【感想・ネタバレ】誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたちのレビュー

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

わかってる、と思って
ました。

いいえ、とんでもない。

虐待の後遺症の猛威に、
頁を捲れば捲るほどに
胸をつぶされます。

虐待は子どもたちから
何を奪うのか。

社会性をはじめそれは
もうあらゆるものを、

明るい未来や、ときに
生命までをも奪うのが
虐待。

何もわかってなかった。

これほど人間の根幹を
歪めてしまうんですね
・・・

ブレーカーを落として
感情のスイッチを切り、

アザだらけの幼い体を
震わせてる子どもが、

今この時もきっと何処
にいます。

私に出来ることは何か。
自問せずにいられない
です。

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2024年02月16日

Posted by ブクログ

虐待という生き地獄から、保護されて、ファミリーホームなど養育里親さんに育て直され、どんどん変わっていく様子は感動です。愛情という養分を注ぐことが人間にとってどれほど大切か。
最後の章で紹介されていた被虐待者の方は、自身も親となって、子どもを虐待してしまうということに再び苦しんでいる。読んでいて本当に辛い…あとがきで、ついにわかってくれる人に出会えたとのことが紹介されていた。

一人一人は弱い私達だから、なんとかフォローしあって生きていける世の中になったらなぁ!と、一人一人が少しずつでもできることできたらなぁ!と思う。

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2022年09月02日

Posted by ブクログ

確かに、、と悲しくなった。

虐待から保護して終わり、な訳ではないんだよね。
子どもを歪めてしまったあと、どうにかまっすぐにしてあげたいな。

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2021年01月30日

ネタバレ 購入済み

面白いです

面白いといっては語弊がありますが、児相関連全て(虐待、ネグレクト等々)の書物の中で1番興味深かったです。
特に明日香ちゃんの章が養育親さんのやり切れなさか伝わってきてとても良かったです。
ただいくら愛されずに育ったとはいえ明日香ちゃんだけは生まれ持った気質かと思います。
他の養育子と比べるとですが。
漫画、ノンフィクションの児相書物で1番読み応えがありました。お勧めです。

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2021年01月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

虐待から子供を救った。虐待されたことの無い私にとって、この本を読む前は、良かった。助かったんだ。という気持ちだけであった。
この本を読むことで、虐待から子供を救ったとしても、被虐待児の戦いは、ここからと言ってもいいほど過酷な道を進まなければならない。ということを痛感した。

また、児童養護施設の他にファミリーホームという施設、の存在を初めて知った。

この本は、たくさんの人に読んで欲しいが、これから保育実習として児童養護施設の実習に行く人にも読んで欲しいと思った。

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2021年01月02日

Posted by ブクログ

虐待・育児放棄・性暴力などの過去を持つ子供らのその後を載せたノンフィクション。
あなたが思うほど、虐待された子が抱える闇は深く、周りがサポートしても到底消せないぐらいに巨大だ。
まず、虐待は物理的な傷だけでなく、精神を蝕む傷を生む。
幼少期という発達の段階で虐待を受けた子供はその後、障害を抱えたり、一般人が行っている普通の社会生活を送れなくなる。
例えば、常に親からの罵倒や暴力を受けた子は24時間もの間緊張状態を維持する、辛い現実を忘れるために無意識に意識を飛ばす、根元的な損失を埋めようと自分に虐待を行使した親に愛を求め続けるなど。
体に一生消えない傷が残り、その傷が脳や精神の構造を大きく歪め、本来子供がえるであろう気持ちや思いを抱けず、社会に馴染めず孤立していく。
また、里親も里親で、虐待が生んだ子供の暴力や異常な行動に頭を悩ませている。
いくら里親でも虐待時を安心させるのは容易ではなく、求められる対応の数々に頭を悩ませ、お手上げ状態なのだ。
本書は全て実話であり、我々が犯罪と呼ぶようなことを子供は何とも思ってないほどの恐怖の数々が刻まれている。
何の苦労も痛みもなく育った自分がどれほど恵まれてきたかを思い知らされた。

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2018年12月14日

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衝撃的な内容。
児童虐待について、これほど踏み込んだノンフィクションはないと思った。
是非、読むべき本。

