【感想・ネタバレ】マックス・ウェーバーを読むのレビュー

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Posted by ブクログ

面白いポイントがありすぎて、メモしすぎた(思考の整理学を読んだのにも関わらず)。

合理化と非合理化の二項対立で考えるのではなく、その狭間を見ていきたいところ。

プロテスタンティズムによる非呪術化の影響はかなり大きい。

禁欲+公共の福祉の最大化+それによる富裕+天職感

こう生きるべきだよねっていくシステムの前では個人の生き方を変えるのはなかなか難しい。これは資本主義というシステムに限らないと思う。以前読んだフーコーの話も同じように解釈することができるんじゃないか?

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2023年03月23日

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たびたび出てくる訳文の傍点が不快で、ずっとウェーバーには挫折してきた。この本を読んで、初めて、ウェーバーの思想が少しわかった気がする。そりゃ有名なわけだ、と、ウェーバーの洞察力に感服。

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2021年01月16日

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まさにウェーバーが目指したように、抑制の効いた態度で、当時の時代状況を説き起こし、彼の思想の射程の深さを示す。これを機会にウェーバーをさらに深く味わってみたい。

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2018年03月12日

Posted by ブクログ

学生時代にマックス・ウェーバーの本。
正直、先生のいうことだけでは訳分からなかった。
テストが大変だった記憶がある。

この本がもっと早く出ていたら、学生の頃きっと助かったなあと思う。そのくらい分かりやすい。ポイントがさらっと押さえられている。とてもいい。
いま改めて読んだら、ウェーバーって結構新しい人で、すごい人なんだなあと思った。

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2015年08月02日

Posted by ブクログ

専門分野が多岐に渡るマックスウエーバーについての入門書という難しい問題に対して、その著書を読むことを通じて当たられた本書の挑戦が見事に当たっていると思います。本来、ウエーバーを学ぶには相応の覚悟が必要だと思いますが、その知識の一部でも正確に知る事ができる本書は有難かったです。
著者も序で書かれているように、やはり専門的な内容にもなるので、学生になって講義を受けているような姿勢で読まなければならない面があります。私は第3章が少し難しく感じました。
第1章・・・キリスト教の各宗派の思想と、資本主義の関係について
第2章・・・政治を扱う人の種類や、政治形態としての官僚制について
第3章・・・学問として社会科学をどのように行っていくべきか
第4章・・・学者、教授としての姿勢

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2014年11月24日

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 マックス・ウェーバー入門書としてまとめられたものですが、「それぞれのテクストがどのような意味において知的に刺激的なのか、これから学者になろうとしている人、あるいは、少なくとも、学問と本格的に取り組もうとしている人の目線、言ってみれば、「学者の卵」目線で読んでいきたい。」(p18「序」より)と著者は単なる古典の「紹介」ではなく、読者の積極的な「読み」を要請しています。こうした姿勢は内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書・青版)とも共通しているように感じます。
 本書はウェーバーの膨大な業績の中から、宗教社会学(『プロ・倫』)、政治観(『職業としての政治』『官僚制』)、社会科学方法論(『客観性』『社会科学の基礎概念』)そして学問観(『職業としての学問』)の4つの柱を設定、古典を古典として読むことの大切さを丁寧に説明しています。選択はバランスがとれていると思います。
 こうした著者の立場は、「”現代日本の直面している課題”に対する”答え”を手っ取り早く知りたかったら、西洋の古典でなく、時事ネタ本を読むべきである。古典は、予言の書ではない」(p18「序」より)というもので、人によっては突き放した言い方に反発を感じるかもしれませんが、わたしはこの姿勢には大いに共感します。
 一方で、本書「第四章ウェーバーの学問観」では「ウェーバーとSTAP細胞問題」(p200~)という時事問題を取り上げ、ウェーバーの考え方の切れ味を実演してみせているところは興味深いところです。
 個人的には、著者が本書では取り上げなかったウエ-バーの『政治論集』(ウェーバーのフライブルク大学教授就任講演から第1次大戦中・戦後の『職業としての政治』に至る身を削るような時事論文も収録されている)、『社会学・社会政策論集』(講演『社会主義』が含まれている)、さらに第一次ロシア革命に触発され取り組んだ『ロシア革命論集』といった分野について、著者の読み方を参考にしながら、読みを深めていきたい、と大いに触発されました。

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2014年09月27日

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著者とヴェーバー両者の深い知識と知恵が調和している。文章も小気味よく、回帰して読み返したくなる入門書。……あとがきの毒づきっぷりは謎だが。何か嫌なことでもあったんでしょうか。
本家(?)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も近々読みたい。

