【感想・ネタバレ】覘き小平次のレビュー

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 巷説シリーズを読み返している流れで覘き小平次を読みました。この作品については、今回が初読みでした。
 巷説シリーズの長編2作目、になるのでしょうか。又市は影くらいしか出ませんが、治平さんはがっつり登場しました。
 やっぱり治平さんはいい人だなぁと思いました。
 本編ですが、登場人物の気持ちがどうしてもわからない、そんな感想でした。小平次とお塚、この2人はどんな関係なのだろう・・・でも依存関係であることは伝わってきました。

 <以下引用>
 コトは語って初めてモノになる。語らなくちゃ何もねェんだ。嘘でも法螺でも吹きゃ吹いただけモノになるんだ。

 この言葉好きだなと思いました。色んなことを思いました。語られないことは誰も知らない、残らない、嘘もついたら、そしてそれが後に真実となる。真実が伝わらずに嘘が伝わればウソがホントになる。
 私たちが真実だと認識している過去にはそんなホントがたくさんあるんだろうな。

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2017年09月18日

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ネタバレ

 久々に再読しました。

 表紙は怖いけど、自分は読み終わって「夫婦ってなんだろう」みたいなことをずっと考えていた。

  何回も読み返して、味わい尽くしたい本。京極作品はいつもそうなのだけれど。

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2013年11月17日

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ネタバレ

どうやったらこんな文体でこれほど完璧に書けるのだろう。京極夏彦は実は昔の人なんじゃないだろうか…
と思ってしまうほど、慣れ親しんだ現代文章とは違う。しかし、戸惑うのは最初だけで、読み進めるに従いどんどん慣れてきて、むしろこちらがその世界に引き込まれてしまう。

ジャンルはミステリーではないはずなのに、伏線や人物が徐々にからみ合って行き、謎とは思っていなかったことが実は謎だった、そしてそれが解決されるカタルシス。

こっそり又市一味が出てくるのもファンには嬉しい。

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2013年01月06日

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『嗤う伊右衛門』とおなじく、切ない読後感に酔いしれています。
小平次の様子に、異様さ、不気味さを感じつつ、なぜか、お塚がののしるほどの嫌悪は感じませんでした。読み進めていくにつれ、彼を「強く頼もしい」存在に感じ、好意を持ってしまうのは、なぜでしょう。彼ら以外の登場人物は、あるべき自分の姿を探し、ないものを埋めようと必死です。人々の、あさましさや愚かさを描きながら、なぜか彼らを憎めないのは、自分の中にも同じものがあることを自覚させてくれるからかもしれません。そして、自分にはない強さを感じるから、小平次に好感を持ってしまうのかも。いずれにせよ、京極さんの、異形な者への優しいまなざしが、この切なく温かい読後感に繋がるのだと思います。あくまで主観ですが、お塚は小平次が愛しくてたまらないのだと思います。それゆえの、もどかしさ、腹立たしさを、ひしひしと感じました。こんな、不器用な夫婦愛を描かせたら、京極さんの右に出る者はいない、と私は思います。

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2012年10月01日

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この物語への引きこまれ方は、「嗤う伊右衛門」のあの心地よさだ。
登場人物が少しずつつながりを見せてくるときの爽快感や、妻であるお塚のラスト近いセリフの小気味よさ。

このストーリーは素晴らしいデザインのポスターに魅入られたときの感覚に似ている。
ストーリー全体がデザインされているかのように、芸術的な素晴らしさ、心地よさがある。

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2011年11月27日

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読後感が意外にもさっぱり!すっきり!皆物語が終わったときに何かを得ていて、今までにない終わり方だった。大体はおなじぐらい何かを失っているイメージがあった。
本当に良かった。

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2011年11月08日

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素晴らしすぎて言葉も無い。
さすがの京極夏彦の禍々しさだけど
勧善懲悪的なキャラが存在しないことによって
世界観が剥き出しでした。

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2010年01月22日

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一転二転する物語に翻弄されっぱなし。
久世さんのコメントにもあったように、確かにこれは酔いしれるわ……!

