【感想・ネタバレ】取り替え子のレビュー

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Posted by ブクログ

五良の自殺(≒伊丹十三の自殺)の根底にあったであろう“アレ”の正体を各々模索していく物語。
奇しくも、『万延元年のフットボール』と、自殺の原因の探究という点では同じなぞらえ方をすることとなった。

「取り替え子(Changiling)」という逸話を物語へ絡めこむ上手さ。
終章にて、モーリスセンダックの絵本からヒントを得て主題となるこの言葉は、それまで一切出てこない。
そしてまさにこの「取り替え子」の考えによって、五良の死を、次の世代の誕生に繋いでいく…。
『懐かしい年への手紙』でも感じた、終章に通底する独特の清らかさ。

——もう死んでしまった者らのことは忘れよう、生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。

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2023年10月08日

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奇妙なスルメ小説
 最後の千樫の推測のくだりで身震ひする気持になったが、なんとも奇妙な小説だと加藤典洋の書いてたままに評しよう。
 どうも前半までは平坦だとおもってゐたが「覗き見する人」以降おもしろかった。ギシギシの挿話に熱中させられるものがあった。
 かういふ小説は、事実背景を知ったうへで再読するとより面白く感じられるとおもふ。実際、いま再読して前半もおもしろい。
 まあ評判を聞かずに読むのがいい。たぶん勝手に期待するとぴんとこない。斎藤美奈子や松岡正剛がぴんとこなかったのもわからなくはない。なにしろその続篇として『憂い顔の童子』があるのだから。

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2023年09月22日

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超良かったです。こんなのも書けるのかと驚いた、なんか初期作品読んだだけのイメージではもっと文章固くて泥臭くて何書いてるのかわからないけど力押しで読め!って押し付けてくる感じだったのが、だいぶ透き通った文体になってたのも衝撃。死者と「これから生まれてくる者」との間のChangeling。なんて優しい祈りのような小説なんだ……
個人的には終章が白眉。性描写が尊い。千樫は強い。古義人がすっと物語から身を引いて女たちだけで結末を迎えるというのが美しいね。新たな生命が託されるものとしての女性。
時差ボケの深夜テンションで、いきなりスッポン解体しだすシーンも笑いましたが。

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2018年10月23日

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ネタバレ

高校時代からの親友であり映画監督の塙吾良がビルから投身した。古義人のもとには彼の声が吹き込んであるカセットテープとそれを再生するための「田亀」があった。「田亀」をとおして吾良と会話する古義人。その姿におびえる妻の千樫と息子のアカリ。

「田亀」と距離をおくためベルリンに赴く古義人。
週刊誌では吾良の死因が悪い女に求められるが、吾良と千樫はそうではないと思う。
吾良がヤクザに襲われたときのことから、吾良は自然と自分に襲いかかってきたテロルについて思いを寄せる。

ベルリンに行く前、千樫は古義人に言う。
彼らが学生のとき、夜中に帰ってきてガタガタになっていた、あのときのことを今度はウソをつかずに書いて終わるべきだと。

その出来事は「アレ」と呼ばれる。
吾良のほうからは「アレ」を描いたと思しき絵コンテがあり、吾良は今まで培った小説技法をたよりに吾良の視点からの「アレ」を描こうとする。

大黄さんという、吾良の父親の門下生だった人物があらわれる。米軍の占領下、彼は講和条約の発効前に日本人からの蹶起がなされるべきだ、少なくとも抵抗したという歴史の片鱗が必要だと考えている。そのためには米軍と同等の武装が必要になる。

この武器を与えるのがCIEで働いているらしいピーターという白人の役目であるらしい。
ピーターが吾良に対しどうやら性的な願望を持っていて、大黄さんは吾良を利用して取引をするつもりらしいことが示唆される。

結局のところ、「アレ」とは何かはわからない。
在日の子供らに剥いだばかりの牛の生革を頭からかぶせられ、体が血と脂でどろどろに汚れてしまう……。

実のところ僕は加藤典洋「小説の未来」を読んで本書を手にしたのであって、ここで行われたのが強姦であるという説が頭のなかに既にあった。
でもどうやらこの評論がいくらか物議をかもして大江の「憂い顔の童子」では作中で引用、批判されてもいるようだ。

しかしそうはいったって、そういう性的な事柄を連想させるような書き方がなされていると思うのだが……それが不協和音として松山の回想を暗い基調にしているというような。

最後の章は千樫の視点から語られる。
そして「取り替え子」というタイトルともなった一連の思想が垣間見える。

しかしながら松山の回想における張りつめた糸のような緊張感が、ここでどこかすっぽぬけてしまっているような気がしてならない。
それはなんだろう、千樫という女の肉体をもった人物というのがどうも想像しにくいところにありそうだ。

端的に言って女を描くのはあまり上手くないのじゃないか、という気も。
女が自主的に動いているというより、常に作者の視線のなか操り人形のように女が語らされているような、不快感というのかな。

それから主題に感心したかといえば、歳も離れているし、実感としてはあまり来なかった。
ただ読書体験としては久々にスリリングなものだったと思うし、読んでいて揺さぶられるような心地良さがあった。
というわけで本当のところは☆4.5くらい。