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2018年10月13日

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こんなにも多くの子供たちが日本で苦しんでいることに驚いた。遠い異国の飢餓に苦しむ子供たちの問題も重要だが、自分の国ですごく身近に起きているこういう問題にもっと関心をもつべきだと思った。
子供たちは純粋だ。純粋だから深い傷を抱えてしまうが、純粋だからこそ方向転換も可能だ。最後に登場する人物のように、わかっているけどどうにもできないジレンマを抱えている親や、様々な要因で子育てをできなくなって親たちは、心中や虐待をするくらいなら自分の子供を手放すという勇気を持ってほしい。

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2017年07月01日

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読んでよかった。虐待の後遺症、思っていた以上だった。脳が変わってしまうなんて…
おかあさん=恐怖、不安などの感情、というすりこみから、こどもたちは自らをどんどんそういう状況に追いやってしまう。これは本当に悲しいこと。

もう一度読む。

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2017年01月06日

Posted by ブクログ

凄い濃かった~。
凄いな。もう…それしか言いようがない。
施設育ちって、くくっちゃいけないんだろうけど、
そんな色んな弊害があるんだね…。
ファミリーホーム。いい試みがあるんだね。
そうゆう活動をする人を「凄い」とか言っちゃいけないんだろうけど、
きっと、そ~ゆ~人は「凄い」とか言われるの嫌だろうし
でも、凄い。凄いなぁ。
色々凄いとしか言いようのない本だった。

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2016年07月26日

Posted by ブクログ

泣いた。その努力と愛情に。現実の厳しさに。
皆が幸せになることは、簡単じゃない、とてつもなく難しい。支援者たちがそれぞれの立場で一生懸命頑張ったとしても、子供たち全員を幸せにできる訳じゃない。虐待がなくなるたわけじゃない。それでも目の前の子供一人ひとりを幸せにしようと生きてくれる人ちに心からの敬意を送りたい。
社会的養護という言葉を知らなかったことが恥ずかしい。税金はそういうことにも使われているのか。募金とか寄付とか里親とかできなくても、私たち一人一人にできることをやる社会を作りたい。

今まで虐待関係の本を読んで、社会の構造とかはなんとなくわかったつもりでいたけど、本書では当事者たちがどんな風に苦しみ、立ち直っていくのかが上手に書かれていた。専門家では逆に書きづらそうなことを書いている感じも良かった。「若い母親が生みっぱなしにする」とか。

「生きることは、涙を流すこと
生きていくことは、涙を拭くこと」
ということを、こどもたちや支援する大人たちに改めて気づかされた。

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2016年02月01日

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フィクションであったと信じたいくらいキツいが、現実を受け止めなければならないこともあると実感させてくれた。
相手は選ぶが人に薦めてもいいレベルの内容。

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2015年11月18日

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ネタバレ

虐待の本は何度も読んできたけど、これはファミリーホームが多く出てくるのでまた新しい世界を知ることができた。いつか私もこういう仕事に関わりたいものだ。結婚してなくても里親になれると聞いたこともあるけど。自分の子も育てたことないのに、人の子を育てられるのかとちょっと思う。被虐待児は発達障害的な症状が出るというのは、あの子たちもそのせいなのか、と思っちゃう。問題多発のあの子も、虐待を受けたせいだと思えば許せるのか。とにかく、あの子も死なず、誰も殺さず、生きていればいいと思う。しかし、あの里親さんに渡すのを嫌がった養護施設は許せない。こんな低レベルなところが今も存在してるなんて。10年くらい前とはいえ。涙涙の本だ。ほんと、みんなにもっと読んでもらって、子どもを社会で育てるという意味を知ってほしいと思う。

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2014年12月11日

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ネタバレ

 おそらく「虐待」とか「子供の貧困」か何かで検索をして引っかかった本。出版も去年の11月ということで、読んでみた。

 虐待を受けて「根っこ」(287頁)をうまくはることができなかった子供たちは、本文から分かる行動だけを見ていると、まさに「動物」である。常に怒声や痛みの恐怖に怯え、感情をシャットアウトして自分を守るのである(=「解離」かな?)。

 そのような環境で育ってきた子供たちは、体はどうやって洗うのか、お箸はどう持てばいいのか、といった「日常生活」をどのように送ればいいかを全く知らない。そのようなことから一つ一つできるようにさせていくことが里親の仕事(の一つ)になる。

 さらに重大なのは、これが連鎖することである。虐待を受けた子が親になって、自分で子供を育てようとすると、フラッシュバックに悩まされ、やはり自分の子を虐待してしまうという。

 解決策を模索せずにはいられないけれども、特効薬のようなものは思いつかず、少しずつ知っていき、ゆっくり対処する、というありきたりのことしか思いつかない自分が悔しくなる。

