【感想・ネタバレ】日本人のための「集団的自衛権」入門のレビュー

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石破幹事長による、集団的自衛権を巡るこれまでの議論のまとめ。集団的自衛権を巡る議論はもう、完結しているんだなと再認識。自衛権を巡る憲法解釈が今までどのように変化してきたのかについてもわかりやすくまとまっている。かなり無理していろんな意図を込められている『憲法解釈』がいかに変わってきたのか。そして、『憲法解釈を変えるな』がいかにこれまでの経緯を無視しているのかがよくわかるw公明党は何周遅れなんだよとw

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2018年10月14日

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ネタバレ

スタンスがはっきりしていて、主張も明確。基礎勉強としては面白い。

まず原則は「集団安全保障」。第一次世界大戦以降に生まれる。
これを機能させるために、加盟国は兵力その他の援助をする。それに関わることは安全保障理事会で決める(国連憲章第43条)

安全保障理事会15か国中、9カ国以上が賛成すれば決定。しかし、5の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)のうち1つでも拒否したら合意は成立しない。非常任理事国は毎年半分が改選。

集団的自衛権の概念は、国連憲章第51条。
自国が攻められた場合に、安全保障理事会の対応までの間、「個別的又は集団的自衛」の固有の権利が妨げられるものではないと規定している。ただし安全保障理事会への報告は必要。

国連の現在のコンセンサスは、集団的自衛権の行使に冠詞、
①加盟国への武力攻撃
②安保理が必要な措置をとるまでの間
③行使したら遅滞なく安保理に報告
④不法な武力攻撃の存在を被害国が宣言
⑤被害国が支援を要請
⑥必要性、均衡性を有する
⑦危害を避けるためにやむをえないものであること
が要件。

かつてのベトナム戦争(アメリカの軍事介入)、プラハの春(ソ連の軍事介入)は、上記の要件に沿って考えれば、集団的自衛権の行使たるか怪しいもの。

日本はこれまで自衛権に関する解釈を変更してきた。
①最初は、憲法は自衛権を否定していないが、それを行使する手段は憲法9条2項により存在しないので、自衛権が行使できない。
②自衛権はある。しかし、米軍が集団的自衛権として行使する。(朝鮮戦争時。このとき警察予備隊が発足(米軍が朝鮮半島に移動し、国内に強力な治安維持勢力が存在しなくなることを回避するためにアメリカの要請を受けて作ったもの。独立回復後、警察予備隊は国家防衛を任務とする保安隊に移行)
③個別自衛権だけはある。(1954年自衛隊が発足。憲法9条2項がある限り、国同士が対等に防衛しあうといった取り決めを結ぶことができないので、集団的自衛権を行使できない。
④在日米軍を守ることは、個別自衛権の行使として行使可能。
⑤国際法上、集団的自衛権は保有しているが、そのソチは必要最小限であり、他国に対する武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は憲法上許されない
⑥現在の解釈は、集団的自衛権の行使は憲法に定められた自衛の範囲を超えるので、全く使えない。集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されない。(1981年)

憲法9条で集団的自衛権の行使を認めない理由が見つからなければ解釈で変更可能。法に基づき、要件等を決める。安倍、石破、前原等はこのスタンス。

個別的自衛権の行使を容認する根拠は、国家の性質としての「生存権」(正等防衛は、自分の身を守る自然権であり、救助に「間」がある以上、個人による個別自衛の発動は認められる。間を生めて、社会の秩序に役立つ、との考え)

世界の常識で考えれば、国の外交力は「経済力」「(軍事力を含めた)安全保障」「武器輸出」の三つを大きな柱としている。
現状、世界の潮流は「武器の共同研究、共同開発、共同生産、相互連携運用」という方向に向かっており、冷戦後特にその傾向が顕著になりつつある。