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2015年02月09日

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文体もそれほど込み入っておらず読みやすい。それにしても本多勝一(らしき人物)の攻撃の苛烈さ。後半はやはり大江文学らしいカーニバル性。

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2013年09月25日

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「おかしな二人組」三部作のスタートとなる作品。義兄である伊丹十三の死を経て書かれた作品ということで、吾良が大きな役割を持って描かれている。とも言えるし、いやいや、吾良は彼の他の作品でだって大きな役割をいつだって担っていたじゃないか、とも思うし。終盤がとても美しかった。モーリス・センダックの絵本を一つの題材として展開される部分が。そうか、だから取り替え子なのか、と。(10/6/7)

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2012年08月17日

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初めて読んだ大江健三郎作品。なんか読みにくい、という噂を聞いていて読まずじまいだったんですが、最近の作品だからか、比較的読みやすかったです。
しかし久々に人間というものをここまで深く描いた作品に出会った気がした。一言でまとめれば「いろんなことが含まれている小説」
小説のタイトルがなぜ「取り替え子」なのかわかった時の感動はひとしおです。

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2009年10月04日

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この辺から後期オーケンとでも言うのだろうか。
文から角というかクセが取れている(それでも読み易い文ではないが)。
息子の光氏につき特に丁寧な扱いをしているが、唸る様な描写が少なく若干物足りなさを感じた。

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2022年09月15日

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以前に読んだ「水死」の前の時代の小説だ。「水死」を読んでよく分からなかった人物背景もよく分かった。義兄の塙吾良が、伊丹十三をモデルにしているというのも途中で気づいてからより面白くなってきた。そういえば、愛媛の「伊丹十三記念館」に行ったことを思い出した。そう考えると、いろいろなことがつながってくるのだ

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2014年08月30日

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4日くらい、1章ずつ読み進んでいたのだが、5章目に入ったところで我慢できずに一気に読み終えてしまった。
義兄・吾良の自殺と遺されたカセットテープをきっかけに、主人公・古義人の少年時代の体験が呼び起こされる。
古義人らが少年時代に体験した森の中の練成道場での出来事。
そこでは、政治的な問題や思想を大きく含みながらその集団と進駐軍の軍人、少年時代の古義人と吾良のホモソーシャル、ホモセクシュアルな関係が描かれる。
最終章は主人公の妻の視点に切り替わる。それまで、男たちが主眼に置かれていたこの物語の中で、この章だけは女性が主役にすえられる。取り替えられた、あるいは失われた子どもを「生みなおす」存在として彼女らは表舞台に登場する。しかし、私はこの章について納得がいかない点ある。
一つは、無垢で美しい子どもが無条件に欲望されること。主人公の妻は、子どもの頃から美しく才能あふれる存在だった兄が、森の中の出来事を経て「向こう側」にさらされたことを悔やみ続ける。無垢さや完璧な美しさを失ったとき、子どもは「取り替え子」になるのだろうか。それはそんなにも悲しむべきことだろうか。そして、たとえば「取り替え子」として生まれた子どもは、欠けている部分を他の何かで補うことによって、いつか美しい自分を取り戻さなければいけないのだろうか。
もう一つは、そういう子どもを産むことを女たち自身が望むこと。この作品の中で、女は常に「母」である。「母」は美しい息子を産もうとし、息子は死んでまた「母」の胎内に戻っていくかのようだ。そして、「父」はほとんど不在である。
この作品から読み取ったものを確かな言葉にする術を私はまだ持たないけれど、もっと突き詰めて考えなければいけない作品だと感じた。

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2011年01月08日

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大江健三郎。

私小説というおうか、自分の人生が語られている。

どこまでが事実で、どこまでが小説としてのことなのか、気になるところではある。



登場人物はおそらくほとんど実在の人物。

古くからの友人であり、義兄である吾朗(伊丹十三)の投身自殺からはじまる。



本の中にたくさんのメタファーがあり、何となく読んでいた私は気付いたり気付かなかったり。

四国の森の少年時代の怖い体験や、

吾朗との「田亀」を通じた通信、ベルリンでの100日間を通して吾朗の自殺を追いかけていく。



最終章では千樫(大江ゆかり、大江健三郎の妻、伊丹十三の妹)が引き継ぎ、

センダックの絵本から妹としての立場で小説を閉じる。




あまりにもたくさんの要素が盛り込まれているため、

読んでいて難しいと感じるし、読み終わっても著者の意図が読めたのかどうかはわからない。

とにかく、読みやすいけれども重く、ずっしりとくる話。

背景についていろいろと説明があるわけではないので、自分である程度知ろうとしなくてはいけない。


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2009年10月04日

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読み終わるまでにだいぶん時間がかかった。

義弟吾良の自死がテーマ。

彼の作品は初期のものとごく最近のものしか読んでいなかったので、それらをつなぐ道筋が類推できて興味深かった。

センダックの絵本は子ども達に読んで聞かせ、親しんできた絵本作家だが、千樫の、自分の手元にぐいと引き寄せた解釈には共感できた。

作成日時 2007年07月03日 19:24

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2009年10月04日

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伊丹十三が倒錯的な性愛にこだわりつつも
常に社会正義を踏まえて作品づくりをしていたことは
「女」シリーズを見ればよくわかる
そういう、きわめて人間的な矛盾が
彼を一種の自家中毒に追いやったということは
言えるのかもしれない
伊丹の死後
日本の芸術映画をリードしたのは北野武だった