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2015年05月13日

Posted by ブクログ

ノンフィクションだけあって、全てハッピーエンドで終わることはなく、虐待の先にある現実を知れる本。

虐待があり保護者が逮捕されたというニュースを見ると、その子にとって良かったなと思っていたが、それで全て解決されるわけではなく、その後の後遺症による認知の歪みによって、生きることの困難さがあることを知った。

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2023年08月30日

Posted by ブクログ

児童虐待とは子どもがどんな状態に置かれているかを、頭では分かったような気になっていましたが、全然分かっていませんでした。大人になって見聞きし、想像してみたところで、実際に子どもたちがどんな思いをしているのかには遠く及ばない。それほど根深いところで傷付いているということを、この本を読んで知りました。虐待の連鎖の恐ろしさも、改めて戦慄を覚えました。政治や社会がしなければならないことがあるはず。何の資格もない私や、一般市民が出来ることもあるはず。考え続けます。

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2022年09月23日

Posted by ブクログ

虐待された子の問題行動が、なぜそのような行動をするのか、最初理解できなかったけど、読み進めるにつれて、理解できました。

フリーズしてしまう子や、自分を守る為に人格をも変えざるおえなくなる程までに追い詰められてしまうことなど、とても苦しい気持ちになりました。

現実には、この本に出てくる子供たちがたくさんいると思ったら、今幸せに人生を歩んでいてくれていることを願わずにはいられませんでした。

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2021年05月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「子どもは愛情さえあればスクスク育つものだと思っていました」という里親さんの言葉にドキリとしました。そうでない場合もあるのだということを私も初めて認識しました。最近のことでは“ゆあちゃん”の事件がそうですが、虐待による子どもの死は悲しいことに無くなりません。虐待が疑われる場合は児童相談所が施設に保護して、それで良かった助かった、と終わらないところが難しいところです。
この本を読む前は、虐待するぐらい子どもを育てるのが苦痛なら預けてしまえばその子にとっても幸せなのに、と思っていましたが、施設に保護されてそれで終わりではないのですよね。
虐待され続けた子にとっては様々な影響が残り、“普通の子”のような生活をおくれるようになるには、里親さんのように我が子と同じかそれ以上の愛情や手間をかけないと心の傷、トラウマが癒されるのは難しいのだと思いました。それにいくら愛情があったとしても上手くいかない場合も多いでしょうね。

この本で紹介されている中で明日香ちゃんのケース「奴隷でもいいから、帰りたい」は本当につらいと思いました。親も精神的に未熟で自分の気持ちをコントロール出来なくて虐待してしまうのでしょうが、どんなつらくあたられても子どもは母親の愛情を求めてしまうのです。
母親の気まぐれな一言に一喜一憂して振り回され、「やっぱりあんたなんていらない」と見捨てられてしまったら、本当につらく悲しいです。親の子どもに対する無償の愛というより寧ろ子どもの親に対する無償の愛を思う、というような本書の文面がとても印象に残りました。

 虐待の問題、どうしたらよいのか、とてもとても考えさせられた本でした。

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2018年07月22日

Posted by ブクログ

第11回開高健ノンフィクション賞
自分の認識の甘さに気付かされました。
そして、ファミリーホームと呼ばれる場所で奮闘している人たちの凄さ。
虐待の連鎖とひとくくりにしてはいけないけど、虐待されて大ききなった人たちのケアの必要性も十分に感じられる内容だった。
性的虐待が一番困難な事例という文言が心に刺さってます。

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2015年09月12日

購入済み

勉強になった

こういう世界があることを初めて知った。
子供は何一つ悪くない。
子供を手放すという選択をする親もある意味悪くない。
無理して虐待する事だけはさけなければならない。
子供は社会にとって、尊い、美しいものだと思う。
親が親の役目を果たせない状況は確かに存在する。

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2015年08月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

また虐待のケース報告かなぁ・・と思いつつ
「2013年開高健ノンフィクション賞受賞」
これに引き付けられて買ってしまった。

今まであまり取り上げられなかった
被虐待児の保護された「その後」
そこに焦点が当てられていて、
問題の深さに改めて考えさせられた。

保護されたらハッピーエンド、
そんな簡単なことではない とは分かっていたけれど
虐待された子どもの心の傷は想像以上だった

優しい里親さんなど関係者も多い日本でこの状態
とすると、インドなど最貧国の捨てられた子どもたちは
どうやったら傷を癒すことができるのだろうか・・
絶望的になる

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2015年02月01日

Posted by ブクログ

虐待は最も卑劣な犯罪だ。特に子どもに対してのそれは、一時の苦しみ、痛みを与えるだけでなく、人生そのものさえも奪う重大な人権の侵害行為だ。
心の傷は目に見えない。言葉でも上手く表現できない子どもたちは、どうやって救いを求めればいいのか。