イラク攻撃は、アメリカの自衛権行使ではなく、国連安保理の決議に基づいて多国籍軍が動いたもの。

個人的には、9条2項の内容を読む限り、「前項の目的を達成する(侵略戦争の放棄)ため」、軍隊が否認されているわけであって、自衛隊が存在している以上、自衛のための軍隊は保持できるし、交戦権も認めらているのであって、であれば、個別自衛権と集団的自衛権を憲法上の文言では分けていないので、憲法上、個別自衛権が認められており、集団的自衛権が認められていない、とする論理的な理由はないように思える。であれば、確かに、憲法解釈の変更により、集団的自衛権を認めることは可能。これまでも憲法の解釈は政治的要請・アメリカとの関係等により変更されてきた。解釈変更は、閣議決定だね。主意書が閣議決定で決まっているのだから、閣議決定の変更は閣議決定でする、という考え方は納得。あとは、権利義務を縛るものだから、立法によって、その権利の内容や要件を記載する、ということか。石破さんの主張は、筋が通っていると思う。
しかし、改めて憲法制定時の、アメリカ側の原案を見てみたけど、これはひどいな。もし原案のまま憲法ができたら、永遠に軍隊保持すらできず、個別自衛権すら認められない奴隷国になるところだった。当時の日本も敗戦してわずかだが、国の誇りは失っていなかったのだ。

<マッカーサーの憲法草案(出典不明)>
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。

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2014年05月05日

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「集団的自衛権」を認めるように憲法解釈を変えるのが石破さんの悲願なんですが、そのあたりに漂う不安や疑問に丁寧に答える新刊で、良くわかりました。賛否両論のテーマですが、マスコミやネット記事だけでは問題の一部しか捉えられませんから、こういう丁寧な解説は貴重に思います。

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2014年03月09日

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石破さんによる集団的自衛権について書かれた本。
メディアだけを見て、集団的自衛権についてわかった気になっていたが、実際に読んでみると非常に納得させられた。一方で批判もあるだろうが、論理としては非常にわかりやすく書かれた本であった。

友達に「僕が誰かにいじめられたら助けてよ。でも、君がいじめられても助けられないんだ。だって憲法で決まってるから。そのかわりに支援はするよ。お金とかね」これでまかり通る世の中でしょうか

