このヒョロヒョロの痩馬に過度の重荷を負わせると、馬自体が参ってしまう、とはっきり先方に伝えてくれ』
とのことである。かくして総司令部側の熱心な要請にも拘らず、吉田政府は二十八年度末まで十一万で押し切ってしまった。私は当時米側の執拗な要請と、吉田さんの頑としてこれを相手にしない強硬な態度に板挟みとなって陰ながら苦労をしたものである。
 その頃一部の世論は吉田首相を向米一辺倒として屡々非難した。私の知る限りにおいて、これほど的を外れた批評はない。恐らく終戦後歴代の総理大臣の中で、吉田さんほど率直、頑強に自己の信念を通し、従って米国側からも煙たがられた人はないと、私は信じている。
 実際、上記の米軍の将軍連との雑談中に、吉田さんの噂になると、”stubborn and obstinate”という形容詞がよく彼等の口に上った。日本語でなら差し詰め”あの頑固親爺”とでもいうところであろう。もちろんその底意には十分な頼母しさと親愛の情とを含めているのだが、『君の国の総理の頑固さにはこまったもんだな』と言いたげな米将軍連の面持ちを、実情を知らない日本の人々に見せたいと思ったことが一再ならずあったのである。」

「…最後に私の宿願を申せば、やがて一億に達するであろうわが国の人口を養うためには、どうしても農業を大規模に開発せねばならないことは判りきった話である。そのためにはやはり何んとしても、金が欲しい。そしてそれは実際問題として結局外資導入に俟つ外はあるまい。」

「私が先年外遊の際ドイツに立ち寄り、同国の要人たちに対し、当時何故ドイツには労働争議が少いかという点につき質問を試みたところ、要人達の答は一様に簡単であった。すなわち、ドイツの労働者達の考え方は、『敗戦後のドイツにとっては祖国の再建、経済の復興ということが第一に必要であるから、ストライキなどというそんな贅沢なことはやってられない』ということであった。彼等ドイツの労働者が自分自身や自分等の階級よりも如何に国家、社会の利益の方に重きを置いているかを如実に語るものとして、私は深い感銘を受けたのである。」

「結局、南樺太、千島列島は、サンフランシスコ条約に関する限り、決してソ連の領有を認めていないのであって、従ってこれら地域の現状は、ソ連の戦時占領のままとなっていると解するのが、本筋だと思う。況んや歴然と北海道の一部である色丹、歯舞両島についてはもちろん、日本の固有の領土として古くから公認されていた南千島に関しては、本来ソ連の占領部隊の撤退をこそ日本は要求すべきであって、今さら『返還』を求むべき性質のものではない。要するに北辺の領土問題は、他日機あらば国際会議によって決せらるべき筋合のものであることは、サンフランシスコ会議の経緯からいっても当然なのである。この点は今後とも官民の念頭に置くべきものであろう。」

「サンフランシスコ平和条約によって、日本は独立を回復し、その独立は、安全保障条約と行政協定によって保障される。かかる体制を『サンフランシスコ体制』と呼ばれる。呼び名はともかく、この体制について、私の考えをもう一度纏めて、ここに述べておきたい。
 占領六年有余にして、日本は一日も早く独立を獲得せねばならぬ、とする私の考えはいよいよ強くなった。全面講和は理想としてはいいかもしれぬが、当時の国際情勢、殊に米ソ冷戦下においては、それは一場の夢に過ぎない。現実的には、国際情勢の緩和などを待っていては、いつの日に、日本の独立を回復し得るやら、全く見当がつかぬ。占領久しきに亙れば、国民は終にその自主性、独立心を失うに至る恐れなきに非ずである。
 さらにまた将来日本の採るべき途として、自由国家群に伍して行くべきであるというのが、私の堅い信念であった。私は、必ずしも永久に共産主義国との修好を否認するものではないが、現実の要請と自由主義の確信に基いて、サンフランシスコ講和を好機として迎え容れたのである。
 平和条約で独立は一応獲得した。しかしこれは言わば『主権回復』という意味での政治的独立であって、経済的独立には未だ前途尚ほ遠しである。経済的独立が政治的独立につづく至上要請となる。しかも経済的自立に専念するためには、国の内外における安全が保障されねばならぬ。国内の治安維持には、平常の場合警察予備隊の増強の程度で間に合わせ得るとしても、対外的の安全保障には、…それだけでは安心できぬ。
 そこに再軍備の問題も起る。しかし当時のわが国の経済状態は、再軍備の負担には堪え得べくもない。また旧交戦国の間には、いまだ戦争に依る対日憎悪感と復讐警戒心の依然根深いものがあって、この際の日本の再軍備は決して策の得たるものではない。況や日本の新憲法は、厳として再軍備を禁じているにおいてをやである。
 しかし国の独立は飽くまでも守らねばならぬ。幸い米国の対ソ戦略上の要請は、日本防衛と日本の経済的強化の必要と一致する。その上、今や世界は明らかに集団防衛の時代である。国連憲章の名分に添って日米共同防衛体制の生れるのは、自然の数というべきであろう。」
「…日本が極東の一角に、正しく、強く、厳然として立つは、現実問題として、極東及び世界の平和維持に欠くべからざることである。ただ憾むらくは、日本経済の現状、その他の事情は、日本国の自力防衛を許さない。且つまた今日は集団防衛の時代である。近代軍備の厖大化は、いずれの国と雖も、自国の防衛を独力達成することを不可能とする。とすれば、わが国に駐留するアメリカ軍の将兵を欣んで迎え、これを優遇するは、国際礼儀の上からも、また日本自身の利益の上からも、当然というべきである。しかして他面、日本国民としては、経済復興とともに、国防増強に努め、平和条約、安全保障条約の精神、条項に従い、所定の義務を忠実に遵奉、履行し、国際平和維持に貢献し、国際社会に奉仕せんとする覚悟こそ、また以て自らを護る所以たるを知るべきであろう。」

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2021年08月08日

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