虐待の記憶から立ち直るのは容易ではない。この本を読めばその一例がわかるだろう。
寄り添うこと。愛すること。あなたは他人にそれができますか。子どもに、それができますか。

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2014年12月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

母に(父にもか)感謝しなければならない。

今にして思えば、かなり情緒不安定な幼年期を過ごした(今でもその片鱗は多分に残っているが)。

何とかこの年まで生きて(普通の生活を営んで)こられたのは、両親のおかげなのだと思う

「両親に感謝しなさい」というのは、社会人になってから長じてよく年配の方に言われた言葉だが、そのときは(今でも)、まあ否定はしないがそんなものかなという程度にしか思っていなかった。

しかし、本書に取り上げられている不遇な幼少年期の事例に接すると、本当にその通りだなと思う。

最近、小学校時代の通信簿を読む機会があって、情緒不安定について、家庭環境に問題があるのではないかなどと書かれた教師のコメントに驚いた。

それでもあきらめずにここまで育ててくれた母に感謝。

母はラジオの教育相談をよく聞いていた。

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2014年11月29日

Posted by ブクログ

【感想】
心が痛い。ページを1枚ずつめくるごとに、やり場のない悲しみが押し寄せてくる。虐待者から逃れたあとも、まだ悲劇が終わらないとは。残りの人生でこんなにも過酷な時間を過ごさなければならないとは。

本書は、里親や施設のスタッフ、被虐待者本人から聞き取りを行い、「虐待の後遺症」について論じていく本である。
「虐待の後遺症」とは、虐待者から逃れた後も、暴力によるPTSDやうつといった症状に苛まれ、再び問題行動を起こしてしまうことである。私たちの感性からすると、虐待者から保護された子どもは、施設や里親の手によって暴力のない平和な生活を営むことができる、と考えるのではないだろうか。しかし、心の傷が元通りになるのには相当な時間がかかり、なかには大人になっても完治しないケースもある。乳幼児期という人格の形成期間に養育者から暴力・育児放棄を受けることで、社会性が身につくことなく成長してしまうからだ。
また、実親だけでなく、なんと被虐待児を引き取った里親も虐待に及ぶケースが多いらしい。
虐待されている子どもたちは感情を抑圧されているが、それを実親に向けて発散することは不可能である。実親から引き離されたあと、その貯まった怒りが優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」の典型例であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。
加えて、虐待の後遺症は子ども時代に終わるわけではなく、本人が親になったときにも起こってしまう。自身は親から愛情をかけてもらった記憶がないため、我が子に対してもどう愛情を注げばいいかわからない。言うことを聞かない、早く寝ないといった育児上の障害が起こったときに、自身の子ども時代の経験を思い出し、虐待の記憶がフラッシュバックする。その結果、親と同じく暴力を振るうことで問題を解決しようとするのだ。

私が本書で一番胸を締めつけられたのは、明日香ちゃんのエピソードだった。実母から虐待を受けた後に里親にもらわれ、そこで不自由なく生活していたが、実母からの「一緒に暮らそう」という甘言に乗せられて、里親と学校の同級生に暴力を振るうようになる。実母は明日香ちゃんを「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなしておらず、きちんと育てる気など最初からない。その先に幸せなどないと内心わかりつつも、「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」と、赤ちゃん言葉で実母にすがる。

こんなに理不尽なことはあるのか。ただ愛してもらいたいだけなのに、元の生活に戻りたいだけなのに、自己中心的な親によって、再び傷が広がっていく。
虐待は、親元から離れて終わりではない。成長期を暴力で染められた子どもは、人間のような社会性や思いやりを身に着けることなく、動物のように成長していく。なんとか社会に適応し、自分が親になっても、今度は虐待者として悲劇の連鎖に加担していく。

筆者「だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。『子どもたちの現実』から目を逸らしてはならない。それが『子どもの側』から虐待を見ていくという視点だ。『虐待の後遺症』という視点を持って、『殺されなかった』被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。