さて、これを読んで知ったことによって考えることが大事であろうと思う。

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2020年09月07日

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ネタバレ

非常に丁寧に、初心者でも分かりやすく、実例を用いて説明してある。

集団的自衛権、個別的自衛権、集団安全保障、色々言葉があり、あたりまえだが各々が違い、それを理解しないと話はすすまない。
集団安全保障とは、国連の対応のことで、平和を壊したり、侵略をしたりする乱暴な国が現れたら、国際社会が一致協力して対応し、平和を取り戻す。これが集団安全保障という概念であり、全ての加盟国が国連と言う仲間であるとした上で、その仲間内から約束を破る乱暴者が現れたら、その他の仲間の国々が共同して制裁を加えると言うことだ。ただ、集団安全保障は、安全保障理事会が対応を話しあうが、常任理事国が1つでも拒否すれば機能しないし、安全保障理事会が対応を決めるまでには少なからず時間がかかる。それまでに何の手も打てないのか、ということになる。こういう声にこたえる形で考えられたのが、国連憲章第51条だ。これは、簡単に言えば、「自国が攻められた場合に、国連の安全保障理事会がちゃんと対応してくれるまでの間は、その間を埋めるつなぎとして、個別に自衛権を行使して戦ってもよい。また、不断からつきあいのある仲間同士で協力して自衛権を行使して戦ってもよい。その二つの自衛権を国家は固有の権利としてもっている。ただし、事後でいいから安全保障理事会にはどういうことをしたか報告しなければならない」ということだ。もう分かったと思うが、前者が個別的自衛権で、後者が集団的自衛権だ。集団安全保障という考え方やそれに基づく体制は尊重しなければならないけれども、それだけでは現実的に対応できないこともあるので、この51条があるのだ。
個別的自衛権については結構わかりやすい概念で、言ってみれば正当防衛みたいなものだ。しかし、集団的自衛権については、わかりにくく、解釈については世界中で議論がなされている。
集団的自衛権についての考え方の世界の主流は、「ある国が攻撃された場合、それは自国への攻撃と同様にみなすことができる。だから、そのある国の防衛に関与することは自国を守るのと同様であり、正当である」という考えだ。
もうひとつ議論の対象になるのは、固有の権利というところだ。英語、中国語、フランス語に訳されているものを見ると、それは、自然権、と言う解釈になる。そう、生まれながらにして持っている権利だ。個別的自衛権も集団的自衛権も固有の権利、独立した国が生まれながらにして持っている権利で、だれもそれを否定したり、奪ったりすることは出来ない権利というものだ。これは国際的には議論の余地も無いほど受け入れられているのに、日本ではそうではない。
この集団的自衛権の現在の日本の解釈は、「主権国家である以上、国際法上、わが国は集団的自衛権を有しているが、憲法第9条において許容される自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲内にとどまるべきもので、集団的自衛権の行使は、その範囲をこえるものであるため、これは行使できない」というものだ。これは1981年、鈴木善幸内閣においての政府答弁書の内容・見解で、「保有しているが行使できない」という今日の日本の解釈だ。
当然、お隣の中国、韓国も集団的自衛権を保有している。例えば韓国に北朝鮮が戦争を仕掛ける場合、日本が集団的自衛権を行使して、韓国と共同して北朝鮮に対抗するとしたら、北朝鮮も相当考えなければならない。しかし、日本が集団的自衛権を行使しない、韓国を助けないとなると、北朝鮮は、敵が一人いなくなったと同じであり、少し韓国を攻撃してみようか、となる。集団的自衛権は、戦争を仕掛けられる確立を低くするための智恵であるのに、集団的自衛権を持ったら、危険だと、一部の人やマスコミは騒ぎ立てているのだ。
集団的自衛権の行使がOKとなれば、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか、という人もいる。これを同盟のジレンマ、と言う言葉で説明すると、同盟には相反する二つの恐怖がつきまとうということだ。それは、同盟国の戦争に巻き込まれる恐怖と、同盟国に見捨てられる恐怖だ。日本では、前者のアメリカに巻き込まれるばかりを強調する。今の現状をみると、巻き込まれるよりも、見捨てられる恐怖も日本はきちんと直視しなければならない。アメリカの力は落ちてきている。逆に、中国の力が大きくなりつつある。そのようなとき、日本は、アメリカをこれまで以上に巻き込んでおかなければならない。アメリカだって、善意で日本を助けてはくれない。アメリカの納税者もそれは許さない。アメリカの利益がない限りはこれからはアメリカは動けない。当たり前の話だが。「なぜ、日本のためにアメリカ軍が動くのか」と一致してアメリカ国民が言えば、アメリカも簡単に軍を動かせないのだ。また、9.11テロの際、アメリカは個別的自衛権を行使し、NATOは集団的自衛権を行使しアフガニスタン攻撃を行った。その後、集団安全保障にきりかわったが。なので、理論上は、あの時、日本が集団的自衛権の行使が可能であったなら、アフガニスタンの戦いに参加した可能性はゼロではない。ただし、これは可能、というだけであって、実行するということとはイコールではない。日本に集団的自衛権があっても、それを行使するには国会の事前承認が必要となるだろう。行使できる、と行使する、はまったく別なのだ。9.11に関して言えば、日本人も犠牲になっている。だから、解釈によっては、個別的自衛権も発動できたかもしれない。ただ、日本人の感覚として、いくら国民が殺されたからといって、それで自衛権を発動して敵国を攻撃しようと言う話にはならなかっただろう。それが日本人にとっての常識的な感覚だと思う。つまり、問題は、集団的か、個別的かというのではなく、最後はその国それぞれの判断によってきめるということだ。
日本の豊かさは決して日本単独の力で得られているものではなく、国際社会の様々な要因と結びついている。だからこそ、日本がGDP上位の国として平和と繁栄を享受出来ているのは、国際社会の平和や安定の恩恵を受けていると考え、国際の平和と安全に寄与すべく、集団的自衛権を行使できるようにしておく必要があると著者は言う。

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2016年10月24日

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自分用キーワード
集団安全保障 ダンバートン・オークス会議 常任理事国の拒否権 国連憲章第51条 個別的自衛権 集団的自衛権自然権説 ジュネーブ協定 東南アジア条約機構(SEATO) 復仇 ベトナム戦争とプラハの春の共通点 ニカラグア事件 サンディニスタ政権 ソフトパワー コスタリカには軍隊が無い? インターオペラビリティ パリ不戦条約 戦略的辺疆 ANZUS(太平洋安全保障条約) リチャード・アーミテージ コブラ・ゴールド 看護師「3Kできついのは私たちは承知の上。国が発信するからなり手が減る」 国境のジレンマ スービック海軍基地 