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2009年12月11日

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江戸怪談シリーズ第二弾。これの元となった話自体は知ってはいたものの題名までは覚えていなかった。学生の頃に触りだけ読んだ覚えがあるものの、どうにも地味に感じられて途中で読むのを放棄してしまった。しかし今最後まで読んでみると中々に味わい深い。お塚は小平次を嫌いだ大嫌いだ好きにはならぬと言いながらも、そこには奇妙に何かしらの情が感じられて仕方がない。きっとこの二人の関係は愛でも情でもないナニカではあるんだろうが、私にはそれを表せるだけの語彙がないのが口惜しい。

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2021年05月25日

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百鬼夜行シリーズを発売されるとすぐ読んでいた頃から随分と時は過ぎたんだな。ずいぶん久しぶりの京極夏彦。
生と死の狭間にいる小平次の物語。後半に向かうにつれどんどん面白くなる。結局、小平次を本当に見ていたのは終始嫌っていたお塚だったんだな。それも愛だったのだろう。

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2021年02月08日

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古典階段をベースにした京極さんの真骨頂。
安積沼での殺人やその後の江戸の自宅でのクライマックスは、まるで文楽の芝居を見ているような気分になりました。

人間の欲の深さや執着のおどろおどろしさと、執着を持たずに行きている人間への嫉妬・羨望。
逆に執着を持たないで生きる人間の心の殺伐さ。

生きるっていろいろあるのだよなぁ…と思わせられる作品でした。

素直に好きな人と好きだよって言い合いながら、他人をうらやまず、今ある日常を受け入れて、シンプルに生きていられるしあわせを感じたよ。

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2018年06月23日

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1711 語り口と言い描写と言い京極ワールド全開で読み応え十分。最後の一文までじっくりと楽しめました。

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2017年11月18日

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幽霊役者の木幡小平次を中心に、彼を取り巻く様々な人間たちの因縁が絡み合っていく物語です。

小平次の妻は、幼い頃に見た絵画の男に惚れたというお塚で、彼女は押入れの中に閉じこもって口をきこうともしない小平次を嫌い抜いていました。そんな彼女に懸想している囃子方の安達多九郎が、小平次に仕事の話を持ち込んでくるところから、物語は始まります。小平次を雇いたいという玉川座で女形を務める玉川歌仙は、幼い頃両親を殺され、この世界に入り込むことになります。さらに、人を殺すことを何とも思わない動木運平という素浪人とその仲間の破落戸が、いっそう事件を複雑なものにしていきます。

人間関係を過剰なほどに絡み合わせることで一つの事件の背景に何本もの補助線を引いていくという手法で作り込んだ小説になっています。ただ、ケレン味の強いキャラクターのおかげでリアリティに欠けるといったことは気にならない作品世界を構築しているのはさすがだと思わずにはいられません。とくに小平次という人物像を、文章だけでここまで彫りの深い造形に仕上げていることに感嘆させられます。

小平次とお塚の奇妙な夫婦生活は、いわゆる「愛」と呼ばれているものとはかなり異なる様相を持っています。少なくとも、そこにはお互いに求め合うようなことはいっさいありません。幽霊だと世間の人々から恐れられようとも、小平次が押入れから覗き見る家に暮らし続けるお塚に、どこか小平次と同じ生き様が感じられるように思います。それは、ままにならない人生に対する諦念を共有しているということなのかもしれません。

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2017年01月04日

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ネタバレ

人は結局、自分勝手に生きている。
そのズルさをわきまえながら、
図々しさにちょっと照れながら、
人間クサく生きている治平さんが好きです。

主人公の性格(モノの考え方・・・哲学?)がすごく魅力的だったのと比べ、物語自体はフツウだったので、☆4つ。


☆☆☆内容(ネタバレ)☆☆☆

主人公、小幡小平次(こはだ=こへいじ)は、
押入れの中に引きこもり、
ふすまのわずかな隙間から、女房をじっと見ている。

話しかけても答えないし、
語りかけても応じない。
奥さんが叩こうが蹴ろうがわめこうが怒ろうが、
何もしない。
ただただ、ずっと、押入れの奥から
覘いている。

「何とか云ったらどうなんだい!!」
女房は、益々荒れた。

--***--

小平次は役者だった。
何も演ずることができない、駄目な役者だった。

劇団の座長が死んだときも前妻が亡くなった時も、
腹の底から悲しくなった筈なのに、涙が出てこなかった。
泣くべきときに、何故か涙が出てこない。
もしかして本当は悲しくないのか。
悲しみとは何か。感情とは何か。
ひょっとして自分は何も感じないのか。
そう考えあぐねているうちに
・・・とうとう「自分がなんだか分からなくなっちゃった」人だ。