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【まとめ】
1 虐待を受けた子どもの「その後」
「先生(医師)が気になる子、目をかけなければいけない特別な子の母親に見られたかった。あたし自身、常にいい母でありたいと思っていましたし、子どもと時を重ねることに自分の価値があると思っていました。熱心に看病する母であると評価してもらえることに、非常な満足感と安定感を感じていました」

香織は、このような理由で自らの子どもの点滴に水を混ぜ、容体を悪化させた。犯行動機は「入院生活を長引かせること」。病院は香織にとって心地いい場所だったからだ。
検察官からの動機にまつわる執拗な問いに、香織はこう答えた。「子どもと二人だけで24時間いられるというのは、日常を離れて子どもと濃密な時間を過ざすこと。すべてをあたしに委ねている子どもは、あたしの一部。小さな子どもと密接にいられるのはとても心地いい。入院することによって常に、先生や看護師さんの目が向けられ、わが子を特別な患者として気にかけてくださり、私も看病する母として特別な存在となって、言葉をかけてもらえることに居心地の良さを感じていました」
「代理ミュンヒハウゼン症候群」と括られる人たちに、共通に見られる特徴だった。

虐待を受けた子どもというのは、どんな状態にさせられているのだろう。それまで私は、虐待を受けた子どもは、児童相談所によって保護されて親から離されれば、それでひとまず問題は解決すると思っていた。少なくとも、もう殺される危険はないのだと。はっきりわかったのは、私は何もわかっていなかったということだ。
あいち小児は日本で唯一虐待外来を持っている。病院内には虐待を受けた子どもたちを入れて(隔離して)おくための閉鎖病棟がある。
「虐待を受けた子どもは、とにかく問題行動をひっきりなしに起こす。そして自身の弱さが外に出て、イライラが募ると暴れてしまう。つまり、虐待的な対人関係を繰り返すのです。でも子ども同士がお互いに脅威を与えるようでは、安心がもたらされない。安心がないところでは治療ができない。この病棟は、そうした不安定な子どもたちを安心な構造全体で抱っこするというイメージなのです。子どもを閉じ込めることが目的なのではなく、守るためのものなんです」
そう施設長は語る。

虐待を受けた子は怒りや恐怖など、さまざまな感情に蓋をしているのだが、保護されて警戒が緩むと、蓋が開く。そうすると陰湿ないじめをしたり、激しい暴力衝動が抑えられなくなったりする。


2 美由
5年前、里親の久美さんが一時保護所で見た美由ちゃんは、「壁になっていた女の子」だった。児童相談所の児童福祉司は、「この子は、しゃべれないかもしれません」とまで言った。
彼女が虐待されたのは、なんと里親からだった。虐待された子どもたちの抑圧された怒りは、優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。

美由ちゃんは暮らしの中で、急に獰猛で暴力的になることもあれば、ボーッとして呼んでも返事をしないこともある。何かで注意されると、そこで感情を切ってしまって、フリーズすると何時間でも無表情のまま立ち尽くす。記憶をそうやって飛ばすので、注意されたことが積み上がらない。だから、何度でも同じことをやる。これは「解離」という。
解離とは、脳が器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称だ。虐待というつらい記憶を消すために、スイッチを切って生き延びるのである。

「悲しい思いをした時に 『悲しい』と感じると、悲しみに関連した外傷記憶(トラウマ)がフラッシュバックしてくる。怖いと思うと、怖い過去がどっと出てくる。性的な興奮を感じてしまったら、同じように過去の性的なトラウマが出てくる。それはつらいことですし、また、恐怖だとかの感情を顔に出したら、余計に虐待者を怒らせてしまうので、それらの感情も含めて全部に蓋をするんです。残るのは薄っぺらい、にこにこ笑っているだけの人格です。そうやって、自分を守っているんです」
解離は防御である。殴られるという痛くてつらい経験も「感じない」ようにして自分から切り離してしまえば、痛みもつらさも軽くなる。美由ちゃんも「壁になって」感じないようにして、その場を生き延びてきたのだ。


3 雅人
雅人くんのお腹には、刃物で切られた痕があった。それも縫うなどの処置がされたものではなく、自然についたような傷口だった。手には、ケロイド状のやけど痕もあった。
「痛みに対して、忍耐強い」「人の目を見ない。見られるのもいやがる」「自分自身、人間関係、人生に否定的な考えを持っている」「パターンに固執し、柔軟な考えができない」
雅人くんに見られるこのような特徴は、「愛着障害」という症状に括られるものだ。この「愛着障害」こそ、被虐待児のほとんどが抱える問題といっていい。
愛着とは、赤ちゃんと母親など養育者との間に作られる情緒的な関係のことだ。心理学的には、幼児期までの間に子どもと養育する側との間に作られる、母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指す。人を信じ、世界を信じ、成長していくすべての基盤となるのが「愛着」なのだ。