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2015年11月17日

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防衛庁長官、防衛大臣を歴任した石破茂氏の著書。

本書のテーマは集団的自衛権だが、戦後日本政府の「自衛」に関する意識の変化についても書かれている。
まずGHQ占領下においては、1948年に吉田茂首相は「自国」が攻撃を受けた際に防衛・反撃する「個別的自衛権の行使」をも否定していた。
その後、1950年に朝鮮戦争が始まると駐日アメリカ軍は朝鮮半島へと出兵したため、アメリカは占領している日本の防衛が十分にできなくなると、自衛隊の前身となる「警察予備隊」が組織される。同年にGHQのマッカーサー元帥が日本の自衛権を容認。

そして1952年に日本が独立すると、吉田茂首相は「独立国である以上、自衛権はある」という立場へと変わる。その後、1981年に鈴木善幸首相が「集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」との認識を示し、その解釈が第二次安部内閣まで引き継がれてきたが、2014年7月に安部首相は「集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定」を行った。それに基づく安全保障関連法案が、憲法違反であるという指摘されたわけだ。

「集団的自衛権」は、それが認められるにはいくつかの要件があります。

1.他国が攻撃を受けた。
2.その攻撃が、自国への攻撃と同等とみなせるほど緊急性や重要性がある。
3.攻撃を受けた国が、日本へ救援を求めた。
4.集団的自衛権の行使は、国連が必要な措置をとるまでの間に限られる。

以上のような条件を全て満たした場合に「自衛」として武力行使を認めるのが集団的自衛権であり、武力行使を行う以上、反撃を受ける可能性もあり、戦争に参加するといって良いだろう。

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2015年07月30日

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《論点整理》
①集団的自衛権とは何か
②現行憲法9条において、集団的自衛権は認められるのか
③日本は集団的自衛権を行使できるようにするべきか
④その他

《自分の考え》
①定義はある程度理解したが、何でもアリになる可能性を否定できない
②9条の解釈変更で行使可能。但し、三権分立に基づき、憲法解釈は司法の権限では。
③当然するべき。今そこにある危機は明白。力と判断力を備えた、大人の国になるべき。
④抑止力になるか、は評価する人次第。

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2014年07月20日

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「集団的自衛権」と安全保障理事会による採択の元に発動される「集団安全保障」の違いや関係性について知る。

集団的自衛権や個別的自衛権は各国が自然権として保持している権利であり、国連加盟国にとっては、どちらも安保理による集団安全保障が発動されるまでのいわば「つなぎ」として国家の安全を守るために使われる権利だということ。

主張は非常に論理的で分かりやすい。

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2014年06月29日

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非常にわかりやすい。想定問答や、ケース紹介もあり、くどい位にわかりやすい。勿論、集団的自衛権が必要だという論理を突き通す。読み手も、そうか、と思ってしまう。勿論、読む前からその必要性は分かっていたつもりだが、警察的自衛権、集団安全保障、個別的自衛権の違い、法的解釈、閣議決定の歴史について詳しく分かる。石破さんのロジックは素晴らしい。

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2014年04月01日

Posted by ブクログ

後半の対話編が秀逸。真正面からくどくどと答えているわけではないが、納得はできる。集団的自衛権容認派としては、一番よく書けている。

・政府の解釈自体、変遷を遂げている。
・本来、集団的自衛権を行使して良いかどうかの判断は、「日本の領土・領空・領海への攻撃か」を基準にすべきではなく、攻撃国の行為が「日本に対する攻撃と同じだとみなすことができるか」を基準にすべき。
・世界の常識では、国の外交力は「経済力」「安全保障」「武器輸出」の三つを大きな柱としている。
・日本は武器を輸出していない、立派だねとはならない。なぜなら、どの国も武器を持っているから。

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2014年03月07日

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防衛庁長官、防衛大臣を経験し日本の国防に対して強い危機感を感じていることが、文章からはっきりと伝わってきた。

個人的に、石破氏にはプラスのイメージもマイナスのイメージも無かった。
そしてこの本を読み始める時も、「どうせ集団的自衛権を実現させる方向に持ってかせたい強引な主張の本だろう」と斜に構えていた。

