感情タグBEST3
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「ゼクシィなことば」
ゼクシィの式場の広告の写真は、新婦は日本人で新郎が外国人(もちろん欧米系)、そして友人も全員外国人…率が高すぎる、ていうのに笑った
でも1つの式場は、、上に加えて新婦の両親も外国人でどーいうこと!?っていうツッコミをしてて、そこを読んでる時は電車の中で口開けて笑ってしまった
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面白い本です。ページを繰るごとに、黒い笑いが口角を引き上げました。そして、ところどころでほろりとさせられ、気持ちの振幅がけっこう大きかったです。全体の構成、並び方も工夫されたものだなあと感心。
これは自分の興味の対象のせいなのか、「VERY」なことばと「ゼクシイ」なことばはチンプンカンプンでしたけれども。
「棒立ち」「ケセン」「こども」に感動しました。
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今年最初に読んだ本だが、最初から大当たりとは幸先がいい。さすが天才詩人だと思う。正月から笑わせてもらった。とても幸せな気分になった。
言葉にに対する「感度」がとても高いのだ。これはどういうことなんだろうと自分なりに考えてみたのだが、どうやら「書いた人の気持ちを考える」という、およそ小学校の国語の時間がら教えられていることなのだろうという結論に至った。そして、如何に自分はそれができていないか思い知るのである。
コミュニケーションが何故難しいのか。それはお互いの思いが伝えられないからだと思う。その対策として、言葉にどれだけ向き合えるか、が重要なのだろうと改めて感じた。
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コトバも、その使われかたがグループ分けできる!として、いろいろな場面に見かけるコトバの数々から、、、いたい何が見えるのか?
非常に興味深くもあり、思わず声に出して笑ってしまうユーモアたっぷりの文章。本を読んで、真木蔵人に注目したり、キリスト教の教義よりも、こころにぐっとくる相田みつをに再びカンドウしたり。はたまた心の病を持つ人々の妄想的コトバ。シュールなコトバ達は、文字に起こして読んでみると面白い。人気のある一冊、納得!
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文体の使い分けによる表現の違いを吟味するエッセイ。
著者のコトバに対する感性が窺えてオモシロイ。
「萌えな」ことば、「洋次郎な」ことばには大爆笑。「人工頭脳な」ことばは、恐ろしいことに早くも時代遅れだ。そも人工頭脳の概念が変わってきているしね。
なにより「VERYな」ことば、「ゼクシイな」ことばには参った。およそ空疎な言葉の羅列なんだなぁ。ポジれば直感だけに訴えている表現と言えなくもないけど。中身は何にもないよね。
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すごく面白かった。
大爆笑。
そして、あぁ、その通りだな…と思うところもあって。
とにかく心底楽しかった。
同じ日本語でも、自分が普段使っている言葉とは背景にある文化が違うのではないか?と思うことがある。
読めるけどちんぷんかんぷんなのだ。
この本で取り上げられている「ことば」の中にもそういうものがあった。
でも、分からないことが面白い。
こういう世界があるのねと驚いて、高橋源一郎さんのツッコミに心地よく笑えました。
この本の素晴らしいところは、テーマと著者のバランス感覚だと思う。
引用されている文章に私が引いている時には一緒に引いてくれて、面白がっている時にはさらにのってくれている。
一緒に読んで、一緒に笑って、一緒につっこんで、一緒に感動している気になってくる。
こんな本、書けるんですね。
初めましての「ことば」も多かったし(というか、ほとんど)、あんまり読みたくない描写も引用されてたりしたけれど、全部読まなきゃ気が済まないくらい惹き付けるパワーがあった。
そしてドン引きしてる人間を笑わせてくれる絶妙なツッコミ。
やはりそこが1番すごいところかも。
いい!と思うことばも、なんじゃこりゃ!と思うことばも、全部日本語で書かれている。
日本語って、本当にすごい。
すごく面白い。
そう気付かせてくれる1冊。
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源ちゃんが最新の日本語を「メタメタに」斬りまくる
「萌えな」ことば、「官能小説な」ことば、相田みつおな」ことば、「漢な」ことば、などなど様々な切り口で源ちゃんが最新の現代日本語を「メタメタに」斬りまくったエッセイ集である。
戦後民主主義を男女交際の自由という観点で徹底的かつ全面的に謳歌したかの「青い山脈」(余談ながら私はこの名曲を「君が代」に代わる国歌にしたいとひそかに考えていたのだが、全く同じ意見を内田樹氏が抱懐していると知って嬉しくなった)で有名な「洋次郎な」ことばや、いま千葉の海岸沿いに住んで東京のアホ馬鹿富裕層をコテンパンにのしてゆく真木蔵人の「クロウドな」ことばも面白いが、さいきん和歌、じゃなかった短歌に目覚めたわたくし的には新進気鋭の若き歌人たちの短歌を俎上に乗せた「棒立ちな」ことばの章が気に入った。
かの穂村弘センセの「裏側を鏡で見たらめちゃくちゃな舌ってこれであっているのか」とか、松本秀選手の「カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ」、中澤系選手の「牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらいに完璧に」、奥村晃作選手の「「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか」、小林久美子選手の「ねじをゆるめるすれすれにゆるめるとねじはほとんどねじでなくなる」などの作品を前にすると、ここにこそかのアララギ流の鋭い「気付き」の現実観察と繊細な感性がそれこそ「棒立ち」になっていると深くうなづかずにはいられないのである。
最後に「こどもな」ことばの章における抄の武藤直樹くんの「ぼく」という作文を本書から無断引用させて頂いて本日の拙い読書感想文の結びと致したいと存じます。
ぼくは今二年生です
あまり勉強ができません
でも ぼくもぼくなりに
生きています
あたまわるいけど
学校がすきです
両手振りスキップしながら跳んで行くあの小学生にもう一度なりたし 蝶人
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考えてみると、日本人って世界一多彩な応用表現を使いこなしてるような気がする。JK言葉しかり、萌え語しかり。それに方言や古文ときたら、頭パンクしないほうがおかしい。
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源ちゃん、若いなぁホントに(^-^;
考えるのが仕事なのはわかるけど、って、もともとそおいうタイプの人種なんやろなぁ、この人は(笑)
どこまで本気で書いてるのか?いや、結構本気っぽいな…書かれた方はどお思うかなんて関係ない。
やっぱ、凄いんじゃないですか?って仕事でした。