「産まれたばかりの赤ちゃんには、 『心地よくなりたい』という肉体的な欲求と、『甘えたい』という情緒的な欲求があります。この欲求が継続的に無視されると、他人の気持ちをくみ取る脳の部分が成長せず、愛着障がいの症状が出てくるといわれています」
愛着とは愛され、守られ、大切にされた記憶。いつでも戻れるあたたかなお母さんの膝があり、守られてきたことにより、自分を信じ、他人をも信じることができるのだ。ゆえに愛着が育っていない子は、往々にしてスキンシップをすることができない。

虐待的な環境で生きてきた子どもが養育者との間に獲得するのが「虐待的な絆」であり、それは人にマイナスに作用する「愛着」だ。痛みや痺れや怒声だけが養育者とのつながりだとしたら、子どもはその感覚だけを頼りに生きるしかない。これが虐待者との間に形成される〈歪んだ愛着〉=〈虐待的な絆〉だ。こうして作られた虐待的な絆は、虐待の連鎖へとつながっていく。

雅人くんはADHDを発症していた。
虐待と発達障害は、複雑に絡み合っている。なぜ、被虐待児に発達障害の子が多いのか。それは養育者が、発達障害をもつ子どもに対して育てにくさや非社会的な特徴を感じ、それを「しつけ」によって正そうとした時に、あっとう間に虐待へと横すべりしてしまうという傾向があるからだ。たとえば、落ち着きのないADHDの子に対して、どうして他の子と同じようにできないのかと苛立ち、つい手を上げてしまうことがある。
杉山医師はあいち小児の臨床で、生まれつき発達障害でなくても、虐待を受けることで発達障害のような状態を呈するということを「発見」した。その「発見」の上に立ち、子ども虐待を「第四の発達障害」と位置付ける。子供への虐待そのものが、脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらし、発達障害と言わざるを得ない状態を作り出す――。虐待とはどれだけ残酷で過酷な結果をもたらすのだろう。


4 拓海
「家庭を知らない子」――施設側が言うとおり、拓海くんには2歳で保護されるまでの家庭の記憶はない。母親からの虐待を覚えていないことが幸せなのかどうかはともかく、「愛着」という基盤のないまま施設で成長してきた子だった。
拓海くんがいた施設では、職員が子どもたちの動きを徹底的に支配していた。加点・減点の権限を持っている職員がポイントをちらつかせて子どもたちの行動を規制していた。

「俺の部屋は四人部屋で、俺は二段ベッドの上なんだ。夜の一時に先生の最後の見回りが来て、それが終わると、あとは大人は誰も来ないから、寝てると、下の子にベッドから引きずり下ろされる。だから、夜は寝ちゃだめなんだ。寝たら、やられる」
「俺がいる間に二回、戦争があった。中学生が計画を立てて、先生をぶっ飛ばすんだ。俺は中学生の命令でガラスを割ったし、女の保育士に突っこんで、その人を辞めさせた。小学生は中学生の決めた通りにやるんだ。バケツに水を入れたのを、先生にぶつけたり…。中学生の決めたところに隠れていて合図があるとバーッと出て行くんだ」拓海くんのいた施設は、年度内でもしょっちゅう職員が辞めることで里親仲間でも有名なところだった。

「ママ、大人になるってつらいことだろ。俺はもう、死んだ方がいい。大人になっても、どうせ俺はバカだから、お仕事はできないし、今、死んだ方がいい。大人になるって、つらいことだろう」


5 明日香
筆者が取材で訪れた乳児院は、「より小さい集団での、担当との愛着形成」を目指し、懸命に努力を重ねていた。一人一人の乳幼児に担当の職員がつき、担当以外は抱っこや授乳もしないというシステムで、その職員との愛着形成を図っていた。授乳は抱っこしてちゃんと目を見て、入浴は職員が裸になって一緒に入り、離乳食の介助も担当職員が笑って話しかけながら行うなど、できる限り「お母さん」のような養育が心がけられた。
赤ちゃんの食事がすむと、体験取材中の筆者にも「一緒に、子どもたちの前で同じものを食べてください」と声がかけられた。そこに、どんな意味があるのかと聞くと、職員が説明した。「おいしいね」って私たちが食べるところを見せないと、子どもは大人が食べるということがわからないのです」
これこそ、施設のジレンマだった。ここまで気を配らないと、赤ちゃんたちは「食べる」という当たり前の営みすら目にし、学ぶ機会がないのだ。家族の生活の場である「家庭」で育つこととは、根本がどうしても違うのだ。