しかし、内容は想像以上にしっかりとしたものであった。
前半は、集団的自衛権とは何か、主にどういう誤解をされているか、そしてそれはなぜ必要なのかを丁寧に追っている。さらに後半には主な反論や誤解に答えるという形で分かりやすく説明が行われている。

もちろん、この本を読んだからと言って集団的自衛権推進に両手を挙げて賛成となるわけではない。

例えば、集団的自衛権の行使は国連による集団安全保障が行われるまでの「間」を埋めるものだから、ケンカで警察が来るまでの正当防衛と同じだとの主張に対しては、警察は呼べば来るが、国連の集団安全保障が大事な時に常任理事国の拒否権によって機能しないことは歴史が示しており、そこの改善がなされない限り、集団的自衛権の恣意的濫用は行われかねないとの危惧がある点が挙げられる。

しかし、この本を読むことで、少なくとも筋違いの反論はしなくなるだろう。例えば、日本は平和憲法があり集団的自衛権を禁止してるからこそ戦争に巻き込まれないんだ!とか、アメリカの戦争に巻き込まれるのは嫌だが、アメリカは日本を守ってくれる!とか、それでもアメリカの基地は日本から失くしたい!などの意見である。

集団的自衛権の件に限らず、こうした筋違いかつ感情的な意見はマスコミを中心に多く見られるが、それにより当事者の危機感から来る叫びがかき消されてしまうことは、本当に国益を損なうことにつながっていると思う。
その点でも、本書のように直接的に当事者の声を聞くことは重要であると思う。

話は変わって具体的な内容についてだが、本書の中盤において石破氏は外交力を決める三本柱は「経済力」「安全保障」「武器輸出」であるとしている。
ここで個人的に感じたのは、武器輸出をかなり重視しているなという点である。確かに世界的、歴史的にみても、冷戦期を例に挙げるまでもなく武器輸出は協力関係、支配関係の重要なファクターであるのは間違いない。しかしそう考えると、集団的自衛権の行使が可能になった後は、次なる標的として武器輸出三原則があがることは想像に難くない。

さらに想像でいえば、武器輸出を解禁し、軍事産業を新たな経済成長戦略として考えることもあながち空想とも言えないだろう。

もちろん本書では武器輸出三原則について詳しく触れてはいないが、外交の当事者として日米同盟を維持し安全保障を守るための強い危機感が、そんな考えも想起させるほど強く伝わってくる内容であったことは確かである。
「日本版NSCとは何か」と合わせて、最近読んで良かった一冊である。

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2014年02月21日

Posted by ブクログ

「集団的自衛権」と聞くと、イコール他国の戦争に巻き込まれるといった危険、をイメージしがちである。しかし、昨今のウクライナ情勢に垣間見られる様に、今日の安全は明日の安全には繋がらない。結局のところ、身近なレベルで国家の危機をどう考えるか、という問題意識を持つことが大切であると考える。誰も戦争が利益を生まないことは理解しており、国際社会と上手く連携し、集団安全保障の緊密さを高める上でも、よく考えたいテーマである。

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2022年04月25日

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この国の武装のあり方を分かりやすく説明しているのだが、深みが足りない。それは過激やヘイトを求めている事ではなく、過去の戦争から何を学んだのか反省すべき課題を提示することにある。ま、あくまで主題は集団的自衛権に限っているのだから、ではなくそこまでの言及が必要だと考える。

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2019年01月31日

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さすがに詳しい。「如何にして無知の衆愚を説得するか」という文体が鼻につく。同じ論調の繰り返しがおおいのが残念。タイムリーに読めば面白い。

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2017年11月15日

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ネタバレ

集団的自衛権を理解するため、人物的に好感を持っている石破茂さんの本を手に取った。

石破茂氏のことは、UFOゴジラ襲来時の自衛隊のあり方についてを語っているのをTVで観てから、注目しているのだが、政策を支持してるわけではない。私の中ではおもしろい人という位置づけである。
そして、私は集団的自衛権に反対してもいない。
つまり、好意的に読みはじめたわけである。

内容はとてもわかりやすかった。

本書で考えを変える人はいないかもしれない。石破氏は問題点の説明に徹しようとしている。これ以上のことを知りたい人はさらに本を読むよいだろう。私が強くした思いは、メディアを通さないで、本や資料をあたって理解を深め、自分の意見を持つことが大切だということである。