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2014年09月23日

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メモ:
p142
私たちは日々様々な場面、テーマについて「価値判断」をしているが、それがどのような「価値規準」に基づいているのかはっきり意識していないことの方が多い。事実についての認識と「価値判断」が漠然と一体になっていて、いつのまにか”判断”している・そのため、他者との意見との食い違いが、事実認識のズレによるのか、拠って立つ価値の違いが判然としない。

p206
合理化の帰結として生み出された巨大な「鉄の檻」(=国家資本主義の下での研究体制)が、「合理性」の尺度を見失ったまま運動し続けているうちに、自らの足場を掘り損じているわけである。

p216
多分野にわたって大きな業績を残し。政治評論家、政治家として活動したウェーバーは。、当時のドイツで最も偉大なカリスマ学者であった。彼のようになりたいと思う学者の卵は、少なくなかったはずである。そういう彼だからこそ、「個性」や「体験」を崇める傾向を厳に戒め。マルチタレント性を発揮するよりも、専門領域を見つけ、その領域に固有の「物」に打ち込むことの重要性を説く必要性があったのだろう。

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2022年03月26日

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昨年はウェーバー没後100年という節目で色々とウェーバーに関する本が上梓されたが、こちらは2014年刊行の新書。講談社新書50周年のでかい帯がついていて、「彼の思考を知るということは私たちの社会と歴史について深く学ぶことである」との惹句が掲げられている。

本書はそんなウェーバーの思想を主要な著作を読み解いていくという形で辿るウェーバー入門書である。

第1章は彼の宗教社会学を『プロ倫』が取り上げられる。著者は「ウェーバーの「資本主義の精神」論の魅力は、「禁欲」「労働」「営利」という一見すると、互いに異質な三つの要素が、歴史の特定の局面で連動し、資本主義発展の契機となったことを、「天職」概念を軸にしてピンポイントで追跡したこと、そして、それによって経済史の中で(倫理的な)「観念」が担っている役割を探求する方法論を示したことにある」と述べ、「それは間接的に、特定の倫理的規範に従おうとする人間の主体性に対する期待に繋がる」(p.74)と述べる。

このことは、続く第2章で取り上げられているウェーバーの政治観でより深く追求されている。それが「官僚制」の問題である。西欧近代を特徴付ける「合理性」は資本主義を生み出したのだが、同時に個人の活動になるべく干渉しないことを原則とする一方で、大企業の活動を支えるために官僚制を整備しなくてはならないという矛盾にぶつかる。ウェーバーはこの矛盾を指摘し、民主制の二律背反的な性格を冷静に分析するのである。

第3章は、ウェーバーの方法論を「理念型」「理解社会学」などの諸概念を取り上げつつ、クリアにしている。ウェーバーはこれら基礎概念を相互に関連付けながら、社会学の主要な分析対象である「支配」「権力」「法」「団体」「経営」などの定義付けをした上で『経済と社会』の各論を展開するという方法を取っており、こうした方法は、タルコット・パーソンズなどにも引き継がれていった。

最後の第4章で、著者は現代日本の状況を具体的な事例として取り上げながら、ウェーバーが問い質した学者の姿勢について、『職業としての学問』を通じて明らかにしている。

どの著作をとっても読むのに骨が折れるウェーバーの代表作をコンパクトに解説しながら諸著作の関連が見通せるようになっている本書は、ウェーバー社会学の現代的意義を考える上で有益である。

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2021年03月20日

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仲正昌樹 「 マックスウェーバー を読む 」

マックスウェーバー入門書。

主要著作における共通テーマは 資本主義により 宗教、政治がどう変容したか、もしくは 宗教、政治はいかに資本主義を発展させたか。


合理性と効率性を追求し、自己増殖し続ける資本主義を 巨大な「鉄の檻」と表現し、その「鉄の檻」で 歯車として生きることを規定された 人間を対照的に表現している


マックスウェーバーは マルクス同様、大衆に資本主義を打破すべく革命を啓蒙しているのだと思う。キリスト教や国家すら飲み込んだ資本主義をどうしようとしたかったのか。「職業としての学問」がヒント?


学問の存在意義
*学問が悪魔とするならば、悪魔に騙されないように〜悪魔を出し抜け
*学問は 価値の機軸のない混沌の時代にあって、悪魔や神々の属性を知るために利用できる確かな武器である


資本主義の精神
*信用はお金である〜お金を大事にする人は立派な人である〜自分の資本を増加させるのは義務である
*効率性を追求しながら拡大していくシステム〜専門化は分業を通じた効率化〜分業体制の歯車になる


国家は 暴力を行使し それが正当化されるするウェーバーの国家観は資本主義


官僚支配
指導者による支配の強化→強固な官僚制→指導者が官僚に依存→指導者として責任のない官僚が政治を指導する「鉄の檻」



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2020年07月08日

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小泉進次郎に対して池上彰が「職業としての政治」って読んだことあります?と衆院選特番のインタビューで意地悪く聞いて、「政治とは職業ではなく生き方だ」とそれらしく回答していたのが、ソツないように見えてなんか噛み合ってないように思ったので、ちゃんと勉強してみようと読んでみた。要するにウェーバーの「職業」Berufはドイツ語的に多義的で、召命とか、そういう宗教的意味もあるので、彼の回答はウェーバーに対する反論ではなく、肯定として語れば正解に聞こえたのかもしれない。何にせよ、池上彰の質問はしてとてもいじわるだ。