明日香ちゃんは川本恭子さんの里子として、まるで本物の親子のように愛情を注がれて育った。しかし小学6年生のころ、実母から「一緒に暮らそう」と言われ、生活が一変する。上手くいっていた学校でも、家でも、自分の居場所がなくなるように暴れ、他の子どもたちに暴力を振るうようになった。何かと実の母親と里親を比べ、「本当のママはよかった」と、恭子さんを傷つけるような発言を繰り返したのだ。

「帰りたい。オレは嫌われても帰りたい。お母さんのところに帰りたい」。明日香ちゃんは何度も口にする。恭子さんが「わたしたちがいるよ」と言っても、「親でもないくせに」とはねのける。
実のところ本当の親からは、「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなされていなかった。明日香ちゃんが6年生になり、多少の分別はつく年になったと思いこんでいたため、育児を負担させるために呼び寄せようとした。責任を持って引き取る気など毛頭なく、そこに本当の愛はなかったのだ。

それは、明日香ちゃんにもわかっていたはずだと恭子さんは思う。しかし明日香ちゃんは止まらない。「お母さんと幕らす」という念願は、これまで積み重ねてきた学校の友達関係や勉強や川本家という家族をゼロにしてでも、明日香ちゃんにはなくてはならないものだった。「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」。六年生だというのに、赤ちゃん言葉で実母にすがった。

明日香ちゃんはその後、家庭復帰から2ヶ月足らずで実母の家から追い出され、今は情緒障害児短期治療施設に入所している。


6 虐待の後遺症
「お母さん」と、精一杯の思いを込めて呼びかけた、たった一人の存在が継母だった。愛してほしい、守ってほしいと心から望む存在から、愛され、守られ、大切にされた記憶が欠片もないとしたら、なぜ生まれてきたのかがわからない。この世界にすがりつく一本の糸すらないのなら、どうやって生きていけばいいのだろう。
だから、人は探し求めるのだろうか。どれほど親に虐待を受けたとしても、そこに一片でも愛情があったのなら、それだけで存在の意味が立ち現れ、暗闇の世界にたった一人でさまよう地獄から救われると。
ただ、その果てに何があったのか。

感情のスイッチを切ってプレーカーを落とさない限り耐えられない、過酷な現実を強いられた子どもたちは、すべてがズタズタに寸断されていた。心も身体も脳も、すべてだ。親から与えられたものといえば血の味、痛み、輝れる感覚、そして恐怖。
だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。「子どもたちの現実」から目を逸らしてはならない。それが「子どもの側」から虐待を見ていくという視点だ。「虐待の後遺症」という視点を持って、「殺されなかった」被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。

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2022年02月20日

Posted by ブクログ

とても悲しくてなかなか読み進められなかった。
子どもは親だけでなく、周りのみんなで育てていくべきと思っているけど、なかなかそれができない。
なんとかいいものがないんだろうか…

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2021年12月24日

Posted by ブクログ

虐待の現場から助け出されても、虐待の脅威は続く。
いくら愛情もって接しても、やっぱり子供は「お母さんと一緒にいたい」
どんなに酷いことされてきても、肉親を求める子供達がいる事、私達は知らなければならない。
衣食住が整う事も大事だけど…
どんなに貧しくても子供にとっては親に愛される事を一番望んでいる。
何も持たずに生まれた子供達の唯一の願い。
それを暴力や恐怖で返す虐待は、何があっても間違ってる。

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2020年10月08日

Posted by ブクログ

TVのニュースを見ていて、虐待を受けた子どもたちのその後を考えたことがなかった
だけど私たちは、ニュースを見て、ああ可哀想にって思うんじゃなくて、彼等が今後どんな人生を送ることになってしまうのか、向き合わないといけないと思う
生まれてきたことを喜んでくれて、たくさん愛してくれた両親を思い出して、涙が出た