--***--

遺体に取りすがり、涙に暮れる遺族が居る。
「さぞ無念だったろう、さぞ悲しかろう、悔しかろう」
思いやる。
だが実際は、人の心が分かることなどない。
他人の気持ちが分かろう筈もない。
「自分の身近な人が殺されたらショックだろうな。。。」
「自分が殺されたら嫌だなぁ」
というイメージを自分勝手に膨らませ、
遺族に“なったつもり”の自分、
“『家族を殺された人の役』を演じる”自分、
悲しい気持ちになった自分を、
憐れみ、なぐさめる。

遺族を思いやっているのではない。
自分の演技に、酔うている。


小平次は自分が嫌いだ。
苦しむ人を見るにつけ、悲しむ人を目の当たりにするにつけ、
ふつふつと感情を湧き上がらせる自分が厭だ。
不幸な他人を“演じる”ことでハッキリしてくる、
ずうずうしい己が厭だ。
いつでも薄く冷ややかで、静かな状態で居たがった。

そうして、
小平次はしゃべることができなくなった。
自分のことを語ろうが、他人の事を話そうが、
しゃべるという行為は結局『自己主張』になってしまう。
自分のことをしゃべるのは、厭だった。

--***--

小平次は、他人を演じられない。
だから貶せない。褒められない。
呪えない。祝えない。
蔑めない。
怒れない。笑えない。悲しめない。
泣けない。
喜べない。


他人の心の内を、
覘くことしかできない。
そういう、悲しい男の物語。

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2014年05月19日

Posted by ブクログ

北海道出身の作家さん

初めての京極作品でしたが、筋が凄くぶっとくて新しい世界を見た気分です。

キャラがたってる作品なので、映画化してないのが意外なくらい。

小平次は温水さんにしたら、パロディになってまうなー

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2014年01月20日

Posted by ブクログ

そう言えば京極作品初レビュー。

木幡小平次は日がな押入に籠り一寸五分の隙間から外を覘く。
その隙間だけが彼の世間。
女房に疎まれ詰られ忌み嫌われる廃者(すたりもの)。
ヘボ役者ゆえにろくな稼ぎもないけれど、幽霊役をやらせれば、2人といない名人芸。
そこに目を付けた芝居一座から奥州興行に誘われて―

とまぁ、そんな感じで始まる物語。
主人公はもちろん小平次ですが、この男、何もしない。
物語の進行にいっさい(自らの意志で)関わっていかない。

小平次は「ただそこに在る」。
それだけで周囲の人間が勝手に動き、(小平次から見れば)事態が勝手に進行していく。

全登場人物の輪の中心には間違いなく小平次がいるんだけれども、その中心が薄ぼんやりとして定かではない。
まるで小平次が好む押入の中の昏がりのよう。輪を剥ぎ取れば、そこにはきっと何もない。

京極夏彦の言う「妖怪はドーナツの穴みたいなもの」っていうのに少し似てるかも。
こういう小平次の生き方(「生きている」とは言いがたいけど)は、好き嫌いの分かれるところだろうなぁ。

ちなみにこの作品、従来の巷説シリーズと関わりがありますが、又市らの活躍を期待するとガッカリしますよ。
それは『嗤う伊右衛門』もだいたい同じだけど。

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2013年07月27日

Posted by ブクログ

言葉で感想を述べるには、後二、三度読み返さなければならないだろう。
滞りのない展開はまるで清流。
種明かしがされているのに凍る背筋、冷える肝。
こんな怪談は初めて体験した。