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2017年12月03日

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ウェーバーの主要な著作にターゲットを絞って、噛み砕いた解説がされており、岩波文庫に突撃する前に読んでおけば理解を助けてくれると思う。
あとがきを読んで、趣旨に賛同された方におススメします。

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2016年01月11日

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ネタバレ

元々は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に興味があって岩波文庫の原本を買ったのだが、中々進まないのでこの入門書を手に取った。

読んでみると、最後の「職業としての学問」の第4章が親しみやすく、面白かった。特に、「世界を動かしている法則を知ることが可能である、という信念を人々が共有すること」としての「脱呪術化」の指摘に鋭さと現代の思想にもつながる先駆性を感じた。

私たちは、携帯電話の通話の仕組みをほとんど知らない。しかし、その動きを予測することができれば不便はなく、十分であり満足する。また、その働きに、神秘性や呪術が介在する余地は全くない。一方、「未開人」は、自分が使う道具の仕組みをとてもよく知っており、自分で作ることもできるだろう。しかし、自然現象や私たちが使う最新の道具を見れば、その働きの背後に神秘性を感じずにはいられない。

一見すれば、道具が精緻化しているだけで、我々は「 未開」の人々に比べて、何も進歩していないように思う。しかし、ウェーバーは、「欲しさえすれば、どんなことでも常に学び知ることができるということ、したがってそこにはなにか神秘的な、予測しえない力がはたらいている道理がないということ、むしろすべての事柄は原則上予測のままに意のままになるということ、ーーこのことを知っている、あるいは信じている」、こうした信念が個別の知識(携帯電話の仕組み)の伝達よりも重要であり、その「脱呪術化としての進歩」の推進の中心的な役割を「学問」が担っているとしている。

ここにプラトンの「洞窟の比喩」にある、囚人が自発的に向きを変えるように「教育」することを使命とする解放された囚人としての「哲学者」と、ソクラテスによる「真の存在」を把握することができる、事物についての「正しい概念」の話が持ち込まれる。

個別の知識伝達に対比された脱呪術化としての教育を具体的にイメージはできていないが、学問的探究と概念的思考は、個人的に興味を強く持っている分野であり、また道がそれてしまうが、「職業としての学問」を手に取りたい。

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2015年05月09日

Posted by ブクログ

言葉が難しくてなかなか理解できなかったが、マックスウェーバーという人の雰囲気を掴むことができた。
もう一度読み返したい

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2021年09月24日

Posted by ブクログ

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』についての解説がよかった。ウェーバーを離れてあちこち寄り道しているようでいて「では寄り道か」というとそうでもないような感じ。新書なのであまりに深すぎる話にはならない程度なこともあって自分には読みやすかった。

他の章では、例えば「価値基準を学問的に位置付ける」や「理解するとはどういうことか」といったふうに、うまい具合に要約された太字の後に、絶妙の説明がある(テクストがある)という書き方は「理解」しやすい。

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2018年03月02日

Posted by ブクログ

マックス・ウェーバーの著作の中から、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『職業としての政治』と『官僚制』、『社会科学と社会政策に関わる認識の「客観性」』と『社会学の基礎概念』、『職業としての学問』を取り上げ、その内容について分かりやすく解説している本です。

「あとがき」には、無理にウェーバーの統一像を提示するのではなく、ウェーバーの主要著作についてピンポイント解説をおこなうことをめざしていると書かれていますが、「ウェーバー学」の権威である折原浩がアカデミズムきってのうるさ型ということも影響しているのか、ウェーバーに関する簡明な入門書は少ないので、本書のように新書サイズで読めて分かりやすい入門書は、私自身も含めた一般の読者にとって、裨益するところが大きいのではないかと思います。

山之内靖の岩波新書は、ウェーバーがニーチェと共有していた近代に対するペシミスティックな視点を強調していて、やや特殊な内容になっていますし、牧野雅彦の平凡社新書は、『ロッシャーとクニース』などを参照しながら当時の歴史学派の文脈の中でのウェーバーの位置を考察した玄人向けの本という印象です。ほかにも、住谷一彦が中心となって書かれた入門書もありますが、けっこう難しかったような記憶があります。一方本書は、現代日本の学問状況に対する著者自身の意見なども織り込みつつ、ウェーバーのおこなった議論の意義をなじみやすい話に引っ張り込んで解説しているところもあり、興味深く読み終えることができました。

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2015年05月22日

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