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2019年11月15日

Posted by ブクログ

虐待をする側の境遇や心理、虐待の残酷さを書いた本は多いが、虐待された子どものその後を書いた本はあまり見当たらない。
本著は、被虐待児が児童養護施設からファミリーホームに移り新しい家族の中でどのように生きているのかを書いている。

被虐待児は、保護され再び社会の中で生活したらゴールではなく、まだまだ虐待の後遺症に苦しめられる。
過酷な環境の中で適応するように生きてきた子どもたちは、サバイバーである。
サバイバーとして常に緊張を強いられ続けた子たちが、保護され家庭に入ったとしても、すぐに「普通の子」にはなれない。
排泄したあとのお尻の拭き方すら知らない子。
何かのきっかけで思い出す虐待の記憶。

保護者からの愛情を受けずに育つということは、私が思っていた以上に子どもを傷付け苦しめ続けていた。
愛着障害という言葉が本著ではよく見られるが、それは脳の器質まで損傷させてしまうほどに深刻な障害であった。
そして、被虐待児を受け入れる側の苦悩もある。

サバイバーの子達が、安心して穏やかに暮らせるように切に願う。

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2018年04月22日

Posted by ブクログ

虐待を受けている人がいるという事実は、ニュースでもよくみる。しかし、その後の後遺症やどうやって生きているかなどは、あまり語られることはない。
いろんなパターンを盛り込んでいるので、十人十色だということはわかるが、そのひとつひとつをもう少し掘り下げて欲しかった。

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2017年10月18日

Posted by ブクログ

どれだけ良心的な施設に保護されても、どれだけ愛情深い里親に育てられていても、心ない実親を求めてしまうというのは虐待の残酷さと難しさを顕著に物語っていると思う。

虐待死のニュースは後をたたないが死に至った件数は問題でないことは理解しておきたい。ましてやそれを防げなかった児相や役所の対応の批判を耳にすることもあるがそれは虐待の問題点としてはピント外れであることはわきまえておきたい。

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2015年05月05日

Posted by ブクログ

虐待されて死なずに生き残った子供たちのその後を描くノンフィクション。
おもに養子縁組を目的としない里親家庭の話。
この辺の話に興味があってある程度調べている人には物足りない内容。
でも知らせるという点では読みやすくて良いのかも。

虐待されて親から引き離された子供は、まともなおうちにつっこめばまともな子供になれるってわけじゃない。
サバイブしてきた経験が、おだやかな環境での生活を邪魔してしまう。
里親をやるような人たちはちゃんとしたおうちの人だから、そういう子供にどうやって接していいかわからずに悩む。

助けが必要な人にほど救いの手が届かないなかで、「運よく」いい里親にひきとられた子供たちのその後を見ると救われる思いがする。
でも本当は、こうやって福祉に拾われる子供より、誰にも救われずにおうちで生き延びる子供のほうがずっとずっと多いんだよね。
著者は「死亡ニュースにならない、生き残った子供」の存在に気づいてそこにスポットライトをあてようとしたみたいだけど、そのまんま家に居続ける子供は見えているのかな。
そっちも読みたい。


著者紹介を見て「セレブモンスター」とかのタイトルを見て嫌な予感がした。
冒頭の、虐待親を異物として描く描写や「私だったらできない」という言葉で更に嫌な予感。
が、読み進めたら思ったほどひどくはなかった。
取材して人の話を聞いて、聞いたことをゆがめずに記してある。
そんなの当たり前なんだけどできてない「ノンフィクションライター」が多いから安心した。
それでも、著者脳内の一般読者のレベルに合わせたのかもしれないけれど、「知っているつもりだったけどわかっていなかった」という書き方の無知がはげしい。
本当に普通こんなにわかってないものなんだろうか。
興味があるつもりだった人ですらこんなに?本当に?
本当に「世間一般」がここまで無理解ならば、偏見が横行するのも当然だ。

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2015年01月07日

Posted by ブクログ

心の傷と闘う子どもたちの現実と、
再生への希望。
“お化けの声”が聞こえてくる美由。
「カーテンのお部屋」に何時間も引きこもる雅人。
家族を知らず、周囲はすべて敵だった拓海。
どんなに傷ついても、
実母のもとに帰りたいと願う明日香。
「子どもを殺してしまうかもしれない」と虐待の連鎖に苦しむ沙織。
して、彼らに寄り添い、再生へと導く医師や里親たち。
家族とは何か!?生きるとは何か!?人間の可能性を見つめた感動の記録。2013年第11回開高健ノンフィクション賞受賞作!

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2014年09月26日

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