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2012年07月30日

Posted by ブクログ

昼頃から読み始め、夜までかけて
一日で読み終えた。

普段から死んでいるような、幽霊役をやらせたら天下一品の
小平次が主人公。妻のお塚からも嫌われている。
この小平次と出会った周囲の人々の人生が狂ってくる。

初めは何となく読んでいたけれど
歌仙あたりから、引き込まれて止められなくなった。

読み終わったあともしばらく放心状態で
世界から抜け出せなかった。

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2012年06月02日

Posted by ブクログ

巷説シリーズのスピンオフ的な作品。
又市、治平、徳次郎が登場。
伊右衛門とも絡みあり。
お塚の気持ちはよくわからないけど、流石よくできた作品。

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2012年04月23日

Posted by ブクログ

切なくて考えさせられる話
他人に理解できなくても幸せは人それぞれだし、思うことも人それぞれですよね
あと、巷説とリンクしてるのでそっちのファンの人はそれだけでも楽しめるかも

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2011年03月20日

Posted by ブクログ

百人十色の存在論が交錯する、湿度の籠もった群像劇。


相変わらず、京極作品の江戸ことばの気持ちの良さには痺れさせられます。

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2010年04月18日

Posted by ブクログ

山東京伝の名作怪談『復讐奇談安積沼』を、
独自の解釈で再現した、生者が主役の愛憎劇。

死んだように生きる男と、生き乍死んでいるような女が織り成す、
刹那と戦慄の物語である。
人の業と心の闇が、凄惨たる結末を引き寄せる中、
二人の歪な愛の形が胸に残る。

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2009年11月04日

Posted by ブクログ

嗤う伊右衛門から続くこのシリーズ。
最初と最後で何が変わったと言えば、何も変わっていない。
心持が少しほど変わったくらいか。それでも小平次たちにとって、大きな一歩なのだろう。
治平の「嘘も触れ回れば霊験を顕すものよ」から「楽に生きるばかりが能じゃねえだろうよ」の下りには、辛酸舐めてきた者の言葉の重さがあった。

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2018年06月02日

Posted by ブクログ

京極さんが古典怪談に題材にした作品。
『嗤う伊右衛門』に続くシリーズ第二弾だそうです。 (まだ未読。)
文章は昔の言葉遣いなので、最初は読みづらいなぁと感じたのですが、
そこはやっぱり京極作品。
すぐに気にならなくなるほど引き込まれました。
でも、私的には苦手なお話でした。
まぁ、怪談だからしょうがないのかもしれないけど、
小平次の何とも言えない感情(とも言いがたい何か。)が気持ち悪くて・・・
可哀想という感じでも無いし。
でも、小平次以外の登場人物の感情ってある程度は理解できる気がする。
そういう意味では、この作品は大成功なんだろうなぁ、と思った。

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2012年06月16日

Posted by ブクログ

押入の中で膝を抱え、薄暗がりの中で己の厚みを消し、
一寸五分の隙間から世間を覘いている木幡小平次。
女房のお塚からでさえも厭われるほどの陰気な男だが、
それでも小平次は曲がりなりにも役者であった。
とはいえ、普通の役はからきし駄目な大根役者。
彼にできる役はひとつだけ――幽霊だけであった。
普段から死んだように生きている小平次は
ただ居るだけで、観ている者の心胆を寒からしめる。
ある時、囃子方の安達多九郎のつなぎで旅巡業の声がかかる。
小平次はそれを請けて、玉川座の奥州への興行に同行する。
しかし――、裏には何か企みが蠢いているようであった。
そして、小平次の周りの人間たち、
お塚、多九郎、玉川座の立女形・玉川歌仙、
凶状持ちの浪人・動木運平らの因縁が絡まりあって、
やがて小平次をも巻き込み渦となって回りだす。
そうして訪れる異形の結末――。

四谷怪談に新たな息吹を吹き込んだ「嗤う伊右衛門」に続き、
山東京伝の「復讐奇談安積沼」を題材に
古典怪談を京極夏彦流に語るシリーズの第2弾。

「嗤う伊右衛門」を読んだのはもうずいぶん前のことだと思う。
ストーリーテリングの巧みさと構成の美しさにいたく感動し、
いっそう京極夏彦作品が好きになったのを覚えている。