小説家の長江古議人と映画監督の塙吾良は高校時代からの親友である
共に、教師たちから目をつけられる存在だった
しかし同じはみ出し者といっても
自己の内面にこもりがちな古義人に比べ、外交的な吾良は
その分、他者のエゴイズムとまともに向き合いすぎるところがあった
良く言えば自信家、悪く言えば鼻持ちならないやつで
人によっては馬鹿正直と見るかもしれない
のちに塙吾良は、社会派のコメディ映画で商業的な成功を収めるが
それと引き換えに、ヤクザの襲撃を受けたり
イエロージャーナリズムにつきまとわれるようになったりして
ガタガタに疲弊してしまうのだ
そういう苦しさは
例えば「政治少年死す」をめぐってのごたごたを前に
結局は、スッポンのように身を縮めることで
やりすごしてしまった古義人には
まったく、理解できないことだったかもしれない
だから、2人にとって共通の苦い経験である「アレ」の受け止め方も
実はまったく違うものだった可能性がある
…古義人の村の右翼集団にだまされて
米軍将校を相手の性的接待をやらされそうになったあげく
仔牛の臓物を頭からぶっかけられたのだが
吾良にはそれを
単に野蛮人の狼藉として割り切ることができなかったのだろう
ちなみに言うとあの辺は
「アパッチ野球軍」の舞台にもなってんだけどね

まあ吾良にはそういう
「話せばわかる主義」みたいなものがあったのだ
それは言ってみれば、人間の無垢に対するひとつの信仰だった
だから、晩年の吾良から影響を受けた若いガールフレンド・シマ浦は
別の男とのあいだにではあるが
メイトリアークとして、吾良の「生まれなおし」をはかるわけだ
そんなの、実際生まれてくる子供にしてみりゃ
迷惑な思い入れでしかないと思うけど…

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2019年10月17日

Posted by ブクログ

とても難しい純文学小説。著者の大江健三郎自身と、自殺した映画監督で大江の義兄、伊丹十三をモデルにしているということで興味深く読んだ。
作家の古義人は、映画監督の義兄、吾良の自殺の理由を探ろうとする。吾良が古義人に残した録音メッセージとの対話や、映画の絵コンテから、共通のトラウマである少年時代の記憶がよみがえる。ただし、その核心は本書からだけではよくわからない。
また古義人の妻であり吾良の妹である千樫も重要な位置づけを担っている。本書のテーマの一つである、「取り替え子」は生み替えともいえるだろうか。趣旨は少し違うが、トニ・モリソンのSulaという本を思い出した。
大江は義兄の自殺を悶々と悔やんだのだろう。さまざまな思想が示され苦しいほどで、本書の大半が話し言葉で書かれていることもあり、一部消化不良である。他の大江作品(というほどは読み込んでいないが)と同じで、読後感がずっしりと重い。

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2015年01月13日

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大江健三郎の義兄、伊丹十三が飛び降り自殺。生前、彼から託されていた田亀というカセットを通じて、大江は伊丹と会話を続ける。我慢して読んでみたが最後まで頭に入ってこなかった。残念。

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2014年08月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読んでいて楽しい、それでいて読み終わってしばらく経つと、すっかり何が書いてあったのか忘れてしまう。『憂い顔の童子』を読んでみて思い出したのだけど、やっぱりここで記載されている「アレ」私も核心が良くつかめなかった。とはいえ、このように書こうとしているのに直接に書けないものが現れているのを目の当たりにするのは面白い体験である。しかしこのことは『憂い顔の童子』に引き継がれていなかったら、やっぱり「アレ」の存在意義は読者にとってなかなか不明瞭なままだったろうとも思う。

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2013年05月21日

Posted by ブクログ

某サイトのレビューでは、わかり易くて大江作品を理解する上で役立つということだったが、あまりそうは感じなかった。

むしろ「万延元年のフットボール」などのような大江健三郎らしい粘度の高さもなく、登場人物の内面への掘り下げがいまいちだと思った。

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2012年03月04日

Posted by ブクログ

伊丹監督と義兄弟とは知りませんでした。すごい引きずったんですねぇ。

コギト→チガシに話が流れていくところは結構良かったんですが、なんだろうなぁ、うーん。これ難しいな。
「あの事件」について私は中途半端にしか理解できていたいところが問題なのかもしれません。

10.10.01

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2010年10月05日

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男性に対するマイナスコンプレックスの塊だったよーな…。逆方向の、女性っていう出産できる性に対する超えられない羨望もひしひしと。

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2010年01月10日

Posted by ブクログ

以前これを読まずに憂い顔の童子を読んでしまってえらい目にあった。未読!ていうか続きものってちゃんと書いとけ!

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2009年10月07日

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