自分はどう考えるかというきっかけになる本だと思う。

第一章では、集団的自衛権の定義、解釈、歴史の説明、日本国憲法の解釈や第2次世界大戦後に起きたベトナム戦争、プラハの春、ニカラグア事件などをとりあげ、自衛権の解釈の幅がいかにあるかを説明している。

日本が、集団的自衛権を行使できるかどうかは、結局憲法解釈の問題に行きつく。

解釈次第で9条を改正しなくても軍隊を持てるどころか、戦争もできてしまうということだった。自分の都合のよいように解釈しようと思えばできてしまう。

第2章では、よくある疑問を石破氏が答える形となっている。
「徴兵制になるのではないか」 「結局、イケイケドンドンとなり戦争をはじめてしまうのではないか」など。このあたりの回答を素直に認めているから、私は集団的自衛権の行使をを認めている。反対意見の人には賛成の人はこういう考えを持っているのだと読んでもらいたい。

日本はほんとうに憲法9条によって、平和を守れてきたのかという疑問を持った。そしてこれからも9条によって平和を保てるのか。アメリカに守ってもらっているから平和なのではないか。
私はこう考えたい。9条に守られて平和なのではなく、9条の理念を私たちがしっかりと守っているから戦争をしない。戦争をしたくないという日本人の強い想いにより戦争に巻き込まれていないのだと信じたい。
有権者である私たちは絶えず平和を守ることを最も大切にしているとを政治家たちに伝え続けることが必要だと考える。いつのまにか戦争になっていたということのないように。

このところ、世界が、きなくさくなってきた。他の国のことは関係ないといえない時代になってきた。
集団的自衛権を持つことで、世界の平和のために貢献でき、かつつ日本を守ることができるかもしれないと思う気持ちは、このままでは日本はダメなのではないかと感じるからである。集団的自衛権に私は賛成する考えは変わらなかったが、賛成反対を軽々しく言えなくなった。

反対派の人が不安に思うことを、私も感じないわけではない。
今の日本の民主主義と、平和を望む強い世論があれば、戦争にはじめることも加担することもないと信じている。しかし、アメリカの正義に従う形になったとき、戦争に巻き込まれるのではないかと怖い。
私は戦争ができない国ではなく、戦争をしない国であってほしいと願っている。

この本で結論は出ない。入門書である。

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2014年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

石破さんの本
Q&Aが分かりやすい。
この本を読むと集団的自衛権が行使できるようにいろいろと議論を深めていくことが必要だと感じたが、逆の立場からの本を読んだら自分がどう感じるか興味があるので、別の本も読んでみたい。

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2014年08月20日

Posted by ブクログ

【アメリカに巻き込まれるのがいいか、見捨てられるのがいいか】

この手の本は、何が書いてあるか、よりも、誰が書いたかで判断されがちで、集団的自衛権なんか要らない派の僕も、少なからずそういうバイアスを持ってしまう。それを念頭に読んでみよう。するとどうしても、遠近法というか、置換えというか、そういう風にみえてしまう。たとえ話がちょっと子どもっぽすぎるのかもしれない。

「行使と権利は不可分」とする話は、国際法(権利は持つ)と憲法(行使は不可)の順番の議論をあやふやにしてしまっているし、自衛隊の既成事実化と、自衛権解釈のやりかたは、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の基準生活において、かつては保護家庭がクーラーを持ってはいけない時代があったがいまはそんなことはない、ということに収斂(?)する。

ただ、全体としてはイメージ先行を振り払うために説明をしようという意図は汲めるし、ある意味(多くのハンタイハンタイの人たちよりも)一貫した説明ではある。

最終的には「国民の良識」だって。痛いところを…。国民も子どもっぽいからねえ…。

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2022年06月01日

Posted by ブクログ

まえがきで石破茂氏が集団的自衛権は、決して「軍事オタク」だけが知っておくべきことではありませんし(以下略/P7より引用)と述べているように日本国民の誰しもが真剣に考えるべき問題である。集団的自衛権に関してはマスコミによる情報操作のせいで誤解を招いているような気もする。この本には石破氏がわかりやすく噛み砕いてあるので、一度読む事をおすすめする。

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2014年03月13日

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