本作のオリジナルである「復讐奇談安積沼」は
四谷怪談や番町皿屋敷に比べればマイナーな怪談であろう。
自分が不勉強なだけかもしれないが……。

やはり「語り」の巧みさはさすがである。
独特の文体によって圧倒的な雰囲気が生まれ、
そうして整えられた舞台だからこそ様々な怪異が活きる。
しかしながら京極夏彦の作品は怪奇小説ではない。
あくまで理知的な解釈によって怪異を現実へと解体することで
怪異が生まれるに至った背景にある、人間の姿を描き出すのだ。
難儀なことではあると思うが、
京極夏彦という稀代のストーリーテラーが
それをいかに見事に成し遂げるかということは
京極堂シリーズや巷説百物語シリーズを読めば明らかなことである。

本作もそういった構成は変わらないのだが、
最後に現出する“形”がどうにもぼんやりとしている。
「嗤う伊右衛門」とそう遠くないテーマなのだが、
ほぼ序盤のほうで登場人物たちのそうした心情はだいたい描かれるし
また各人物の因縁についても、決着のつき方は想定の範囲内。
つまり、終盤において盛り上がりや驚きに少々欠けているのである。
あまり起伏を感じられないまま物語は締めくくられてしまい
もやもやとした気分が残るのである。

登場人物たちがそれぞれ複雑な縁をもってつながっており、
それがドラマの原動力となるのもいつも通りだが、
今回はややご都合主義的なわざとらしさが感じられた。
やりすぎるとそうなってしまうのは避けられないものだろうが、
そこを巧みな弁舌で読者に納得させるのが京極夏彦の手腕。
だがいつも成功裏に終わるとは限らないということか。

久々に読んだ京極夏彦だったが少し残念。
他にもいくつか未読作品があるので読んでいく予定だが、
この読後感を払拭してくれるような傑作を期待したいところである。

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2012年05月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

最後はハッピーエンド?な終わり方だったので良かった。
治平さんが出てきましたね。あと徳次郎さんも出てきたんだけどどうも又市と出会う前のことらしく、又市自身は出てきませんでしたね。

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2011年09月17日

Posted by ブクログ

何の予備知識もなく読んだのですが、これは『嗤う伊右衛門』同様、古典怪談を扱ったお話だったのですね。
元ネタは知りませんでしたが。
そして『巷説』シリーズともリンクさせているという。
それだけで、かなり得した気分になりました。

各章が登場人物の名前になっており、その人物視点で話がすすみます。
同じ人物の視点でも、次に回ってきた時には名前が変わっているという。
その名称と心の変遷、そして人物同士のリンクが面白く、あっという間に読んでしまいました。

押入れに篭り、覗く小平次と覗かれる女房のお塚。
正式に結婚しているわけでもなく、嫌悪の対象でしかない小平次とどうして暮らしているのか?
ここのところが、最後まで読んでも私にはやっぱり理解できませんでしたが、まあそういう夫婦もあるということで。

これを読んだら、また『巷説』を読み返したくなってきましたよ。。。

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2010年10月08日

Posted by ブクログ

爆発的に面白いとか感動するという内容ではないが、
この作者の文章は読みやすくてしっくりくる。
テーマは何だったのか?と考える。
前面に押し出されてはいないけれど、「夫婦の愛」なのかな?
物言わぬ小平次の「悲しみ」もじわじわ伝わる。

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2010年07月12日

Posted by ブクログ

難しい。
七面倒くさくって、斜め読みしちゃうようなところは少なかったけれど、
読後感は複雑。
再読の必要性を感じる。

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2009年10月18日

Posted by ブクログ

登場人物、皆が歪んでいる。この歪みがますます狂気へと駆り立てられていく。狂気に満たされて、どこまでも黒く暗い。それにしても、いろいろな愛のカタチがあるんだなぁと思う。ただ、小平次やお塚の様な苦しい愛はイヤだなぁ。二人とも不器用すぎるから、こういうカタチしかとれないのだろうなぁ。

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2011年09月28日

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